〜解体〜家主の想いとは
2008年05月29日(木)
最近、母の生家について調べている中で、「保存解体修理」という言葉に目が留まった。
この場合、保存を第一目標にした解体であり修理であるが、世の中には単に解体されていく建物がいくつもある。
私が小学生か中学生の頃、実家の前の道路が拡張されることになった。
計画範囲に沿って沿線の住宅は全て解体され、新しい建物が建つ事になる。
実家の目の前のお宅は、古くから商店を営んでおられた。
そのために裕福で、自宅は古き良き趣のある立派なものだった。
生まれたときから建設業(正確には建築業)に触れてきた私。
建物、特に住宅に対して、はっきりと言葉で表現できないながらも思い入れがあった。
今日は棟上。 今度は落成。
その祝い毎に施主のもてなしを受け、感謝の言葉を口にしてくださった施主の皆さま。
その言葉に対し、こちらも感謝で応えていた今は亡き先代と、父。
ここはこう作って、あっちはこうががいいな〜
ここは思い出があってね・・・壊したくないんだよ。なんとかなるかな?
そんな日々を目の当たりにしてきた。
お父さんが仕事してるときは、かっこいいんだよ〜
お父さんが仕事してるときが一番好き。
そう言って、私達を父の職場によく連れて行っていた母。
そこでも目にする施主の想い。
計画は着々と進み、ついにその向かいの邸宅も解体の日を迎える。
実は建物の全解体を目にするのは初めて。
本当に壊しちゃうんだ・・・
そう思いながら、自宅前で様子を見守ることに。
いよいよ解体が始まった。
が、私はその様子にビックリした。
大きな重機で、まるでなぎ倒すかのように無造作に、そして雑に壊されていく。
まず瓦を降ろし屋根を解き、次に壁、柱と進んでいくものとばっかり思っていた。
瓦だろうが木材だろうがお構いなし。
「叩き壊す」という言葉しか思いつかないほど、上から下へと大きな音と共に崩れていく。
家主一家には、大きな思い出がある住まいだろうに・・・
カルチャーショックを受けながら釘付けになっていた視線の先に、あるものが映った。
ああ なんということ。
おばあちゃんだ。
私が生まれるよりもずっとずっと前に、その家へ嫁いで来たおばあちゃんだ。
商家へ嫁ぎ、舅、姑に仕え、今まで頑張ってきたおばあちゃん。
とても上品なおばあちゃんには、この家にどんな思い出があるのだろう。
何十年も暮らした我が家が、こんなガラクタのように壊されている。
それを、離れたところからじっと見ている。
思い出を壊されるとはどんな気持ちなのだろうと、とても切なくなった。
そんな私の目に信じられない光景が。
若い男性が二人、解体作業をしていた。
その二人が、廃材となった邸宅の一部材をバットのように振り回している。
と思った瞬間、まるで素振りでもするように格好を決め、思い切りバットを振り、ガラスを割ったのだ。
一枚二枚と、「完璧なフォーム」で、割られるガラス。
それを見つめるおばあちゃん。
何も言わずただじっと見つめているその目に、こんな尊厳も何もないただのお遊びのような光景が映っている。
そのお遊びは、数々の思い出を壊していく。
私でさえそう思うのに、おばあちゃんは一体どんな思いで・・・
私はおばあちゃんの傍に小走りで駆け寄り、手を握った。
ちょっと驚いたように私を見たおばあちゃんは、ほんの少し、にこやかに微笑んで見せ、すぐにまた視線を現場へ移した。
と同時に、ぎゅっと手を握り返してくれた。
ああ やっぱり。
おばあちゃんの心は悲しいんだ。
仕方ないこの光景にじっと耐えているんだ。
私はその時から「解体」が嫌いです。
特に住宅の。
私も仕事として建設業に従事している以上、効率や経費などを総合的に判断し、このような解体方法が取られることは十分承知しています。
うちで請け負ったとしても、特別な事情がない限りこのような方法となるでしょう。
でも、解体は嫌いです。
新しいものへ・・・と結びつけられ、これからも楽しい思い出がたくさん出来ると思えばいいのでしょうが、一度できた思い出はもう過去のものでありながら永遠で・・・
その思い出が少しでもキレイに残り続けるよう、せめて「仕事」として真面目に壊して欲しかった。
こんなこと言ってると、土建屋失格ですかねぇ〜〜
でもねぇ・・・もち続けていたいんですよね・・・
この場合、保存を第一目標にした解体であり修理であるが、世の中には単に解体されていく建物がいくつもある。
私が小学生か中学生の頃、実家の前の道路が拡張されることになった。
計画範囲に沿って沿線の住宅は全て解体され、新しい建物が建つ事になる。
実家の目の前のお宅は、古くから商店を営んでおられた。
そのために裕福で、自宅は古き良き趣のある立派なものだった。
生まれたときから建設業(正確には建築業)に触れてきた私。
建物、特に住宅に対して、はっきりと言葉で表現できないながらも思い入れがあった。
今日は棟上。 今度は落成。
その祝い毎に施主のもてなしを受け、感謝の言葉を口にしてくださった施主の皆さま。
その言葉に対し、こちらも感謝で応えていた今は亡き先代と、父。
ここはこう作って、あっちはこうががいいな〜
ここは思い出があってね・・・壊したくないんだよ。なんとかなるかな?
そんな日々を目の当たりにしてきた。
お父さんが仕事してるときは、かっこいいんだよ〜
お父さんが仕事してるときが一番好き。
そう言って、私達を父の職場によく連れて行っていた母。
そこでも目にする施主の想い。
計画は着々と進み、ついにその向かいの邸宅も解体の日を迎える。
実は建物の全解体を目にするのは初めて。
本当に壊しちゃうんだ・・・
そう思いながら、自宅前で様子を見守ることに。
いよいよ解体が始まった。
が、私はその様子にビックリした。
大きな重機で、まるでなぎ倒すかのように無造作に、そして雑に壊されていく。
まず瓦を降ろし屋根を解き、次に壁、柱と進んでいくものとばっかり思っていた。
瓦だろうが木材だろうがお構いなし。
「叩き壊す」という言葉しか思いつかないほど、上から下へと大きな音と共に崩れていく。
家主一家には、大きな思い出がある住まいだろうに・・・
カルチャーショックを受けながら釘付けになっていた視線の先に、あるものが映った。
ああ なんということ。
おばあちゃんだ。
私が生まれるよりもずっとずっと前に、その家へ嫁いで来たおばあちゃんだ。
商家へ嫁ぎ、舅、姑に仕え、今まで頑張ってきたおばあちゃん。
とても上品なおばあちゃんには、この家にどんな思い出があるのだろう。
何十年も暮らした我が家が、こんなガラクタのように壊されている。
それを、離れたところからじっと見ている。
思い出を壊されるとはどんな気持ちなのだろうと、とても切なくなった。
そんな私の目に信じられない光景が。
若い男性が二人、解体作業をしていた。
その二人が、廃材となった邸宅の一部材をバットのように振り回している。
と思った瞬間、まるで素振りでもするように格好を決め、思い切りバットを振り、ガラスを割ったのだ。
一枚二枚と、「完璧なフォーム」で、割られるガラス。
それを見つめるおばあちゃん。
何も言わずただじっと見つめているその目に、こんな尊厳も何もないただのお遊びのような光景が映っている。
そのお遊びは、数々の思い出を壊していく。
私でさえそう思うのに、おばあちゃんは一体どんな思いで・・・
私はおばあちゃんの傍に小走りで駆け寄り、手を握った。
ちょっと驚いたように私を見たおばあちゃんは、ほんの少し、にこやかに微笑んで見せ、すぐにまた視線を現場へ移した。
と同時に、ぎゅっと手を握り返してくれた。
ああ やっぱり。
おばあちゃんの心は悲しいんだ。
仕方ないこの光景にじっと耐えているんだ。
私はその時から「解体」が嫌いです。
特に住宅の。
私も仕事として建設業に従事している以上、効率や経費などを総合的に判断し、このような解体方法が取られることは十分承知しています。
うちで請け負ったとしても、特別な事情がない限りこのような方法となるでしょう。
でも、解体は嫌いです。
新しいものへ・・・と結びつけられ、これからも楽しい思い出がたくさん出来ると思えばいいのでしょうが、一度できた思い出はもう過去のものでありながら永遠で・・・
その思い出が少しでもキレイに残り続けるよう、せめて「仕事」として真面目に壊して欲しかった。
こんなこと言ってると、土建屋失格ですかねぇ〜〜
でもねぇ・・・もち続けていたいんですよね・・・



をすることに。

を数種類、取ってきてみました。



と受け取って、みんなが食事を始めたのに気を遣い、そっと後ろに置いてしまいました。
と喜んでくれてよかったです
ゆかりちゃんへ 
Happy Birthday 


: お惣菜、主に『寿司の具』の地方発送を検討しています。
: ございますよ。熊本市内になりますが、「熊本県産業技術センター」という所があります。
を発見


ですし、
もパクパクいけちゃいます
になってしまいました。