日々のビジネスや、書籍、セミナー等で啓発を受けた情報から、人として成長し続けるヒントを求め、社会全般の考察を 『個人シンクタンク』 の目線でブレンドした、読み人の心が元気になるエッセイ。

●見聞録223−1 強欲資本主義を受け入れた「前川レポート」 批判した「下川治 博士」  2009年04月01日(水)
●2009年4月1日(水)

ロナルド・レーガン アメリカ第40代大統領

写真:ロナルド・レーガン第40代大統領(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

●見聞録223 強欲資本主義の先は 福祉を重視するヨーロッパ型資本主義?

●今日の視点

民主党の小沢一郎代表の秘書逮捕問題について再掲になるが、「『今回の事件、何故この時期に?』と多くの人が感じる不可解さは、ぬぐいがたい。 

ヒラリー・クリントンとの面談を一度は断ったが、たっての要望で「午後7時」に面談に応じた小沢氏の態度を、アメリカ政府は「田中角栄元首相」と同様、対等外交の立場を取り、アメリカのポチでなない好ましくない「次期総理候補者」と断じたのではないだろうか。 

何故か「第7艦隊だけで十分」という発言に、アメリカの高官は激しく反応したのも記憶に新しい。 これらから推測するに、虎の門からのスジで仕掛けれた事件だという見方は、捨てきれない」と。

こういう推測の背景は、あの「年次改革要望書」の2008年版が、明るみになった事からである。 「年次改革要望書」は、関岡英之氏の著書「拒否できない日本」(初版は2004年4月)で、つまびらかになったのでご存じの読者も多い筈である。

本稿でも見聞録143便 2006年12月18日の週でこの書を取り上げている。 著者は「年次改革要望書」と「外国貿易障壁報告書」を過去数年分、隅から隅まで通読してみて初めてその狙いがわかったという。 一言で言えば、アメリカにとって都合の良い制度を、毎年日本につきつける指示書である。

さて昨年10月は、オバマ政権が誕生確実視された時期だが、誰が大統領になっても「年次改革要望書」に記載される内容は、一貫している。 アメリカでは政権党が変われば、全スタッフが総替えと聞いているだけに、不思議な話しでもあるが・・・。

それはともかくとして、もし小沢代表が次期首相になると、どう考えても「年次改革要望書」を、すんなり受け入れるとは思えない。 ヒラリー国務長官が「是非!」と面談をセットしたのは、頷けるというものである。 第7艦隊でけで十分という発言もアメリカを痛く刺激するだろう、と推測すれば今回の「秘書逮捕」を仕掛けたのは・・という勘ぐりも働くというものである。 興味のある方は、グーグルで「年次改革要望書」を、検索して頂きたい。

さて100年に1度と言われている「アメリカ発金融不安」による被害を一番受けているのが、日本である。 自由主義・資本主義の限界なのか、あるいは暴走なのだろうか。 そこで今回は、「強欲資本主義の先は 福祉を重視するヨーロッパ型資本主義?」と題して、資本主義社会の有り様を考えて見たい。  先ずは、神谷秀樹氏の著作 『強欲資本主義 ウォール街の自爆』から取り上げたい。

下記の本論では、「下村博士の卓見」から始まるが、現在知りゆる限り、この人ほどの正論を吐く人が見あたらないのである。

そう言えば、植草氏も不可解な要件で逮捕されてから、マスコミの表舞台には出てこられない。 えん罪とも言われているがその真実や如何に。 昨日、元財務官僚の高橋洋一氏が「窃盗で現行犯逮捕されるも即釈放」というニュースが流れたが、その後各マスコミの殆ど続報が殆どない。 

現政権を痛烈に批判されているだけに、「出来心の盗みを素直に認めたと」いうおかしな事件である。 ここ10年近く消えていたリチャード・クー氏が最近すこしずつ表舞台に顔を出し始めた様だが、この人は麻生首相のブレーンとして「旗色鮮明」な人である。 

そう言えば森田実氏もすっかりご無沙汰だが、あれこれ考えると、それなりの圧力が現存するという証明ではないだろうか。

●今日の引用資料

神谷秀樹:著 『強欲資本主義 ウォール街の自爆』

●見聞録223−1 強欲資本主義を受け入れた「前川レポート」 批判した「下川治 博士」 

◇下村治博士の卓見◇

アメリカの「双子の赤字」(借金と浪費に依存した経済)がやがて立ちゆかなくなると警鐘を鳴らした経済学者は、日本にもアメリカにもいた。

日本の代表は下村治博士である。 氏は池田内閣時代に「所得倍増計画」を構想し、今日の日本の発展の礎を築いた経済学者である。 その下村博士はやがて、オイルショックによる石油の値上がりを、経済発展の根本要因である「安価かつ安定した資源の供給」が止まった事だと捉え、高成長を目指せる時代が終わったことを覚り、「ゼロ成長論者」となった。

また、日本の市場開放を強硬に求めるアメリカ政府に対して、1987年に「日本は悪くない。 そして、1987年にはさらに『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(ネスコ刊)という著書を発表している。 氏はレーガノミックスを痛烈に批判し、アメリカ追随型の経済政策の提案であった「前川レポート」も「日本の健全さを捨てさせるものだ」として受け入れなかったのである。

下村博士が指摘した事の中に、アメリカの要求に合わせた日本の内需拡大論は、日本経済を破滅させる。 日米は縮小均衡から再出発せよ、とある。 又昨年起きたアメリカ発金融不安を予知した様に、「世界同時不況を覚悟するしか解決の道はない」と指摘している。

そして1980年後半に土地バブルが起こり、それが崩壊して、下村博士の指摘通りになったのである。 だが、その後も下村博士の主張は無視された。 それどころか「小泉・竹中時代」になると、全くのアメリカ型強欲資本主義を追随する思想が日本を席捲し、「勝ち組・負け組」論が人々の心を支配する勢いとなった。

同時に「格差は正しい」、「東京をウォール街のような国際金融都市にし、モノづくりよりも金融国家となる事を目指すべきである」といったことが喧伝された。 現在もその延長線上にあり、下村博士が提言した厳しい処方塵を受け入れようとする声は、経済界はもちろん、政界の中心からも全く聞こえてこない。

◇亡国の「前川レポート」◇

レーガン政権にとって、貿易収支の赤字の解消は急務であり、当時、巨額の対日貿易赤字を抱えていた日本に市場開放を強く迫ったのである。 こうした要請に応える形で、日本では1986年、経済政策の指針となる「前川レポート」(「国際協調のための経済構造調整研究会」報告書、座長は元日銀総裁・前川春雄)が書かれ、内需の振興が図られたのである。 それが結局大規模な不動産バブルを引き起こす根本原因となった。

下村博士は、「前川レポート」を厳しく批判している。 「この報告書がいう体質改善というのは、働く意欲を阻害し、勤労精神・貯蓄精神をゆるめ、節度ある経済・財政運営の気構えをなくして、もっと気楽な気持ちで鷹揚にカネをばらまき、怠けて遊ぶようにしなさい、という事である。 そうすれば生活はよくなると・・・。

氏は「どこかが狂っている」とバッサリと切り捨てているのである。 実際に日本はバブル時代にその通りとなり、やがてそのツケを日本国民は全部支払わされることになったのは周知の事実である。

◇ウォール街に搾取された◇

ウォール街の投資銀行や、その出身者達が運用する不動産ファンドや企業買収ファンドが日本で巨額の収益を上げる事ができるようになったのは、バブル崩壊後である。

まず日米共に金融緩和された状態であり、低金利の資金が市場に放出され「超過剰流動性」だった。 次に小泉・竹中政権が、全ての損を日本の納税者に押し付け、利益はそっくりそのままウォール街の投資銀行や、不動産ファンドや企業買収ファンドがが持って行けるような方針をとったのである。

銀行が損を出して潰れそうになれば、即税金を投入。 金利ゼロにし大量の利益を納税者から銀行に所得移転したのである。 日本長期信用銀行のリップルウッドヘの売却のように、「瑕疵担保条項」という条件を受け入れ、将来の利益は全てリップルウッドに帰属するものの、もし要償却資産が出た場合には、実質的に日本の納税者が彼ることすら契約されていたのである。

また株式を再上場し、キャピタル・ゲインが上がった際には、一円たりとも納税せずに、全額自分達の懐に入れる事も許容された。 この取引の表に立っているのはりップルウッド、実際に指揮したのはゴールドマン・サックス出身の投資銀行家、クリス・フラワーズであり、彼のファンドには数多くのゴールドマン・サックスOBが出資していた。 一方、日本政府が雇った日本の国民側に立つべきアドバイザーは、なんとゴールドマン・サックスだった。

◇「信用の輪」が切れた!◇

バブルの発生と崩壊は、日本国民に大きな爪痕を残しその経済的な負担は100兆円以上と言われている。 しかしお金よりも大きな問題は「心の問題」ではないか。 バブルの崩壊からその後の経済の立ち直りにおいて、社会の中で人と人、人と会社との問の「信用の輪」が切れてしまったことである。 その例をいくつかあげておこう。

終身雇用体制も年功序列体制も崩れ、非正社員が著しく増加した。 日本では、プロレタリア文学を代表する小林多喜二の『蟹工船』が、急に売れ始めている。 聞けば「ワーキングプア」とされる人だちからの共感があるからだという。 この本が刊行されたのは、世界恐慌が起きた1929年である。

銀行は「株主の為の銀行」「富裕層の為の銀行」に変質し「預全音の為の銀行」では無くなった。 収益を最優先する様になって、少額預金者が振り込みやローンの相談等をする場合、混雑する窓口に並んでジッと我慢するか不親切なATMを操作して手続きをしなくてはならなくなった。

銀行は業績回復の為には社員を減らせ、収益の上がらない事業は切り捨てるか売ってしまえという。 敵対的買収も場合によっては支援するという。 先行きに少しでも不安のある中小企業は相手にされなくなりつつある。

食品や消費期限、耐震強度の「偽装」、「欠陥」製品の隠蔽、放置など、建築、自動車、食品、介護、老舗料亭、消費者金融という様にあらゆる産業で消費者に偽りの商品が売られ、サービスが提供されていた。

国民にとって最も大事な政府との契約の一つである「年金」の管埋がキチンと行われていなかった。 また国も地方自治体も税金の使い方のデタラメぶりは相変わらずで「談合」「官製談合」が行われ、政府に対する信頼はこれまで以上に失われつつある。

この様にあらゆる面で「信用の輪」が切れてしまったのである。 これこそが、今の日本の抱える最大の問題である。 戦後の日本は、生産力の強化や生活水準の向上を図る為に、常にアメリカを手本とし「アメリカに追いつけ、追い越せ」をテーマとしてきた。 その習性は、その後も変わる事なく、国の指導者も民間の経営者もアメリカに傾倒し、異論を唱える人はきわめて少数派で、むしろ異端扱いされてきた。

これからしばらくは、世界的に厳しい経済情勢に立たされるが、悲観するのではなく心を落ち着かせ、どこに間違いがあったのかを冷静に判断する事が大切になる。 それができれば、日本がやるべき事、進むべき道はおのず決まる筈である。

サブプライム問題を生じさせたアメリカの経済運営は、間違いなく「ニ流」と評してよい。 ウォール街が推進した「強欲資本主義」に端を発した事であり、日本はもちろん、世界の国々も決して真似すべきことではない。 日本人は、そこをしっかりと押え、これからの国づくりを自らの心と頭で考え、そして行動しなければならない。

◇「日米経済連合時代」の終焉◇

下村博士は、アメリカ経済に関してこのように述べている。

「終戦直後の時代を振り返ってみれば、アメリカは圧倒的な力を持って世界経済を支えリードしてきた。 これは、当時のアメリカ経済の節度がもたらしたものである。 世界一の生産力を背景として世界一の健全な経済を堅持してきたアメリカ経済であったればこそ、アメリカのドルが世界の基軸通貨として成立しえたのである。

アメリカ経済が節度を失い始めるにつれて世界経済にも動揺がはじまり、ついにはIMF体制が崩壊するに至った。 この状態をレーガン大統領がさらに大々的に破壊してしまったのが現状である。(中略)アメリカが従来持ち合わせた節度を回復しなければ、世界経済は安定できない。 (『日本は悪くない』より)

下村博士がこう警告してから20年、日米両国は共に、提言とは全く逆さまの事をやり続けた。 日本の土地バブル、アメリカのインターネット・パズル、等々。 そして最後が今迎えている「借金依存・浪費主体型経済」の崩壊である。

▼参考サイト 神谷秀樹氏のブログ

●神谷秀樹(ミタニヒデキ)

1953年東京生まれ。 1975年早稲田大学第一政治経済学部卒業後、住友銀行入行。 1984年、ゴールドマン・サックスに転職。 以後NY在住。 1992年、ロバーツ・ミタニ・LLCを創業。 著書に『さらば強欲主義』

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●見聞録222−3  武士はどのように教育されたのか 最も重視されたのは「品格」(FIN)  2009年03月26日(木)

●2009年3月26日(木)

韓国を破って2連覇を達成し、記念写真に納まる日本代表ナインら=23日、ドジャースタジアム〔共同〕

写真:NIKKEI NETから 韓国を破ってWBC2連覇のサムライジャパン=ドジャースタジアム〔共同〕 

●見聞録212 「日本の拠って立つもの それは武士道精神」

●今日の視点

3月24日(火)は、正にイチロ−=一郎 DAYだった。

WBC決勝戦、世界中の野球フアンは、テレビ画面に釘付けになった。 キューバのカストロ前議長は、日韓対決となった決勝戦について「両チームの質を証明するかのように、想像できる限り、最も緊迫した試合の一つとなった」と指摘。 日本の専門家や打者が、2敗を喫した韓国先発の奉重根(ボンジュングン)投手をよく研究していたことや、原監督の投手起用を勝因にあげた。 また、前議長は、決勝打を放ったイチローについて、「間違いなく、世界最高の打者だ」と激賞した。

10回表の起死回生のセンター前に飛ぶライナーは、~のなせる技だったのか。 イチローをして~が舞い降りたといった。 当初はサムライジャパンという言葉もキザに聞こえたものだった。 しかし誰の筋書きしたのだろうか。 原監督以下スタッフと28人のサムライが、世界に向かって、その存在を強烈にアピールできた事は、間違いない。

ベースボールを、野球と翻訳したのはあの正岡子規である事は、多くの人の知る処。 子規の幼名は「升(のぼる)」だった。 のぼる、から野のボール、野球と成ったのはあまり知られていない。 本場アメリカで育った「ベースボール」と一味違った「野球」として見事に結実した一瞬でもある。 原監督がいみじくも言う「武士道」の精神を、アメリカ野球、その流れをくむ新興「韓国」ベースボールを打ち砕いての制度の高い野球を、世界にアピールしたこの功績は、例えようもない殊勲・偉業だと言って良い。 おめでとう「サムライジャパン」 あっぱれイチロー!

同じ日、注目を集めたのが民主党小沢代表の進退問題である。 前回の本稿では、小沢代表辞任と読みきった。 武士道の著者「新渡戸稲造」の同郷の小沢代表は、潔い態度を取る、とみたからである。

どうして、一兵卒として「政権交代」へ、汗をかくために、身を引くという「決定」ができなかったのであろうか。 目的は「政権交代」である。 敵の絡めてかも知れない「権力」がアコギに使われた無念さも、野党なるが故の不利な立場を認めざるを得ないではないか。

組織が守るに入ると、傷をなめ合うという例え通り、民主党もそのドツボにはまった様である。 同情論や感情論は、内輪の席ですれば良い。 只、一点「日本の官僚支配の悪しき組織を組替える」為にも「先ずは政権交代」に絞り、戦線を立て直すという陣立てに臨む勇気がいる時ではないか。 民主党の幹部諸氏は、今こそ数時間「武士道を精読せよ」と言いたい。 ついでながら「組織の不条理」に関する菊澤研宗氏の著書も読んでもらいたいものである。

小沢一郎氏に期待をしていた一人だが、結局は氏もまた、「政治家の品格」を見誤ったようである。 齢を重ねると周囲が見えなくなるという視野狭窄の愚に取りつかれたのだろうか。

「名将の品格」から始まった「見聞録212便」は、「武士はどのように教育されたのか 最も重視されたのは 品格」で締めたい。 あらためて実感するのは、今回ほど取り上げたテーマが、タイムリーなのは珍しい。

●引用資料

新渡戸稲造:著 岬龍一郎:訳 いま拠ってたつべき 日本の精神『武士道』

●見聞録222−3  武士はどのように教育されたのか 最も重視されたのは「品格」(FIN)

◇武士はどのように教育されたのか 最も重視された「品格」◇

武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成であった。 それに対して思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。

武士の教育において、知性が教養人として欠かせないものであるにせよ、武士の教育の本質からいえば付随的なものである。 知能が優秀なことはむろん尊ばれたが、知性を表すのに用いられる「知」という漢字は、主として「叡智」を意味し、単なる知識は従属的な地位しかあたえられなかったのである。

武士道の枠組みを支える三つの柱は「智」「仁」「勇」とされ、それはすなわち「知恵」「仁愛」「勇気」を意味した。 なぜならサムライは本質的には行動の人であるからだ。 そのため学問はサムライの行動範囲の外におかれた。  彼らは武士としての職分に関係することにのみ学問を利用した。

宗教と神学は僧侶や神官にまかされ、サムライはそれらが勇気を養うのに役立つ場合に限って必要としたのである。 あるイギリスの詩人がいったように、サムライは「人間を教うのは教義ではない、教義を正当化するものは人間である」と信じていた。 また哲学(儒学)と文学は武士の知的訓練の主要な部分を形成してはいたが、これらの学問でさえ、追求されたのは客観的事実ではなかった。

文学は暇をまぎらす娯楽として求められ、哲学は軍事問題や政治問題の解明のためでなければ、あとは品格を形成する実践的な助けになるものとして学ばれた。

これらのことから、武士道の教育科目が、主として剣術、弓術、柔術もしくは「やわら」、乗馬、槍術、戦略戦術、書道、道徳、文学、歴史などだったとしても、驚くに値しないだろう。 書が優秀なことは大いに重んじられたが、それは日本の文字が絵画的性質をもっており、それ自体が芸術的な価値があったからであろう。 また、書体はその人の人柄を表すものと信じられていたからである。

さらに柔術を簡単に定義すると、攻撃や防御のための解剖学的知識を応用するということになる。 柔術は筋力に頼らない、という点で相撲とは異なる。 また、いかなる武器も使わないという点で、ほかの攻撃方法とも異なる。 その技は、相手の身体の一部をつかんだり、叩いたりして、相手を気絶もしくは抵抗できないようにするものである。 その目的は敵を殺すことではなく、一時的に行動できなくさせることであった。

◇「富は智恵を妨げる」が武士の信条◇

武士道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。 これは封建時代の戦闘が科学的な正確さをもって戦われなかったという事実によって、一応の説明がつくであろう。 そればかりか、サムライの教育全体から見ても、数学的概念を育てることは芳しくなかったのである。

それは武士道が損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇るからである。 武士道にあっては、ヅェンティディウス(シェークスピア劇の登場人物)がいうように、「武人の徳である功名心は、名を汚す利益よりも、むしろ損失を選ぶ」ものだった。 かのドン・キホーテが黄金や領土よりも、彼の錆びついた槍とやせこけたロバを誇りとした、ようにである。 わがサムライは、この誇大妄想に取りつかれたラ・マンチャの騎士に、心から同情するのである。

武士は金銭そのものを忌み嫌う。 金儲けや蓄財を賎しむ。 武士にとってそれは真に汚れた利益だったからだ。 時代の廃退を嘆く決まり文句は「文臣銭を愛し、武臣命を惜しむ」というものである。 黄金や生命を惜しむ者は非難の的となり、これらを惜しみなく投げ出す者こそ賞賛された。

よく知られた格言にも「何よりも金銭を惜しんではならない。 富は知恵を妨げる」というのがある。 したがって武士の子は、経済のこととはまったく無縁に育てられた。 経済のことを口にすることは下品とされ、金銭の価値を知らないことはむしろ育ちのよい証拠だった。

もちろん数学の知識は、軍勢を集め、恩賞や知行を分配する際には必要だったが、それでも金銭の勘定は身分の低い者に任された。 多くの藩でも藩の財政は下級武士や僧侶が管理した。思慮深い武士は誰もが軍資金の意義を十分に知っていたが、それでも金銭の価値を徳にまで高めようとは考えなかったのである。

武士道が倹約の徳を説いたのは事実である。 だがそれは経済的な理由からではなく、むしろ節制の訓練のためだった。 贅沢は人間を堕落させる最大の敵と見なされ、生活を簡素化することこそ武士階級の慣わしであった。 それゆえに多くの藩では倹約令が施行されたのだ。

書物によれば、古代ローマでは収税吏や財政担当の役人が次第に武士の位にまで昇進し、その結果、国家は彼らの職務や金銭そのものの重要性を高く評価するようになった。 だが、そのことが古代ローマ人の贅沢や貪欲に、どれほど密接に結びついたことか。

わが武士道では決してそういうことはなかった。 サムライは一貫して金勘定は卑しいもの、すなわち道徳的な職務や知的職務にくらべれば卑賤なもの、として考えたのである。

このように金銭や貪欲さを嫌ったことで、武士道を信奉するサムライたちは金銭から生じる無数の悪徳から免れたのである。 わが国の役人が長い間、腐敗から遠ざかっていたのは、ひとえにこのお陰である。 だが、悲しいかな、現代においては、なんと急速に金権腐敗政治がはびこってきたことか!

●新渡戸稲造(ニトベイナゾウ)

盛岡生まれ。札幌農学校(現在の北海道大学)で学んだ後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。帰国後は東京帝大教授、東京女子大学長等を務め、青年の教育に情熱を注いだ

●訳:岬龍一郎(みさき りゅういちろう)

1946年年生まれ。作家・評論家。 早稲田大学を経て、情報会社・出版社の役員を歴任。 退職後、著述業のかたわら、人材育成のために「人間経営塾」を全国で主宰。 国家公務員・地方公務員幹部研修、大手企業研修などの講師を務め、「人の上に立つ者の人間学」を説いている。


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●見聞録222−2  サムライは日本の「美しき理想」 サクラは「大和魂」の典型  2009年03月19日(木)

●2009年3月19日(木)


(本) 対訳 武士道

写真:(本) ビジュアル版 対訳 武士道

●見聞録212 「日本の拠って立つもの それは武士道精神」

●今日の視点

先月、丸の内で催された「夕学五十講」で、慶応大学商学部の菊澤研宗教授の「組織の不条理を克服する為に──日本陸軍に学ぶ組織の不条理──」という講演を聴く機会に恵まれた。 多発する企業の不祥事の本質に共通するのは、「人間は不完全な情報の中でできるだけ合理的に行動して失敗するのではないか。  即ち「限定合理性」の仮定に立つ必要性を説かれているのである。

元防衛大学の教授という経歴故だろうか、その典型事例として「日本の敗戦を決定づけたガダルカナル戰の惨敗」を取り上げていた。 

氏いわく「近代兵器の敵に対し、4度にいたるムダ死を重ねる白兵戦を取った日本軍を『非合理で無知』だったと言うのは簡単である。 むしろ本来優秀で有ったとされる陸軍の首脳が陥ったのは、組織内の『限定合理性』が、無残な敗北となる『組織の不条理』を引き起こしたのではないか」と。 

そしてその現象を説明する新しい理論が「取引コスト理論」と言われているのである。  組織内の不合理を改めるには、あまりにその代償が高くつくために、それを回避する「限定合理性」がはたらくという事なのであろう。

一方で企業の不祥事が表面化するのは、社外への「内部告発」から、というのが実態だが、この社会現象も、必ずしも「健全な事」とは言い切れない気もすのだが・・・。

詳細は、氏の著書『戦略学──「命令違反」が組織を伸ばす」(2007年 光文社新書)

昨日、JR王子駅のトイレの汚水が40年間、近くの石神井川に流れ込んでいたというニュースが流れた。 同事務所は2007(平成19)年6月、王子駅のトイレの排水管が下水道ではなく、雨水管につながれ、汚水が石神井川に流れ込んでいる事態を把握しながらJR東日本には報告せず、汚水垂れ流しが確認されるまでの2年間、全く対応策を講じなかったという。

このケースは、組織の不条理の典型だろう。 地下内は水道管やガス管などの埋設物が多く、汚水管設置は困難だとして工事もできず、かと言ってその事をJR東に報告をすれば、40年間の永きに亘る不始末が表面化する事をおそれたのであろう。 関係者の多くは、正にクサイモノにフタをする事で、組織(都下水道局)を守ったのである。 不条理を表面化する為のコスト発生(金銭的コストと責任問題の大きさ)を避けたのである

さて、民主党の党首、小沢一郎氏の西松建設による献金問題。 この問題は、連日報道されている通りの理解で良いのであろうか。 正義の味方「検察庁」が動けば、殆どの人は「小沢代表はけしからん」という事になる。 献金の手続き上に瑕疵がなく(政治資金規正法では団体から団体へを認めてられている)ても、献金元を知らずに受け取るのは不合理だという論法で、その行為を悪とすれば、企業献金そのものを否定しなければならない。

コトここまでに至れば小沢代表は、例え法に触れなくても「義」で論ずれば、同郷の先達「新渡戸稲造」の説く武士道の精神に沿って潔く「代表辞任」という道を選ぶだろう。 この際は「サクラが散る」ごとく「潔く身を引く」が望ましい。 民主党にとっても「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という中国古典にならえば良いのではないか。

しかしながら、「今回の事件、何故この時期に」と多くの人が感じる不可解さは、ぬぐいがたい。 ヒラリー・クリントンとの面談を一度は断ったが、たっての要望で「午後7時」に面談に応じた小沢氏の態度を、アメリカ政府は「田中角栄元首相」と同様、対等外交の立場を取り、アメリカのポチでなない「小沢代表」は、好ましくない「次期総理候補者」と断じたのではないだろうか。 何故か「第7艦隊だけで十分」という発言に、アメリカの高官は激しく反応したのも記憶に新しい。

これらから推測するに、虎の門からのスジで仕掛けれた事件だという見方は、捨てきれない。 もう一方では、田原総一郎氏が、日経BPのコラムで「検察上部の慎重さ、あるいは臆病さに苛立った、現役検事たちのクーデターではないのか」と言っていた佐藤優氏の見方を取り上げていた。

田原総一朗の政財界「ここだけの話」“検察内クーデター”説も出た西松建設事件

民主党は、麻生首相が小沢代表の公設秘書が逮捕された3日、その前日3月2日の午後6時台に、永田町の個人事務所で書類整理をしていたというこの空白時間も含めて、法務大臣に「2月1日から3月4日までの公用車の運行記録」を求めている。 法務省はかたくなに拒否しているという(日刊ゲンダイ3月16日)

どちらにしても、国家権力を握る「組織」も、「限定合理性」から「組織の不条理」に及ぶ危険性も考えなければならない、と思えるのである。  この突破口にもなると期待される「政権交代」が実現すれは、既得権益を享受しているサイドには大きな代償(取引コスト)が及ぶ。  既得権益を維持する為の限定合理性が作用、すなわち既得権益サイドの想像を絶するスザマしい抵抗に、はたして「義」が及ぶ事が出来るのか。 義は、国民の総意で示されるが、その水準は国民のレベル次第ということになる。 衆愚政治というそしりを受けない様に願うのみである。

黄砂と共に、一気にサクラ前線の到来も早まった。 サクラに因んで「日本の拠って立つもの それは武士道精神」その2は、「サムライは日本の美しき理想 サクラは大和魂」と題して考えてみたい。

●引用資料

新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会:編 ビジュアル版 対訳 武士道

●見聞録222−2  サムライは日本の「美しき理想」 サクラは「大和魂」の典型

◇一般大衆を引きつけた武士道の徳目◇

武士道の徳目は、私たちの日本人一般の道徳水準よりもはるかに抜きんでている。 今まで、私たちは連山のようにそびえ並んでいる武士道の徳目の中で、ひときわ秀でているほんのいくつかの峰を考察してきた。

太陽が昇るとき、まずもっとも高い山頂を朱に染め、やがてしだいに下方の山腹や峡谷へ光が注がれる。 このことと同じように当初、武士階級を啓発した武士道の道徳体系は、一般大衆の中からこれに追随する者を引きつけていった。 民主主義は、天成の指導者をはぐくみ、貴族制度は人民の中に君主制にふさわしい精神を注入する。 美徳は悪徳に劣らず伝染しやすい。

「たった一人の賢人が仲間の中にいればよい。 そうすれば全員が賢くなる。 伝染力というものはかくも急速である」とエマソンはいう。 どのような社会的身分や特権も、道徳の影響が広まる力には対抗できない。 過去の日本はサムライにそのすべてを負っている、といっても過言ではないだろう。

彼らは民族の花であり、かつ根源でもあったのだ。 天のあらゆる恵み深い贈り物はサムライを通じてもたらされた。 社会的存在としては、武士は一般庶民に対して超越的な地位にあったけれども、彼らは道徳の規範を定め、みずからその模範を示すことによって民衆を導いた。

私は武士道が武士階級自体に対する奥義ともいうべき教訓と、通俗的な教訓をあわせもっていることを認めるものである。 あるものは、人民の福祉と幸福を乞い願う超階級的な善意であり、あるものは武士階級自身のための徳目の実践を強調する気高い規律であった。

◇サムライは日本全体の「美しき理想」◇

大衆娯楽、大衆教化のさまざまな手段──芝居・寄席・講釈・浄瑠璃・読本(よみほん)などはサムライの物語を主たる題材とした。 サムライは民族全体の「美しき理想」となった。 「花は桜木、人は武士」と歌われた俗謡は津々浦々に行き渡った。

武士階級は営利を追求することを堅く禁じられていたために直接商売の手助けをするということはしなかった。 しかしながら、いかなる人間の活動も、いかなる思考の方法も、武士道からの刺激を受けずにはいられなかった。 日本の知性と道徳は、直接的にも、間接的にも武士道の所産であった。

◇「エリート」の栄光、憧れ、そして「大和魂」へ◇

さまざまな局面で武士道は、その生みの親であった社会的身分からさまざまな道筋を経て流れ出し、大衆の間で酵母として働き、日本人全体に対する道徳の基準を供給した。 武士道は当初、「エリート」の栄光として登場した。 だがやがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。  庶民は武士の道徳的高みにまで達することはできなかったが、「大和魂」、すなわち日本人の魂は、究めるところこの島国の民族精神を表すにいたった。

◇サクラは「大和魂」の典型◇

マッシュー・アーノルドが定義したように宗教が「情念によってひきだされた道徳」にすぎないものであるとすれば、武士道はまさしく、宗教の列に加えられるべき資格を有する道徳体系に他ならない。

本居宣長は──しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山ざくらばな──と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表わした。 たしかに、サクラは私たち日本人が古来からもっとも愛した花である。 そしてわが国民性の象徴であった。

サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。

私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかち合うことはできない。 バラには桜花のもつ純真さが欠けている。 それのみならず、バラはその甘美さの陰にとげを隠している。 バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。 その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。 しかもこの花にはあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。これらはすべて日本の桜にはない特性である。

私たちの日本の花、 すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。 自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。 その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。

ではこのように美しく、かつはかなく、風のままに散ってしまうこの花、ほんのひとときの香りを放ちつつ、永遠に消え去ってしまうこの花が「大和魂」の典型なのだろうか。

日本の魂とはこのようにもろく、滅び去ってしまう運命にあるのだろうか。

●新渡戸稲造(ニトベイナゾウ)

盛岡生まれ。 札幌農学校(現在の北海道大学)で学んだ後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。帰国後は東京帝大教授、東京女子大学長等を務め、青年の教育に情熱を注いだ

●訳:奈良本辰也(ナラモトタツヤ)

京都大学文学部国史専攻卒業。歴史家としてユニークな幕末・明治維新論を展開する一方、随筆や人物評伝でも高い評価を得ている


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●見聞録222−1 「偽」の世こそ「義」が際立つ──武士道精神   2009年03月09日(月)
●2009年3月9日(月)

(本)名将の品格

写真:火坂雅志:著 名将の品格

●見聞録212 「日本の拠って立つもの それは武士道精神」

●今日の視点

今、世界は100年に1度あるかないかの金融恐慌の渦中にある。 とりわけ、何故か日本だけが突出して最大の被害に遭っている。 2000年以降の政策の誤りなのか、代表格の自動車産業、エレクトロニクス産業の被害が、想像以上に大きいのは何故だろうか。 日本にオバマが出てこないのは何故か。 きっと政治家も官僚も企業人も「何か」が欠けていたのである。

2月22日、テレ朝の「サンデープロジェクト」が、この「解」を求める狙いで取り上げたテーマは「日本の拠って立つものは何か!」だった。 そこで出た議論の大勢は、日本の政界・財界・企業の指導者達に欠けているのが、連綿と日本人に培われてきた「武士道の精神」という指摘である。 高度経済成長したきた反面、心証面において日本人の拠り所だった「武士道精神」が失われてきたのではないか・・・。

これは、いまだにベストセラーと言われる藤原正彦氏の著書「国家の品格」でも、取り上げられている。 さて、「〜の品格」とタイトルが付けば、「国家の品格」の様にベストセラーは間違いない と言えるかどうか。 それにしても「品格」ばやりの昨今である。

しかし、歴史それも戦国時代に登場する名将を取り上げる「品格」論として組みしやすい対象の最右翼であろう。 プロ小説家から市井の歴史通に至る迄「名将の品格」論は、きっと喧しい事になるに違いない。  なのに今まで出版されていないのがまことに不思議である。

ところが、やった!というべきか、2009年NHK大河ドラマ『天地人』の原作者である火坂雅志氏が、さっと書いてしまった。 大河ドラマ『天地人』出だしの1〜2月では、上杉謙信こそ『名将の品格』の最たる名将と言わんばかりの筋立てである。 加えてタイミング良く出版されたこの書を飾るオビにデザインされた火坂雅志氏の着物姿は、実にカッコウいい。 腕組みしたポーズは、そこはかとなく品が漂っていると見たが、如何だろうか。

この書において、著者の故郷である越後を語る上で欠かせない象徴的ヒーロー上杉謙信、その一番弟子、直江兼続を通して貫いているテーマが「武士道」である。 上杉謙信から受け継いだ「義」の心を、しなやかに発展させた直江兼続を主人公に、やがて仁愛の境地に達する様を描くのが、今年一杯放映されるNHK大河ドラマ『天地人』である。

このドラマに一貫している「義」と「仁愛」の精神は、新渡戸稲造(1862〜1933)によって、全文英語で書かれた「武士道」の基本となる精神思想の先駆けである。

「武士道」という言葉は、新渡戸稲造以後、人々によって広く喧伝されたものである。 もともと「宗教抜きにして、国民の道徳教育が成り立つ筈がない」というベルギーの法学者の指摘に、改めて日本人の心証について考え、「日本においては、封建制度や武士の美学の様なものが、人々の行動規範の根幹を成したのではないか」と言うこ処に思い至り、それを英語で論文にまとめ、著されたのが「武士道」である。

戦国時代に確たる「武士道」という言葉もなく、ましてや「上杉謙信」や「直江兼続」に当てはめるには無理がある、言う指摘も多いだろう。

だが著者、火坂雅志氏は言う。 「上杉謙信」や「直江兼続」達は、その精神を先駆者的に自らの行動規範に「武士道精神」を取り入れ、殺伐とした戦国乱世を生きてきた、と。 又、「上杉家」は、戦国時代に「義と経済の両立」させているのも、福沢諭吉が提唱している「士魂商才」と同義なのだ、と言う。 福沢諭吉も又、日本が西洋列強に伍して行くために「経済」で国をたかめてて行く必要を主張、そのとき重要なのが「武士道精神」だと説いた。

そう言う視点で見れば、「武士道精神」を実践したその先駆けが「上杉」であり、それが故に『名将の品格』の最右翼とするのは、頷けるではないか。

そこで、見聞録212便は、新渡戸稲造が提唱した『武士道精神』について、考えてみたい。

先ずは、2009年NHK大河ドラマ『天地人』の原作者である火坂雅志氏の著書『名将の品格』から、入りたい。

●引用資料

火坂雅志:著『名将の品格』

●見聞録222−1 「偽」の世こそ「義」が際立つ──武士道精神

◇「武士道」の先駆けとなた上杉謙信◇

2007年の年末『天地人』が大河ドラマに決定したと発表された時の事である。 毎年暮れになるとその年の世相を表した「今年の漢字」というものが発表されてニュースになるが、この年は「偽」という文字が選ばれた。 言うまでもなく、偽とは、「偽装」の「偽」である。

選ばれた理由を読んでみると、「相次ぐ虚偽の発覚に、何も信じられなくなった」との事だった。 産地も賞味期限もウソだらけ、政治家の公約はクチばかり、企業はどんどん無責任体質になり、年金も医療も金融も福祉も、ほとんどのシステムが破綻寸前というではないか。

老舗料亭の「料理使いまわし」というニュースが、世間を唖然とさせた。 狐に化かされて、御馳走ではなく、泥の団子を食べさせられていた様なものである。 こうした「偽」は、その後もやむ事なく今も新たな事件が新聞やテレビを流れ続けている。

ともあれ、そんな風に「偽」という言葉が世間の耳目を賑わしている折も折、『天地人』についていろいろなインタビューを受ける事になった。 こういう場合に受けるもっとも多い質問は、「一番描きたかった事は何ですか」というものである。

この小説で最大の眼目としたのは、「上杉家」の人びとの精神だから、マイクを向けられるたびに真面目な顔をして、「義の心です」等と答えていたのである。 タイミングもさる事ながらの、とんだ「ぎ」違いである。 その内に、これは単なるダジャレではなく、案外意味のある符合なのかもしれないと思い始めた。 というのも、世の中に「偽の人間」ばかり満ちているから、『天地人』の「義の人間」が際立って見え、それ故に大河ドラマという大きな場所を頂けたのかもしれないと思ったのである。

さて、信長はインチキな人間だったわけではない。 しかし、少なくとも「義」の将では無かった。 人を人とも思わず、ほとんど根拠のない全能感の様なものに、取り憑かれていた信長。 最後には安土城に自分自身をまつり「オレを神と敬え」と、逆コペルニクス的に、己を中心に世界を回し始めたから、ある意味子供じみているのである。 とはいえ、子供の「熟狂的な純粋さ」みたいなものをいつまでも保ちつづけていられるのが天才である、ともいえるのだが──。

しかし、織田信長と同時代の戦国武将である上杉謙信という人物は、信長とは全く反対の価値観を持ち、全く反対の生き方をし、全く反対の生き方を貰き、それでいて、戦国武将として天才的な冴えも兼ね備えていた。

上杉謙信の地盤である越後(新潟県)は、著者自身の故郷でもあり、いつかは書いてみたい、書かなければならないと思いつづけていた。 しかし、思いが強いために却って気負いも大きくなり、なかなか着手する事ができずにいたのである。

しかし、いざ手をつけてみたら、自分かイメージしていたものを遙かに上回ってスケールが大きく、しかも人間としての誠実さも兼ね備えた人達だった事が分かった。 織田信長的な戦国時代の価値観に慣らされていただけに、目からウロコが落ちるような気がしたものである。

「義と仁」の思想を柱とする「武士道」というのは、一般的には、江戸時代以降に探求される様になる概念だが、上杉謙信が実践していた事は、正に武士道の先駆けという事になる。 自分の故郷にこんなに先見的な人々がいたのかと驚いたものである。

◇戦国の両雄 武田信玄と上杉謙信◇

一般に戦国武将の中で最強だったのは、上杉謙信と武田信玄だといわれている。 鉄砲の様な新兵器や人事的な戦略などを含めて総合的に判断すると、やはり織田信長が一番強かったという事になってしまうのですが、文字通りの「戦闘の強さ」においては、上杉謙信と武田信玄が圧倒的に他に抜きん出ていたというのが定説である。

例えば、上杉謙信の代表的な戦法に、軍勢を車輪の様に配し軍配捌きで次々に敵にかからせては退かせる「車懸りの陣」。 一方武田信玄の戦法の一つに、隊を二つに分け一手を敵の背後から突かせ、相手が逃げ出したところをもう一手が挟撃する「啄木鳥の戦法」など、この二人に関しては、伝説的な戦法がたくさん伝えられている。

戦国の両雄といわれた二人だが武田信玄は、ギラギラと脂ぎった野心家というイメージが強い。 対して上杉謙信は、禁欲的な美男というイメージがある。 先年の大河ドラマでGACKTさんが謙信を演じて以来、益々そのイメージが強くなった気がする。

姿形はともかくとして、内面的にも二人は大きく異なっている。 特に人道的な事に対する考え方では、武田信玄は「目的のためには手段を選ばぬ」ところがあった。 例えば家中での実権を握るために父親を国外に追放するなど、冷酷な事もやった。

一方、上杉謙信は「義理堅さ」に定評があり、多くの武将に「義理堅さ」──表裏常ならぬ世の中にあって、頼むに足るのは謙信だけ──と、好意的にとらえられていた。 大して益もない合戦でも、救援を求められれば必ずといっていいほど助けたし、一度約定したら決して裏切らない頼もしさがあった。

そんな上杉謙信の人となりを表すエピソードに「敵に塩を送る」というものがある。

甲斐の武田、越後の上杉、駿河の今川の三者は一時、三国同盟を結んでいた。 1567(永禄10)年、武田信玄は今川義元との約束を破棄して東海方面へ進出。 今川義元は怒って甲斐への「塩留め」を行った。 塩というのは人間が生存する上で不可欠なものだが、甲斐は海に面していないため駿河から買っていた。 今川義元はそれをストップしたのである。

これを知った上杉謙信は「そんな非道な事はすべきでない」として、ライバルの武田信玄に越後から塩を回して助けたのである。 戦国のフェアプレイとしてつとに知られるエピソードである。 この様な積み重ねがあったからだろうか。 武田信玄は、1573(天正元)年、臨終の床で跡取りの武田勝頓に「上杉謙信は、決して裏切らぬ武将である。 事あった時は上杉謙信を頓れ」と、言い置いて亡くなったそうである。

●火坂雅志(ヒサカ マサシ)

1956年、新潟市生まれ。 早稲田大学商学部卒業。『花月秘拳行』で作家デビュー。 上杉謙信の義の心を受け継いだ直江兼続の生涯を描く『天地人』が2009年NHK大河ドラマの原作に決定、歴史小説界の旗手として注目されている。  著書は『黒衣の宰相』『全宗』『虎の城』『羅商の門』『壮心の夢』『臥竜の天』『軍師の門』など多数。 『天地人』で第13回中山義秀文学賞受賞。


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●見聞録221−3 オバマを大統領にしたのは、黒人政治への誘導者 ミシェル夫人  2009年02月27日(金)

●2009年2月27日(金)

VOGUEの表紙を飾ったフアーストレディ オバマ大統領 ミシェル夫人

写真:VOGUEの表紙を飾ったフアーストレディ オバマ大統領 ミシェル夫人( http://sankei.jp.msn.com/photos/world/america/090212/amr0902120933004-p1.htm より )

●見聞録221 オバマ大統領の就任演説を深読みすると・・・(FIN)

●今日の視点

26日の新聞(日経)に、オバマ大統領議会演説の全文が掲載された。

「下院議長、副大統領、議員の方々、そして妻であるファーストレディー。 私は今夜、この議場にいる皆さんだけでなく、我々を議会に送り出した国民に向けて率直に、そして直接語りかけるためにここに来た。 多くの米国民が自国の経済に対して大きな懸念を持っている。 まさにそうなのだ。皆さんは個人的にこの景気後退の影響を受けていなくても、友人や隣人、家族の誰かが影響を受けていることを知っているはずだ。 我々の経済が危機にあることを知るために各種の統計を聞く必要はない。

なぜなら、皆さんは日々危機に直面しているからだ。 不安を抱えて目を覚まし、夜も眠れない原因だ。 定年まで勤め上げてから退職しようと考えていたのに失ってしまった仕事。 夢をかけて築き上げたビジネスは今では1本の細い糸でつながっているにすぎない。 子供は大学の合格通知を封筒に戻さなければならなかった。 この景気後退の衝撃は現実のもので、そして至る所にあるものだ。

我々の経済は弱体化し、自信が揺らいでいるかもしれない。 困難で不確実な時代に我々は生きているが、今夜、私はすべての米国民に次のことを知ってほしい。 我々は国家を再建し、復活し、米国はかつてよりも強力になってよみがえるだろう」

今は大胆且つ行動する時だ、と言い切る言葉で始まる大統領演説は、350万人の雇用創出、銀行ではなく国民を救う為の金融政策と、かなり明確に示した内容から医療、教育、景気対策、国際問題への対応、に触れ、我々はあきらめない、という言葉で締めくくっている。

オバマ大統領の演説のうまさには、定評がある。 しかしが、それだけで、盤石と言われたヒラリーに勝利できるのだろうか。 しかし報道を見る限り、その解は見つからない。

ところが、今回取り上げる渡辺将人氏の著書「オバマのアメリカ」を、読むとその答えがはっきりした。 先ずミシェル・ロビンソン、そう・・ミシェル夫人との運命的な出会いである。

渡辺将人氏も言外に触れているのが、彼女の賢さはオバマの遙か上を行くのではないか。 ケニア出身で純粋に黒人の立場に立てないオバマを、黒人政治への真の誘導者としてのミシェル夫人の役割は、想像以上ではないだろうか。

演説のうまさは、スピーチライターの草稿によるとしても、全体の筋立ては、観念的、情緒的で、且つ平易である。 大いにミシェル夫人のコーチングの賜と思われる。 黒人問題、格差問題等々で、陽の当たらない人々の心を捉えるには、きちっと目線を合わせる必要がある。 テクニックではいずれ、化けの皮ははがれるのである。

そして、詳細は本文にゆずるが、シカゴに根を下ろした選挙の経過を見ても、驚異的とも思える幸運がオバマを大統領へと登らせている事が分かる。 それもミシェル夫人の地盤であるシカゴでの巡り合わせによるものだ。 万一、オバマが白人の女性と結ばれていれば、ヒラリー・クリントンが大統領で有った事は間違いない。

オバマ大統領の就任演説、議会での演説が、訳文の日本語で読む私達にも、共感を与えるのは、ボイストレーニングの成果ではない。 それは、語る人の生い立ち、育ちから来る感性なのではないか。 良き伴侶に恵まれ、男子一生の天職に邁進できる環境がもたらす幸福感が有ってのリーダーである。 リーダーたるもの、巧言で人の心を、引きつけるものでは無い事を銘記すべきだあろう。 是非、本文に目を通して頂きたい。

●今日の引用資料

渡辺将人:著 「オバマのアメリカ」

●見聞録221−3 オバマを大統領にしたのは、黒人政治への誘導者 ミシェル夫人

◇伝統的なアメリカの黒人文化を継承しているミシェル◇

オバマは、アメリカの典型的な黒人ではなかった。 「シカゴトリビューン」紙で、オバマ番記者を長年務め、シカゴではオバマに最も詳しい一人とされているデイヴィッド・メンデルの表現を借りれば「外見がアフリカ系であったことと、夫人と子供がアフリカ系アメリカ人」であった事により、シカゴの黒人社会でオバマは「黒人の仲間」として、初めて認められた。

予備選キャンペーンの過程、特に黒人率の高いサウスカロライナ州以降に、ミシェル夫人が目立った役割を果たす様になった背景には、「脱人種」の無色透明のオバマと、シカゴ南部出身の伝統的なアメリカの黒人文化を継承しているミシェル夫人の「役割分担」もあった。

これが何を暗示しているかというと、ハーフのオバマが母親側の外見を受け継ぎ、白人的な風貌になっていたか、あるいは白人女性と結婚していたら、黒人社会で黒人の仲間として認められるのは相当に困難だったという事である。 ひいては「黒人初の大統領」という「オバマ現象」の一角を築いてきたテーゼも成り立たなかった。

アメリカの黒人専門誌『JET』が2008年5月にオバマを表紙にした特別企画を組んだ。 『JET』は、あらゆる階層、性別、地域の黒入層に最も親しまれている雑誌で、そのカバーを飾った事は、晴れて黒人社会が代表として認めた証だった。

ケニア人を父に持つハーフで、しかも黒人社会で育ってないハワイ出身のオバマは、厳密な意味では「アメリカ史における最初の黒人大統領」ではない、という見方も黒人指導者から向けられていたのである。 しかしオバマを支持するシカゴ南部ハイドパークの住人達は口々にこう反論する。 「オバマはアメリカ黒人の息子ではないかもしれない。 でも、最初の黒人のファーストファミリー候補である事は間違いがない。 ミシェルの夫だから」。

ミシェルとのペアで、オバマは「黒人初」のシンボルとして認められた。 この一点において、ミシェルは従来のファーストレディ候補と全く違う存在である。 候補者がアメリカ社会で象徴する「価値」や、支持層から寄せられる深い信頼にあまりにも根底的に関与している。

オバマは、ミシェルなしでは現在の地位には決して辿り着いていない。 その意味で、ミシェルをめぐる分析は、ミシェルがオバマに及ぼした影響を省察するという場合において、これまでのどの大統領候補夫人とも違う深い意味を持つ。

◇弁護士の先輩 ミシェルとの出会い◇

オバマの政治的野心が本格化していったのは、ハーヴァード・ロースクール在学中だった。 オバマはコミュニティ活動の過程で、弁護士資格を得ておく必要性を感じ、ロースクールに出願して学生に戻った。 当初、オバマはハーヴァード卒業後に、シカゴに戻る目的をシカゴ市長選立候補に据えていた。 この頃オバマは、ミシェルと出会う。

ミシェルは、プリンストン大学を経てハーヴァード・ロースクールを卒業している。 偶然にもオバマとハーヴァードのロースクールで先輩後輩関係だったが、出会いはハーヴァードではない。 シカゴだった。 オバマは、ロースクールの1年目終了後の夏、シカゴの一流法律事務所シドリー・オースティンで働くが、そのオバマの上司兼世話役になったのがミシェルだった。

オバマは、ミシェルから法律事務所での実務を学んだ。 ミシェルは、全米を代表する巨大法律事務所で働く数100人の弁護士の中で、僅か14人にすぎない黒人弁護士の1人として頭角を現していたのである。 父親はシカゴ市の水道工事関係の職員、母親は秘書業務で家族を養っていた。

ミシェルは、プリンストン大学で社会学の学士号を取得したのは1985年。 優等だったので、そのままハーヴァード・ロースクールに進学し1988年に卒業している。 当時の黒人女性としてズバ抜けて優秀だった。 しかし、家庭は英才教育を与えられる様な恵まれた環境とはほど遠かったのである。

当初ミシェルは、オバマの求愛を拒んでいた。 職場での上下関係を恋愛に持ち込む事を嫌ったという。 オバマは、ミシェルを説得する為に、コミュニティ・オルガナイザーとしての活動を見て理解してもらおうと考えた。 教会の地下で行っていた、地域住民向けの演説にミシェル呼んだのである。

ミシェルは、オバマの地域住民向けの演説に聞き惚れた。 シカゴ大学付近の「バスキン・ロビンス」(日本では「サーティワンアイスクリーム」)でチョコレートアイスを食べる微笑ましい初めてのデートの後、二人の「遠距離恋愛」は始まった。 最初のデートでは、シカゴ・アート・インスティチュートも訪れ美術鑑賞を楽しみ、ダウンタウンのミシガン・アベニューを散歩した。

シカゴの街の名所のひとつひとつが、2人の出会いの原風景である。 また、デートでは黒人映画監督スパイク・リー作品の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)も鑑賞した。 人種やエスニツクの問題を鋭くえぐったこの作品を媒介に、2人は問題意識の共有を感じたのである。

◇オバマを大統領にしたのは黒人政治への誘導者 ミシェル◇

ハ−ヴァード2年目オバマの気持ちは、大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジから遊離し、ミシェルのいるシカゴに傾倒していった。 シカゴに本格的に骨を埋めても良いと思う様になる。 オバマをシカゴに惹き付けたのは、コミュニティ・オルガナイジングの仕事だけではなかった。 シカゴ南部を故郷としていたミシェルだったのである。

ミシェルが、シカゴ南部出身で地元愛が殊更に強い「サウスサイド・ガール」でなければ、オバマがシカゴにその後も住み着いたかどうかわからない。 どこか他の土地で法律事務所に勤務し、ミシェルを呼び寄せたかもしれない。 ミシェルの父親は、正式な診断こそなかったが、多発性硬化症と疑われる重度の膠原病で苦しんでおり、これがロビンソン家の家族の絆を強めていた。 親思いのミシェルは、シカゴを離れようとしなかった。

1992年、オバマの母方の祖父であるスタンレイ・ダナムが亡くなった年に、オバマはミシェルとシカゴ南部の教会で結婚した。 オバマはハワイに戻ろうとはしなかった。 「シカゴのオバマ」として公私ともに生きていく事を決めたのである。

ミシェルの黒人としてのアイデンティティは強い。 かつて「プリンストン大学卒業の黒人と黒人のコミュニティ」というエッセイをプリンストンに提出している。 プリンストン大学では、当時はまだ黒人学生は珍しい存在だった。 ミシェルは、白人社会のな中で、好奇の目にさらされたのである。 これが却ってアイデンティティの強化につながった。 最初にシカゴ政治に飛び込んだのもミシェルだった。 父親が亡くなった後、一念発起してシカゴ市長のリチャード・M・デイリーの副首席補佐官になる為に、弁護士事務所を辞した。 それはオバマとの結婚のほんの少し前の事である。

ミシェルの後を追いかける様に、政治活動を本格化させたオバマは、ハーヴァード・ロースクールを卒業して、まっすぐシカゴに戻った。 そこで参加したのが、マイノリティと低所得層の民主党投票登録を促進する「イリノイ・プロジェクト・ボート」だった。 このプロジェクトが開拓した15万にものぼる新たな票は、1992年の大統領選挙でビル・クリントンを支えた。 ヒラリーとの因縁の2008年民主党予備選から遡ること16年前、オバマは間接的にクリントン大統領当選に貢献しているのである。

シカゴでのオバマの政治活動は、決して平坦ではなかった。 それは地元の黒人とぶつかり合う歴史でもあった。 2008年の予備選を前にして、「オバマを黒人社会は容易に認めないだろう。 黒人票はヒラリー・クリントンに行くだろう」と分析していたのは、シカゴ政治に詳しい地元の専門家達だった。 その背後には、シカゴの外ではあまり知られていない、シカゴ黒人社会とオバマの苦闘とも言える衝突の歴史があったのである。

1995年のイリノイ州議会に打って出た時の、地元現職アリス・パーマーとの戦い。 黒人との内輪の争いで辛勝し、議員生活のスタートを切った。 オバマのシカゴ黒人政治との二度目の衝突はもっと深刻だった。  それは州議会第1期目を終え様という時にやってきた。

シカゴ政治の世界では、この2度目の黒人社会とオバマの衝突を「オバマの政治人生における最大の誤算」と呼んでいる。 ボビー・ラッシュを敵に回しての連邦下院議員の惨敗である。                       

当時のオバマにはラッシュに挑むことが黒人政治家としてはコード違反である事の意味がはっきりと分かっていなかった。 ラッシュは、元ブラック・パンサーのイリノイ州支部創設者だった。 ブラック・パンサーとは、ブラック・ナショナリズムの潮流のなかで1960年代後半から1970年代前半に活勤した黒人解放を訴える急進政治組織であり、暴力的姿勢をまといながらも黒人社会の共感を大いに集めた。 1946年生まれのラッシュは、ローズヴェルト大学、イリノイ大学院などで学士号、修士号を取得していて、この世代の黒人としては高学歴者である。

◇オバマに「黒人らしさが欠けている」という黒人からの批判◇

元パンサーの現職議員に楯突く事は、黒人社会への愛着の示し方として最悪の方法だった。 オバマはアメリカの黒人社会における、1960年代以降の政治活動の深遠なる意味をまるで理解していないとして、黒人政治家失格の恪印を押された。 地元の黒人支持層は、オバマにまるで腫れ物に触るような態度を示すようになった。

どうして引退の意向すら示していない現職のラッシュをこの若い州議会議員は引きずりおろそうとするのか。 地域の不信感は沸点に達しオバマ包囲網は広がった。 ラッシュの議席に挑んだ事で、折角コミュニティで信頼されつつあったオバマについて、その出自の曖昧さを問うパンドラの箱を開けてしまった。

ハーヴァードで学位を取り、シカゴ大学で教え、白人の様に振る舞い、白人の様な英語を話す、という中傷が拡大し、黒人住民は反オバマに同調した。 「黒人らしさが欠けている」がオバマ批判の合い言葉となった。

連邦下院議員の惨敗は、シカゴに根を下ろしていたオバマとミシェルに多大な心理的抑圧となり、結果としてシカゴの黒人社会で一時的に干される格好となり、この間、州議会活動以外は、ハイドパーク内のシカゴ大学での教育に専心しつつ、シカゴで黒人社会の政治リーダーになる事の複雑さに遭遇していた。

大統領候補のオバマをめぐる描写は、強運と演説能力に恵まれた全知全能のゴールデンボーイの印象に彩られているが、こと選挙に限って言えば、この様にオバマは無敵の強さでここまで辿り着いたわけではない。 票の「読み」という政治嗅覚の点でも、ラッシュにシカゴ南部で向こう見ずに挑んでいる事からしても、万能とは言い難い。 それもつい最近の2000年の出来事である。

◇まるで天がオバマを大統領候補に導いているかの様な展開◇

2004年、上院選挙を前にして、シカゴ政治は新展開を見せようとしていた。 シカゴ政治の首脳陣と民主党のリベラル派は、長期的な対共和党ブッシュ政権のビジョンを構築しようとして動き出していた。 当時、名前の挙がった下院議員は、下院の魅力を十分にしっており、やみくもな上院出馬には慎重だった。 ここにいい頃合いで現れた新星が、オバマ州議会議員だった。 ラッシュに敗退したオバマには選挙区上、下院再出馬のめどはなく、目指すなら上院だった。 ラッシュに惨敗した事で大統領への道が開けたのである。

オバマは、黒人に対し常にキリスト教信仰を語り、自からがシカゴ南部のトリニティ教会に属している事を強調した。 肌の色が黒いだけでは自動的に仲間として認めてもらえない。 黒人のアメリカでの苦悩の歴史と文化を尊重した「黒人アウトリーチ」が選挙には必要である事を学んだのである。 黒人候補者が行う黒人票対策である。 「怒りやフラストレーションは、黒人社会の中で生きる事の問題でもある。 プリンストンやハーヅアードは人を変える。 英語も変える」とミシェルは述べている。 それは「自分のコミュニティで生きて行くために、知性を覆い隠さねばならないフラストレーション」でもあった。

オバマの「知性」とアメリカの黒人街での居住経験の乏しさが決して恥ずべきものではなく、むしろ黒人社会に貢献するリーダーの資質である事をミシェルは知っていた。 だからこそ、黒人社会の末端と同じ目線で付き合う事につきまとう誤解や苦悩をミシェルが対外的に代弁した。

ミシェルは、地元シカゴのテレビに出演しては「バラクは黒人の男性です」と叫んで回った。 「民主党のオバマ」誕生−2004年民主党大会でアメリカを魅了した演説オバマの上院選にとって、緒戦の難問はキャロル・モズリー・ブラウン元上院議員だった。

1999年にスキャンダルで失脚したブラウンは、2004年に照準を合わせて上院再出馬を考えていた。 しかし結果としてブラウンは、ちょうど同年に行われた大統領選挙に色気を出してそちらに出馬した。 しかし、ブラウンが気まぐれを起こし、もし上院再出馬にこだわっていたら、あるいはオバマが狙っていた上院選が大統領選挙と同年でなかったら、ブラウンとの直接対決は避けられなかった。 そうなれば、オバマ上院議員の誕生は実現していない。 票が確実に割れ、他の候補を利うる。 ふたたびオバマは救われた。

オバマは、予備選で無事に、シカゴの政治リーダー達から分け与えられた基礎票を守り抜いた。 オバマはシカゴ政治の中での偶然と幸運に恵まれ、今日の地位を手にしたと言える。 上院選本選を前に、2004年夏のボストンでの民主党大会に向け、民主党シカゴ政治のコアメンバーはこの新しい若い政治家を「シカゴのオバマ」から「民主党のオバマ」に脱皮させる秘策に着眼する。

それは党大会での基調演説である。 オバマのスピーチ能力はすでに実証済みだった。 2004年ボストンの党大会のステージで、ダービン上院議員に紹介を受けた一介のイリノイ州議会議員オバマは、アメリカ全土を魅了するスピーチを見せつけた。オバマは、2004年の党大会で「民主党のオバマ」になったと同時に、実は、晴れて「真のシカゴのオバマ」になったとも言える。 2008年の大統領候補指名受諾の党大会でも、「シカゴ」と「サウスサイド」に拘ったのは、その為だった。

渡辺将人(ワタナベ マサヒト)

1975年東京生まれ。 シカゴ大学大学院修了。 ジャニス・シャコウスキー米下院議員事務所、ヒラリー・クリントン上院選本部=アル・ゴア大統領選ニューヨーク支部(アジア系集票担当)を経て、テレビ東京入社。 報道局「ワールドビジネスサテライト」ディレクター、政治部記者として総理官邸、外務省、国会担当。 退社後、コロンビア大学ウェザーヘッド研究所を経て、現在ジョージワシントン大学シグール研究センター


●追記  下記サイトで、読後感が掲載されいます。  ご参考までに。

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●見聞録221−2 オバマ大統領の就任演説を深読みすると・・・スピーカーなのに聞き役となる『でき  2009年02月17日(火)

●2009年2月17日(火

(本)オバマ演説集

写真: オバマ演説集

●見聞録221 オバマ大統領の就任演説を深読みすると・・・

●今日の視点

『オバマ演説集』が、40万部のベストセラーとなっているのは、もう有名な話しである。 これに目をつけたスゴイ人は朝日出版社の第3編集部長・山本雄三氏である。 在米日本人学者からオバマ氏の評判を聞き、2008年6月の民主党予備選勝利を機に構想を練り、11月の当選で出版にこぎ着けたという。(毎日新聞 1月16日)

山本氏によれば、人気の理由として、「平易な表現を繰り返すスピーチの技術」「黒人にルーツを持ち、海外生活や親の離婚などを経験したオバマ氏本人の物語性」「声質やスタイルの良さ」の三つを挙げられている。

山本氏の旺盛な好奇心・時代の先取りを見つける嗅覚は、ビジネスに限らず必要なスキルといえる。

そのオバマ氏の大統領就任演説は、「我々が問うべきは、政府の大小ではなく、その政府が機能するか否かだ」「新たな責任の時代」を強調した事ぐらいで、穏当な内容だった。 むしろ「変化(チェンジ)」という標語を掲げて人心を鼓舞した熱い口調から一転、まるで全力を尽くしたアスリートが行うごとく、熱狂する人々の心を「クールダウン」させる、重い内容である。

この変化を、どう捉えれば良いのか。 たった一人のニューリーダーが誕生する事で国策が変わるのか?  期待通り「望ましいアメリカ」となるのだろうか?

昨今の何処やらのリーダーの稚拙な演説、更には国際舞台で、酩酊状態で記者会見に臨む閣僚、それを弁護する集団、等々、リーダー不在のこの国は気がつけば、世界最高のGDP減というオマケまで露呈しているという有様である。 リーダーと国民の距離感の違いは、その制度によるものか、国民性そのものなのか。

又、プロンプターに流れるテキストを前にしたオバマ大統領の演説は、TV画面ではプロンプターを感じさせないのが大きな特色である。 3時間はユウに予行演習をしている事は容易に想像がつく。 日本では先日のパイオニア社長の記者会見のケースを見ても、明らかにプロンプターを使うのが慣れていないので不自然も甚だしい。 この彼我の差は目線でわかるだけに、練習不足は顕著に表れるという怖さがある。

さて今回の見聞録は、オバマ大統領の演説を元に、スピーチの技術について考察してみたい。 そこで2月17日付の「日刊ゲンダイ」に、興味ある記事を見つけたので、その一部を紹介すると・・・

「オバマ大統領は元から独創的な政治ポリシーがあるわけではない。 ただ、オバマ演説が素靖らしかったのは、国民が今、何を聞きたがっているのかを知っている点にあります。

『あれをします』といわず、『我々は危機を知っている』と言葉を投げかける。 しゃべっている側なのに実はしゃべっていない。 スピーカーなのに、聞き役になっているのです」と、フリーキャスターで『聞き管理』(徳間書店)の著者、梶原しげる氏のコメントを引用しながら、オバマ大統領が、地元シカゴでの大統領選勝利演説でまっ先に言った言葉も、『私は皆さんに正直に話します。 皆さんの声に耳を傾けます』だった。 アメリカ国民は聞く耳を持った人物を大統領に選んでいる。 オバマ大統領の魅力は、スピーチのうまさではなく、実は余計な事を『しゃべらない力』だった。

会話における「ハンフリー・ボガード方式」も有効である。 代表作「三つ数えろ」(1946年)の最後のセリフをフり参考にしたものだが、頭の中で「1・2・3」と数えてから言葉を明り出す。 間を置くことで、感情的な言葉を口走るリスクも、言い過ぎてしまう失敗も減る。

釈迦は、息を叶きながら1から10まで数える「数息」という技法を使っていたらしい。 それは冷静になる為である。 しかも3つ数えてから話し始めると、じっくり考えた末の発言だと、相手から好意的に受け取って貰える効果もある。 心理カウンセラーがよく使うテクニックで「う〜ん」とうなってから回答を始めると何やら説得カが増す。

オバマ大統領も同じで、聴衆や対立候補からの質問にはすぐには答えなかった。 一呼吸置いてから話し始め、相手に「この人は私の話をちゃんと聞いている」と思わせていた」とある。

スピーチの場や日常の対話も、逆説的に言えば、この「しゃべらない力」を身につければ、オバマ大統領の演説とまで行かなくても、人の心を打つコミュニケーションが出来るのではないだろうか。 スピーチの基本を押さえて、その上での応用技法である事に注目したい。

今回は、先ず基本に立ち返る意味で、西野浩揮:著 『仕事ができる人の 黄金のスピーチの技術』を取り上げたい。

さて、「ハンフリー・ボガード方式」と言われる頭の中で「1・2・3」と数えてから言葉を出す方式、これを早速試みてみると、後から再聴してみると、その効果は抜群だった。 本来ハヤクチの悪癖を直す事もできたので、是非読者諸氏にもおすすめしたいテクニックである。

●今日の引用資料


西野浩揮:著 『仕事ができる人の 黄金のスピーチの技術』

●見聞録221−2 オバマ大統領の就任演説を深読みすると・・・スピーカーなのに聞き役となる『できる人』

◇わかりやすい話し方◇

いざスピーチをする時には、いきなりメインメッセージから話し始めるわけにはいかない。 わかりやすい話し方の基本は、「前置き」+「メインメッセージと3つのサブパート」+「締め」という、3部構成である。

まず前置きには、大きく2つのパターンがある。 

1つは正攻法で、「これから何の話をするか」を宣言し、続けて、そのテーマについて興昧がわくような、いわゆる「つかみ」の話をする。

例えば、「本日は『本物の勇気とは何か』ということについてお話しします」と宣言する。 次いで、「私が駅のホームで電車を待っていると、突然大きな物音がしました。 すぐ横で人が倒れて、そのまま線路上に落ちてしまった音だったのです…」といった、つかみの話を続ける。

これとは逆に、インパクトのあるつかみは冒頭に持ってきた方が効果的な場合もある。 どちらがよいかは、その時々で臨機応変に選べばよい。

エンディングの流れは、「まとめ→終了宣言→お礼」が基本である。

まとめも、パターンが2つある。 1つは、「我々がすべきことは2つあると思います。 1つは…。 2つは…」などと、具体的な策を示していくやり方。 もう1つは、ねぎらいや励ましなど、気持ちや感情を露出して終わるパターンである。 まとめの次は「以上です」などの終了宣言、そして最後に、聴衆へのお礼を言って締める。

◇聞き手を惹きつける話し方◇

「何を話すか」も大事だが、「どのように話すか」も大事である。 この「どのように話すか」にも技術がある。 「話し方」と「振る舞い方」の技術である。

まず、話し方には4つの要素がある。
1)声の大きさ  声は大きい方が、説得力が出る。
2)話すスピード 最適なスピードの目安は、1分間に350字程度。 これは、NHKのアナウンサーと大体同じスピードである。
3)強調  話す内容には、「非常に重要な箇所」と 「あまり重要でない箇所」がある。 重要でない箇所は小さく、遠く言う。 重要な箇所は、大きく、ゆっくり、トーンも少し高めに。 非常に重要な箇所は大きく、かつ繰り返す。 聞き手は話し手が思うほど、話を間いていないから、「ちょっと大袈裟かな」と思うぐらいでちょうどいい。 そして「非常に重要な箇所」では、少しシツコイと思うぐらい繰り返す。 そうすると、断然話がわかりやすくなる。
4)自間には3種類ある。
まず、「中ほどに生じる間」1〜2秒である。 聞き手が話を理解するのに必要な時間を確保する役割を果たす。 次に「終わりの間」は2〜3秒。 特に大事なのが「段落の間」で、今から違う内容の話に移る、という合図になるものである。

そして聴衆に質問を投げかけた後などに、「聞き手に考えさせるための間」3〜4秒。 初心者のうちは、間を取るのが案外難しい。 間の習得のために重要なのは、練習することと、間違った考えを変えることである。

多くの人は「スピーチはスムーズであるほどよい」と思っているが、これは間違いである。 大事なのは「わかりやすさ」。 「スムーズに話さなければ!」という思いが強すぎるから、間がなくなるのである。

一方、振る舞い方にも4つの要素がある。

1)良い姿勢 背筋を仲ばすのが基本。 手は、へそ下5センのところで組むと落ち着いて見える。
2)ボディラングージ 身振り手振りを交えた話に、聴衆は惹きつけられる。
3)表情 基本は口元に笑みを浮かべること。 さらに大事なのは、表情の豊かさである。
4)アイコンタクト 目線の配り方のこと。 目を見て話すのは、基本中の基本である。 

聴衆が多い時は、前列の両端から後列の両端の4点を定期的に見るようにするとよい。 ただし、目の動きが速すぎると落ち着きのない印象を与えるので、目だけを動かすのではなく上体を回転させ、常に顔の中心で聴衆全体を見るように心がける。

多くの人は、自分のことを「アガリ症」だと思い、何とかアガリ症を克服したいと思っている。 だが、アガることはいいことである。 なぜなら「アガリは集中力につながる」「一生懸命さが伝わりやすい」「応援してもらえる」からである。

もちろん、表情が硬くなって笑顔が消える、口の周りの筋肉がこわばって滑舌が悪くなるなどのデメリットもある。 だが、これらのデメリットは、「話し方」「振る舞い方」のスキルを日々使い、習慣化することで解決できる。

「アガって表情がこわばる」と悩む人は、普段から表情が豊かではないのだ。 日頃から□を大きめに開けて、しっかり声を出す。そうすれば、人前でアガっても、ある程度滑舌良く話せる。

アガリのデメリットには、アガると言葉が出てこない、頭が真っ白になるということもある。 この解決策は練習しかない。 欧米人はプレゼンのうまい人が多いが、これは何も彼らがそういうDNAを持っているからではない。 リハーサルを重ねるからうまいのである。

●西野浩輝(ニシノ ヒロキ)

マーキュリッチ株式会社代表取締役・チーフトレーナー。大阪大学大学院卒。 リクルート・外資系教育コンサルティング会社を経て、マーキュリッチを設立。 研修講師・人材育成コンサルタントとして活躍している。 「ビジネスで主導権がとれる人材を育成する」ことをミッションとして、プレゼンテーション・ネゴシエーション・セールスなどの領域でプロのコミュニケーション術を指導している。 理論的でありながら実践的な研修プログラムと、ぐいぐいリードしていく講師のキャラクターが人気となり、現在は年間200日近い企業研修をこなす。

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●見聞録221 「新エネルギー開発の重要性を強調するオバマ大統領の主張を深読みすると・・・原発産業が見えてくる  2009年01月31日(土)

●2009年1月31日(土)

オバマ支持を訴えるゴア前大統領夫妻(2008年10月31日 AP Photo より).

写真:オバマ支持を訴えるゴア前大統領夫妻(2008年10月31日 AP Photo )
( http://eco.nikkei.co.jp/column/iida/article.aspx?id=MMECcm000010112008&page=2 より)

●見聞録221 「新エネルギー開発の重要性を強調するオバマ大統領の主張を深読みすると・・・原発産業が見えてくる」

●今日の視点

オバマ政権の「環境・エネルギーチーム」のTOPは、ノーベル物理学賞受賞者で「脱・石油」の推進論者スティーブン・チュー エネルギー長官。 更に環境保護局長官についたリサ・ジャクソン氏は、ゴア元副大統領に近い人とされている。 いわゆる環境保護に熱心な「リベラル派」で固められている(日経1月24日より)

オバマ大統領は、強力なこの二人を配し、太陽光・風力発電等の新エネルギー開発の重要性を強調するが、どう考えても共に日本やヨーロッパが得意の分野であり、アメリカにおける自動車産業に変わる新しい大型産業にはなり得ないだろう。 コトこの環境問題に関しては、オバマ大統領の主張について、すんなりと受け止める訳には、ゆかない。

金融工学を駆使したサブプライムに象徴されるマネーゲームを世界に広めたアメリカである。 これに代わる打ち出の小槌が、次の機会を狙っているのは、想像に難くない。 その一つが、原発産業ではないだろうか。

今回、再び取り上げる「テクテクノロジー革命 〜非電化とスロービジネスが未来をひらく」の著者、藤村靖之氏(共著)は言う。

「地球温暖化問題の焦点を、CO2を出さない事を目的にしすぎると、原子力発電はCO2を出さないからいい、となってしまう。 しかし、原発は原子力で、高温の水蒸気をつくり、タービンを回して電気をつくっているだけで、高温の水蒸気をつくるところから先は、火力発電所と全く同じ事をしているのである。

高温と低温がないと理論的にエンジンはできないから、火力発電所も原子力発電所も、1kWを発電するには、同じだけ冷やさないといけない。 だから海の側じゃないと原子力発電所はつくれない。 それだけ膨大な量のエネルギーで海を暖めている事になる。 もとは地球を暖めない事が目的だったのに、いつのまにかCO2を減らすこと自体が目的になってしまった」と。

さて、「新たな責任の時代」を強調したオバマ大統領の就任演説は、「変化(チェンジ)」という標語を掲げて人心を鼓舞した熱い口調から一転、まるで全力を尽くしたアスリートが行うごとく、熱狂する人々の心を「クールダウン」させる、重い内容である。

この変化を、どう捉えれば良いのか。 たった一人のニューリーダーが誕生する事で国策が変わるのか?  期待通り「望ましいアメリカ」となるのだろうか? 

そう言う視点で、就任演説を読むと、太陽光・風力発電等の新エネルギー開発の重要性を強調するオバマ大統領の「グリーン・ニューデール」政策に、疑義有り?である。 演説の多くは感銘を受けるが、唯一ここが気になるところである。

地球の温暖化議論の出発点である「経済成長を維持しながら環境を良くする」という事は、実際のところありえない。 それなのに、実際には経済成長を大前提として、火力発電か、原子力発電か、自然エネルギーか、を議論しているのである 

社会がグローバル化からローカル化へと構造転換を図る事で、「経済と環境」との調和を提唱する藤村靖之氏は、人類がその「解」を「原子力発電」に求める「愚な選択」を避ける為に「非電化」というムーブメントを起こそう、と呼びかけられている。

●本文引用資料

藤村靖之・辻 信一:共著 テクテクノロジー革命 〜非電化とスロービジネスが未来をひらく

経済成長を維持しながら環境を良くする、という事はありえない

温暖化を食い止める為の「代替エネルギー」の議論の前提には、今日の電力消費量は不可欠なんだという基準軸がある。 しかしその基準軸は、過剰に過ぎるのではないだろうか。 みんなでよってたかって経済を大きくすれば、エネルギーの消費量は比例するのである。 そしてエネルギー消費と環境悪化は正比例してしまう。

20世紀は、石油に代表されるエネルギーを安く使うという事に依存して、今日の経済成長は成しとげられた。 今日の豊かさは「安い石油のおかげだ」と言い切ってしまっても良い。 アメリカの農民思想家ウェンデル・ベリーの言葉に「チープ・エネルギー・マインド」というのがある。 「エネルギーは安いもの、という思いこみの上に、今の世界システムは築かれている・・・」と。 そういう意味では、行きつくところまで行って、幻想が破裂するのを待つしかないのだろうか?

今持て囃されている「バイオ燃料」というのは、それをつくるのにつぎこまれるエネルギーと得られるエネルギーを比べると、1対1.34。 これに対して石油は、最低でも1対30〜200とか。 産業革命以前の人類はずっと、バイオマスだけから得られるエネルギーのレベルでやっていたわけだから、ようやく悪い夢から醒めるチャンスが訪れているのではないか。

エネルギーの代名詞は電気だが、現代社会は電気がないと生きていけなくしてしまった。 正に生命線である。 化石燃料に頼れないとなれば「原子力発電」しかないとなる。 それが原発推進論者のセオリー、たった一つのセオリーと言っても良いかもしれない。 だから、現在の経済規模、生活の豊かさは異常だという事を、私たちは再認識しなければならないのである。

何億年かけた石油を一瞬にして燃やし尽くしてしまう事を前提につくりあげた城は、正に砂上の楼閣である。 エネルギーの消費という事を見た時、一番大きいのが自動車である。 その自動車の次に産業利用、業務利用、家庭での利用が約3分の1ずつ。 そうすると今迄はガソリンで直接走っていた車が、今度は電力で動く様になれば、電力需要が増えていく事になる。 ではその電力をどうやって賄うのだろうか。 著者が「非電化」というムーブメントを起こそう、と考えた原点はそこにある。

経済成長を維持しながら環境を良くする、という事はありえない。 それなのに、実際には経済成長を大前提として、火力発電か、原子力発電か、自然エネルギーか、を議論している。

国と自動車メーカーが一緒になって自動車王国となったアメリカと日本! そのツケは半端ではない

アメリカという国は、鉄道で移動していたところに自動車という技術が生まれた。 政治が、鉄道文化から自動車文化に政策を切り替えたのである。 自動車会社が鉄道会社を買収して鉄道を不便にし、政府が後押しして買収資金まで応援したのである。 正に国と自動車メーカーが一緒になって自動車王国に仕立てあげた。

これと同じ様に日本も政治が後押しをして、自動車立国にしていった。 鉄道は長距離の新幹線だけ新設して、あとは不便なままにした。 こうして自動車を主要産業にして、道路をつくり土木工事で大きな経済を生みだし、そこで雇用も生まれる。 それが政治の力にもつながり、利権を守る事にもなる。 そういう見事な連立方程式をつくったのである。

しかし、毎日の報道に見られる通り、自動車王国を築き上げたその代償は、国家経済をも揺るがす程の深手を負うハメに陥っているのである。

さて、そのトヨタはハイブリッドカーで世界的な評価を得ている。 ハイブリッドカーのエンジンは、一番効率の良いところで運転すると100%のエネルギーのうち28%前後は、動力に変わっているが、残りの72%は熱になって逃げている。

それも一番良い条件の元であって、実際に車を運転する時は、スピードを出したり、遅くしたり、あるいは加速したり、坂を上ったり、降りたりとその条件は様々である。 ハイブリッドカーは、一番良い条件でエンジンを動かす様にして余ったエネルギーを電気にして蓄えておけば、エンジンはいつも効率の良いところで運転できる。 そうすると、「燃費が格段にいい、環境に貢献する」とみんなが絶賛しているのである。

ところが、これは怪しい話である。 トヨタがつくっているプリウスというハイブリッドカーは、高価なのに人気が有るので値引きもしない。 それにものすごく重い。 重い理由は二つあって、ひとつは大きなバッテリーを積んでいる事と、もうひとつは、頑丈なボディだから重い。

重い理由は、高速で走って衝突しても安全な様になっているからである。 街の中を低速で走る分には軽自動車だって死にはしない。 では高速道路を走る時にハイブリッドカーに少しでもメリットがあるのかというと、それは全くない。 なぜなら一定速度で走れるのが高速道路であり、一定速度で走るのには電気を貯めても、貯まる一方で使い道がない。

止まったり走ったり、減速したりというのは、街中でこそのメリットである。 でも街中だったら、もっと軽い車で走ればいいだけの事。 車のガソリン消費量は、車の重さにほぼ比例する。

トヨタは、ハイブリッドの一方では、相変わらず燃費の高い四輪駆動のレクリエーションタイプも売っている。 でも、もっぱらハイブリッドを持ち出しては「エコはトヨタ」みたいなイメージをつくり出す事に成功しているが、本当ににエコロジーを考えるなら、先にやる事がもっと有るではないか。

グローバル化から、ローカル化への転換が必要ではないか

自動車をどうするか、の前にやらないといけない事が有る。 国内のグローバル化をもっとローカル化するという事が第一ではないだろうか。 二つめは、エネルギーと食糧の自給率を高くしていく。 この場合の自給率というのは、国内自給率だけではなくて、地域自給率を高くしていく。 その二つの事を合わせて言えば、エネルギーと食糧は地域で循環させる。 地域でつくって地域で使う。 これをペースにすべきで、そうすれば、輸送量は激減するだろう。

道路は、そのままにして交通量を少なくしてしまえば良いのだが、それには本来の唯一の課題である「地域レベルで環境と雇用を両立していく」というところに戻る。 食糧とエネルギーをローカルで産みだす方に雇用を上手にシフトしていく。 衣料品や材木から日用雑貨品に至るまで、なるべくローカル化していく。

そうすると車の使用量は大きく減っていくだろう。 ローカル化では国際競争力に勝てないという意見もあるけど、消費者との共感があれば話は変わってくる。 そうすると車の使用量は大きく減っていくだろう。 ローカル化では国際競争力に勝てないという意見もあるけど、消費者との共感があれば話は変わってくる。

藤村靖之(フジムラヤスユキ)

1944年、満州生まれ。 大阪大学大学院基礎工学研究科・博士課程卒、工学博士。 (株)コマツ熱工学研究室長、(株)カンキョーを設立し代表取締役などを経て、現在は非電化工房、発明工房、発明起業塾などを主宰している。 科学技術庁長官賞、発明功労賞、1994年ベンチャーオブザイヤーなどを受賞

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●見聞録220−2 未来工業:創業者山田昭男氏の 「社員のやる気を どうを引き出すか」  2009年01月25日(日)

●2009年1月25日(日)

宣誓するオバマ大統領(1月20日:産経新聞ーロイター).

写真:宣誓するオバマ大統領(1月20日:産経新聞−ロイター より)

●見聞録220  楽して儲ける! 発想と差別化でローテクでも勝てる! 未来工業・山田昭夫の型破り経営論!

●今日の視点

人の心に響く言葉を見事に発する指導者、と言えば、世界中の期待を全身に浴びるオバマ新大統領。 1月20日、米国初の黒人大統領の就任式を伝える画像、両手を胸に感極まった様な人々が映し出されると思わず涙腺がゆるむ。 数千万人とも言われる草の根運動で支えられたオバマ氏の魅力とは、奈辺に有るのだろうか。 その計り知れない魅力のパワーは、過去の大統領就任式も及ばない200万人以上の人達を呼び寄せていた。

その就任演説の全文を、日経新聞で読みながら、世界最強の国の指導者、それぞれの国の指導者、身近なところでは、企業の経営者まで、等しくリーダーたるものに、必要な資質とは何か! を考えさせられる。

聡明さ、思慮深さに秀でた人なのであろう。 その一文から、心に響く部分を引用したい。

「貧しい途上国の人々に言いたい。 畑が豊かになり、きれいな水が流れるようにあなた方と共に取り組んで良く。 飢えた体を養い向上心のある脳を満たしてゆく。 アメリカの様な豊かな国は、もはや国境の外の苦しみに無関心ではいられない。 何の遠慮も無しに資源の無駄遣いする事ももうできない。 世界が変わった為、我々もそれに合わせて変わらなければならない」

このメッセージから、一部の言葉を置き換えれば、日本の現実に見事に当てはまる。 政財界のリーダー、企業のリーダーにもそっくり学んでもらいたいものである。

さて、見聞録220便は、この手詰まり感を一気に吹き飛ばせるヒントを求めて「楽して儲ける! 発想と差別化でローテクでも勝てる! 未来工業・山田昭夫の型破り経営論!を取り上げている。 再掲になるが、この「未来工業」 を知ったのは、我が支援先の企業が開発した「結露防止剤」に目をつけ、それを塗布する事により結露問題を解決した画期的なJIS規格の「埋込スイッチボックス」を商品化した企業だったのである。

「未来工業」とは、常織破りの企業としておそらく右に出るものはいないのではと思われるほど異色な企業で、本社は岐阜県。 主に電気設備資材を製造する、社員数約800人のメーカー。 トヨタ自動車と一緒に視察ツアーがくまれ、国内ばかりか、海外からも日々視察が絶えない。

この「未来工業」を紹介するには、創業者の山田昭男氏を取り上げない事には、おさまらない。

そこで第2回目は、この山田昭男氏の著作「楽して、儲ける!」から、「未来工業創業者山田昭男氏の 社員のやる気を どうを引き出すか」を取り上げたい。

「未来工業」の創業者山田昭男氏は、1931(昭和6)年生まれで77歳。 現在は未来工業を中核とする末末グループの取締役相談役。 かつて父親の経営する「山田電線製造所」の専務の肩書きを持ちながら、大垣の地方劇団「未来座」の座長という希有な経歴を持つ。 一人一人の劇団員が自分なりに考えて芝居作りに関わりそれに楽しみを見出していなければ、良い芝居を打てるわけがない、という劇団運営の経験が、人を一番に遇する「未来工業」の経営哲学に生かされている。

下記本文に目を通されても、読者諸氏の中には、「そんなキレイ事で経営者がつとまる筈がない」と思われるだろう。 しかしオバマ氏の人間性に向けられた熱いまなざしにも通じる「人間尊重の精神」が如何に、人をその気にさせるか今一度問うて頂きたい。

この著作は2004年の著作で、既に絶版で重版の見込みもない。 しかしAmazonマーケットプレイでは、ロープライスで中古本ながら手に入るので是非、お奨めしたい。

前回取り上げた『「度胸」の経営』 の著者、勝見 明氏はこう述べられている。

「常識を超えた未来工業の経営は、理想的な環境を用意すれば、人間は100%能力を発揮するという性善説に根ざしている。 結果は優れた業績になって表れている。 度胸の経営の第一歩は社員を信じるところから始まる、と改めて認識させられる」と。

●見聞録220−2 未来工業の創業者山田昭男氏の 「社員のやる気を どうを引き出すか」

●今日の引用資料

(本)楽して、儲ける!.
山田昭男:著 「楽して、儲ける!」


◇「戦略」と「戦術」 経営者が選ぶとしたら「戦略」を選ぶべきだ◇

そもそも、経営というものは「戦略」と「戦術」である。 だが経営者が、「戦略」と「戦術」の両方できるわけがない。 だったら社長はどちらかを選ぶしかない。 そして経営者が選ぶとしたら「戦略」を選ぶべきだと思っている。 「いかに商品をうまく売るか」「いかに安く仕人れるか」「いかにいいものをつくるか」等という事は、個々の戦術であって、あくまで部下がやるべき子tである。 現場で働いていて、状況を一番に把握している筈の社員がやらなければならない事である。

その代わり、社長たるもの、「戦略」は、命を賭けて一生懸命にやらなければならない。 「戦略」の基本は差別化である。 経営も含めて、ものづくりの差別化、販売の方法論の差別化、さらには社員を引っ張るリーダーシップまで、全てを差別化しなければならない。

多くの経営者は、「私かやらなきや、俺がやらなきや」と言いたがる。 「おまえがやって、どんだけ会社が伸びるんや」「社員に任せたほうが伸びるのではないか」と言っても、殆どの経営者は「うん」とは言わない。 やっぱり、先頭に立って全てをやりたがる。 それが大きな失敗の原因となる事に気がついていない。

◇経営の一番の柱である「社員のやる気」どうを引き出すか◇

会社経営の一番の柱は社員のやる気である。 社長一人で何でもできるなら、そんな楽な事はない。 会社というものが人の集合体である限り、社員のやる気が経営のベースとなる事は言うまでもない事であろう。 そして、社員がやる気を起こしてはじめて、その会社の企業としての差別化がはじまり、やがて社員のやる気と会社の差別化が両輪となって、会社は大きく伸びはじめるのである。

会社を、社長が仕事しなくてもいい体制にする為には、いかに社員のモチベーションと責任感を高め、更には組織づくりをする事が求められるが、これがまた難しい。

そういう意味では、「社員のやる気をいかに起こさせ、いかに高めるか」を考えるのが、社長の一番大切な仕事と言える。 やる気を起こさせれば、会社というのは絶対に回っていくというのが私の論理である。

やる気を「やる木」だと考えればわかりやすい。 まず、一本の「やる木」を育てて、それに枝葉をつけてやればいいのである。 じやあ、「やる木」とはいったい何か?

◇社長の仕事は社員の不満を消す事◇

そもそも、社員にやる気がないという事の裏には「不満」がある。 その不満を一つひとつ消していくのが社長の仕事と思っている。 つまり、やる木を育てるための土壌づくりである。

社員の立場になって考えればすぐにわかる事だが、給料は安い、休みはない、何から何までがんじがらめの会社で働いていても楽しいはずはないし、そんな会社のために努力しようという気が起きてくるはずがない。

ちなみに未来工業は、タイムカードもない。 定時の4時45分がすぎると、みんなあっという間にいなくなる。 だいたい4時55分にはもういない。 労働時間(7時間15分)が短ければうれしいと喜んで、不満がなくなり、やる気を起こす土壌になっていくだろう。 また、休みが長いと、またまたうれしいといって、それがやる気につながっていくだろう。 そういうことで「やる木」を育てて、社員の不満を消すための努力を続けている。

そもそも、日本の中小企業をみると、「社員を低賃金で長時間こき使ったほうがトクだ」と考えている経営者が少なくない。 だが、本当にそうだろうか。 中小企業には凡人が集まっている。 ズバ抜けた能力をもっている者が多いわけでもない。その社員に不満を持たれたら、ただ給料をもらうために会社に来ているだけという状態になり、目も当てられない結果を招くことになってしまう。

せいぜい、社員に不満をもたれないようにして、それなりにがんばってもらうしかないのではないか。 不満というのがどれほどあるのか知らないが、「とにかく社長は、いかに社員の不満を消すかということに徹底しなさい。それが社長の仕事や」と言い続けている。 そして、会社に社員がやる気を起こす土壌ができたら、放っておいても、それなりにやる様になるはず。

◇未来工業は社員にノルマを課さない これも差別化◇

日本の会社はノルマがあるのが当たり前になっている。 だが、社員はノルマなんかで縛られたくない。 それが偽らざる本心である。 未来工業は社員にノルマを課さない。 これも差別化である。

「ノルマ無しだぞ、だからやる気を起こして精一杯働きなさい」という論理なのである。 ある中小企業の経営者に言われた。「うちはノルマ無しなんかにしたら、みんな働かんようになって倒産するよ」と。 本当にそうなのだろうか。 試したこともない筈である。

とにかくノルマ全廃をやってみるといい。 社員はみんな度肝を抜かれる。 「なんや、社長が変わった事やりはじめた。 いったい何考えとるのや」 そして、その視線は「ノルマ達成、ノルマ達成」と怒鳴り散らしていた時とはうって変わったものになるはずである。

社員だって「ノルマ無しになったら、わしら、どう働けばいいんや」と、いろんな事を真剣に考える。 その中から、会社からの押しつけではない、彼ら自身が生み出す労働の価値基準が生まれてくる。

未来工業はノルマもないから、売上げを伸ばしても、伸ばさなくても、同じ給料を払いますというこ事になっている。 そうすると、売上げを伸ばしている社員から不満が出るだろうという話になる。 事実、不満も出てくることもある。

そこで社長命令で、「売上げを伸ばす努力なんてやるなよ。 不満持つなよ。 やらなきや不満にならんだろう」こういう。 だが、自主性と自覚のある社員は努力してでも、自分か任されている事を果たそうとする。 そして、そこまでやっていると、やってない社員は非常に気がひけてくる。

それに、社員の中にも新しい価値観が生まれてきて、やっていない社員はこう言われるようになる。 「お前はやってるやつの働きから給料もらうんだから、やってるやつのほうに足を向けて寝るなよ」 つまり、これだけもらっているのだから、これだけやらなきゃいけないという思いを自然に持てるようにしなければならないという事である。 それが広い意味のノルマになる。

ノルマで縛られていると、「いいじゃないの、どうせペナルティーをとられるんだから、やらなくても文句ないだろう。 会社は損しないだろう」となるところが、もらってしまうと、「やっぱりこれだけはやらないと、これだけもらってんだからヤバイな」という思いになってくる。

そして、社員がそうやってがんばれば、ノルマはなくても業績は上がってくる。 まあ個性や能力に違いがあるから、それぞれの業績は幾らか違うけれども、個々の社員の働きも「限度いっぱいやっているんだからそれでいいじゃないか」という許容範囲の中におさまっていくものである。

●山田昭男(やまだあきお)

1931(昭和6)年、上海に生まれる。  1945(昭和20)年終戦直前に帰国。 岐阜県の旧制大垣中学卒業後、父親が設立した「山田電線製造所」に入社、専務取締役に就任。  1965(昭和40)年8月、清水昭八(現・取締役会長)と「未来工業」を設立、代表取締役社長となり、1991(平成3)年11月、名古屋証券取引所市場第二部に上場。 岐県中小企業家同友会代表理事(1978年5月就任)、1993年4月同会長に就任。 2003(平成15)年3月「未来株式会社]を上場させ11の関連会社をホールディング化、未来工業を中核とする末末グループの取締役相談役に就任、現在に至る。 1989(平成元)年4月、黄綬褒章受賞。 1999(平成11)年、大垣市功労賞受賞。 2001(平成13)年、勲圧等竪光冠日章受賞。

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●見聞録220−1 「常に考える」というスローガンを掲げ、シェアほぼ独占状態の商品持つ「未来工業  2009年01月20日(火)

●2009年1月20日(火)

天地人

写真:NHK大河ドラマ 天地人より(  www.nhk.or.jp/niigata/2009taiga/ )

●見聞録220 楽して儲ける! 発想と差別化でローテクでも勝てる! 未来工業・山田昭夫の型破り経営論!

●今日の視点

困ったときの「派遣切り」が横行し、年末の日比谷公園のテントで年をこすハメに及んだ人々は、1月も下旬、この寒空の下でどうされているのだろうか。 本来、各企業においてはヒトの問題は人事部の所轄である。 製造部門でも派遣会社から必要な時に必要なヒトが供給される「派遣法」「労働者派遣法」が適用されたのは2004年。

その時点から、派遣された人の窓口は人事部ではなく「資材部」「製造部」が窓口となり、設備や資材、部品と同じにモノの管理となったのである。 有名な「カンバン方式」のシステム思想の元、必要な時に必要な人数を調達できる様になったのである。 おりしも人件費が日本の10〜20分の1とも言われた中国への工場移転を回避する流れが、この制度を後押ししたという背景もある。

一部の識者は言う。 「働く側にも派遣というワークスタイルを求めている」と。 果たしてそうだろうか。 楽な働き方を求める心理は、昔から一定の割合でいた。 そこに都合良く受け皿をつくる事で、無気力な人々が「群がった」というのが現実ではないか。  水は高きところより低きところに流れる様に。

ヒトも部材と同様にカンバン方式で手当を・・ともくろむ企業、取り敢えずの収入を求めるワーカー、人材派遣でニュービジネスを、と考えた輩達が、この新制度に群がりトライアングルを形成したのである。

さて、今年の大河ドラマは 天の時、地の利、人の和を表す「天地人」。 上杉謙信の養子として上杉景勝(長尾顕景)に、幼少から仕えたのが直江兼続。 豊臣に義をつくした上杉氏は、時が変わってかろうじて家康からの存続を許され越後から出羽米沢30万石へ減移封となっている。 

この非情の処置を受けた「上杉」の軍師「直江兼嗣」は、抱える配下の人数を減らす事なく転封を受け入れた。 今で言うリストラという処置をしていない。 兜に愛の字を掲げる「直江兼嗣」が、2009年大河ドラマの主人公となるが、関係者が2年前から検討されている筈とすれば、未曾有の経済危機の今年は、真に「時を得た」見事な決定ではないだろうか。

この「直江兼嗣」の様な、経営者はいないのか、手詰まり感を一気に吹き飛ばせる様な痛快な企業はないのか。 そんな視点で考察し思いを巡らせると身近な処に有った。 その名もユニークな「未来工業」 である。


我が支援先の企業が開発した「結露防止剤」に目をつけ、それを塗布する事により結露問題を解決した「結露防止の為の断熱カバー」が消えた画期的なJIS規格「結露防止埋込スイッチボックス」 を商品化した企業である。 

中部地区の代理店が紹介したところ、賢明な担当者がこの「結露防止剤」に一目惚れしたという。 日頃から「結露」の課題に取り組んでいたからこその注文である。 この様な自発的な購買案件は、滅多に遭遇しないのが、この種の材料営業の実態である。

常織破りの企業としておそらく右に出るものはいないのではと思われるほど異色な企業「未来工業」は岐阜県にある。 主に電気設備資材を製造する、社員数約800人のメーカーだである。 トヨタ自動車と一緒に視察ツアーがくまれ、国内ばかりか、海外からも日々視察が絶えない。

特に韓国からはサムスン、ロッテなどの大企業を始め、証券会社や学校の先生たちも大挙してやってくる。 現地の新聞で大々的に報じられ、テレビで特集番組もくまれる。

そこで、見聞録220便は、この手詰まり感を一気に吹き飛ばせるヒントを求めて「楽して儲ける! 発想と差別化でローテクでも勝てる! 未来工業・山田昭夫の型破り経営論!を取り上げたい。

先ずは、勝見 明氏の著作 『「度胸」の経営 』から、「年休140日、残業ゼロ、パートや派遣ゼロの、未来工業」から入りたい。

●見聞録220−1 年休140日、残業ゼロ、パートや派遣ゼロの「未来工業

●今日の引用資料

勝見 明:著 「度胸」の経営

◇「常に考える」というスローガンを掲げる「未来工業」◇

東海道新幹線の岐阜羽島駅から車で10分ほどのところにある未来工業の本社屋と併設の工場の中を歩くと、1分に1度くらいの割合で、「常に考える」という言葉が書かれたステッカーが張られている。 これにはこの会社ならではの理由がある。

未来工業は40数年前、山田昭男・現相談役が素人劇団の仲間3人と創業した。 後発の零細企業が電設業界の雄、松下電工(パナソニック電工)に対抗するには、知恵で勝負するしかない。 山田氏は、「自社の商品は、必ずどこかで差別化する」という徹底した差別化戦略を打ち立てたのである。

例えば、スイッチを壁の中に納めるスイッチボックス。 柱などに固定するネジ穴の数は法律で決められていない。 そこで、4つ開けて縦横斜めどれか2ヵ所をネジで止めれば固定できるようにしたところ、飛ぶように売れた。 規格の範囲外でのちょっとした工夫により使いやすくした製品を次々と開発し、高シェア商品を生み出していったのである。

こうしたヒットの連発の裏には山田氏ならではの仕かけがあった。 「商品を開発する時になって、さあ差別化しろといわれても簡単にできるもんじやない。 演劇と同じで大切なのは稽古である。 本番に向けて、日頃から差別化の訓練が必要」と考えた山田氏は、社内のありとあらゆる面で徹底した差別化を求めたのである。

普通の会社と同じ事はしない。 人事部は置かず、人事は各部署に任せ、専任は給与の支払い担当者が1人いるだけ。 経理は総務部に、購買は製造部に兼務させたが、株式上場時に大蔵省(財務省)の指導で仕方なく経理部と購買部を設置した。 管理職の人数も大蔵省から「もっと課長を増やせ」といわれ、社員の名前を書いた紙片を扇風機の風で飛ばし、遠くに飛んだ順に名義上の課長職につけたエピソードも残る。

コスト節減では、蛍光灯には1灯ずつ名札をつけ、節電に責任をもたせる。 コピー機は本社に1台。 ドアノブを回す時間を省くため、すべてのドアを手押し式に変えた。 視察者には地元の製薬店に特注した「未未せんべい」を出し、昼食は地元の料理屋でオリジナルの味噌ちゃんこ「未来鍋」を用意するのも差別化の為である。

差別化を図るには常に頭を使わなければならない。 そこで、「常に考える」というスローガンを掲げ、いわれなくてもオリジナリティを出せるよう、習慣づけをしたのである。

◇「年休140日、残業ゼロ、パートや派遣ゼロ」の未来工業

未来工業が注目される理由は、類を見ないユニークな経営の仕組みにある。 年間の休日は「休みは多い方がいいだろう」という考えから、140日もある。 年末年始は20連休、夏休みとゴールデンウィークは10連休、木曜または火曜が休日だと土日との間を休みにして4連休にする。 残業は「ない方がいいからなしにしよう」と禁止。

「日本で休みが一番多く、労働時間が一番短い企業」といわれる。 社員へのノルマも「誰もそんなものに縛られたくないだろう」と一切課さない。 ノルマがあると逆に「未達だったらペナルティさえ払えばいい」というネガティブな意識が生まれやすいと考える。

上司部下関係の基本とされるホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)も不要。 「上司の仕事は部下を管理することではなく、部下をやる気にさせることである」として、現場の第一線に判断を任せ、自分で考えさせる。

賃金は年功制。 「高い成績を出しても同じ給料なのは不公平」と不満をもらす社員がもしいたら、「不満ならば、そんなに頑張って成績をあげなくてもいい。 給料は同じに払う」と答える。

パートや派遣は一人もいない。 「同じ仕事をしているのに給料が違うのはおかしい」と考え、従業員は全員正社員。 産休は3年もある。 定年は70歳まで延長し、60歳を過ぎても給与は下がらない。

それでいて業績は非常に好調である。 全国シェア70〜90%とほぼ独占状態にある商品を数多く抱え、売上高経常利益率は平均15%前後と同業他社より桁違いに高い収益力を誇る。 給与水準も県内企業では銀行などと並びトップクラス。 5年に一度、社員全員でラスベガスなどへいく海外旅行は全額会社負担。  なぜ、このようなことが可能なのか。

●勝見 明(カツミアキラ)

ジャーナリスト。 1952年神奈川県生まれ。 東京大学教養学部教養学科中退。 経済・経営分野において執筆・講演活動を続ける。 テーマは人と組織のマネジメント、経営者論。 著書:『ソニーの遺伝子』『光の未来に賭けた研究者スピリット』、『鈴木敏文の「統計心理学」』『鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」』『セブン―イレブンの「16歳からの経営学」』『イノベーションの本質』(共著)など。


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●見聞録219−3 全ての作為 虚飾を捨てよ 即ちタオ=道の精神に戻れ−老荘思想(FIN)  2009年01月12日(月)


●一部加筆修正しています。 09:01:11:40
●2009年1月12日(月)

映画:レッドクリフ

●見聞録219 いま、なぜ「老荘思想」なのか

●今日の視点

「中国が、1978年経済改革の道へ踏み出した時、西側の経済学者達は、『資本主義だけが中国を救う事ができる』と言ったものである。 30年後、それらの学者達は、『中国だけが資本主義を救う事ができる』と唱えている」  

これは前回、紹介した田勢 康弘氏が 「週刊ニュース新書:テレビ東京」  12月6日の放送キャスターをつとめる 紹介された「あとがき」のコーナーで、The Economist(2008年11月15日号「世界最速の成長経済は下落を回避できるか」)から引用し紹介された一文である。

さて、昨年秋いきなり襲ってきた地球規模の大直下地震の如きアメリカ発の経済危機からの回復に、早くて3年という見方は楽観的過ぎるのではないだろうか。 その危機の源は、怪しげな「金融工学」なるマネーがマネーを生み出す「バーチャル経済」を世界に仕掛けたアメリカ資本主義の暴走という事につきるだろう。 それは実体経済の代表とも言える自動車産業を直撃しアメリカビッグ3の破綻寸前に追い込んでいる。

そして必要な時に必要な部材を手当する「カンバン方式」を駆使したトヨタ、そして薄型TVや半導体で優位の立場に有ったエレクトロニクス産業に代表される有力企業に、数量減と円高が経営を逼迫させている。 1ドル=80円台が定着するとほとんどの輸出企業が先の見えない経営環境に突入する。 グローバル展開した企業がひとたまりもないという惨状である。

そのグローバル企業が、揃って甘受した「大市場」とは、13億の人口を有しGDP毎年二桁成長の「中国」だった。

この巨大市場で利益を得ていた米欧日の受けたダメージが、冒頭の言葉「中国だけが資本主義を救う事ができる」を、逆裏付けした事になる。 皮肉にも「チェンジ」を旗印にサッソウと登場する「オバマ大統領」に、最も熱い視線を向けているのは、中国と言っても良いのではないだろうか。 もはや自国の繁栄を、米欧日に委ねていかねばならない中国でもある。 いずれ衣は変えてでも共産党支配は、否応なく「チェンジ」の波が押し寄せるだろう。

元々「世界の中心は中国である」という唯我独尊とも言える中華思想。 中国映画において過去最高額の投資が行われたと言われている三国志『レッドクリフ』を観て今更ながら感じるのは、映画制作でもハリウッドを超えたのでは?という事である。 ついでながら理屈ぬきに愉しめるエンターテーメントに徹した21世紀最高のスペクタル映画『レッドクリフ』。 4月公開のパート2が待ち遠しい。

この映画の題材となっている「三国志」に代表される様に、その歴史を辿ってもこれに勝る「大国」は、過去も現在もおそらく未来も無いであろう。  唯一衰えた「清国」の末期に、アヘン戦争でイギリスに敗北。 そして明治維新後の勢いがあった日本に破れた日清戦争。 その後の年月を「たったの100年」と見るか「100年間も」と見るか。

1945年に連合国側の一員として蘇った中国は1978年、経済改革の道へ踏み出して以来、巨大な人口をバックに世界の覇権をも視野に「大国」となったのである。 日本は、地政学的な意味でいつの時代も中国には最大の関心を向けざるを得ない定めなのである。

ここにきてアメリカ発の資本主義・市場経済主義は、結果として「あらゆるところに格差」をもたらした。 日本人だけでなく、中国の人々も西欧の人々も、その反省に起てば、「老子・荘子」が言う「老荘思想」に、今一度学ぶ事が多いのでないだろうか。

見聞録219便は 「いま、なぜ「老荘思想」なのか」としているが、最終回は林田愼之助:著 『「タオ=道」の思想』から「全ての作為 虚飾を捨てよ 即ちタオ=道の精神に戻れ」を取り上げて締めとしたい。

●見聞録219−3 全ての作為 虚飾を捨てよ 即ちタオ=道の精神に戻れ−老荘思想(FIN)

●今日の引用資料

林田愼之助:著 『「タオ=道」の思想』

◇「タオ=道」とは何か?◇

この地球上において絶える事のない戦争、そしてカネを追い求めるあまり、心を荒廃させる人々・・・。 人間によるこうした愚かな行為に、古(いにしえ)の昔より警鐘を鴉らし続けてきたのが「老子」である。

「老子」は、紀元前3世紀、中国の戦国時代に生きた思想家で上下2巻、約5000言からなる書物『老子』を著した。 「老子」が生きた戦国時代、中国では早くも文明が発達していたが、その文明は人間の社会に富める者と貧しい者を生み出した。 そして、諸侯が覇を競って戦い、全土は戦場と化したのである。

文明は、本来人間を幸福にするためにある筈なのに、かえって不幸をもたらしているのはどうしてなのか──。 こうした疑念を抱いた「老子」は、いま一度、人間本来の姿に立ち帰り、そこから人間のあり方を考え直そうとしたのである。

そして思索の結果、人間はその営みの中から作為を捨て去り、虚飾を削ぎ落とすことで大自然と一体化でき、計り知れない自然の不思議な力がそこに活かされる、と結諭づけるに至ったのである。

「老子」のこの思想の根幹をなすものが「タオ=道」で、連綿と続く宇宙という大自然の秩序を支える原理ともいうべきものである。

大自然の営みは、昼夜・四季の運行の中で、万物を生み出し、生育させ、やがて死滅に向かわせる。 そして、その後また新しい生命が生み出され、死滅へと向かう・・・。 こうして休むことなく、永遠にその営みは続いている。 この大自然の営みは、まさに「道」としか言い様がなく「自(おのず)らなる営み」のなせるわざである、と「老子」はそう考えたのである。

とはいえ「老子」は、この「道」の働きを造物主である神の営みというふうには見ていない。 何者かがそうさせているのではなく、「ひとりでにそうなっている]と捉えたのである。

そうした「道」の営みを、「無為自然(むいしぜん)」という言葉で「老子」は表している。 これは「為す無くして、自(おのず)ら然(しか)り」と読むが、ここでいう自然は、「nature]の意味の自然ではない。

「無為」とは、道の営みには全く作為がないという意味である。 すなわち「無為」と「自然」とは、「道」の営みを視点を変えて表現したものである。

「道」の営みが、無為、無作為であり、自ら然る状態の中で、万物を着実に生み、育んでいくのだから、その成果は完璧に近い。 老子はそのことを踏まえて、「無為にして、而(しか)も為さざるは莫(な)し」と言った。 つまり「無為自然でありながら、全て成し遂げてしまう」のが「道の要諦だ」というわけである。

この道の精神に立ち戻ることによって、自然と人間、人間と人間のギクシャクした関係を修復しようとしたのが老子であった。

◇万物は全て相対的な存在である◇

書物『老子』を見ると、「道」というものについて、次のような文章から説き起こし始めている。

「道の道とすべきは、常の道にあらず。 名の名とすべきは、常の名にあらず」──これが道だといえる道は、本物の道ではない。 これが名だといえる名は、本物の名ではない。

例えば、儒教の立場で、孔子が説く「仁義の道」というものにしても、それは相対的な価値観で揺れ動く道にすぎない。 それは本物の道ではないし、絶対不変の道とは言えない。

名についても同じことである。 名というものはあくまで、あるものと他のものを区別するためのもので、便宜的なものである。 例えば、天と地という名にしても、相対的な位置関係でつけられたものにすぎない。 我々の住んでいる地上から太陽や月が見えるので、これを天と呼ぶが、逆に太陽や月から地球を見れば位置は逆転し、この地が天に見えるはずである。

このように「万物は全て相対的な存在にすぎない」という考え方が「老子」の思想の中核をなしている。

「無の以(も)って用を為す」──これは、有が有として役に立つのは、その裏に無の働きがあるからである、という意味で、例えば、焼き物の容器は、その中が空っぽだからこそ、物を入れることができる。

このように形のあるものは全て、形のないものがそれを支える働きをしているからこそ役に立つ。 ものの見方によっては絶対的だと思われるものが逆転し、いつも無価値だと思われているものに価値があることは大いにあり得るのである。

では「老子」のいう絶対不変の本物の「道」とは何か?

それは、相対的な価値観に左右されるような道ではなく、天地を生み出した初めてのものである。 「元の元」になるものであり、従って本来、名など持たないのが真の「道」なのである。

そして、この道の働きの中には「往復運動」がある。 中国人の生活観には、今が幸福だからといって調子に乗ってはいけない、いつかは不幸に見舞われることがあるのだから、と戒め現在が不幸であっても、いつの日か必ず順風満帆の時が戻ってくる、という考え方がある。

あるいは春夏秋冬の四季の移り変わり、昼夜の交替を見ても、この地上の生物は、自然の中に生命を授かり、そして風化してゆくことを繰り返している。 その往復運動を行わしめている働きそのものが「道」なのである。 この霊妙な道の働きの実相を見極めることができるのは、常に無欲な人間である。 いつも欲望にとらわれて人間は、道の働きのほんの現象面に触れることしかできないのである。

●林田慎之助(ハヤシダ シンノスケ)

1932年福岡県生まれ。 九州大学大学院文学研究科博士課程修了。 九州大学文学部教授を経て、現在は神戸女子大学文学部教授。 専門は中国文学


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