日々のビジネスや、書籍、セミナー等で啓発を受けた情報から、人として成長し続けるヒントを求め、社会全般の考察を 『個人シンクタンク』 の目線でブレンドした、読み人の心が元気になるエッセイ。

●R-024便 南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開  2010年08月24日(火)

●2010年8月24日(火)

映画「氷雪の門」の場所

写真:映画「氷雪の門」の場所

映画「氷雪の」九人の乙女の像

写真:北海道稚内市の稚内公園内にある映画「氷雪の門」九人の乙女の像

●R-024便 南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開

●今日のまえがき

8月は、太平洋戦争終戦の月、そして甲子園の高校野球につきる。 新装なった甲子園も、戦時中は軍の施設となり内野グラウンドは芋畑だったという。 戦後65年の今年、高校野球は沖縄代表・興南高校が優勝、春夏連覇という快挙である。 満員の甲子園のスタンドの一塁側アルプス席の応援振りは、東海大相模を浮足立たせ、興南を勇気づけた。 

多くの高校野球フアンの心情は、米軍基地問題の負担と犠牲を強いられている沖縄の人々に、優勝に加えて春夏連覇の歓びがもたらされれば、という思い入れが有ったと言っても良いのではないだろうか。

横浜高校の渡辺 監督、帝京の前田監督という、甲子園常連の監督を解説陣に配したBs朝日のTVの中継は、圧巻だった(NHKと聞き比べした訳ではないが・・)  解説の両氏共に、4回の興南が大量7点を入れる前の回前に、東海大相模の一二三投手の入れ込み過ぎのピッチングと、硬さが取れない野手の動き、一方の興国の島袋投手の得意のストレートより変化球中心とした打たせて取る余裕のピッチングにに触れ、早い段階で興南優勢を指摘されていた。

最後の一戦、実力互角の戦いは「どこまで平常心で戦えるか、が勝敗の帰趨を決する」という意味の事を、決勝戦を経験している両氏共にコメントされていた。 ピンチの4回、興国の連打が続く、孤独なマウンドで既に冷静さを欠いた一二三投手に、ベンチから一息入れる指示を入れて欲しいという指摘も有った。 だが何故か東海大相模の門馬監督は動かなかった。 門馬監督と一二三投手の間には、外からは伺い知れない「信頼関係」が有るのでは・・とコメントされていたが、終了後の門馬監督は、涙と共に「一二三投手がここまで連れて来てくれた」と彼に感謝の気持ちを語られていたのが印象的だった。 あの雰囲気では門馬監督も選手同様に平常心になりきれないのは、ヤムを得ないだろう。

もう一つの夏、それは65年前の終戦。 TVで度々目にした広島・長崎への原爆、そして東京・大阪・名古屋の大都市だけではなく各地等へ、B29からの容赦ない大空襲の映像は、今更ながらおぞましい。 米軍では当初からの作戦だったと言っても過言ではない沖縄での地上戦は、向こう100年、日本本土の復興支援と引き替えに、恒久的に基地化する狙いが有ったのではないだろうか。 戦後65年経っても沖縄に負担を強いている現状を、私達は座視したまま「沖縄と基地」は今後も続く。

もう一つ厄介なのは終戦日をいつと定めるか、という事である。 正式にはポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の公布は8月14日に行われ、軍への正式な停戦命令が行われたのは翌16日であった。 又、休戦が発効し日本陸海軍が連合国軍に対して正式に降伏を行ったのは、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板でポツダム宣言受諾の降伏文書(休戦協定)に調印した9月2日でる。 これにより、宣言は法的な効果を持つ。 しかし日本人の心情は、玉音放送を涙して聞いたあの日、8月15日が終戦日である。

一方では1941(昭和16)年4月に日本とソ連の間で締結された中立条約(期間5年)を信じ込んだ当時の日本外交のオソマツさである。 一つ目は1940年(昭和15年)9月27日、日独伊の三国同盟は、1941(昭和16)年6月ドイツのソ連への侵攻時点で、日ソの中立条約は事実上破棄同然となっている。 そして1945(昭和20)年4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない事を日本に通達しているにも関わらず、日本は連合国からのポツダム宣言への回答を引き延ばしソ連に仲介を要請するというのが二度目のオソマツさである。

ソ連は8月8日深夜に突如、対日宣戦を布告。 同9日午前零時をもって戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。 この時、ソ連の日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。 そして後日本人が心痛めるのは、50万とも70万とも言われるシベリア抑留された人達の苦難である。 更に、今尚解決の目処が立たない北方四島返還という重い問題を残している。

ところで、今月の8月21日、高校野球決勝戦を「録画セット」して、急遽出かけたのは、港区の「高輪図書館」での無料企画「氷雪の門」の鑑賞の為である。 映画の舞台はサハリンと呼ばれるかつての樺太。 

太平洋戦争が終結した筈の日から5日後の1945(昭和20)年8月20日、突如として樺太沿岸にソ連艦隊が現われ、真岡の町に艦砲射撃を開始。 樺太全土に婦女子の疎開命令が発令された。 しかし、緊急を告げる電話の回線、避難経路の指示など多くの人びとの命を守る為、真岡郵便局の交換手達は、職場を死守する覚悟を固めた。 猛烈な艦砲射撃に続き、ついにソ連兵が上陸、理不尽な攻撃となじってもソ連兵は手当たり次第に銃撃を開始。 その矛先は真岡郵便局へと迫る。 

局長の疎開命令に心は傾くが、住民の命綱とも言える電話回線を最後まで守ろうと決意する班長を演ずるのは二木てるみ。 班長は、ここでついに観念するのである。 それは彼女が、容赦のないソ連兵の銃撃で倒れていく人々の姿を目の当たりにしたからであった。 選ぶ手段は自決しかない。 「みなさん、これが最後です。 さようなら、さようなら」。 これが最後のメッセージとなった。 最後の1本の電話回線プラグを引き抜き、電話交換手の女性9人は命を絶った。

この映画には、他に懐かしいスター達が、切迫するシーンを迫真の演技が光る。 1974年の作品だが、当時ソ連からの上映中止の圧力が有ってその後お蔵入りとなっていた。

今便は、今年の6月15日付けの「産経新聞」から、『南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開』と題して取り上げたい。

日本列島は、南北に長い。 南の沖縄はアメリカに蹂躙?され、北の樺太含む四島はソ連に、良い様に押さえられている現実。 もし樺太から北海道に攻め入られていれば・・・。  あらためて想うのは、戦争突入というのは愚かな決断、そして戦争終結ほど、より賢明な決断を求められるという事である。

●今日の引用資料

◇2010年6月15日付けの「産経新聞」から◇

映画「氷雪の門」みなさん、これが最後です。 さようなら、さようなら(上映委員会).

画像:映画「氷雪の門」みなさん、これが最後です。 さようなら、さようなら(上映委員会 産経2010年6月15日より)

“幻の映画”と呼ばれる「樺太1945年夏 氷雪の門」(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男)が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。 太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。 昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは「この映画は歴史の証人」と訴える。

同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太1945年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作。 南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。 製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。

だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。 「反ソ映画は困る」という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画「モスクワわが愛」への配慮があったとされる。 結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。

1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。 ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。

そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。 この通信を最後に9人は服毒死を選ぶ。

配給会社「太秦(うずまさ)」の小林三四郎社長は「日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。 樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。 さまざまな思いが詰まった作品」と話す。

新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。 日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。 政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。 7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。

●映画 『樺太1945年の夏 氷雪の門』
  オフィシャルサイト
  上映メイン館  シアターN渋谷 電話 03-5489-2592 
  渋谷区桜丘町24−4 東武富士ビル2階
  上映スケジュール 
  地区別は、オフィシャルサイトでご確認下さい。

●関連書籍

 『「九人の乙女 一瞬の夏(終戦秘話)樺太・真岡郵便局電話交換手の自決』(川嶋康男著、響文社)
 『永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女』 [文庫]  (川嶋康男 著 河出文庫)
 『九人の乙女はなぜ死んだか―樺太・真岡郵便局電話交換手集団自決の真相』 (ノンフィクションブックス) [単行本] 川嶋 康男 著)
 『女たちの太平洋戦争―北の戦場 樺太で戦った乙女たちの生と死 [単行本] (谷川 美津枝 著)
 『死なないで! 一九四五年真岡郵便局「九人の乙女」』 [単行本] (川嶋 康男 著), 大宮 健嗣 イラスト)
 『霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち』 [DVD] 市原悦子 (出演), 香里奈 (出演)

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Posted at 22:23 | この記事のURL
●R-023便 薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?  2010年08月12日(木)

●2010年8月12日(木)

島津藩の象徴 桜島

写真:薩摩島津藩の象徴 桜島

●R-023便 薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?

●今日のまえがき

韓国併合から100年になるのを機に閣議決定した内閣総理大臣談話について、民主党内、野党から異論が持ち上がっている。 解決済みの請求権が蒸し返されるという懸念をコメントする安倍元総理、久しぶりの顔見せである。 中国や北朝鮮、東南アジア諸国からも早々に「日本がおわびをしなければならないのは韓国だけではない」と、予想通りの反応である。

「前時忘れざるは、後事の師」  これは1973(昭和43)年、当時の田中角栄首相に対し、今は亡き周恩来首相による過去の失敗を繰返さない様に・・というメッセージである。 外交上の言葉は後世に残る、という意味でも「お詫び」なる声明は、避けるべきだろう。

先日の広島の原爆慰霊祭に米大使を出席させたのも、オバマ大統領の核廃絶というメッセージの表れであり「原爆投下の反省・お詫び」ではない。 この事は、大方の被爆者でも理解がされている。 なぜなら被爆者の願いは恩讐を超えて、同じ過ちを繰返さないように、即ち核兵器の廃絶なのだから。

しかしながらアメリカの6〜7割の人が、今も原爆投下の正当性を訴えている中で、原爆慰霊祭式典終了をそこそこに、東京へ向かった米大使の立場を見ても、外交問題の複雑さを見る思いである。 数字には出ていないがアメリカ人の心の中には「核の恐ろしさ」も刻まれている筈であろう。

内外の政治的思惑による反応を、事更に気にするより「靖国参拝しない全閣僚」、そして先の「内閣総理大臣談話」共に、関係国への友好姿勢を見せる効果は、それなりにあると思いたい。  どちらにしても外交問題は「複雑系」である。

特に日本と朝鮮半島との関わりは、秀吉の晩年における朝鮮出兵、江戸時代の12回に及ぶ通信使の来日、明治初期の征韓論争で敗れた西郷隆盛の下野、1910(明治43)年の日韓併合な等、歴史的にも地政学的にも関係が深い。 特に薩摩島津が絡む事が多い様だ。 

さて、薩摩島津の西郷隆盛の登場で「龍馬伝」も第三部と佳境に入ってきた。 いよいよ薩長連合を説く龍馬・中岡慎太郎の奔走で西郷隆盛が倒幕へ向けて薩長連合を決意する最大の山場に入った。

敵対する両藩を結びつける希代の策を仕組んだ坂本龍馬と中岡慎太郎の「時代を読む眼力」。 薩長連合に傾く薩摩島津は、西郷隆盛だけで決断できる問題ではない。 藩主島津久光、藩の財政を切り盛りする家老小松帯刀の英断。 

西郷隆盛と大久保利光が、幕府の長州征伐に異を唱えつつ、裏では薩摩名義で多くの銃と汽船を長州に斡旋する等の策動により、幕府軍は政治・軍事両面で弱体化へと進む。 歴史にもしもは不謹慎だが、このとき、薩摩島津が眠っていたら、と考えるだけでも身が竦む思いがよぎる。

今便は、司馬遼太郎氏の著書「歴史を紀行する 司馬遼太郎」から、「薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?」と題して歴史の中で、幾度か重要な役割を果たす薩摩島津を取り上げてみたい。

●今日の引用資料

 司馬遼太郎:著 『歴史を紀行する新装版』

◇薩摩人は日本の傑作◇

「島津に暗君なし」といわれてきた。 江戸時代人もこれに感心したが、今振り返っても見事な頭脳家系で、戦国期から幕末に至るまで島津家は例外なく賢明な当主が続いた。 更に「島津に醜相なし」ともいえる。 戦国後期以後の当主の容貌については殆ど肖像画──幕末には写真──が残されているが、驚くべき事にその悉くが秀麗な目鼻だちの持主である。

島津家は、既に鎌倉体制において守護大名であった。 その後戦国期になると、鎌倉期の大名の家で尚家名と国を保っているのは、織田信長の勢力伸張期にあっては武田信玄の甲州武田家のみであった。 更に江戸期になってしまえばもはや鎌倉以来の大名といえば島津家のみである。 

他の大名の家は、近々一世紀以内に成り上がった出来星大名ばかりで、徳川家もその例外ではない。 しかも島津家はこれほど続きながらその家系は衰弱するどころか江戸期を通じて最大の雄藩であり、その頃の詩人をして「兵強く馬騰(あが)る」と感嘆せしめた程に兵戚が大きく、幕府頂ずらこれをおそれ遠慮した。

その薩摩島津家が遂に幕府を倒した。 しかもこの家は今尚衰えず、その血液は天皇家をはじめ日本の旧貴族の間で大いに広がり、最大の大技小枝をつくって繁茂し、これについては皇族や旧華族のあいだで島津家と血縁をもつ者、姻戚関係にある家があまりに多いために、名を鹿児島湾にちなんで錦江会という親睦団体をつくり、それが旧華冑界(かゆうかい)で最大の団体になっている事でもわかる。

とにかくも、治乱興亡八百年を通じて、その時期、空間の中でこれほどの隆盛さを示している家いうのは、世界中を探しても日本と英国の王家を除いては島津氏の他ないであろう。 この歴史的奇蹟奇蹟をつくりあげた薩摩人の能力を考える時、これだけで薩摩人というのは日本人の中での傑作といえるのではあるまいか。

◇薩摩藩の見事な外交手腕◇

幕末の1863(文久3)年の夏、それまで攘夷に凝り固まっていた薩摩藩が鹿児島湾で薩英戦争をおこし、英国艦隊の砲弾の為に鹿児島の町を焼かれた後、ヨーロッパ文明の怖るべき事を知り、180度の転換をして密かに英国と手を握り、薩摩の物産を英国商人に売る一方、英国から兵器や機械を買い入れている。

遂には1867(慶応3)年、独立薩摩国としてパリの万国博にも参加(幕府にはむろん内緒だったが、現地の博覧会場で幕府側と鉢あわせをしロ諭、パリの話題になった)するほどの秘密開化藩になってしまった。

秀吉との戦いにおいて日本を知り、英国との戦いから世界を知り、いずれも知っただけではなく日本機構や世界機構を百も利用してやろうという精神の積極性、その利口さ、理解力の柔軟さというのは、同時代の他の日本人には殆ど見られない。 如何に地理的条件を加算せねばならぬにせよ、豊臣政権成立前後における地方大ブロック勢力である仙台の伊達改宗、関東小田原の北条氏、中国の毛利氏、四国の長曾我部氏などが秀吉に併呑される際にとった己の始末のナマヌルサからみれば、一人薩摩島津氏のみは玉乗りの曲芸師の様に弾んでいる様である。                     ’……

幕末、長州藩は当時の政府である徳川幕府から征討軍を差し向けられ、下関海峡では西洋の四カ国艦隊と戦って沿岸砲台を占領されるという二重の対外体験をしている。 しかし薩摩ほど鮮やかな曲芸というものは、僅かに高杉晋作が個人芸として見せているに過ぎない。

豊臣期や幕末における薩摩島津氏の転換の見事さと機を外さずに成長してゆく姿は、薩摩人がもっている固有の外交感覚と能力に帰納さるべきものであろう。 この能力が、幕末、他藩人にとっては如何に不気味なもので有ったかといえば、長州人は薩人を「※奸佞(かんねい)」であるとし、高杉晋作などは、「夷人の靴を頭にのせるとも薩摩とは手をにぎらぬ」といった事でもわかる。

本稿註 ※奸佞=心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと。また、そのさま。

幕末の薩摩は、長州と共に日本改造派であったが、1863(文久3)年夏には、何と佐幕派代表の会津藩と密かに手を握り、長州勢力を都から一掃してしまっているのである。 それが1866(慶応2)年には土州の坂本竜馬の仲介により倒幕の為に長州と密かに手を握り、薩長秘密同盟を仕遂げている。 もはや曲芸も至芸というべきであろう。

この秘密同盟という外交の巧みさは、幕府側は屋台がくずれる瞬間まで気づかなかった事であった。 あの鋭敏な徳川慶喜さえ最後まで薩摩をどこかで頼りにしていた。 しかし外交は倫理ではない。 その技の鮮やかさに勝負の決め手がある。 

◇薩摩人が指導者だったら太平洋戦争は起こさなかった?◇

徳川慶喜は、薩摩に負けたのである。 そして幕末・維新にかけての倒幕と新政府樹立という、薩摩藩の歴史上最も栄光にみちた場面になる。 この大芝居の仲間は長州藩と土佐藩であった。 が長州の革命活動はややヒステリカルであり、土佐藩の場合は藩主山内氏は動かず、関ケ原で取潰された長曾我部侍(土佐郷士)が、個人として幕末の騒乱に参加したのである。

この三藩のな中で重鎮といえるのはむろん薩摩藩である。 藩内では洋式産業や洋式兵器を大規模に用意しつつ、それを動かさず、実力による無言の威圧を幕府に加えつつ革命の最後の段階──鳥羽伏見の戦い──でそれを用い、幕府軍を潰走させた。

島津家の30代当主忠重氏(明治19年生)は、かつて「炉辺南国記」という回顧録を書き、その中で「もし薩摩人が昭和10年代の日本を担当していたなら太平洋戦争は起こさなかったでしょう」という意味の事を物や柔らかなな語り口で書いておられるのは、薩摩人の思考法をよく知った言葉というべきであろう。 薩摩人は思考法だけでなく、日本人の中では例外といっていいほどの豊富な体験でそれを裏打ちしていた。

西南戦争以後、薩摩人におけるその集団的威力は歴史から消え、後は個人として日本に参加し、大正、昭和と続き、今は平均的日本人になってしまっている。 しかしこの桜島のみえる国には今尚、歴史の熱気──あるいは匂いか──そういうものが、海の青、山のあらしの中に立ち込めている様でもあり、そういう気体が我々旅人をしてふと日本の来し方行く末などを考えさせるのかもしれない。

●司馬遼太郎(シバリョウタロウ)

1923(大正12)年、大阪市に生れる。 大阪外国語学校蒙古語科卒業。 1960(昭和35)年、「梟の城」で第42回直木賞受賞。 1966(昭和41)年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。 1972(昭和47)年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。 1976(昭和51)年、日本芸術院恩賜賞受賞。 1981(昭和56)年、日本芸術院会員。 1982(昭和57)年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。 1983(昭和58)年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。 1984(昭和59)年、「街道をゆく“南蛮のみち1”」で日本文学大賞受賞。 1993(平成5)年 - 文化勲章受章。 1996(平成8)年 死去。 享年72。

●『新・オンリーワン見聞録 号外版』
オンリーワン ゴルフを目指そう


◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! 

◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!

◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』

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●R-022便 サムスンに見る表の競争力・裏の競争力  2010年08月04日(水)
●2010年8月4日(水)

『危機の経営』 表紙

写真:『危機の経営』 表紙

●R-022便 サムスンに見る表の競争力・裏の競争力

●今日のまえがき

7月30日開催の「日本元気塾セミナーin根津美術館 伝統と現代の融和を求める旅」といタイトルで根津美術館 理事長兼館長の根津公一さん、新装された根津美術館の設計をされた隈研吾 (建築家)さん、そしてモデレーターとして日本元気塾塾長/一橋大学教授の米倉誠一郎さん、お三方の鼎談を拝聴した。

近年改装される美術館は、殆どLEDと思われるが、ここ根津美術館の展示ケース内も含めて、コンピューターシュミレーションに基づいて紀元前4000年前の美術展示品が全てLEDでにより完璧な温度と照度制御されている。 館長の根津公一さんは、これから100年後まで維持できる様にと、隈研吾さんに設計をお願いしたという。 建築とエレクトロニクスの最新の技術と紀元前4000年前の美術品の融合、その意味でもこの根津美術館の持つ意味はきい。

これらの話題を、モデレーター役の米倉誠一郎さんは、ビジネスという視点で根津美術館に見る日本の卓越した技術の高さを激賞されていたのが、興味深い。

その中で、日本のモノヅクリにも話が及んだが、中でも「何故、日立や三菱が冷蔵庫や洗濯機を造るのか? 日本はもっと選択と集中すべき」とう指摘があった。  

先日来、新聞報道では、パナソニックがパナソニック電工と三洋電機を完全子会社化を進めるという。 限りなく「総合電機メーカー」として巨大化する事で、サムスンを追い上げる腹づもりの様である。 これは選択と集中とは異なる戦略である。 果たしてこの流れは、先の「サムスン一人勝ち」に、対する有効な「戦略」なのだろうか。 思い出すのは「何故、2番ではダメなのですか?」というあのフレーズである。 

サムスンは、むしろ、韓国のハイレベルな国策としての象徴である。 韓国の電機メーカーはサムスンとLGの2社、韓国国内は殆ど無競争である。 しかしながら、単なる絞り込みではなく、商圏を世界に広げて、尚も2社で展開する為に、法人税は極めて低くすなど、国営企業と言っても良い「超国家戦略」の一環という視点で見ると分りやすい。

先進技術に敢えて拘らずに、新興市場、BRICs相手にする戦略、すなわち「マーケテイング」重視の戦略が、見事に功を奏したというべきだろう。

この隣国の国家戦略を横目に、日本はどう立ち向かうのか、この処の民主党「政策」でも見えてこない。 企業のグローバル化競争という視点でのライバルは韓国である。 北朝鮮問題を議論している間に、グローバル企業のマップは一変した。 今回、取り上げる「危機の経営」によれば、サムスンの転機は1997年とある。 僅か13年なのである。

日本が経済発展した後のこの20年、成熟と停滞から抜け出せない日本は、これから10年20年の「国の在り方」が、問われているのだが、連日のTVや新聞を見る限り、この議論はない。

今朝の新聞によれば、「シャープ、中東で生産委託。 液晶TV、エジプトなどでアジア以外も開拓」とある。 地産地消に舵を変えたシャープ。 携帯電話でトップを行くシャープも世界でのシェアは一ケタという現状だが、しかし、世界標準に沿って進めるサムスン、一方高機能な携帯で中国市場を開拓するシャープが、近い将来、スマートフオンも含めて世界で優位なポジションを確保できる事も夢ではない。 なぜなら、後進国の辿る経済発展の道筋は、かって日本が辿った道筋といえはしまいか。

本稿の指摘は、以下の本文で言うところの「裏の競争力」が、モノを言う時代がくるという見方である。

●今日の引用資料

畑村洋太郎 吉川良三 共著:『危機の経営』 サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション

◇「表の競争力」と「裏の競争力」◇

企業の競争力には、大きく分けると「表の競争力」と「裏の競争力」がる。 表の競争力というのは、デザインや価格など消費者から見て一目瞭然でわかる部分での競争力である。 「売れている」という情報や広告を含めてブランド名も、表の競争力の一つといえる。

一方、「裏の競争力」というのは、品質やそれを支える生産方式や企業体質の様な、消費者からは全く見えない競争力といえる。 日本のものづくりは、「裏の競争力」に関しては今でも間違いなく世界でトップクラスである。 例えば、必要なものを必要な時に必要な量だけ生産するトヨタのカンバン方式などは、ものづくりを行う世界中の企業から大きな注目を集めている。 また性能や機能を高めようとする技術力でも世界一である。

こうした日本の企業の生産方式や技術力に学んで、何とかそのエッセンスだけでも取り入れようと頑張っている企業は世界に沢山ある。 但し、それによって本家の日本以上の大きな成果を出している企業は皆無であるのが現実である。 これらの多くの企業と同じく、かつてはサムスンも日本に積極的に学んでい頃の業績は決してよくなかった。 

同じ土俵で戦っている限りは、どんなに頑張った処で、日本の企業に勝てるはずはないサムスンは、ある時期から日本追従型の経営を完全にやめたのである。 それはグループの存続さえ危ぶまれた1997年のIMF危機の直後に、サムスンが選んだのが、消費者からよく見える「表の競争力」で勝負する道であった。

極めて賢明な選択をしたサムスンは、戦う市場を変えるだけではなく、日本の企業とはあえて別の道を選択し、表の競争力を前面に出して勝負し、その結果、世界の市場で大きな飛躍を遂げる事ができたのである。

一方で、日本の企業の多くは、相も変わらず今でも消費者からよく見えない「裏の競争力」での勝負を続けている。 これでは本当の意味でグローバル時代に対応しているとはいえないのである。 現在、「表の競争力」による勝負が展開されている新興市場の代表はBRICsである。

ブラジル、ロシア、インド、中国には巨大な消費市場ができつつありますが、これらの国々で販売されている家電品の九割程度は、サムスンやLGなど韓国メーカーによって占められており、巨大な新興市場において、日本は他国の企業の独占状態を許しているわけである。

これらの国々の消費者の中には、ソニーやパナソニックなど「名前も知らない」という人が多い。 これが将来有望とされている新興市場の現実の姿である。 もちろん、これら新興市場で売られているのは、日本製品に比べると、まだあまり品質がよくない低価格の製品ばかりである。 今の段階では薄利多売で利益を上げるしかないので、日本の企業は進出し難いという事となのであろう。

しかし、この状態を放置する事は、将来に大きな悪影響を及ぼす危険が大きい。 というのも、BRICsの人たちが将来的に豊かになった時に日本製のものを選ぶとは限らない。 これは日本の企業にとって非常に危うい状態である。

九割のシェアの影響は大きく、その状態が長く続くと、それこそ「テレビといえばサムスンかLG」といった意識が消費者の間に根づいてしまう。 そうなると彼らが将来、より豊かになった時に選ぶのは、それまで慣れ親しんできたメーカーの高級品という事になるだろう。 

◇サムスンの弱み、日本企業の強み

尤もこうしたサムスンの戦い方は、決して他を圧倒するような横綱相撲ではない。 ものづくりの力に関していえば、未だに日本の企業は世界で抜きんでた能力を有しており、アナログものづくりの時代に日本の企業が徹底して鍛えてきた力は、それほどまでに絶大なものである。

そのため世界中が、日本企業に何とか対抗しようと、「日本流」に学んだり、あるいは全く別のやり方を生み出したりしてきたのである。 サムスンの場合、それは日本とは別の道を行く独自の戦略構築という方向に向かい、グローバル化という大きな時代の流れと、アナログものづくりからデジタルものづくりへという大きな環境の変化を、トップがきちんと読んで舵を切ったからである。

三流企業から脱却して世界の一流企業の仲間入りを果たしたサムスンの成功が今後も続くかというと、それは定かではない。 今は安価でそこそこの製品に飛びついている新興国の消費者も、かつての日本がそうであったように、市場が成熟してくると、求める商品も、より高品質のものになるはずである。

そうなると、すでにブランドカで日本より有利にあるサムスンやLGではなく、日本製を選択する消費者も増えるかもしれない。 又、今でこそ、ベンチマーク方式で遅れをとる中国などのメーカーが、サムスンのマネをしてどんどん新興国市場に入ってくるかもしれない。

サムスンの今迄の戦略は、基礎体力(裏の競争力)で劣る者が、頭をうまく使う事(表の競争力)でその欠点をカバーし、戦いを有利に進めてきたといえる。 逆にいうと、仮に強籾な基礎体力を持つ者が同じように頭を使って勝負を始めたり、同じように基礎体力で劣る者がマネをした時には、一転して窮地に立だされてしまったりという危うさがある。

サムスンもその事はわかっていて、基礎体力を強化する方向では優位性を保つ事ができないので、だからこそブランドカをもっとあげようとしたり、頭で勝負する為の次の戦略づくりにも余念がないわけである。

一方、サムスンが怖れている強籾な基礎体力こそ日本の企業の強みである。 この優位性を活かして、しっかりとした戦略を構築した上でグローバル時代への対応を始めたら、世界の競争の中で生き残っていく事は決して難しくはない。 日本の企業は、自らがそれほど優れたポテンシャルを秘めている事を自覚すべきである。

●畑村洋太郎(ハタムラヨウタロウ)

1941年東京生まれ。 東京大学工学部機械工学科修士課程修了。 東京大学大学院工学系研究科教授を経て工学院大学グローバルエンジニアリング学部機械創造工学科特別専任教授。 東京大学名誉教授。 工学博士。 専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学。 ナノ・マイクロ加工学。 1994〜2003年、サムスン役員就任。 2001年より畑村創造工学研究所を主宰

●吉川良三(ヨシカワリョウゾウ)

1940年生まれ。 1964年日立製作所に入社後、ソフトウエア開発に従事。 CAD/CAMに関する論文を多数発表し、日本能率協会専任講師を務めるなど日本のCAD/CAMに貢献した。 1989年に日本鋼管(現JFEホールディングス)エレクトロニクス本部開発部長として次世代CAD/CAMシステムを開発。 1994年から韓国三星(サムスン)電子常務としてCAD/CAMを中心とした開発革新業務を推進。 帰国後、2004年より東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センターにて日本のものづくりの方向性について研究

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●R-021便 身体、脳に革命!「ゆるめる」身体学」とは?  2010年07月26日(月)
●2010年7月26日(月)

NHK「中田英寿の見たWC

写真:NHK「中田英寿の見たWC (放送画面から)

●R-021便 身体、脳に革命!「ゆるめる」身体学」とは?

●今日のまえがき

V字回復という世論調査が出ると、すっかり「参院選挙は過半数を確保」デキル気分となり、全く眼前の戦いに、思いが巡らず、「固まってしまった」菅さん。 次の展開を可能な限り予測し、あらゆるケースを想定して、慎重に手を打たなければならない筈なのに、、「消費税」をぶち上げ更には極楽トンボの如き発言を繰り返す様な体たらくは、実に嘆かわしい。

野党時代では、得意の攻めダルマと畏れられた菅さんも、一国のリーダーになる資質には、ほど遠いという事が露わになってしまった。 この御仁を「長期政権の主」と見立てた本稿としては慚愧に堪えない。 ましてや「党に迷惑をかけた」と言うに及んでは、論外である。 「政治の不安定が数年続く」事態をもたらし、「国民にとって不幸な結果」となった罪は、実に大きい。

頭脳と身体を、意図的に「柔らかく」するには、どうすれば良いのか。 そんな思いの時に出会ったのが、今回紹介する「高岡英夫氏の著作、『「ゆるめる」身体学』である。

この書、新書に見られる様な、軽い「読み物」ではない。 「ゆるむ」ということを実践、研究、啓蒙されているが、「はじめに」では次の様な書き出しから始まっている。 

「あなたは、本当の自分に出あっていない。 (中略) 本当のあなたは、どう考えたって今のあなたより、はるかに身も心も軽くしなやかで、目の前は明るく、頭は冴え、肩は軽快で、緊張する場面をリラックスして乗りきっていける人であるはずだ。 今のあなたがそうでないのは、あなたをそう成長させないようにさせた、生後1年間の「マイナスの成長」があったからだ。 いわばあなたは、すでに1歳になる前に本当のあなたになりがたく育つように、逆方向に条件づけられていたともいえるのだ。 そのマイナスの条件を取り除くには、それは「ゆるむ」こと、行為としていえば「ゆるめる」事である。 「ゆるめる」効果は、深く広い健康効果、身体運動からメンタル面にわたる高能力化、脳のピークパフオーマンス化に及ぶ。

とある。
 
そこで、今便は、この書から「日本のサッカー」を例に、「中田はなぜ引退を決意したのか」の項を引用し、「「ゆるめる」身体学」の一端を取り上げたい。 発刊されたのが今年4月なので、前回のWCを前提に描かれている事を付記したい。

ところで、昨日のNHKTVで「中田英寿が見たワールドカップ」が、放映されたので、ご覧になられた方も多いだろう。  

・パス成功率  60%(全32チーム中、日本は最下位)
・一試合平均ゴール数 11.5 (決勝16チーム中、日本は15位)

ボール支配率は、4戦全て50%を割るというデータからも分る通り、中田英寿をして「日本は、守備的な戦いだった」と言わしめた。 そして番組の最後で「やはり、ピッチに立ちたい、という気持ちがこみ上げる」とコメントしていたのが印象的だった。 やはり中田英寿の引退は「燃え尽きての引退」ではなかった様である。 「ゆるめる」身体学」の奥は、深い。

この書の巻末に「代表的な ゆる体操」が、図解入で紹介されているので、頭脳と身体を、意図的に「柔らかく」したい向きには、必携の書である。

●今日の引用資料


高岡英夫:著 『「ゆるめる」身体学』

◇中田はなぜ引退を決意したのか◇

中田がドイツ大会の直後、引退を表明した。 これについて、「早すぎる」という声が随分あがった。  一方その4年前の日韓大会では、ケガでボロボロだったジダンが、ドイツ大会に34歳で大復活を遂げ、フランスチームの偉大なる牽引車として、八面六臂の活躍をした。 

ジダンの姿は、いかにも若々しいスポーツ選手の身体と比べれば、やはり衰えていた。 しかし、そのジダンが見事な身体運動を発揮していく様に、多くの方が感動された事と思う。  識者の中には、彼が高齢にしてなおかつあれだけの活躍ができるという事に感動して、高齢化社会との関連を想起させる発言をした人もいたくらいだ。

その事を考えると、中田選手が29歳で引退というのは、年齢的に早すぎる、まだできるのではないか、となる。 ジダンの例をあげるまでもなく、最近のスポーツの世界では30歳代から40歳代へのトレーニング方法が確立されてきた成果で、実際に選手生命が長くなっている。

プロ野球の工藤公康投手の活躍などを見れば明らかだし、大リーグでは40代で活躍する選手はたくさんいる。  もう一つ「早すぎる」という声があがっている背景に、中田は引退するほど活躍していないのではないか、という見方もある。 あまり表立っては報道されていないが、裏ではそのように思っていた人は相当いたのではないだろうか。  実際に、この様な意見は中田ファンを含めて何人もの人から聞いた。

マスコミは、中田がイタリアのペルージャ等で大活躍していた様に報道していた。  しかし本当の処は、ヨーロッパ水準で見れば彼は二流選手だった。  日本代表の中心選手として、三回のワールドカップを率いてきた事は確かである。  しかし、世界水準で見れば、まだ何もやっていない。  だから、その意味で「早すぎる」といわれるのも、仕方がないといえるだろう。

では、なぜ中田は引退を決意したのか。  みなさんは中田が余力を持って引退した様に見えるだろうか。 あるいはかなり追いつめられて憔悴しきって引退していった様に見えるだろか。 実はここに真実を解く鍵があるのだ。

◇中田の「自分の身体との戦い」◇

実は、中田はこの当時の日本代表の中でも、かなり「固まっている」ほうの選手なのだ。 ゆるみ度でいえば、小野伸二、中村俊輔、稲本潤一、川口能活に比べると、だいぶ劣る。 にもかかわらず、中田はいまあげた選手達と同じか、それ以上に活躍してきた。 なぜ、そのような事が可能だったのか?

本当に固まってしまえば、サッカーもできない。 いくらサッカーが好きでも、会社の同好会でする草サッカーくらいしかできないだろう。 それでもケガはしやすいし、疲労しやすい。 だから、試合に出てもすぐに途中退場したり、最後まで頑張りとおせても、翌日の仕事に影響する。 そして、奥さんから「あなた、もうサッカーやめたほうがいいんじやない?」といわれたりする。

中田は、日本代表になる様な選手だから、当然ながら、そこまで固まってはいない。 普通の人と比べれば、当然ゆるんでいる方である。 だが日本のトップクラスの選手の中では「固まっている」方なのだ。

にもかかわらず、彼があそこまで活躍できたのは、彼が他の選手以上に技術的、戦術的なトレーニングを積み、知識を高め、一生懸命ものを考え、更に動きにくい身体を叱咤激励して、正に精神力でもって身体を動かしてきたからである。 そして、それを支えたのが、壮大な根性だったのだ。

より固まっている身体を活動させるには、より大きな精神力、根性が必要である。 しかし、その結果、精神的にも肉休的にも、大きな疲労が発生する。 ここまでお話しすると、勘の鋭い方は結論が見えてくるだろう。 つまり、中田は一生懸命戦ってきたのだ。

何と? 日本の他の選手達がだらしないから、それと戦ってきた?  それもあるだろうが、 肝心な事は、そうではない。 彼が戦ってきた最大のものは、硬くて動きにくい自分自身の身体だったのである。 それとの戦いを彼は必死になってやってきたのだ。

それを支える精神力は大変なものだった筈である。 その結果、他の選手とは比べられないほど、肉体的にも精神的にも疲れてしまった。 そして、彼はその事実にも気づいていないし、それを取り除く方法も知らなかっただろうから、その疲れが蓄積され続けたのである。

この事が見えてくると、彼の引退は決して早すぎるとはいえない。 むしろ当然すぎるくらいの引退なのだ。 ブラジル戦の後の、憔悴しきった彼の姿がそれを物語っている。 では、なぜ、ジダンは34歳にしてあそこまで精神的にも肉体的にも活躍できたのか。

それは彼の身体が「ゆるんでいた」からである。 「ゆるんでいる身体」は自分の邪魔をしないから、とてつもない根性を発揮しなくても動いてくれる。 ゆえに精神的にも肉体的にも、それほど疲労を生みださないし、蓄積もしないのだ。

◇国際的に通用するには◇

では中田と比べると、ゆるんでいる中村俊輔、小野伸二、稲本潤一は、なぜ中田以上の活躍をしていないのか。 それは彼らが中田ほどには必死の努力をしてきていないからだろう。 中田には、彼らのその点が惜しいと見えていたのではないだろうか。

中村、小野、稲本は、ゆるむ事において、日本レベルでは天才ではないけれど準天才といっていいだろう。 その様な選手はその能力があるがゆえに、徹底した努力なしに日本ではトップになれるから、海外でたいした活躍をしなくても、日本では超一流として華やかにもてはやされる。

その事が惜しいと思う。 中田もそう思っていた筈である。 中田は頭の鋭い人間だから、この三選手に対して「良いものを持っているな」と感じていただろう。 「彼らが本気で打ちこんだら、自分以上の存在になれるのに」と内心思っていた筈である。 この辺に、日本のスポーツ選手のみならず、若者をはじめとしたあらゆる人達をどのように育て、鍛え、能力を開発していったらいいのかを考えるうえでの鍵が、隠されているように思う。

「固まっている」人達は、なんとかその固まった身体と心を動かすために、必死になって根性で頑張っている。 その一方で、「ゆるんでいる」人達は、ゆるんでいる事に甘えて、必死の努力はあまりしないという図式が、かいま見えるのだ。

膨大な精神力を発揮し、固まった身体を叱咤激励して動かしても、たいした結果は出ない。 日本レベルでは一流、トップになれるだろうが国際的には本当には通用しない。 今は多くの分野で国際化が進む時代だから、国際化が進んだ分野では国際的に通用しなければ、本当に通用した事にならないのである。

一方、ゆるんでいても、それに甘えて必死の努力を注ぎ込まなければ、日本レベルではトップクラスになれるが、やはり国際的には通用しないのである。 では、国際的に通用するにはどうしたらいいのか。  答えは明らかだ。 ゆるんでいる人間が、必死な努力を重ね続ける事である。

固まっている身体を叱咤激励して頑張っている人は、まず徹底的に「ゆるむ努力」から始める事である。 これ以外に、解決策はない。

●高岡英夫(タカオカヒデオ)

運動科学者、「ゆる」開発者。 運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。 東京大学卒業後、同大学大学院教育学研究科を修了。 東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、人間の高度能力と身体意識の研究にたずさわる。 オリンピック選手などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」などを開発

●『新・オンリーワン見聞録 号外版』
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●R-020便 頂点を目指す石川親子に必要な『メンタルモデル』とは!  2010年07月19日(月)
●2010年7月19日(月)──誤記入部分修正済み──

全英オープンに優勝したルイ・ウェストヘーゼン

写真:全英オープンを制した優勝したルイ・ウェストヘーゼン( http://www.sanspo.com/golf/photos/100719/gla1007190914007-p1.htm )

●R-020便 頂点を目指す石川親子に必要な『メンタルモデル』とは!

●今日のまえがき

18番ホールでパットをはずし、優勝を逃したとは言え、ワトソンの驚異的な復活に興奮した昨年の「全英オープン」に比べれば、最終組が3日目2位のケーシーと馴染み少ないペアとなったの事で、今ひとつ盛り上がりが欠けていたと思える今年の「全英オープン」。

さて、優勝したのは、ビッグトーナメントではなじみない、南アフリカのウェストヘーゼン。 単独2位に滑り込んだの英国のウエストウッド。 個人的には、タイガーの復活、ミケルソン、そして石川遼がどこまで順位をのばせるか、に当然期待しつつ、密かに応援していたのは、英国のウエストウッドである。 何故か運に恵まれず、「メジャーに勝てないビッグネーム」英国のウエストウッドの成績を「ウィキぺディア」から引用すると、

「ウエストウッドの世界4大メジャー大会の主な成績は、2010年のマスターズ2位、全英オープン2位、2008年の全米オープン3位などがある。 2010年のマスターズでは、3日目まで首位をキープしていたが、最終日にフィル・ミケルソンに逆転されてメジャータイトル獲得を逃してしまった。」とある。

いかなる場面でも、淡々とショットを続けるそのプレーぶりに、心惹かれるのである。 そのスイングは、アマチュアの目で見ても、非常に参考になる教科書通りのフオームと言えよう。

さて、中継で解説していた青木功プロも、舌を巻いていたのが、優勝した南アフリカのウェストヘーゼンの落ち着いたプレー振りであった。 兄弟全てがテニスプレイヤーという中で、一人プロゴルフアーのウェストヘーゼン。 スポーツ一家として試合に臨む「メンタルモデル」が殊の他、醸成されていた、と思えるのである。

確かに、先のウエストウッド以上に、優勝したウェストヘーゼンのプレーは、冷静沈着を絵に描いたような「落ち着いた」ショットの連続で有った。 勝負処で見られる「乾坤一擲」のショットを放ち、ギャラリーを唸らせ魅了する様なビッグネームのプレー振りとは、異なる「新しいタイプ」のヒーロー登場という事かもしれない。

何せ、セントアンドルーズ・オールドコース(7305ヤード、パー72)は、神が造った言われ「ゴルフコースの原型」である。 青木功の解説によれば、あらゆるショットを打ち分ける技を持たなければ、4日間通じて好成績は残せ無いという。 なかんずく深いラフ、背丈を超えるポットバンカー、広く且つ平坦な面が殆どないグリーン。 「全てのショットはパターの延長である」を見事に言い表した様なコースである。

アプローチは、殆ど「パター」という様に、アメリカツアーの戦いとは、大きく異なる。 心も持ちようが、露わになるゲームの最たるスポーツが「ゴルフ」、そして「パッテイング」である。 それが故にプロのハイレベルな戦いから、アマチュア、果てはヘボゴルフアーまで、老若男女を問わず共通のルールと、定まった規格のクラブを使って、それぞれのレベルで挑戦でき、その技(テクニック)もさることながら、心の持ちよう、見事に結果に表れる。

タイガーが、結果を残せないのは何故か。 多くの人々の共通の思いは、やはり一連の不祥事のしこりが「氷解」仕切れていない事による、と思われる。 その極限は「パッテイング」に如実に表れる。 それが証拠にタイガーの3パットは二ケタを超えた様である。

一方、石川遼のコメントは「どんな状況でも、常にアグレッシブに打っていける根性というか、そういうものはこれからの大きな課題です」と語ったという。 飛ばす事が一番であれば、アマチュアと一緒ではないか。

そこで今便は、石川遼親子に捧げる意味でヨーラム・ウインド /コリン・クルック:著 高遠裕子:訳「インポッシブル・シンキング」から 「頂点を目指す石川親子に必要な『メンタルモデル』とは!」を取り上げたい。

南アフリカのウェストヘーゼン、2位の英国のケーシー、3位も同じ英国のウエストウッドに見られる様な「沈着冷静」なメンタルモデルこそ、石川遼が目指すべきゴルフではないのか。

 「アグレッシブ」とか「根性」とか、何とかの一つ覚えの様なフレーズは、プロには必須のフレーズでは無い。 石川親子には、頂点を目指すプロゴルフアーに必要な「メンタルモデルとは何か」を、追い求める事が、最も重要な課題である、思うのである。

●今日の引用資料

・ヨーラム・ウインド /コリン・クルック:著 高遠裕子:訳 インポッシブル・シンキング

頂点を目指す石川親子に必要な『メンタルモデル』とは!

1954年迄、1マイル走で4分を切る事は、人間の力を超えたこと、達成不可能な事だった。 4分を切るのは、肉体的に不可能だと考えられていた。

「1マイルで4分を切る事が、アスリートの目標であり、長年の夢だった」とイギリスの陸上選手、ロジャー・バニスターは記している。 選手は1マイルを3分台で走るのはとうてい不可能であり、どんな選手でも無理だと考えていた」。

だが、それは幻想にすぎない。 1954年5月、オックスフォード大学のトラックでバニスターがこの壁を破り、1マイルを3分59秒4で走ったのだ。 ところが、このバニスターの「1マイル走の奇跡」は、その2ヵ月後、バニスターのライバルで、オーストラリア人のジョン・ランディがフィンランドで3分58秒を出し、破られた。

その後の3年間に、バニスターの記録を破った選手は16人にも上った。 この3年間に何が起きたのか。人類の進化が突如として速まった訳ではない。 遺伝子工学実験で、新種のスーパーランナーが誕生した訳でもない。 人間の基本的な能力が変わった訳でもない。 

「メンタルモデル」が変わったのである。 それ迄の選手は、1マイルで4分は切れないという「メンタルモデル」に縛られていた。 だが、その壁が破られた時、「それ迄、できないと思っていた事ができる」と考える人達が、あらわれのである。

進歩を止める事もあれば、加速する事もある、というこの様な「メンタルモデル」は、どこから来るのか。 この事例では、有力選手の問に能力に関する常識があった。 多くの人達が1マイルは4分が限界だと考えていたが、ロジャー・バニスターだけは違っていて、そこに留まっていなかったのである。 

第1に、4分を切るのは可能だと信じていた事。 第2に、当時、オックスフォード大学の医学部の学生で、後に神経学者になったバニスターは、トレーニングに科学的手法を持ち込んでいた。 自分のコンディションを科学的に観察し、トレーニング法を科学的なものにし、1回一回のレースが実験だった。 

要因が多過ぎるので、レースの条件を全く同じにする事はできない。 「同じ様な科学実験をしても、全く同じ結果が出ないのと同じだ」とバニスターは、プロのコーチよりも自分自身のコンディションや選手仲間の感想を重視したのである。 

「陸上競技は、トレーニングのアイデアを出し合う中で発展する。 走りが良くなるかどうかは、アスリート自身のたゆまない鍛錬にかかっている。 レースやトレーニングでの調子をしっかり観察し、それを判断する事が何より重要だ。 これは自分自身で学ぶしかない」

バニスターは、スピードを強化する為の新しいトレーニング法を編み出した。 2分間の休憩を挟んで、4分の1マイルを4回走る事にした。 記録会に向けたトレーニングでは、4分の1マイルのスプリントを61秒迄縮めたが、そこから伸び悩んだ。 そこで数日間、トレーニングは休み、ハイキングやロック・クライミングに出かけ、帰ってきて走ってみると、59秒台が出たのである。

バニスターのトレーニング法は、肉体と同等に精神面のコンディションを重視するものである。 「メンタルなアプローチは何より重要だ。 精神力には限界がないのだから。 このエネルギーは、正しい心の持ち様によって生まれる」とバニスターは書いている。

自らの「メンタルモデル」に縛られ、1マイルで4分の壁を突破できなかった選手達が続々と、バニスターがつくり出した新たな「メンタルモデル」によって解放され、壁を突破できた様に、「メンタルモデル」は限界を設ける事もあれば、可能性の世界を広げる事もある。

バニスターの課題は「メンタルモデル」を認識し、限界を試し続ける事だったのである。 だが同時に、メンタルモデルのうちで変える事のできる柔らかい肉質の部分と、その下にある現実という骨格とを、きっちり分けて考えなくてはならない。

1マイルを4分台を切れたからといって、1マイルを1分台で走れる訳ではない。 たとえ適切なメンタルモデルを侍ったとしても、である。 だが4分を切った事で、新たな可能性が開けたのは確かである。

我々は、日常における仕事やプライベートの中で、「1マイルで4分を切れる」のに、その可能性に気づいていない事が、有りはしないだろうか。 「メンタルモデル」は、どの様に各人の可能性の世界を広げたり、狭めたりしているのだろうか。

(註:1マイル=1.6km。 中距離走の1500m走は、国際大会においてそれまでの「1マイル走」に代わるものとして始められたものである。 多くの陸上競技用トラックは1周400mである為、1500m走は4周と4分の3で競われる。 (「ウィキペディア」より)

●ウィンド,ヨーラム・“ジェリー”(Wind,Yoram“Jerry”)

ペンシルベニア大学ウォートン・スクールのローダー冠講座教授(マーケティング)。 ウォートン・フェローズ・プログラムおよびウォートン・スクールのシンクタンク、SEIセンターの創立責任者。 世界的なマーケティングの権威。 著書は20冊以上、マーケティング関連の主要な賞を数多く受賞。 フォーチュン500社や米国以外の多国籍企業、政府の他、金融サービスから消費財メーカーまで幅広い業種のベンチャー企業に助言を行なっている

●クルック,コリン(Crook,Colin

ペンシルベニア大学ウォートン・スクールのシニア・フェロー。レイン・キャピタルのアドバイザリー・ボード・メンバー。『Emergence』誌の編集委員。数多くの学会やアドバイザリー・グループの委員に名を連ね、各国の政府や企業に助言を行なっている。英国王立工学アカデミー会員、シティコープで最高技術責任者を務めた

●高遠裕子(タカトオユウコ)

翻訳家

●『新・オンリーワン見聞録 号外版』
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●R-019便 三浦朱門の「『イワンの馬鹿』の教訓」  2010年07月10日(土)
●2010年7月10日(土)

野球賭博問題で謝罪する武蔵川理事長

写真:賭博問題で記者会見、謝罪する日本相撲協会の武蔵川理事長
( http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010061501000291.html から )
 
●R-019便 三浦朱門の「『イワンの馬鹿』の教訓」

●今日のまえがき

今月三日、東京経済大学で催された学術講演に参加した。 講師は三浦朱門さん。 今年84歳とご高齢だが、堂々たる姿勢で語られた90分間は、実に示唆に富んだ講演だった。 タイトルは「不老の精神」。 同名の著書も発刊(2009年)されている。 

近々この事について取り上げるが、今便は、この処の目に余る社会現象の主たる要因が、「企業の利益を最優先とし、その一点に集中する合理性追求が、ひいては人々の心をむしばんで行くのでは・・」という視点で、同氏の著書『お金で買える人生 買えない人生』から「三浦朱門の、『イワンの馬鹿』の教訓」と題して取り上げたい。

連日マスコミが集中砲火を浴びせているのが、野球賭博で揺れている大相撲。 そして自らの戦術失敗が露わになった菅民主党へのバッシングである。 世論という支持率なる数字も、ほぼTVや新聞の報道姿勢とリンクする。

大相撲が「国技」なるが故に、という事なのか、NHKの中継中止、野球賭博に手を染めた親方・大関を、角界から追放という事態は、過剰反応、過剰対応ではないだろうか。

今をときめくFIFA・WCに限らず、メジャー、マイナーにを問わずあらゆる「スポーツビジネス」にこの種の「賭け」はツキモノである。

洋の東西を問わず国家権力、警察力を持ってしても「特殊な世界」が未だ、社会から一掃し切れていないのも現実である。

「清き水に魚棲まず」 お互い清濁併せ持つこの社会を認め合いながら、日々まずは個々に我が身を正す努力から始まる、と思うのである。 マスコミや知識人の人達に、自らの人生で一点の過ちもない生き方をしてきたのか、問い言いたい。

一方で、霞ヶ関の浪費(「独法」へ湯水のごとく流れる税金の使途)は、トータルで300兆円とも言われているが、この事には、深く追求しないマスコミ。 政治不信を煽りながら、日本を動かしている行政不信への切り込みはタブーなのか。

組織を運営する事をなりわいとする人々に、恥ずかしげもなく正義面して糾弾し、世論という見えない声を煽り、ヒステリックな報道を増幅させるマスコミや知識人に、嫌悪感すら覚える昨今である。

見えないペン(今ではキーボード?)を振り回す社会現象が、目立ち始めたのは、いつ頃からだろうか。 この処目立つ「幼い命を自ら絶つ」という悲劇等の例は、大人社会の「弱いモノいじめ」「集団による袋叩き」の、反映と思われて仕方がない。

バブルが膨らんだ1980年頃から、社会全体に人間不信が芽生え「挙げ足取り」がそこここに根付き始めた様な気がしてならないのである。 その予兆となるのが1974年、文藝春秋誌による角栄糾弾記事からと見ている。

それはさておき、企業でもパワーハラスメントが日常化している現象も肌で感じるだけに、社会全体が程度の差は有っても「パワーハラスメント」が充満している事を、危惧せざるを得ない。

マイクとペンを持てば、何をしても良い、と思える高邁な態度を取る記者も、一企業人である。 会社では「上司」からの「パワーハラスメント」、向かう先では「弱者へのパワーハラスメント」を振り回す、この様なすさんだ日常から、我々は貴重な「何か?」を失ってはいないだろうか。  

だが、三浦朱門さんは指摘する。 「今、世の中を動かしているの30〜60歳の現役世代の人達が、それぞれの部署でかっての高度成長時代とは異なる苦しい運営を強いられているシステムは、60〜90歳の私達が残した負の遺産である事を忘れてはいけない。

今日、年金生活を謳歌している人も、それほどでない人も、責任を共有しなければならない」と厳しいが、的を得た指摘である。 そして今30歳以下の子供世代に、そのツケは及ぶと言うのである。

坂本龍馬の「日本を洗濯するぜよ」ならぬ、我々自身の「心の洗濯」が必要だと、痛感させられた三浦朱門さんの講演だった。 

さて、明日11日の参議院選挙の結果、マスコミが報じる世論通りとなるのか、国民の審判が下る。 結果は複雑な政治局面へ及ぶ事になるだろう。 翌12日のWC決勝戦と、眠れない日曜は深夜に及ぶ。

●今日の引用資料

三浦朱門:著 『お金で買える人生買えない人生』
 
ロシアの民話の主人公は大体がイワンという架空の人物で、「イワンの馬鹿」という話がいくらでもある。 その一つに次のような話がある。

イワンは王様から言われた。 「馬で一日走って、その蹄(ひずめ)の跡に囲まれた土地を、お前のものとして与えよう。 但しそれは日の出から日没迄の間でなければならない」 

イワンは、王様の見ている前で日の出を待った。 太陽が東の地平線から顔を出すとイワンは王様をはじめ、お偉い方々の声援を耳にしながら、愛馬に鞭うって西に向かって走りだした。

いくらも走らないのに、早くも日が高く登ってしまう。 土地を貰うには、日没迄に王様のところに帰りつかねばならない。 そして土地はできるなら四角いものにしたい。 それでイワンは太陽が中天に高く、ほとんど昼近くなると、しぶしぶ馬を南に向けた。

太陽は天の高みに暫く止まっているように見えたが、今度はどんどん低くなってゆく。 危ない、このままでは王様のところまで帰りつけない。 午後というよりも夕方の気配が感じられるころ、イワンは馬首を東に向けた。 はじめは見えなかった自分と馬の影が前の方に見えるようになった。 

それだけ日が西に傾いたのである。 どんどん影が長くなってゆく。 もう限界だ、この辺で諦めないと、王様のところ迄は帰りつけない。 イワンは仕方なく馬を北に向ける。 左を見ると太陽はかなり地平線に近づいている。 ついさっきまでは太陽の光の色は明るくて、色など感じなかったのに、今や太陽の光は明らかに、オレンジ色に変わってきた。 これが赤い夕日になるのはもうすぐだ。

必死で馬に鞭うつが、馬も朝からの奮闘で息が上がり、足どりにも疲労が見える。 必死で馬を走らせる。 馬は頭を振り立て、口を空にむけて大きく喘ぐ。 がまんしろ、今夜はゆっくり休ませて、腹一杯うまいものを食わせてやるから。 遥か彼方の丘の上に王様と従者の群れが見える。

しかしついに太陽の下の端が、地平線にかかった。 もう西の空は夕焼けで真っ赤に染まり、先程まで白かった雲も、黄金に輝きはじめた。 後一息、あの丘に辿りつきさえすれは、オレもいよいよ大地主だ。

しかし丘の上りにかかると馬の速度はにわかに落ちていった。 必死で鞭をいれる。 太陽は地平の下に沈んでゆき、王様の髭がハッキリと見えるようになったところで、太陽の最後の弧が線になり、点になり、ついに消えてしまった。 後には壮大な夕焼けが残る。

「それまでだ。 お前は一日走りつづけたが、馬の蹄の跡は線にはなったが、面を作る事はできなかったな」と王様は言い、臣下をつれて丘を降りてゆく。 丘の上には、残照と、草の上に座りこんだイワンと、疲れきり、泡になった汗で全身真っ白になった馬が残った。

◇鞭うたれて走り続けるか◇

この話は欲張りの戒めであるが、また、同時に全ての人の宿命を暗示しているようでもある。 つまり人は必死になって生きてゆく。 子供の頃は塾に通って、良い高校、良い大学に進学しようとする。 そして少しでも良いと言われる大企業に就職しようとする。 志望を達成してみると、会社は強力なライバルで一杯でグズグズぐずぐずしていられない。

こういう状況は「イワンの馬鹿」の馬が、鞭うたれて走るのと同じだ。 (中略)
バカを見たくなければ、最初から大地主になろうなどとは考えない事である。 日の出とともに馬を歩かせ、適当なところで馬を南に、東に西にむけて、昼前に王様のいる丘の上に戻る。

「欲のない男だな、お前も。 それだけでよいのか」 「はい、ここで女房を相手に二人で食うくらいの麦を作り野菜を育て、鶏を飼えば、肉と卵も取れますし・・・」

◇馬を必死で走らせない生き方もある◇

シーズンオフのリゾートホテルで、庭仕事に雇われながら、詩を書いている人がいるとしよう。 「何も東大を出ているのに、庭師なんかにならなくとも」と彼は一族に言われながらも、物質的、社会的に不遇である間は、杜子春の生活を送れる。 ただ詩人として世にもてはやされて、大新聞の嘱託になり、大学の教授になったりすれば、たちまちタダの人になってしまう。

もう一つの生き方は、最初から馬を走らせない生き方である。 所詮、この人生は未完成なものだ、と諦めた人生である。 大きかろうと、また小さかろうと、まとまった地所などを囲みこもうと思わずに、馬にまたがって草原を行くことそれ自体に満足を見いだそう、という人生である。

これは、合理性や経済性を頭から否定するのでは無いにしても、かといって肯定する生き方でもない。 同期の者、同僚達はどんどん馬を急がせて彼を追い抜いてゆくであろう。 それに些かも心を乱さず、草むらの花を愛で、一筋の川の流れに映る空の色に、胸をおどらせる人生だ。

イワンが馬を走らせて獲得しようとしたのは、この場合は土地だが、それが金であっても同じである。 土地や金を超越する価値は何かというと、私はそれを時間だと思う。

広大な土地を我がものとする充足感、あるいは巨万の富の上に座っているという自信。 それとは別に、自分の死に至るまで続く静かな時間の流れを我がものとして生きる、一秒、一秒の流れを昧わうのは、内容の濃い人生というものであると思う。 そのような生き方は動物は考えもしないし、人間だけに与えられた生き方、その意味では、それこそが本当の「人生」ということができるのではないだろうか。

●三浦朱門

作家。1926年東京生まれ。 東京大学文学部言語学科卒。日本大学芸術学部で教職を務めながら、第15次「新思潮」に加わり、1951年『冥府山水図』で文壇にデビュー。 遠藤周作、小島信夫、安岡章太郎、吉行淳之介らとともに第三の新人と呼ばれる。 1967年、『箱庭』で新潮文学賞受賞。 1982年、『武蔵野インディアン』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1985〜1986年文化庁長官に就任。 1999年、第14回産経正論大賞受賞、文化功労者にも選ばれる。 日本文芸家協会理事長などを務め、現在、日本芸術院院長、民間放送教育協会会長。 妻は作家の曽野綾子。夫婦ともに、カトリックの信者として知られる


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●R-018便 英語を公用語にする「ユニクロ」と「楽天」  2010年07月06日(火)

●2010年7月6日(火)

楽天も英語“公用語化”.

画像:各国・地域のパートナーと海外展開について説明した三木谷氏=中央。
(夕刊フジ  http://netallica.yahoo.co.jp/news/129539 )
 
●R-018便 英語を公用語にする「ユニクロ」と「楽天」

●今日のまえがき

月曜夜のNHKbs「こころの遺伝子」という番組の最後では、「大リーグ」の監督をやってみたい」とつぶやいた元楽天の監督、野村さん。。 ベースボールのレベルは低いという大リーグに乗り込んで「奥の深い日本の野球」を実践してみたい、という事なのだろう。 いや一度指揮を取ってもらいたい、とも思うのだが、どっこい「英語」が話せなくては、それこそ話にもならない。

反対に今年から楽天の監督に就任したのはブラウン監督。 目下の処、予想通り最下位をキープするも、審判からの「レッドカード=退場」を受けた数は、断トツの一位である。 おそらく今年限りの可能性が強いが、今にして思えば「英語」しか話せない監督招聘も、先日「英語を公用語にする」と宣言した三木谷社長の早々の「演出」という事になる。

今年のWC、侍ジャパンは、胸を張っての凱旋となった。 決勝戦で引き分けというこの好成績の一つには、岡田監督と全選手との間には外から伺いしれない「良好なコミュニケーション」が取れていたのではないだろうか。 次回のWCに向けて協会は「アドバイザー」を要請すると報じられた。 外人監督の招聘が当たり前の様になっているが、今回の好成績は、この問題に一石を投じる事になるのは間違いない。

いやひょっとすれば、英語が話せない選手は、代表に選ばれない、という事になるのか。 南アフリカのピッチで、堂々とコミュニケーションを取っていた日本選手に頼もしさを感じたのだが。

冒頭のユニクロと楽天の「英語の公用語化」だが、時代は正にグローバル経済へまっしぐらの今日、頭からシッポまで、全員英語でコミュニケーションを取り、日常会話も英語が飛び交うそんな時代の到来である。

さて、今便は、「英語を公用語にする『ユニクロ』と『楽天』」と題して、冷泉彰彦氏の記事を取り上げたい。 掲載サイトは村上龍氏の主宰するメルマガ「JMM [JapanMailMedia] 590便 7月3日発行」からの引用である。

毎回の事だが、オリジナルの文体を、本稿の責任において、敢えて「である」調に、更に文字数の関係で一部文章を割愛を致している事をおことわりしておきたい。

●今日の関連資料
  『JMM』:from 911/USAレポート / 冷泉 彰彦
 
◇冷泉彰彦の「日本企業の英語公用語化を考える」から◇

「ユニクロ」と「楽天」という、好業績を上げている著名な企業が英語を公用語にしようとしている。 このことは何を意味しているのだろうかか?  また英語の公用語化というのは効果があるのだろうか? (中略)

まず、組織論にせよ、マーケティングの技術にせよ、製造ノウハウにせよ、日本企業に「強み」があるのであれば、それを英語で理論化し、全世界で実践可能なノウハウとして確立しておくことは急務である。 日本の市場は今後収縮に向かうがそれは、デフレであるとか、空洞化という問題だけでなく、団塊二世が出産年齢から最終的に卒業することで、あと数年で年間出生数が70万人台に落ちてゆくという超少子化が避けて通れないからでもある。

従って、世界に通用するノウハウを持っている日本企業は、好むと好まざるに関わらず海外市場に活路を求めて行かねばならない。 そのためには、今持っている強みを「強みのあるうちに」英語化しておくことが急がれると思う。 (中略)

今回話題になっている、楽天やユニクロに関して言えば、それぞれに世界に通用するノウハウを持っているという自信があり、それを世界に本当に持ち込むためには「必要に応じて英語化して持ち出す」のではなく、最初からノウハウを英語化しておく方が賢明という判断になったは、当然だと思われる。

第二の理由は、非英語圏への進出である。 例えば中国、例えばインドといった大市場に進出するとして、勿論日本と同じように顧客とのコミュニケーションやサービス提供は現地語で行うにしても、各国のオペレーションも現地語対応していては、効率が何重にも悪いことになる。(中略)

人材面でも、例えば日中バイリンガルの人材を日本と中国に置くというコスト、そしてそもそも日中バイリンガルの人材を探す手間を考えれば、日本のオフィスも中国のオフィスも、細かなコミュニケーションから大方針の確認まで全て英語で完了する体制の方がずっと簡単である。

というよりも、中国の市場に精通して中国での業務ノウハウを持った一流の人材であれば、自動的に中英バイリンガルだということも言える。 それよりも何よりも「日本語の壁があって出世できない」と思われている現状を変えなくては、本当に優秀な人材を集めるのは難しいだろう。

第三の理由は、国際標準という問題である。 例えば、今回のW杯でピッチ脇のカラーパネルによる協賛広告を出すスポンサーとしては、日本勢がソニー1社になってしまい「寂しい」という声が聞かれまた。 だが、こうした現象は日本企業が「国際会計基準」にある「ブランドとは永続する価値」であり、そのブランド価値を向上させるための広告宣伝費や研究開発費は資産計上して良く、経費としては「売り上げに比例して後日計上すればいい」という思想をほとんど理解していないからなのである。

今回のW杯で中国のソーラーパネル製造メーカー「英利(インリ)」が一気に世界に名前を売ったのもこのためである。

一方で、日本では広告宣伝費というのは「税金対策」であるとか「固定費」といって敬遠され、不況になればどんどん削減される対象にもなっている。 自動車で現代に負け、家電で三星・LGに負けている大きな原因もこの問題である。(中略)

さて、このニュースを受けて、ネット上では反対意見もずいぶん出ているようだ。 典型的なものは、「「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。」という懸念であろう。(中略)

相手が間違っているにも関わらず英語が下手なので自分が不利になったという経験をはね返すためには、英語が上手になるだけでなく、胸を張って相手に対することと、中身と説得の論理を磨くことが必要である。 その能力こそ、国際社会で真っ先に必要なスキルなのである。

「社長以下、上へ行けば行くほど英語が上手な会社なら上手くいくが、実際は下へ行けば行くほど上手いというのが現実で、そうであれば公用語化しても社内がギクシャクするだけ」という問題も日本企業は乗り越えていかねばならない。 

日本企業の持っている「風通しの悪さ」、つまり最新の技術や市場情報を持っている現場や若手から、情報が上がって行かないという問題、あるいは「最新のネガティブ情報」が「イヤなことは聞きたくない」「お前のミスはお前が片付けろ」という幹部の怠惰な表情故に即座に伝わっていかないという問題である。(中略)

特に日本語の中には「場の空気」といって、共有化されている情報は極端に省略した会話スタイルがあり、往々にして「無言の空気」が強力な同調圧力となって「異議申し立て」や「複数案の冷静な検討」が難しくなるという問題がある。 この特徴を悪用して権力を振りかざす年長者が、問題を先送りして企業を破綻に追い込む、そんな問題も、この際「英語化」を進めることが一番の対策になるのかもしれない。(中略)

一つだけ言っておきたいのは、母語が日本語である同士の一対一の会話まで英語にする必要があるか、という問題についてである。 大勢の人間がいる場で「日本語の言外の空気」を振り回して異議を封じるのは権力的なコミュニケーションだが、一対一の良好な関係においては、日本語の「関係の空気」がしっかり機能することは日本語話者としては、精神のストレスを低減して自然な人間関係を構築するには必要だと思う。

だが、仮に「部下から上司への異議申し立て」であるとか「専門知識の少ない管理職が、専門用語で武装した部下の企画書に感じられた危険性に必死にツッコミを入れる」といった局面では、怪しい「空気」で押し切られないようにムリにでも英語で会話してみる、その際には相手も拒否できないというような「試行」をしてみるのも面白い。

とにかく、ここまで日本語「だけ」の文化を押し通して超成熟化した日本で、その行き詰まりを打開する手段として「英語」というのは、様々な効用があるのではないだろうか。

楽天の内部からの「告発」として「社員食堂のメニューが英語」になり、うどんが「UDON」になっているという。 その「告発者」は、そこには「何でも英語にすれば」という追随は、経営者を「裸の王様」にしている、あるいはせめて社食ぐらい「日本語でくつろぎたい」という「違和感」を表明していた。 しかし、こうした批判にも耐えなくてはいけない、そう私は思うのである。

日本独特の食べ物であればあるほど、英語で外国人に紹介して行く姿勢は必要だというのが一点、そしてビジネスだけでなく「食べ物などの雑談」つまり「人々がくつろげる時間での英会話」こそ上級編であり、ここをしっかり身につけて行かねば、人材の国際化もない。

自由な話題での雑談の部分にこそ、お互いが信用するに足りる人間性を持っているかを見極める真剣勝負がかかっているわけで、その部分まで鍛えなくては戦っていけないのである。 一国の総理がG7で会話から外れてポツンとしていたなどというのは、決して許される話ではない。

今週は株主総会の集中日で、企業の役員報酬の開示などもあったが、英語での経営者の「労働市場」の影響を受ける外国人役員は高額で、日本人役員とは大きな差があることが改めて浮き彫りになっていう。 日本人経営者の中で、他の経営者との国際競争の中で正当に評価されたいという人は、やはり英語でのビジネススキルを証明していかねばならないだろう。 逆に世界の水準が間違っているという主張をしたいとしても、その主張は英語でなくては世界には届かないのである。

●冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)

作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』などがある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)

●『新・オンリーワン見聞録 号外版』
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●R-017便 サッカーで勝利した相手国デンマークは、「幸福な国民度」ランク1位なのだ  2010年06月27日(日)

●2010年6月27日(日)

南アフリカのガーナ、大国アメリカに勝利しベスト8へ

画像: 【W杯】韓国と米国敗退、ウルグアイとガーナ8強へ  

●R-016便 サッカーで勝利した相手国デンマークは、「幸福な国民度」ランク1位なのだ

●今日のまえがき

ラモスが、今日正午のテレ朝「スクランブル」で「岡田ジャパンは優勝だ」と言い切った。 今年のWC決勝戦、南米勢から優勝は出るという見方が圧倒的な中、ブラジル出身の日本の元サッカー選手、サッカー指導者で未だ健在のラモスが言うと、ついその気になるではないか。 

それにしても昨夜のNHKの「WC特集」は、迫力満点だった。 もちろんダイジェスト版だから「決定的シーン」のオンパレードである。 先の「全米オープン」といい、トップレベルの戦いは、世界の人々を興奮させる。

それぞれの国を代表する超一流の選手達が、ここぞとばかりに瞬間の技で蹴り込んだゴールの成否で、歓喜と頭を抱え込むシーンの連続は、見る者の心を捉えてしまう。 確かに他のスポーツにはないスピード感は、たまらない。 鍛え抜かれた個人技とチーム力が噛み合ったところに、勝利の女神がほほえむのであろうう。

一躍時の人となった岡田監督も、練習試合では選手にまで見事に秘策を隠し続け、本番で「最高の組織サッカー」を見せてくれた。 あの「やめろコール」を発したは人々、頭を低くして、反省しなければならない。 決勝進出で、日本中を「元気」させてくれたその功績は、民主党V字回復を遙かにしのぐ。

もう一方、何と言ってもスターは、アルゼンチンのマラドーナ監督である。 不世出の天才レフティーと言われ、選手時代は神の子、カーリーヘアの天才児と呼ばれたサッカーの大スターである。 ベンチで見せる大きな選手やコーチらと背伸びしながら抱き合うシーンは、何とも明るい。 明るさと元気は兄弟である。

さて、WCですっかりかすんだのがG8のサミットである。 出席している菅首相も笑顔を振りまいている様だが、肝腎の参院選挙戦が思わぬ誤算の展開となった様である。 景気対策から一転、「財政再建」へ舵を切ったサミットを意識してか、消費税を持ち出した事で、V字回復がここにきて、大きく後退、7月11日の投票は、今後の日本の行方を占う「大勝負」の時となるという。 

財政再建は、論理としては正論だが、その前提条件が整っていない。 それは国民が、国=行政=霞ヶ関を全く信頼していない、という極めて情緒的な側面に、菅政権は気づいていない。 投票する人の心情は、7月11日時点の世論(日本人の習性であるところの「皆はどう考えているのか」という他律的な国民性)になびき、その行動は極めて情動的なのである。

日本サッカーが最終戦で勝利をおさめたのは「デンマーク」。 この「デンマーク」は、何と「幸福な国民度」ランク1位という事をご存じだろうか。

そこで、今便は記憶に新しい「デンマーク」を取り上げたい。 ちょっと紹介したい。

「国家への愛情のあり方についてデンマーク人と日本人と大きな違いがあるとすれば、それは何だろうか。 自国を愛するがために、高額な納税をし、国を守るために徴兵制度を導入し、中学生や高校生から政党活動・政治活動に参加しているのがデンマーク人。 それに対し、国家を維持するために必要な施策に自ら進んで参加する人は少なく、国家の基本方針を決める国政選挙でも極端に低い投票率となる日本人・・・・」

是非、下記の本文をお読み頂きたい。

●今日の引用資料

ケンジ・ステファン・スズキ:著 『なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか』

◇国民の80%が「自分の国を愛している」と答えるデンマーク人◇

デンマークで愛国心の世論調査をすると、80%以上の人びとが「自分の国を愛している」という結果が出る。 独裁国家、独立したての若い国ならともかく、長い歴史を持つデンマークでなぜ、こんな高率の数字が出るのだろうか。 でも、良く考えれば「自分の国を愛する」のはあたり前の事である。 日本でも「日本を愛していますか?」と聞いたらおそらく同じ様な結果になるだろう。

もし、国家への愛情のあり方についてデンマーク人と日本人と大きな違いがあるとすれば、それは何だろうか。 「自国を愛するがために」高額な納税をし、国を守るために徴兵制度を導入し、中学生や高校生から政党活動・政治活動に参加しているのがデンマーク人。 それに対し、国家を維持するために必要な施策に自ら進んで参加する人は少なく、国家の基本方針を決める国政選挙でも極端に低い投票率となる日本人。

デンマークでは、「1票を投ずるに足る人がいない」なら「自分か立候補して」国政に参加する、「税金でお互いに守り合う」「エネルギー・食料自給のために自分達に出来る事をする」「国家を守る為に国防を考える」など、「自分の国を愛している」という事が、具体的な行動になって現われる。

この大きな違いは、両国の国家と国民の関係の成り立ちの経緯に由来しているのでは、ないだろうか。

◇「幸福な国民度」ランク1位のデンマーク◇

イギリスの社会学者アドリアン・ホワイト教授は、「幸福な国民」の定義を「健康でよい教育が保証された国に住む者」としている。 ホワイト教授は、この定義を基に様々な指標をクロスさせて、各国の「幸福な国民度」ランク付けを行ない、デンマークが1位、スイスが2位としている。

又、世界銀行が発表した「全世界の統治指数」(Worldwide Govemance lndex)では、世界で最も民主主義が進んでいるのはデンマークとフィンランドであると報告している。 この調査の民主主義の指標は、「国家の運営に関する信頼に足る質の高い統計データが公表されている事」「国家の運営に国民が直接参加できる仕組みができている事」とある。

この情報公開度、国家の運営に参加度が高いほど民主主義が進んだ国だとしているのである。 言い換えれば、国民の意思によって国家が運営されている、国民と政府の間の意思疎通が良い国と言う事、即ち国家との一体感がなければ「愛国心」は湧き上がりようがない、という事である。

例えば、デンマークで「ある地域の介護センターの介護内容が悪い」というニュースが報道されたら、翌日には必ず社会福祉大臣が何らかのコメント、打開策を国民に示さなければならない。 マスコミが問題解決の為に国民に問題を提示したのだから、国の責任者は、それに対して解決策を求められた、と受け止められるが、それは、問題解決の為のメッセージや対策案を国民に示すのが政治家・行政官僚に課せられた職務だと考える。 様々な問題に対して国民と行政、政治がそれぞれの立場から改善のために努力をするという相互関係ができているからである。

◇国政選挙の投票率が80%のデンマーク◇

デンマーク人の国政に対する意識は高い。 1953年に現行の憲法が施行されて以来、国会議員選出選挙の投票率が80%を切った事はない。 小・中・高校生が国の教育問題に意見を出し、国会デモをする事も珍しくない。 子供達は、学校教育の過程で主権者として自分の意見を行動に表し、18歳で選挙権を取得した時点で国家運営への影響力となっていく。 又、各政党の青年部には10代から20代の男女が登録され、選挙運動に加わる。

デンマークには常時、政治家を受け継ぐ若年層として何100人、あるいは何1000人が控えていて、その中から早ければ20代の前半から国会議員として活動する人たちが出てくるのである。

◇中央政府になびかないデンマーク国民性◇

デンマーク人は、中央権力に迎合しない国民性を持っている。 これは、国土が半島と島で構成されているという地理的な事情から、歴史的に中央集権国家の体制が発達しなかった為である。 そうした事から、産業界と国家との間に癒着の構造が生まれる事がなかったのである。

産業界には、政治や行政とは密接な関係を持だないとする企業風土があり、行政や官僚は、産業界の存続に関し「口を出さない」し、「出せない」仕組みになっている。 業者と中央政府の役人達との密接な付き合いがないから、大企業でも首都コペンハーゲンに本社、本社工場を構えていない。 首都に本社を構えない事は、地方都市にとっても企業にとってもメリットがある。 土地の値上がりや通勤の渋滞がなく、国民経済の観点から見てもプラスである。

企業の倒産と労働者の保護という点では、労働者の多くは職業別組合に加盟している。 その為、企業運営は産業横断的な組合との労使交渉によって、終始チエックを受けている。 仮に大企業が倒産しても、社会福祉政策のセイフティーネットの下で守られている労働者は生活に困らない為、社会的な混乱は起きないのである。

官僚が産業界の存続について関与しないのは、企業の指導は官僚に与えられた職務ではないと考え、利権の対象、官僚の天下り先と想定していないからだろう。 その背景には、企業の存続は企業自体の責任という社会的な合意があると思われる。

●ケンジ・ステファン・スズキ

旧姓、鈴木健司。 S.R.A.デンマーク、「風のがっこう」代表。 1944年、岩手県生まれ。 1967年、青山学院大学中退後デンマークに渡り翌年コペンハーゲン大学政治経済学部に入学。 1971年から在デンマーク日本大使館に勤務し、その後農場経営をはじめる。 1979年デンマーク国籍を取得。 1990年中部ユトランド商科大学会計学部税法学科を卒業。同年、S.R.A.デンマークを設立。 デンマークの風力発電機、バイオマスプラントを日本に普及させる事業を手掛ける。 現在は、日本とデンマークを往復しながら様々な事業を手掛けるほか、講演活動などを精力的におこなっている。 著書に『増補版 デンマークという国 自然エネルギー先進国「風のがっこう」からのレポート』(合同出版)。




●『新・オンリーワン見聞録 号外版』
オンリーワン ゴルフを目指そう


◇大間違いの日本人スイング あなたは知っていましたか? 今、ついに初めて明かされた欧米人のゴルフスイングの秘密! 

◇安楽拓也ドラコン日本アマチュアチャンピオン ついに公開!

◇スコア90台以上の方に適した『7日間シングルプログラム』

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●R-016便 パットは技術か 集中力が異様に高まる目を閉じたバッティング練習  2010年06月23日(水)

●2010年6月23日(水)



全米オープン110会記念大会 ぺブルビーチ

写真:全米オープン110会記念大会 ぺブルビーチ

●R-016便 パットは技術か 集中力が異様に高まる目を閉じたバッティング練習

●今日のまえがき

日本サッカーが、強豪オランダに挑む期待に胸ふくらむ19日の午後、もう一つの大イベント「全米オープン」で、1アンダーで予選通過、順位は2位という想像を超える好発進の石川遼が、「サッカーワールドカップ」と同様、「日本中の期待に応えたい」というインタビューが、期待に輪をかけた。 

突然の民主党支持率V字回復も有った事だし、サッカーも全米オープンにも「まさかの坂」もあり得るぞ!と、ついついその気になったのが、いけなかった。 惜敗というべきオランダ戦の結果、日本中にため息が充満したかの様なこの夜、テレビは渋谷での騒動を映し出す。 
 
さて、問題の全米オープンである。 開催されたのは、アメリカのシンボル的コースとして、一生に一度は、プレーしたいと言われているゴルファーのメッカ「ぺブルビーチ」である。

中継の画面を見ると、美しい海岸縁なるが故に、厳しいコースである事は容易に推測できる。 世界のトッププレイヤーが満を持して、頂点を目指すメジャーな戦い振りに大いなる期待がわく。 

興味有る指摘をされている三田村昌風氏の記事(17日発行の日刊ゲンダイ)には、「全米オープンは、大会を主催するUSGAと出場する選手との戦い」ともいわれる。 なぜなら、毎回、4年前から準備に入り、そのコースに常駐し準備しているからだ。 そして、コースセッティングでは、例えば、ティーショットでフェアウエーに止まっだ場合、セミラフに入った場合、深いラフに入ったショツトの違いを、きちんと、ストローク(数字)で算出できるようにしている。

つまりセミラフに入れたら 0.25 ストローク前後、そしてラフに入れたら 0.5 ストロークのロスになるという想定で、セツティングしている。 つまり第1打でセミラフに4回、あるいはラフに2回入れると1打損をするという想定である。(中略)

ゴルフのスコアには、小数点がない。 けれども、この全米オープンのコースの難しさを見ていると、スコアには表れない10分の1、100分の1、1OOO分の1単位の技量の違いを分別して順位を決めるように思える。 そのためには、超最高難度にしないといけないし、それが4日間パープレーというゴルフの基準が分水嶺になるようにセッティングしている根拠だと思う。

その挑戦を受けて立とうというのが、選手達の英知と技量なのだ。 自然のコースを相手に小数点を表せない1打を積み重ねていくゲームだから、目には見えないミスの小数点の積み重ねが1打となる工夫をしているのだ。(中略) 人間の智慧のぶつかり合いがあるから、面白いゲームになるのだと思う。 日本選手たちは、そんな智慧を使いこなせるだろうか」とある

思うに石川遼は、ここまで理解しての「4日間のラウンド」だったのだろうか。 グリーン迄の1打1打もさるこ事ながら、「グリーンの早さ」は、半端ではない。 あのタイガーもミケルソンもカップの縁で、僅かにカップをずれたシーンが何度有った事か。 落としどころは一点しかない、と思える程に、計算されたアンジュレーションである。 例え真ん中辺りにオンしても、大きくゆっくりとボールは、移動し止まる処は、エッジ、更にグリーンも外れてゆくのである。

殆どの選手は、グリーンのその一点を求めて、見た目には真ん中を狙ってショットしていたのでないだろうか。 TV観戦された方は一様に感じられたと思うが、ぺブルビーチのグリーンは、やけにまだら模様に見え、荒れた芝とも見て取れるのである。 1年を通して湿度が高いために芝の勢いがスゴイらしい。 前述にある様に、4年前から準備に入り、そのコースに常駐し準備しているその分、グリーンの備えは、タイガーやミケルソンに限らずトップレベルの選手を、絶望の淵に追いやる挑戦なのである。

石川遼と初日を共にしたワトソンが「遼のパッテイングは実にすばらしい」と賞賛したという。 石川遼が有頂天にナルのが見て取れるではないか。 単なるお世辞ではない。 全ての選手お互い、敵なのである。 初日2位という好位置ながら、終わって見れば、12オーバーの33位、大口(ワールドカップ」「日本中の期待に応えたい」云々)を叩いたた手前、恐らく精神的に大きな衝撃を受けただろう。

解説をしていた青木プロ曰く、「最終日、コースを歩く石川遼の足取りはフラついていた」という意味のコメントが有ったが、タイガーやミケルソンも同様に、このコースに手を焼いた様である。

惨めだったのは同点8位の「D・ジョンソン」である。 3日目終了時点で6アンダー、3打差のトップだった。 最終日は人が変わった様なショットで11オーバーと崩れて大きく後退、連日同じ組み合わせの「G・マクドウエル」が、71・68・71・74 締めてイーブンという、実に安定したゴルフで優勝。 体力消耗を最小化させたのは、見事な心技体のマネージメントの賜と言えよう。

この「全米オープン」からアマチュアが学ぶべきは、グリーンは真ん中に、そして2パットでカップインと単純に考える事ではないだろうか。 18ホール、全部2パットでも36。 パーの半分はパッテイングがしめるのだから。 残りはラウンドするコースとの相性である。 

そこで今便は、全ゴルフアー共通の課題、如何にグリーンを制するか、という一助に「ティモシー・ガルウエイ:著 後藤新弥:訳 『新インナーゴルフ』から、「パットは技術か 集中力が異様に高まる目を閉じたバッティング練習」を取り上げたい。 

●今日の引用資料
ティモシー・ガルウエイ:著 後藤新弥:訳 『新インナーゴルフ』

◇入れようとせずに、ボールが止まる位置を事前に感じ取るタッチ・ゲーム◇

どんなゴルファーも、例え練習であっても、バッティングに際してはある一つの絶対的な思考に捕らわれている。 それはボールをカップに沈めようとする事である。 
 
目的を達成しよう、成功しようという気持ちがあまりにも強いと、そのことばかりに、つまり結果にばかり意識を取られて、その目的達成に一番重要な「感覚」を失いがちになる。 そこで「タッチ・ゲーム」が登場する。 
 
「タッチ・ゲーム」とは、ボールを打ったら、それがどこに行くか、止まるかを目では見ないで、「最後はどこに止まったか」を推理するゲームである。 無論この場合カップに沈めたか否かではなく、ボールがどこへ行ったかを「知る」事である。

言い換えれば、ボールがカップの6インチ向こうに止まろうが、手前6インチに止まろうが、感覚だけを頼りに、目では見ないでピタリと推理すれば、勝ちなのである。 カップに入っても、あなたが「ボールはカップの向こう2インチ」と推理した場合は、負けである。

勝つ方法はたった一つしかない。 今打ったパットがボールに対してどんなストロークをしたのかを、出来うる限り正確に感じ取る事だけである。 ボールをカップに入れる必要はないが、「入れようとする」ことや「入れまいとする」のは、ルール違反でもあり、又このゲームの効果をそぐ事になる。

ゴルフにとっての2つの重要な要素、距離と方向に関する知覚力をこの上なく向上させる事は、間違いない。  実際には、少しの練習でほとんどのゴルファーが自分のボールがどこに行ったかを、相当正確に言い当てる事が出来るようになる。 練習を開始する前に、目的によって2つのセフンョンに分ける事も、勧めたい。

初めは、距離を言い当てるゲームとし、次は方向性のゲームとする。 これを交互に繰り返して、自分自身が「両方にチャレンジしたい」と思う様になったら、ミックスすると良い。

▽目を閉じたバッティング練習では、集中力が異様に高まる▽

このタッチ・ゲームの効果を更に引き出したいなら、「目を閉じてバッティング」のゲームに挑戦してみる事である。 初めは、目を閉じたままでは正確にボールをヒットする事自体が困難だが、これは自然に慣れて克服できる。 目を閉じて打つと、異様なほど感覚が増すこ事を、体験するだろう。 そして、バッティングがいかに「タッチ」のゲームであるか、又一旦ラインが定まれば、「目」はいかに重要ではなくなるか再認識する事になる。

▽何の感覚によってボールの行方を感じ取るのか、を感じ取る▽

次に進むべき段階は、感覚だけでなく、コントロールを増す事である。 ボールがどこへ行くかを推理した後で、「今、自分はどうやって、ボールの行方を知ったのか」を自問してみる事から始めてみよう。

例えば、ボールはカップから6インチ左に止まったと推理したとする。 どうしてそれを知ったのか、自分で考えてみる。 もしかしたら、インパクトでパターのブレードの向きがわずかにクローズ(左向き)になった感触から、そう推理したのかもしれない。

続く数回のパットで、インパクトでのクラブへッドの向きに更に意識を集中し、それがボールに与える効果をより微細に感じ取る努力をしてみよう。 ボールをカップに入れるのが目的ではない。

従ってブレードの向きを「正しい方向」にコントロールしようとするのではない。 単にプレードの向きを感じ取ろうとする事が、この場合の優先事項である。 ブレードの向きがよりクローズだったか、クローズの度合いが減ったか、あるいは同じか。 連続してパットしながら、それを感じ取る。

けれど、いくら意識をそこに集中しても、ブレードの向きに変化を感じ取れない場合もある。 その時は、自分自身に再度聞いてみよう。 「ではアドレスでは、ブレードはおそらくスクエアなのだろう。 とすると、バッティングのストロークのどの部分で、向きが変わってしまうのだろう」と。

こうして微細な様々な要素を探り当てていく。 知覚力がその原因となる箇所をヒットし、そこに意識の集中エネルギーが絞り込まれると、望んでいた結果にごく自然にたどり着くような変化が起こる。

●ガルウェイ・ティモシー

1938年サンフランシスコ生まれ。 ジュニア時代にはナショナル・ハードコート選手権で優勝したほか、ハーバード大学ではテニス部の主将として活躍。その後ヨガや東洋思想を研究、1974年に「インナーゲーム」を発表してセンセーションを呼んだ。 インナーゲーム・インスティチュートをカリフォルニアに設立、インナーゲーム理論は教育やビジネス分野からも高い評価を受けている

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肝付博昭(有限会社 新規事業開発 代表)
日々のビジネス活動や、話題の書籍、セミナーで啓発を受けた情報の中から、人間として成長し続けるヒントを求め社会全般の考察をオンリーワンの目線でブレンドした読み人の心が元気になるエッセイ
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