2007年8月28日(火)
写真:月の満ち欠け ( http://www.eva.hiho.ne.jp/hakamatsu/hpcopy/tukinomitikake22.jpg より)
日本には、「月と不死」という話がある。 三日月から満月へ、それがだんだんやせ衰えてついには尽き、そして新月から再び新たなサイクルを繰り返す月。 この月の満ち欠けに、死と再生を見、生死を繰り返しながら永遠に続いていく不死のイメージを古代の日本人は読みとっていたのである。
本川達雄教授は、日本古来から、新月毎にあらためて、時間をリセットする、という時は廻るという時間感があったという。 エントロピーの法則、それは放っておけば無秩序になる様に崩壊していく、つまりエントロピーの増える方向に物事は進んでいく、という考え方に対し、日本人は古来よりいわば永遠の思想が有った。
そういえば、「巨人軍は永遠です」と言ったのは、あの長嶋茂雄さんだった。 自民党の中川幹事長も、大敗の責任をとられるが、その言葉は「大敗は再生の始まり」と言った。 それならば、首相も含めて「リセット」しなければならないのではないだろうか。
今週のテーマは、本川達雄教授の著作「ゾウの時間ネズミの時間」「長生き が地球を滅ぼす」の2冊から、「ゾウの時間 ネズミの時間 現代人の時間 日本人の時間」としている。
今回は、「回転する生命とエネルギー」を取上げたい。
今日28日夜、全国で約6年ぶりに月全体が地球の影にすっぽりと入ってしまう皆既月食が見られる。 皆既月食は、午後6時52分、月の出から欠けてる月が現れ、そのまま皆既月食になって同8時22分すぎまで続く。その後約1時間、部分月食が見られる。 月の出早々の月食なので、高度が低い分東から南東の方角が開けた南東の空で、皆既月食特有の赤銅色の月が暗く光るらしい。
今夜の天候は、全国的に曇りがちという事だが、一度月を眺めながら、前述の永遠の思想を考えるのも、一興ではないだろうか。
今週の引用資料
本川達雄:著 「長生き」が地球を滅ぼす
■170−ゾウの時間 ネズミの時間 現代人の時間 日本人の時間
▼170−4 回転する生命とエネルギー
生物的時間とエネルギーの関係について、もう少し考えてみたい。
時間は、体重の4分の1乗に比例し、エネルギー消費量(比代謝率)は、体重の4分の1乗に反比例している。 結局、時間とエネルギー消費量(比代謝率)とは反比例の関係になる。 時間の逆数は時間の進む速度とみなしてもいいだろうから、「時間の速度はエネルギー消費量に比例する」とも言える事になる。
つまり動物の体の中では、エネルギーを使えば使うほど時間は速く速んでいくのである。 普通、時間は一定の速度で流れていくと考えられているが、動物が関わってくると、時間の速度がエネルギーと関係してくるのである。
さて、「自然に起こる過程では、必ずエントロピーは増加する」という、熱力学の第二法則がある。
複雑で秩序だったモノは、放っておけば無秩序になる様に崩壊していく、つまりエントロピーの増える方向に物事は進んでいくのである。 だからエントロピーにもとづいて考えると、時間は必ず一定方向に流れていき、元には戻らない。 物理的時間が後戻りしない直線的なものである理由の一つは、熱力学の第二法則に根拠がある。
ところが生きものは、エネルギーを注入する事によりエントロピーの増大を抑え元の秩序だった体に戻してゆく。 この時間が元に戻ったとみなされるのが、物理的時間と生物的時間の、大きく違うところである。
生物的時間は元に戻るのは、エネルギーを外から供給するからである。 生物は、エネルギーを注ぎ込む事により時間を戻しているのである。 ここで時間とエネルギーとが関わってくるわけである。
寿命というレベルでこの事を考えて見ると、体は使えば使うほどエントロピーが増大し壊れていく。 私達はエネルギーを注入しながら体を使っているが、長年使用し続けていれば、これ以上直すよりは捨ててしまって新しく、つくり替えた方が経済的という時期がくる。
発行者註:熱力学の第2法則、エントロピーの法則は次の様に表されている。 「物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいは又、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する」。 要するに「第二の法則」は、宇宙の全ては体系と価値から始まり絶えず混沌と荒廃に向かう、と説明する事ができる。 エントロピーとは一種の測定法で、それによって利用可能なエネルギーが利用不可能な形態に変換していく度合いを測る事ができるものである。 又、「エントロピーの法則」によると地球もしくは宇宙のどこかで、秩序らしきものが創成される場合、周辺環境には一層大きな無秩序が生じるとされている。 「エントロピーの法則 21世紀文明の基礎」(ジェレミー・リフキン:著 竹内均:訳)より。
そこで、新しく自分とそっくりの子供をつくり、古い体(つまり親)は壊れて死ぬ。 そして新しく個体をつくれば時間がゼロに戻ったという事だから、これはエネルギーを注ぎ込む事により時間が元に戻っている事になるのである。 誕生から死へ、又、誕生から死へとくり返すのが生物で、時間がくるくる回っていくこの一回転が寿命という時間になる。
例えば細胎内の酵素の働きという生理的現象で考えてみたい。 酵素は或る働きをすれば形が変わる。 それをエネルギーを使って元の形に戻す。 これで一つのサイクルが完了する。 ここでもエネルギーを使って時間を元に戻しているわけである。
結局、働けば働くほど体は壊れるので、それを元に戻すにはエネルギーがいる。 働くという事は状態が変化する事で、その変化を「壊れた」と表現すれば、元の状態に直してやるのにエネルギーがいる、という事である。
短い時間に何度も変化を繰り返そうとすれば、それだけ何度もエネルギーを注入して元に戻すわけだから、多くのエネルギーが必要になる。 元の状態に戻す事により生命の回転を続けさせていく為にはエネルギーがいるのである。
結局、変わらずに続くものをデザインしようとすれば「回せばよい」のである。 生命は回るデザインをもつ事により、「永遠」を目指していると言えるのではないだろうか。
生物的時間は回り、円くデザインされているのである。 もちろんエントロピーは増大し続けるから、その意味では時間は直線的に流れていって元には戻らない。 しかしそれにも関わらず、あたかも時間が元に戻ったかの様に振る舞っているのが生物なのである。
但し元に戻るからといって、生命の時間に方向性がないわけではない。 子供は大人になるが、大人が子供に戻る事は起こらない様に生命の時間の回転は一定方向で逆回りはしない。 この回転方向を決めているのがエントロピーである。 生命は一定方向に回りながら元に戻るという事を繰り返しているのである。
古代から、日本の時間は回っていたのである。 この様な「回る時間」をもっていた日本人が、直線的な時間へと変わったのが明治の開国である。 圧倒的な技術力の優位の元に西洋は世界を支配。 日本も明治に国を間いた。 西洋の技術を進んで受け入れて以来、技術の基礎にある物理的時間が、物理学や技術の中のみならず、日常生活の中にも深く入り込む事になったのである。
古来、生物の時間は回ると同様に、日本人の時間も回るものだった。 しかし現在の日本人の時間観は、生物であるヒトと相性の良いものなのだろうか? 又、日本人の心情とも相性が良いのだろうか?
開国以来100余年、技術立国の道を邁進してきたが、得たモノと失ったもモノとを、この辺りでじっくり考えてみる必要があるのではないだろうか。
又、西洋風のものの見方だけで組み立てられてきた技術や科学の体系、更にに社会の仕組みそのものをも、ここで問い直す必要有るのではないだろうか。