昨年夏にiPhoneを購入してから写真を撮り、共有することが増えた。
もちろん娘という絶好の被写体がいるというのもあるけれど、手軽に撮れて、加工も出来るアプリもたくさんあって、簡単に共有できるアプリやWebサービスがあって、という環境の変化に拠る部分も大きい。
そのなかで今回は、私がよく使っている二つの写真共有サービス、instagr.amとPathの2つについて触れ、特に後者のPathについてはその独自性について考察してみた。
【instagr.am】
トイカメラ+SNS。少し上品で写真専門のTumblrという趣き。お洒落なフィルターが用意されていて、ちょっとした写真がかっこよくなります。写真をすべて正方形に切り取ることでフィードを見やすく、スタイリッシュに見せることを可能としています。「フォロー」や「いいね!」という機能もついてます。
Instagram /Burbn, Inc.


無料
iTunes
※モバイル非対応
【Path】
上限50人のプライベートネットワークでの写真共有サービス。写真ごとに誰と共有するかを設定でき、それが自動的に時系列で並ぶ。共に過ごしたひととの人生の思い出を時系列で眺めていくようなサービス。Web版もあります。
http://www.path.com/↑ページ下部に用意されている動画も彼らのサービスの特徴がよくわかるのでぜひご覧下さい。
Path? /Path, Inc.


無料
iTunes
※モバイル非対応
個人的に触れている時間はinstagr.amが圧倒的に多い。でも、将来無くなって欲しくないサービスはどちらか、と言えば私はPathを選ぶ。
instagr.amは歩行者天国に人を集めて写真の展示会をしているようなものだ。いまも、歩行者天国には多くのひとが集まり続け、交流も活発になってきている。これは手軽に承認欲求や所属欲求や愛情欲求を満たすサービスにみえる。
一方でPathはもう少し欲求を掘り下げていくサービスのようにみえる。承認欲求よりも、所属欲求や愛情欲求にフォーカスし、それらをより高い次元で満たそうとするサービスではないだろうか。
Pathというネーミングも秀逸だ。pathの意味は小道、細い道、わき道。つまり、
「人生の小道(path)」=「特定の人物とのプライベートな瞬間・体験」
であり、それを写真でヒストリカルに共有しよう、という意味合いが込められているのだろう。不特定多数の人物とソーシャルと言う名のもとにオープンに体験を共有するウォールやタイムラインが大通りだとして、それに対するわき道・小道というイメージだろうか。
例えば卒業アルバムでいえば全体写真はその共同体(生徒)全員にとって意味のある写真かもしれないが、そこに居たという存在証明、所属欲求を改めて満たすようなものでしかない(その逆の心理から見たくもないと思う人もいるだろうが)。しかし親友や恋人との2ショットなどは卒業アルバムに載っていないけれど、自分自身のアルバムの大切な一枚となる。そして、それは当事者同士だけが集まったときにしか見られることはない。
Picasaのようなオンラインアルバムサービスは、まだ痒いところに手が届いていない。簡単にアップロードでき、撮影の時系列順に並び、写真一枚ごとに共有する人物を設定できたらいいなと思ってはいたものの、満たされてはいなかった(もちろんタグ付けはできるが)。小さなことだがPathはそこをスムーズに解決してくれるサービスだと思う。
否が応にも先へ先へ流れていくのが人生。本道を時の流れに沿って前進していく。しかし小道に逸れることもある。その小道でしか得られない固有の瞬間があり、それを共有した身近な家族や友人と分かち合い、結びつきを深化させていく。それぞれの人生の小道を結びつける。
Pathで一度アップロードした写真を削除しようとすると「Delete Moment」と表示される。ここに彼らの哲学がみてとれる。そこにアップされているのは「写真」ではなく、一つ一つの「瞬間」、誰かと誰かにとってのみ意味のある、共有すべき「瞬間」である。それはかけがえの無い「瞬間」であると。
あらゆるものがソーシャルに、ネットワークでつながる時代はもうすぐそこに来ている。誰とでもつながれる時代に、誰かとだけはずっとつながっていたい、そういう思いを強くする人は増えるのではないだろうか。かけがえのない「瞬間」を大切なひとと共有するという切り口でそのニーズを満たそうとするPathのサービスには、人間と時代に対する深い洞察が感じられる。
”facebook後の世界”はどのような世界になるだろうか。そこに対する一つの解の方向性がここにあるように私は思う。