●2010年8月24日(火)写真:映画「氷雪の門」の場所写真:北海道稚内市の稚内公園内にある映画「氷雪の門」九人の乙女の像●R-024便 南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開●今日のまえがき8月は、太平洋戦争終戦の月、そして甲子園の高校野球につきる。 新装なった甲子園も、戦時中は軍の施設となり内野グラウンドは芋畑だったという。 戦後65年の今年、高校野球は沖縄代表・興南高校が優勝、春夏連覇という快挙である。 満員の甲子園のスタンドの一塁側アルプス席の応援振りは、東海大相模を浮足立たせ、興南を勇気づけた。 多くの高校野球フアンの心情は、米軍基地問題の負担と犠牲を強いられている沖縄の人々に、優勝に加えて春夏連覇の歓びがもたらされれば、という思い入れが有ったと言っても良いのではないだろうか。横浜高校の渡辺 監督、帝京の前田監督という、甲子園常連の監督を解説陣に配したBs朝日のTVの中継は、圧巻だった(NHKと聞き比べした訳ではないが・・) 解説の両氏共に、4回の興南が大量7点を入れる前の回前に、東海大相模の一二三投手の入れ込み過ぎのピッチングと、硬さが取れない野手の動き、一方の興国の島袋投手の得意のストレートより変化球中心とした打たせて取る余裕のピッチングにに触れ、早い段階で興南優勢を指摘されていた。最後の一戦、実力互角の戦いは「どこまで平常心で戦えるか、が勝敗の帰趨を決する」という意味の事を、決勝戦を経験している両氏共にコメントされていた。 ピンチの4回、興国の連打が続く、孤独なマウンドで既に冷静さを欠いた一二三投手に、ベンチから一息入れる指示を入れて欲しいという指摘も有った。 だが何故か東海大相模の門馬監督は動かなかった。 門馬監督と一二三投手の間には、外からは伺い知れない「信頼関係」が有るのでは・・とコメントされていたが、終了後の門馬監督は、涙と共に「一二三投手がここまで連れて来てくれた」と彼に感謝の気持ちを語られていたのが印象的だった。 あの雰囲気では門馬監督も選手同様に平常心になりきれないのは、ヤムを得ないだろう。もう一つの夏、それは65年前の終戦。 TVで度々目にした広島・長崎への原爆、そして東京・大阪・名古屋の大都市だけではなく各地等へ、B29からの容赦ない大空襲の映像は、今更ながらおぞましい。 米軍では当初からの作戦だったと言っても過言ではない沖縄での地上戦は、向こう100年、日本本土の復興支援と引き替えに、恒久的に基地化する狙いが有ったのではないだろうか。 戦後65年経っても沖縄に負担を強いている現状を、私達は座視したまま「沖縄と基地」は今後も続く。もう一つ厄介なのは終戦日をいつと定めるか、という事である。 正式にはポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の公布は8月14日に行われ、軍への正式な停戦命令が行われたのは翌16日であった。 又、休戦が発効し日本陸海軍が連合国軍に対して正式に降伏を行ったのは、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板でポツダム宣言受諾の降伏文書(休戦協定)に調印した9月2日でる。 これにより、宣言は法的な効果を持つ。 しかし日本人の心情は、玉音放送を涙して聞いたあの日、8月15日が終戦日である。一方では1941(昭和16)年4月に日本とソ連の間で締結された中立条約(期間5年)を信じ込んだ当時の日本外交のオソマツさである。 一つ目は1940年(昭和15年)9月27日、日独伊の三国同盟は、1941(昭和16)年6月ドイツのソ連への侵攻時点で、日ソの中立条約は事実上破棄同然となっている。 そして1945(昭和20)年4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない事を日本に通達しているにも関わらず、日本は連合国からのポツダム宣言への回答を引き延ばしソ連に仲介を要請するというのが二度目のオソマツさである。ソ連は8月8日深夜に突如、対日宣戦を布告。 同9日午前零時をもって戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。 この時、ソ連の日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。 そして後日本人が心痛めるのは、50万とも70万とも言われるシベリア抑留された人達の苦難である。 更に、今尚解決の目処が立たない北方四島返還という重い問題を残している。ところで、今月の8月21日、高校野球決勝戦を「録画セット」して、急遽出かけたのは、港区の「高輪図書館」での無料企画「氷雪の門」の鑑賞の為である。 映画の舞台はサハリンと呼ばれるかつての樺太。 太平洋戦争が終結した筈の日から5日後の1945(昭和20)年8月20日、突如として樺太沿岸にソ連艦隊が現われ、真岡の町に艦砲射撃を開始。 樺太全土に婦女子の疎開命令が発令された。 しかし、緊急を告げる電話の回線、避難経路の指示など多くの人びとの命を守る為、真岡郵便局の交換手達は、職場を死守する覚悟を固めた。 猛烈な艦砲射撃に続き、ついにソ連兵が上陸、理不尽な攻撃となじってもソ連兵は手当たり次第に銃撃を開始。 その矛先は真岡郵便局へと迫る。 局長の疎開命令に心は傾くが、住民の命綱とも言える電話回線を最後まで守ろうと決意する班長を演ずるのは二木てるみ。 班長は、ここでついに観念するのである。 それは彼女が、容赦のないソ連兵の銃撃で倒れていく人々の姿を目の当たりにしたからであった。 選ぶ手段は自決しかない。 「みなさん、これが最後です。 さようなら、さようなら」。 これが最後のメッセージとなった。 最後の1本の電話回線プラグを引き抜き、電話交換手の女性9人は命を絶った。この映画には、他に懐かしいスター達が、切迫するシーンを迫真の演技が光る。 1974年の作品だが、当時ソ連からの上映中止の圧力が有ってその後お蔵入りとなっていた。今便は、今年の6月15日付けの「産経新聞」から、『南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開』と題して取り上げたい。日本列島は、南北に長い。 南の沖縄はアメリカに蹂躙?され、北の樺太含む四島はソ連に、良い様に押さえられている現実。 もし樺太から北海道に攻め入られていれば・・・。 あらためて想うのは、戦争突入というのは愚かな決断、そして戦争終結ほど、より賢明な決断を求められるという事である。●今日の引用資料◇2010年6月15日付けの「産経新聞」から◇画像:映画「氷雪の門」みなさん、これが最後です。 さようなら、さようなら(上映委員会 産経2010年6月15日より)“幻の映画”と呼ばれる「樺太1945年夏 氷雪の門」(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男)が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。 太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。 昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは「この映画は歴史の証人」と訴える。同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太1945年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作。 南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。 製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。 「反ソ映画は困る」という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画「モスクワわが愛」への配慮があったとされる。 結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。 ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。 この通信を最後に9人は服毒死を選ぶ。配給会社「太秦(うずまさ)」の小林三四郎社長は「日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。 樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。 さまざまな思いが詰まった作品」と話す。新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。 日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。 政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。 7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。●映画 『樺太1945年の夏 氷雪の門』 オフィシャルサイト 上映メイン館 シアターN渋谷 電話 03-5489-2592 渋谷区桜丘町24−4 東武富士ビル2階 上映スケジュール 地区別は、オフィシャルサイトでご確認下さい。●関連書籍 『「九人の乙女 一瞬の夏(終戦秘話)樺太・真岡郵便局電話交換手の自決』(川嶋康男著、響文社) 『永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女』 [文庫] (川嶋康男 著 河出文庫) 『九人の乙女はなぜ死んだか―樺太・真岡郵便局電話交換手集団自決の真相』 (ノンフィクションブックス) [単行本] 川嶋 康男 著) 『女たちの太平洋戦争―北の戦場 樺太で戦った乙女たちの生と死 [単行本] (谷川 美津枝 著) 『死なないで! 一九四五年真岡郵便局「九人の乙女」』 [単行本] (川嶋 康男 著), 大宮 健嗣 イラスト) 『霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち』 [DVD] 市原悦子 (出演), 香里奈 (出演) ●『新・オンリーワン見聞録 号外版』オンリーワン ゴルフを目指そう◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! ◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』
●2010年8月12日(木)写真:薩摩島津藩の象徴 桜島●R-023便 薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?●今日のまえがき韓国併合から100年になるのを機に閣議決定した内閣総理大臣談話について、民主党内、野党から異論が持ち上がっている。 解決済みの請求権が蒸し返されるという懸念をコメントする安倍元総理、久しぶりの顔見せである。 中国や北朝鮮、東南アジア諸国からも早々に「日本がおわびをしなければならないのは韓国だけではない」と、予想通りの反応である。「前時忘れざるは、後事の師」 これは1973(昭和43)年、当時の田中角栄首相に対し、今は亡き周恩来首相による過去の失敗を繰返さない様に・・というメッセージである。 外交上の言葉は後世に残る、という意味でも「お詫び」なる声明は、避けるべきだろう。先日の広島の原爆慰霊祭に米大使を出席させたのも、オバマ大統領の核廃絶というメッセージの表れであり「原爆投下の反省・お詫び」ではない。 この事は、大方の被爆者でも理解がされている。 なぜなら被爆者の願いは恩讐を超えて、同じ過ちを繰返さないように、即ち核兵器の廃絶なのだから。しかしながらアメリカの6〜7割の人が、今も原爆投下の正当性を訴えている中で、原爆慰霊祭式典終了をそこそこに、東京へ向かった米大使の立場を見ても、外交問題の複雑さを見る思いである。 数字には出ていないがアメリカ人の心の中には「核の恐ろしさ」も刻まれている筈であろう。内外の政治的思惑による反応を、事更に気にするより「靖国参拝しない全閣僚」、そして先の「内閣総理大臣談話」共に、関係国への友好姿勢を見せる効果は、それなりにあると思いたい。 どちらにしても外交問題は「複雑系」である。特に日本と朝鮮半島との関わりは、秀吉の晩年における朝鮮出兵、江戸時代の12回に及ぶ通信使の来日、明治初期の征韓論争で敗れた西郷隆盛の下野、1910(明治43)年の日韓併合な等、歴史的にも地政学的にも関係が深い。 特に薩摩島津が絡む事が多い様だ。 さて、薩摩島津の西郷隆盛の登場で「龍馬伝」も第三部と佳境に入ってきた。 いよいよ薩長連合を説く龍馬・中岡慎太郎の奔走で西郷隆盛が倒幕へ向けて薩長連合を決意する最大の山場に入った。敵対する両藩を結びつける希代の策を仕組んだ坂本龍馬と中岡慎太郎の「時代を読む眼力」。 薩長連合に傾く薩摩島津は、西郷隆盛だけで決断できる問題ではない。 藩主島津久光、藩の財政を切り盛りする家老小松帯刀の英断。 西郷隆盛と大久保利光が、幕府の長州征伐に異を唱えつつ、裏では薩摩名義で多くの銃と汽船を長州に斡旋する等の策動により、幕府軍は政治・軍事両面で弱体化へと進む。 歴史にもしもは不謹慎だが、このとき、薩摩島津が眠っていたら、と考えるだけでも身が竦む思いがよぎる。今便は、司馬遼太郎氏の著書「歴史を紀行する 司馬遼太郎」から、「薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?」と題して歴史の中で、幾度か重要な役割を果たす薩摩島津を取り上げてみたい。●今日の引用資料 司馬遼太郎:著 『歴史を紀行する新装版』◇薩摩人は日本の傑作◇「島津に暗君なし」といわれてきた。 江戸時代人もこれに感心したが、今振り返っても見事な頭脳家系で、戦国期から幕末に至るまで島津家は例外なく賢明な当主が続いた。 更に「島津に醜相なし」ともいえる。 戦国後期以後の当主の容貌については殆ど肖像画──幕末には写真──が残されているが、驚くべき事にその悉くが秀麗な目鼻だちの持主である。島津家は、既に鎌倉体制において守護大名であった。 その後戦国期になると、鎌倉期の大名の家で尚家名と国を保っているのは、織田信長の勢力伸張期にあっては武田信玄の甲州武田家のみであった。 更に江戸期になってしまえばもはや鎌倉以来の大名といえば島津家のみである。 他の大名の家は、近々一世紀以内に成り上がった出来星大名ばかりで、徳川家もその例外ではない。 しかも島津家はこれほど続きながらその家系は衰弱するどころか江戸期を通じて最大の雄藩であり、その頃の詩人をして「兵強く馬騰(あが)る」と感嘆せしめた程に兵戚が大きく、幕府頂ずらこれをおそれ遠慮した。その薩摩島津家が遂に幕府を倒した。 しかもこの家は今尚衰えず、その血液は天皇家をはじめ日本の旧貴族の間で大いに広がり、最大の大技小枝をつくって繁茂し、これについては皇族や旧華族のあいだで島津家と血縁をもつ者、姻戚関係にある家があまりに多いために、名を鹿児島湾にちなんで錦江会という親睦団体をつくり、それが旧華冑界(かゆうかい)で最大の団体になっている事でもわかる。とにかくも、治乱興亡八百年を通じて、その時期、空間の中でこれほどの隆盛さを示している家いうのは、世界中を探しても日本と英国の王家を除いては島津氏の他ないであろう。 この歴史的奇蹟奇蹟をつくりあげた薩摩人の能力を考える時、これだけで薩摩人というのは日本人の中での傑作といえるのではあるまいか。◇薩摩藩の見事な外交手腕◇幕末の1863(文久3)年の夏、それまで攘夷に凝り固まっていた薩摩藩が鹿児島湾で薩英戦争をおこし、英国艦隊の砲弾の為に鹿児島の町を焼かれた後、ヨーロッパ文明の怖るべき事を知り、180度の転換をして密かに英国と手を握り、薩摩の物産を英国商人に売る一方、英国から兵器や機械を買い入れている。遂には1867(慶応3)年、独立薩摩国としてパリの万国博にも参加(幕府にはむろん内緒だったが、現地の博覧会場で幕府側と鉢あわせをしロ諭、パリの話題になった)するほどの秘密開化藩になってしまった。秀吉との戦いにおいて日本を知り、英国との戦いから世界を知り、いずれも知っただけではなく日本機構や世界機構を百も利用してやろうという精神の積極性、その利口さ、理解力の柔軟さというのは、同時代の他の日本人には殆ど見られない。 如何に地理的条件を加算せねばならぬにせよ、豊臣政権成立前後における地方大ブロック勢力である仙台の伊達改宗、関東小田原の北条氏、中国の毛利氏、四国の長曾我部氏などが秀吉に併呑される際にとった己の始末のナマヌルサからみれば、一人薩摩島津氏のみは玉乗りの曲芸師の様に弾んでいる様である。 ’……幕末、長州藩は当時の政府である徳川幕府から征討軍を差し向けられ、下関海峡では西洋の四カ国艦隊と戦って沿岸砲台を占領されるという二重の対外体験をしている。 しかし薩摩ほど鮮やかな曲芸というものは、僅かに高杉晋作が個人芸として見せているに過ぎない。豊臣期や幕末における薩摩島津氏の転換の見事さと機を外さずに成長してゆく姿は、薩摩人がもっている固有の外交感覚と能力に帰納さるべきものであろう。 この能力が、幕末、他藩人にとっては如何に不気味なもので有ったかといえば、長州人は薩人を「※奸佞(かんねい)」であるとし、高杉晋作などは、「夷人の靴を頭にのせるとも薩摩とは手をにぎらぬ」といった事でもわかる。本稿註 ※奸佞=心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと。また、そのさま。幕末の薩摩は、長州と共に日本改造派であったが、1863(文久3)年夏には、何と佐幕派代表の会津藩と密かに手を握り、長州勢力を都から一掃してしまっているのである。 それが1866(慶応2)年には土州の坂本竜馬の仲介により倒幕の為に長州と密かに手を握り、薩長秘密同盟を仕遂げている。 もはや曲芸も至芸というべきであろう。この秘密同盟という外交の巧みさは、幕府側は屋台がくずれる瞬間まで気づかなかった事であった。 あの鋭敏な徳川慶喜さえ最後まで薩摩をどこかで頼りにしていた。 しかし外交は倫理ではない。 その技の鮮やかさに勝負の決め手がある。 ◇薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?◇徳川慶喜は、薩摩に負けたのである。 そして幕末・維新にかけての倒幕と新政府樹立という、薩摩藩の歴史上最も栄光にみちた場面になる。 この大芝居の仲間は長州藩と土佐藩であった。 が長州の革命活動はややヒステリカルであり、土佐藩の場合は藩主山内氏は動かず、関ケ原で取潰された長曾我部侍(土佐郷士)が、個人として幕末の騒乱に参加したのである。この三藩のな中で重鎮といえるのはむろん薩摩藩である。 藩内では洋式産業や洋式兵器を大規模に用意しつつ、それを動かさず、実力による無言の威圧を幕府に加えつつ革命の最後の段階──鳥羽伏見の戦い──でそれを用い、幕府軍を潰走させた。島津家の30代当主忠重氏(明治19年生)は、かつて「炉辺南国記」という回顧録を書き、その中で「もし薩摩人が昭和10年代の日本を担当していたなら太平洋戦争は起こさなかったでしょう」という意味の事を物や柔らかなな語り口で書いておられるのは、薩摩人の思考法をよく知った言葉というべきであろう。 薩摩人は思考法だけでなく、日本人の中では例外といっていいほどの豊富な体験でそれを裏打ちしていた。西南戦争以後、薩摩人におけるその集団的威力は歴史から消え、後は個人として日本に参加し、大正、昭和と続き、今は平均的日本人になってしまっている。 しかしこの桜島のみえる国には今尚、歴史の熱気──あるいは匂いか──そういうものが、海の青、山のあらしの中に立ち込めている様でもあり、そういう気体が我々旅人をしてふと日本の来し方行く末などを考えさせるのかもしれない。●司馬遼太郎(シバリョウタロウ)1923(大正12)年、大阪市に生れる。 大阪外国語学校蒙古語科卒業。 1960(昭和35)年、「梟の城」で第42回直木賞受賞。 1966(昭和41)年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。 1972(昭和47)年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。 1976(昭和51)年、日本芸術院恩賜賞受賞。 1981(昭和56)年、日本芸術院会員。 1982(昭和57)年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。 1983(昭和58)年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。 1984(昭和59)年、「街道をゆく“南蛮のみち1”」で日本文学大賞受賞。 1993(平成5)年 - 文化勲章受章。 1996(平成8)年 死去。 享年72。●『新・オンリーワン見聞録 号外版』オンリーワン ゴルフを目指そう◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! ◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』
●2010年7月6日(火)画像:各国・地域のパートナーと海外展開について説明した三木谷氏=中央。(夕刊フジ http://netallica.yahoo.co.jp/news/129539 ) ●R-018便 英語を公用語にする「ユニクロ」と「楽天」●今日のまえがき月曜夜のNHKbs「こころの遺伝子」という番組の最後では、「大リーグ」の監督をやってみたい」とつぶやいた元楽天の監督、野村さん。。 ベースボールのレベルは低いという大リーグに乗り込んで「奥の深い日本の野球」を実践してみたい、という事なのだろう。 いや一度指揮を取ってもらいたい、とも思うのだが、どっこい「英語」が話せなくては、それこそ話にもならない。反対に今年から楽天の監督に就任したのはブラウン監督。 目下の処、予想通り最下位をキープするも、審判からの「レッドカード=退場」を受けた数は、断トツの一位である。 おそらく今年限りの可能性が強いが、今にして思えば「英語」しか話せない監督招聘も、先日「英語を公用語にする」と宣言した三木谷社長の早々の「演出」という事になる。今年のWC、侍ジャパンは、胸を張っての凱旋となった。 決勝戦で引き分けというこの好成績の一つには、岡田監督と全選手との間には外から伺いしれない「良好なコミュニケーション」が取れていたのではないだろうか。 次回のWCに向けて協会は「アドバイザー」を要請すると報じられた。 外人監督の招聘が当たり前の様になっているが、今回の好成績は、この問題に一石を投じる事になるのは間違いない。いやひょっとすれば、英語が話せない選手は、代表に選ばれない、という事になるのか。 南アフリカのピッチで、堂々とコミュニケーションを取っていた日本選手に頼もしさを感じたのだが。冒頭のユニクロと楽天の「英語の公用語化」だが、時代は正にグローバル経済へまっしぐらの今日、頭からシッポまで、全員英語でコミュニケーションを取り、日常会話も英語が飛び交うそんな時代の到来である。 さて、今便は、「英語を公用語にする『ユニクロ』と『楽天』」と題して、冷泉彰彦氏の記事を取り上げたい。 掲載サイトは村上龍氏の主宰するメルマガ「JMM [JapanMailMedia] 590便 7月3日発行」からの引用である。毎回の事だが、オリジナルの文体を、本稿の責任において、敢えて「である」調に、更に文字数の関係で一部文章を割愛を致している事をおことわりしておきたい。●今日の関連資料 『JMM』:from 911/USAレポート / 冷泉 彰彦 ◇冷泉彰彦の「日本企業の英語公用語化を考える」から◇「ユニクロ」と「楽天」という、好業績を上げている著名な企業が英語を公用語にしようとしている。 このことは何を意味しているのだろうかか? また英語の公用語化というのは効果があるのだろうか? (中略)まず、組織論にせよ、マーケティングの技術にせよ、製造ノウハウにせよ、日本企業に「強み」があるのであれば、それを英語で理論化し、全世界で実践可能なノウハウとして確立しておくことは急務である。 日本の市場は今後収縮に向かうがそれは、デフレであるとか、空洞化という問題だけでなく、団塊二世が出産年齢から最終的に卒業することで、あと数年で年間出生数が70万人台に落ちてゆくという超少子化が避けて通れないからでもある。従って、世界に通用するノウハウを持っている日本企業は、好むと好まざるに関わらず海外市場に活路を求めて行かねばならない。 そのためには、今持っている強みを「強みのあるうちに」英語化しておくことが急がれると思う。 (中略)今回話題になっている、楽天やユニクロに関して言えば、それぞれに世界に通用するノウハウを持っているという自信があり、それを世界に本当に持ち込むためには「必要に応じて英語化して持ち出す」のではなく、最初からノウハウを英語化しておく方が賢明という判断になったは、当然だと思われる。第二の理由は、非英語圏への進出である。 例えば中国、例えばインドといった大市場に進出するとして、勿論日本と同じように顧客とのコミュニケーションやサービス提供は現地語で行うにしても、各国のオペレーションも現地語対応していては、効率が何重にも悪いことになる。(中略)人材面でも、例えば日中バイリンガルの人材を日本と中国に置くというコスト、そしてそもそも日中バイリンガルの人材を探す手間を考えれば、日本のオフィスも中国のオフィスも、細かなコミュニケーションから大方針の確認まで全て英語で完了する体制の方がずっと簡単である。というよりも、中国の市場に精通して中国での業務ノウハウを持った一流の人材であれば、自動的に中英バイリンガルだということも言える。 それよりも何よりも「日本語の壁があって出世できない」と思われている現状を変えなくては、本当に優秀な人材を集めるのは難しいだろう。第三の理由は、国際標準という問題である。 例えば、今回のW杯でピッチ脇のカラーパネルによる協賛広告を出すスポンサーとしては、日本勢がソニー1社になってしまい「寂しい」という声が聞かれまた。 だが、こうした現象は日本企業が「国際会計基準」にある「ブランドとは永続する価値」であり、そのブランド価値を向上させるための広告宣伝費や研究開発費は資産計上して良く、経費としては「売り上げに比例して後日計上すればいい」という思想をほとんど理解していないからなのである。今回のW杯で中国のソーラーパネル製造メーカー「英利(インリ)」が一気に世界に名前を売ったのもこのためである。一方で、日本では広告宣伝費というのは「税金対策」であるとか「固定費」といって敬遠され、不況になればどんどん削減される対象にもなっている。 自動車で現代に負け、家電で三星・LGに負けている大きな原因もこの問題である。(中略)さて、このニュースを受けて、ネット上では反対意見もずいぶん出ているようだ。 典型的なものは、「「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。」という懸念であろう。(中略)相手が間違っているにも関わらず英語が下手なので自分が不利になったという経験をはね返すためには、英語が上手になるだけでなく、胸を張って相手に対することと、中身と説得の論理を磨くことが必要である。 その能力こそ、国際社会で真っ先に必要なスキルなのである。「社長以下、上へ行けば行くほど英語が上手な会社なら上手くいくが、実際は下へ行けば行くほど上手いというのが現実で、そうであれば公用語化しても社内がギクシャクするだけ」という問題も日本企業は乗り越えていかねばならない。 日本企業の持っている「風通しの悪さ」、つまり最新の技術や市場情報を持っている現場や若手から、情報が上がって行かないという問題、あるいは「最新のネガティブ情報」が「イヤなことは聞きたくない」「お前のミスはお前が片付けろ」という幹部の怠惰な表情故に即座に伝わっていかないという問題である。(中略)特に日本語の中には「場の空気」といって、共有化されている情報は極端に省略した会話スタイルがあり、往々にして「無言の空気」が強力な同調圧力となって「異議申し立て」や「複数案の冷静な検討」が難しくなるという問題がある。 この特徴を悪用して権力を振りかざす年長者が、問題を先送りして企業を破綻に追い込む、そんな問題も、この際「英語化」を進めることが一番の対策になるのかもしれない。(中略)一つだけ言っておきたいのは、母語が日本語である同士の一対一の会話まで英語にする必要があるか、という問題についてである。 大勢の人間がいる場で「日本語の言外の空気」を振り回して異議を封じるのは権力的なコミュニケーションだが、一対一の良好な関係においては、日本語の「関係の空気」がしっかり機能することは日本語話者としては、精神のストレスを低減して自然な人間関係を構築するには必要だと思う。だが、仮に「部下から上司への異議申し立て」であるとか「専門知識の少ない管理職が、専門用語で武装した部下の企画書に感じられた危険性に必死にツッコミを入れる」といった局面では、怪しい「空気」で押し切られないようにムリにでも英語で会話してみる、その際には相手も拒否できないというような「試行」をしてみるのも面白い。とにかく、ここまで日本語「だけ」の文化を押し通して超成熟化した日本で、その行き詰まりを打開する手段として「英語」というのは、様々な効用があるのではないだろうか。楽天の内部からの「告発」として「社員食堂のメニューが英語」になり、うどんが「UDON」になっているという。 その「告発者」は、そこには「何でも英語にすれば」という追随は、経営者を「裸の王様」にしている、あるいはせめて社食ぐらい「日本語でくつろぎたい」という「違和感」を表明していた。 しかし、こうした批判にも耐えなくてはいけない、そう私は思うのである。日本独特の食べ物であればあるほど、英語で外国人に紹介して行く姿勢は必要だというのが一点、そしてビジネスだけでなく「食べ物などの雑談」つまり「人々がくつろげる時間での英会話」こそ上級編であり、ここをしっかり身につけて行かねば、人材の国際化もない。自由な話題での雑談の部分にこそ、お互いが信用するに足りる人間性を持っているかを見極める真剣勝負がかかっているわけで、その部分まで鍛えなくては戦っていけないのである。 一国の総理がG7で会話から外れてポツンとしていたなどというのは、決して許される話ではない。今週は株主総会の集中日で、企業の役員報酬の開示などもあったが、英語での経営者の「労働市場」の影響を受ける外国人役員は高額で、日本人役員とは大きな差があることが改めて浮き彫りになっていう。 日本人経営者の中で、他の経営者との国際競争の中で正当に評価されたいという人は、やはり英語でのビジネススキルを証明していかねばならないだろう。 逆に世界の水準が間違っているという主張をしたいとしても、その主張は英語でなくては世界には届かないのである。●冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』などがある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)●『新・オンリーワン見聞録 号外版』オンリーワン ゴルフを目指そう◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! ◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』
●2010年6月27日(日)画像: 【W杯】韓国と米国敗退、ウルグアイとガーナ8強へ ●R-016便 サッカーで勝利した相手国デンマークは、「幸福な国民度」ランク1位なのだ●今日のまえがきラモスが、今日正午のテレ朝「スクランブル」で「岡田ジャパンは優勝だ」と言い切った。 今年のWC決勝戦、南米勢から優勝は出るという見方が圧倒的な中、ブラジル出身の日本の元サッカー選手、サッカー指導者で未だ健在のラモスが言うと、ついその気になるではないか。 それにしても昨夜のNHKの「WC特集」は、迫力満点だった。 もちろんダイジェスト版だから「決定的シーン」のオンパレードである。 先の「全米オープン」といい、トップレベルの戦いは、世界の人々を興奮させる。それぞれの国を代表する超一流の選手達が、ここぞとばかりに瞬間の技で蹴り込んだゴールの成否で、歓喜と頭を抱え込むシーンの連続は、見る者の心を捉えてしまう。 確かに他のスポーツにはないスピード感は、たまらない。 鍛え抜かれた個人技とチーム力が噛み合ったところに、勝利の女神がほほえむのであろうう。一躍時の人となった岡田監督も、練習試合では選手にまで見事に秘策を隠し続け、本番で「最高の組織サッカー」を見せてくれた。 あの「やめろコール」を発したは人々、頭を低くして、反省しなければならない。 決勝進出で、日本中を「元気」させてくれたその功績は、民主党V字回復を遙かにしのぐ。もう一方、何と言ってもスターは、アルゼンチンのマラドーナ監督である。 不世出の天才レフティーと言われ、選手時代は神の子、カーリーヘアの天才児と呼ばれたサッカーの大スターである。 ベンチで見せる大きな選手やコーチらと背伸びしながら抱き合うシーンは、何とも明るい。 明るさと元気は兄弟である。さて、WCですっかりかすんだのがG8のサミットである。 出席している菅首相も笑顔を振りまいている様だが、肝腎の参院選挙戦が思わぬ誤算の展開となった様である。 景気対策から一転、「財政再建」へ舵を切ったサミットを意識してか、消費税を持ち出した事で、V字回復がここにきて、大きく後退、7月11日の投票は、今後の日本の行方を占う「大勝負」の時となるという。 財政再建は、論理としては正論だが、その前提条件が整っていない。 それは国民が、国=行政=霞ヶ関を全く信頼していない、という極めて情緒的な側面に、菅政権は気づいていない。 投票する人の心情は、7月11日時点の世論(日本人の習性であるところの「皆はどう考えているのか」という他律的な国民性)になびき、その行動は極めて情動的なのである。日本サッカーが最終戦で勝利をおさめたのは「デンマーク」。 この「デンマーク」は、何と「幸福な国民度」ランク1位という事をご存じだろうか。そこで、今便は記憶に新しい「デンマーク」を取り上げたい。 ちょっと紹介したい。「国家への愛情のあり方についてデンマーク人と日本人と大きな違いがあるとすれば、それは何だろうか。 自国を愛するがために、高額な納税をし、国を守るために徴兵制度を導入し、中学生や高校生から政党活動・政治活動に参加しているのがデンマーク人。 それに対し、国家を維持するために必要な施策に自ら進んで参加する人は少なく、国家の基本方針を決める国政選挙でも極端に低い投票率となる日本人・・・・」是非、下記の本文をお読み頂きたい。●今日の引用資料ケンジ・ステファン・スズキ:著 『なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか』◇国民の80%が「自分の国を愛している」と答えるデンマーク人◇デンマークで愛国心の世論調査をすると、80%以上の人びとが「自分の国を愛している」という結果が出る。 独裁国家、独立したての若い国ならともかく、長い歴史を持つデンマークでなぜ、こんな高率の数字が出るのだろうか。 でも、良く考えれば「自分の国を愛する」のはあたり前の事である。 日本でも「日本を愛していますか?」と聞いたらおそらく同じ様な結果になるだろう。もし、国家への愛情のあり方についてデンマーク人と日本人と大きな違いがあるとすれば、それは何だろうか。 「自国を愛するがために」高額な納税をし、国を守るために徴兵制度を導入し、中学生や高校生から政党活動・政治活動に参加しているのがデンマーク人。 それに対し、国家を維持するために必要な施策に自ら進んで参加する人は少なく、国家の基本方針を決める国政選挙でも極端に低い投票率となる日本人。デンマークでは、「1票を投ずるに足る人がいない」なら「自分か立候補して」国政に参加する、「税金でお互いに守り合う」「エネルギー・食料自給のために自分達に出来る事をする」「国家を守る為に国防を考える」など、「自分の国を愛している」という事が、具体的な行動になって現われる。この大きな違いは、両国の国家と国民の関係の成り立ちの経緯に由来しているのでは、ないだろうか。◇「幸福な国民度」ランク1位のデンマーク◇イギリスの社会学者アドリアン・ホワイト教授は、「幸福な国民」の定義を「健康でよい教育が保証された国に住む者」としている。 ホワイト教授は、この定義を基に様々な指標をクロスさせて、各国の「幸福な国民度」ランク付けを行ない、デンマークが1位、スイスが2位としている。又、世界銀行が発表した「全世界の統治指数」(Worldwide Govemance lndex)では、世界で最も民主主義が進んでいるのはデンマークとフィンランドであると報告している。 この調査の民主主義の指標は、「国家の運営に関する信頼に足る質の高い統計データが公表されている事」「国家の運営に国民が直接参加できる仕組みができている事」とある。この情報公開度、国家の運営に参加度が高いほど民主主義が進んだ国だとしているのである。 言い換えれば、国民の意思によって国家が運営されている、国民と政府の間の意思疎通が良い国と言う事、即ち国家との一体感がなければ「愛国心」は湧き上がりようがない、という事である。例えば、デンマークで「ある地域の介護センターの介護内容が悪い」というニュースが報道されたら、翌日には必ず社会福祉大臣が何らかのコメント、打開策を国民に示さなければならない。 マスコミが問題解決の為に国民に問題を提示したのだから、国の責任者は、それに対して解決策を求められた、と受け止められるが、それは、問題解決の為のメッセージや対策案を国民に示すのが政治家・行政官僚に課せられた職務だと考える。 様々な問題に対して国民と行政、政治がそれぞれの立場から改善のために努力をするという相互関係ができているからである。◇国政選挙の投票率が80%のデンマーク◇デンマーク人の国政に対する意識は高い。 1953年に現行の憲法が施行されて以来、国会議員選出選挙の投票率が80%を切った事はない。 小・中・高校生が国の教育問題に意見を出し、国会デモをする事も珍しくない。 子供達は、学校教育の過程で主権者として自分の意見を行動に表し、18歳で選挙権を取得した時点で国家運営への影響力となっていく。 又、各政党の青年部には10代から20代の男女が登録され、選挙運動に加わる。デンマークには常時、政治家を受け継ぐ若年層として何100人、あるいは何1000人が控えていて、その中から早ければ20代の前半から国会議員として活動する人たちが出てくるのである。◇中央政府になびかないデンマーク国民性◇デンマーク人は、中央権力に迎合しない国民性を持っている。 これは、国土が半島と島で構成されているという地理的な事情から、歴史的に中央集権国家の体制が発達しなかった為である。 そうした事から、産業界と国家との間に癒着の構造が生まれる事がなかったのである。産業界には、政治や行政とは密接な関係を持だないとする企業風土があり、行政や官僚は、産業界の存続に関し「口を出さない」し、「出せない」仕組みになっている。 業者と中央政府の役人達との密接な付き合いがないから、大企業でも首都コペンハーゲンに本社、本社工場を構えていない。 首都に本社を構えない事は、地方都市にとっても企業にとってもメリットがある。 土地の値上がりや通勤の渋滞がなく、国民経済の観点から見てもプラスである。企業の倒産と労働者の保護という点では、労働者の多くは職業別組合に加盟している。 その為、企業運営は産業横断的な組合との労使交渉によって、終始チエックを受けている。 仮に大企業が倒産しても、社会福祉政策のセイフティーネットの下で守られている労働者は生活に困らない為、社会的な混乱は起きないのである。官僚が産業界の存続について関与しないのは、企業の指導は官僚に与えられた職務ではないと考え、利権の対象、官僚の天下り先と想定していないからだろう。 その背景には、企業の存続は企業自体の責任という社会的な合意があると思われる。●ケンジ・ステファン・スズキ旧姓、鈴木健司。 S.R.A.デンマーク、「風のがっこう」代表。 1944年、岩手県生まれ。 1967年、青山学院大学中退後デンマークに渡り翌年コペンハーゲン大学政治経済学部に入学。 1971年から在デンマーク日本大使館に勤務し、その後農場経営をはじめる。 1979年デンマーク国籍を取得。 1990年中部ユトランド商科大学会計学部税法学科を卒業。同年、S.R.A.デンマークを設立。 デンマークの風力発電機、バイオマスプラントを日本に普及させる事業を手掛ける。 現在は、日本とデンマークを往復しながら様々な事業を手掛けるほか、講演活動などを精力的におこなっている。 著書に『増補版 デンマークという国 自然エネルギー先進国「風のがっこう」からのレポート』(合同出版)。●『新・オンリーワン見聞録 号外版』オンリーワン ゴルフを目指そう◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! ◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』
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