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誕生日

2007年09月30日(日)
今日は弟の誕生日。

奥さんがケーキを作ると言っていたが、半ば諦めモードに入っていたところでお手伝いすることに。

弟の娘たちも一緒に、ホットケーキミックスとココアを使ってケーキを作りました。


3時頃から始めて、ついさっきなんとか出来上がり。



奥さんと娘の愛情たっぷりバースデーケーキ。


弟は幸せ者です


詳しくはまた明日。。。




今夜は実家で、主役を招いてのバースデーパーティーです


Posted by ゆっぴ at 17:35  / その他  / この記事の詳細
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エニシダ、リンドウ、小菊

2007年09月28日(金)
いけばなのお稽古がありました。


エニシダ3本、リンドウ2本、小菊2本です。


エニシダはよくしなり、「ため」もきく方でしたが、剣山に刺すとなると固い。

脇芽がたくさん伸びていて、それもエニシダの特徴らしくあまり剪定してしすぎてしまわないようにとのこと。

先端部に近い箇所と、強すぎる芽だけ剪定しました。


まず最初に「たてるかたち」


主枝は一本が分かれているのですが、分かれているほうを落としてもいい。

リンドウは、花の頭につぼみがたくさん集まった塊があり、その塊のお陰で風情がなくなっているとのこと。


一番好きな形なんだけど、うまくまとめられませんでした。






次に「直立形」



写りの悪い写真だこと・・・
なんだかぼやけてしまってます。

たてるかたちで主枝につかった枝を、分け目を落として使いました。

落とした枝は中間に・・・

たてるかたちよりは、まとまったかな・・・??






次に「かたむけるかたち」も生けてみました。



やっぱりぼやけた写真・・・

今回はこの形がいちばんよかったように思います。

家に持ち帰ってからも、「かたむけるかたち」で生けました。



後ろに写っているのは「お茶」です。

お稽古の合間に、先生がお茶を出してくださいます。

お漬物やお菓子、果物などなど。。。

一通りお稽古してお茶をいただき、その後生け直して終了です。


お花もだんだんと秋になってきました。

日が落ちるのもずいぶんと早くなり、足早に冬がやってきそうな気配です。


この時期って、何を着たらいいんだか悩みます・・・

十五夜の伝統と怒る私と月見団子

2007年09月27日(木)

9月25日は十五夜でした。

今年は満月ではなかったようで、今日27日が満月です。

十五夜の夜はあいにくの曇り空。

昇り始めた月が少しだけ顔を出していた程度で、あとは雲から光が漏れるくらいでした。


私の住む地区では、十五夜の夜に綱引きがあります。

なぜ綱引き?

調べてみると、作況占いの意味があったとか。

どうした変化か、今では無病息災や安全祈願のようなものが主体となっているように感じました。


前日の夕方に、役員の方たちによる綱編があります。

直径約25cm、長さ約30m程の、藁で編まれた綱が出来上がります。


当日は夕方5時ごろから、餅つきです。

臼で餅をつくのですが、最初は大人についてもらって、その後子供たちが大人と一緒につきます。

つきあがったお餅は、その場でみんなに振舞われます。




姪のみーちゃんも、お餅をいただきました。

なんとこれを三つも食べてしまいました・・・


二回目のお餅つきの準備まで、子供たちは公民館で大騒ぎ。

大して広くもない公民館には、机や黒板などが隅に積まれています。

保育園児から小学生までごちゃごちゃ。


こんな時は決まって、危ないことをする子供が現れるのです・・・


小さな園児が行ったり来たりしている廊下の天井近くに、両壁を利用して足を広げて突っ張るように登っている子供。

それも1人ではない。


「今すぐ降りなさい!! 下を人が通るでしょ! その時に落ちたらどうするの!! 危ないでしょう。」


怒る私をポカーンと見る子供。



方や、小学生が自分より体の小さな子を相手に、まるで「押さえ込み」+ ボディー攻撃。

押さえ込まれている子は顔をしかめ、結構必死な形相。


「もうそのくらいでいいんじゃないの? いい加減にしなさい。 ケガするよ!」


照れたように私を見ながら離れる二人。


どうして誰も怒らないんだ?


普通に遊んでいれば、まぁ、少しくらいケンカ腰の遊びでも本人たちがよければそれでいい。


叩いた、蹴った、別に「遊び」であれば構わないとは思うが、じっと座っている子をふいに後ろから横蹴りにする。(蹴られる方は思っても見ない不意打ちで防御ができない上に耳はもちろん、目や首など危険)


下に小さい子がいるけど、その直前や直後に飛び降りるのを楽しむ子。(自分の体力の限界を知らないため、もうダメだ!と思うまで降りてこない。その時下に誰かいても、踏ん張るだけの力がない。)


明らかに自分より弱い子に、本気の技で身動きができないようにした上で、更に攻撃。(強い子はその力を示そうと調子に乗る。弱い子も負けじと対応する。そのため更に強い子が限度もなく力を入れ、弱い子が無抵抗になっても俺は強いという快感のために制限がきかない)


どこの子か知らないけど・・・と心の中で前置きして、諭すように叱った。



私は、他の大人たちが結構、「ただ見てるだけ」に少し驚いた。

子を持つ親だったり、祖父母だったり。

自分の子や孫がケガをしたら、ビックリして大騒ぎにちがいない。

他人の子ならそれでもいいのか?

私はデパートのエスカレーターで遊ぶ子にも一言声を掛けないと気が済まない方で、この「一歩間違えば事故満載」のドタバタ劇場をただ楽観的に見ていられなかった。


そうこうしているうちに辺りは真っ暗に。

いよいよ綱引きです。

子供たち同士、子供対大人、大人同士と続きました。





十五夜のもう一つのお楽しみ。

お月見団子も作りました。

上新粉に少し白玉を混ぜ、茹でてこねて・・・



すり鉢を忘れてしまい、少しダマが残ってしまったのが残念でしたけど、子供たちがそのまま手に持って食べれるように、中にこしあんを詰めました。



うさぎのお団子には、餡が入っていません。

食紅で目と耳を書きました。

子供たちも喜んでくれました

Posted by ゆっぴ at 09:36  / その他  / この記事の詳細
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信じたから救われた〜失聴〜その4

2007年09月26日(水)
何週間も前から行われる監査のための準備。

その期間に休暇をもらうなど、もってのほかという暗黙の了解がある。


係長になんて言おう・・・


今言わなければ・・・明日から入院だ・・・


私の心の中では、「明日から入院する」と気持ちが固まっているのだが、所属するところは「組織」。

それが自分勝手な意見であることもわかっている。


少し落ち着こう。

実家の母に連絡を入れる。


そんなに急に!? 母も驚いたが、何を思ったか「後でまた連絡して」と電話を切ってしまった。


当時、私は携帯電話を持っていませんでした。

周りの知り合いもほとんど持っていなくて、特別に不便とも思っていませんでした。


20分程して改めて母に電話してみると、「明日は無理だけど、明後日からそっちに行くから」と言う。

入院は約10日間。


その間、病院近くのホテルに泊まると言う。

ちょうど都合よく、母の弟が東京の中野に仕事で来ていた。

その叔父さんがホテルや航空券の手配をしてくれるようだ。

母を空港まで迎えに行き、病院まで連れてきてくれると言う。


家庭のことも大変なのに、わざわざ出てきてくれる。

「いいよ。大丈夫だから」と断ったけど、「行く」と言い張る。


親とはそんなものだろう。


何かと居てくれれば助かるのだけど、叔父さんも付きっきりでいてくれることはできないだろうし、この大都会に田舎の母が圧倒されるのは目に見るよりも明らか。

病院への行き来は大丈夫だろうか・・・食事はどこでするつもりだろう・・・洗濯は・・・?

ホテル住まいなど、これまで無縁のこと。

何もかもが心配になる。

また夜にでも電話すると伝え、仕事に戻る。



いよいよ係長に伝えなければ。

「急なお話ですが、先ほど病院から連絡がありまして、明日の午後から入院するようにと言われました。 この次となると、夏休みに入ってしまうので一ヶ月以上先になるそうで・・・手術するなら今がいいそうです。 ご迷惑をお掛けしますが、10日間ほどお休みをいただけないでしょうか」


聴覚を失い、障害者となって一生不自由な生活をするか、手術によって完治し、20年来の病を克服できるのか。

二つに一つの選択は、絶対に後者でありたい。

その決断が、この多忙極まる時期になってしまったことが本当に申し訳なく、頭を下げ係長の言葉を待った。


「え? 明日!!?」

「はい・・・」


「それ、小学校とかの夏休みが終わってからじゃダメなの?」


私の人生を左右する手術に伴い休暇をいただくことを許可していただこうとお願いした私の目に、明らかに不機嫌な、軽蔑の目があった。

「なにもこんな忙しい時期に・・・そんなに急がないといけないの?」


入院はベッドが空き次第と言うことも、今いつ耳が聞こえなくなってもおかしくは無い状態であることも、全部事前に話してある。



ああ、やっぱり他人にはわかってもらえない。




これまでの聞き取りにくさも、やっぱり言わなくてよかった。
どうせわかってもらえないところだった。


こうなれば、自分の身を守るのは自分だ。


無理を承知で、迷惑を承知で、何を言われようと私は手術を受けたい。

聞こえなくなるなんて、どうしても避けたい。


お願いします! 頭を下げ、ようやく係長はしぶしぶながら「しかたないから」という理由で許可をくれた。

どう思われようと、もはや構わなかった。




翌日、一通りの準備をして病院へ。

すぐに病室に案内され、担当の看護婦さんがくる。

早速血液検査やMRI,レントゲンなど色んな検査を受けたように記憶している。

更に翌日、「明日、手術」の知らせ。

早!!


有名医長が執刀医。 他に担当看護婦さん、麻酔科医師など入れ替わり立ち代り病室に来られ、それはそれは丁寧な説明があった。
写真を使ったり絵を描いたり、些細なことでも十分な説明があり、不安なこと、わからないことはいつでもいいから聞いて欲しいと、逆にお願いされた。


全身麻酔のための検査を受け、麻酔科担当医師は、手術までに何度も病室に来てくれた。

母と叔父も到着。

その夜は外出許可が出たので、近くの居酒屋にみんなで行き久しぶりの対面を喜んだ。


翌日、朝から手術の準備。

看護婦さんに耳の周りの髪を剃ってもらう。


看護婦さんにとっては「いつものこと」だろうが、私の中では不安が大きくなっていく。

筋肉注射を打ってもらい、全身麻酔中の神経の動きをも止める。

手術前、病室に再度執刀医と麻酔科担当医が見え、「安心してください」とおっしゃってくださった。


いよいよ手術室へ。

手術台に乗せられ、点滴による麻酔と酸素マスクのような麻酔が始まる。


無理やり閉じられる感じで、怖いくらいにまぶたが下がる。

が、意識はあり、「今切られたらどうしよう!!」と思って気付いたら手術は終わっていた。

麻酔後、口からのどにチューブが通されたようで、表面の皮膚が一枚はげたような、ひどい痛みがあった。


麻酔が切れると、頭の中に鈍い痛み。

患部で心臓が打っているような、常にそこで心音が聞こえる。


とにもかくにも無事に終了。

母も、お見舞いに来てくれた友人も一緒に喜んでくれた。


退院後、検査を受けるために再度通院。


色んな聴覚検査を受け、結果を元に担当名医がおっしゃった言葉。



「手術前、初めて見たと思うほど悪い数値だったんだけど、こんなに回復した数値が高い(いい)のも初めて見ました。」




たくさんの人の手を借りて、病を克服しました。

もう失聴の心配は一切ありません。



おかげさまで、私の人生、いい方向に変えることができました。



関わってくださった全ての皆さま、家族、そしてトン神さんに
心から ありがとうございました。

Posted by ゆっぴ at 09:09  / その他  / この記事の詳細
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信じたから救われた〜失聴〜その3

2007年09月25日(火)
「今、いつ耳が聞こえなくなってもおかしくない状態にあります。」


確かにその名医は今、そう言った。

さらに


「鼓膜に穴が開いていることで聴覚は悪くなりますが、これほど悪い数値を目にしたのは初めてです。」



どうしよう・・・どうしよう・・・どうしよう・・・


「失聴」がだんだん現実のものとなっていく。


世の中の音が、みんなの声が聞こえなくなる。


仕事は?・・・友達は?・・・生活は?・・・


疑問はポンポン浮かぶが、答えがわからない。

が、次の瞬間には「私は大丈夫」と思う。


その思いにはなんの根拠もない。


でも、せめて「私は大丈夫」と思わなければ、親はどうなるのか。

実際耳の聞こえない方の生活は、相当大変なものだろう。

これから私もその中に入るかもしれない。


これまでのように仕事を続けることができなければ、当然親の力を借りた生活になるだろう。

その時の親の心労、苦悩を思えば、せめて「私は大丈夫」と思わなくてはいけないのではないか。



親にどう説明しよう。


わが子の耳が聞こえなくなるかもしれないのだ。


これまで確かに治りはしなかったが、これ以上悪くなることもないだろう・・・そう思っているに違いない。


発症してから約20年。


今さら、今頃になってしかもこんなに突然「失聴」の現実が目の前にある。


「左耳は約20年の年月をかけて、自力で再生しているようです。 だた、健常者にくらべるととても薄い膜です。 強い衝撃でまた破れる可能性がありますが、普通の生活においてはまず問題ないでしょう。 
右耳は再生していません。 これまでの成長過程で再生できていないのですから、今後とも再生の可能性は無いと言えるでしょう。」


手に汗握り、気が抜けそうになるのを必死で支えた。

今ここには私しかいない。


この、私の人生で最大の告知を、今ひとりで聞いて受け止めなければならない。



親も計り知れない衝撃を受けるだろうことは察しがつき、出来るだけ冷静に正確に説明しなければ。


そう思い、先生の説明を一言も聞き漏らすまいと、声に耳を傾け目は口元を凝視する。


この大病院で、この名医からの言葉。


万策尽きた感の私は、これからの経過の過程や対応を聞くべく、自分を励まし更に力を入れる。


名医の口元から言葉が続いた。





「手術すれば治りますよ。」





え? いま なんて・・・?



この病気に対応する手術があるなんて、これまで一度も聞いたことがない。

奈落の底に手を差し伸べられた気分で先生を見上げると、その目は笑っていた。

私が相当に緊張し、「治る」の言葉に呆然としていたのだろう。


「この手術には適応年齢があります。 今のあなたの年齢から、手術に耐えられると判断してお話しています。 日常茶飯事の手術ですから、安心してください。 
耳の中にある骨の表面にはっている膜を、鼓膜として利用します。
可能な限り患部に近い部位の膜を使用することになります。
空洞で構成される骨の成長が止まっていますから、一部を削ってセラミックの人工骨で代用しますが、これはいずれ自分の骨として変化していくものです。

先ほど言いましたように、適応年齢があります。
これまで手術の話がなかったのは、その年齢に達していなかったことと、その病院に設備がなかったからじゃないでしょうか。」


そうだ・・・確かに女医さんの病院には設備がなかったかも・・・でも、大学病院にはあったんじゃないか?? 


「手術をぜひお勧めしますが、どうしますか? もう少し考えてみますか?」


「手術を、よろしくお願いします。」


私は即答していた。


親に、「失聴するかもしれない」と伝えるより、「手術で治る」と伝えたほうがいいに決まっているじゃないか。


名医が「安心してください」とおっしゃってくださっている手術。


それで「失聴」を免れるのであれば、ここで決断しなければいつするんだという、すがる思いだった。


ベッドの空きが無いため、改めて連絡するとのこと。

ただし、それが入院直前になることを了承してほしいと言われた。


それまでの間、点耳薬と内服薬を処方してもらい、帰社。


係長に症状と今後の予定を説明する。


「いつ入院になるか、まったくわからないということね?」そう係長が念を押すには訳があった。


膨大な業務の外部監査を受けるため、間もなくその準備が始まろうとしていた。

約二週間ほどかけて行われるその監査のために、わかり易く書類をまとめる。


不備はないか、間違いはないかをチェックし係ごとにまとめるのだが、ダンボールにして何十箱という書類の山になる。


係の末席に座る私は、言われた通りにまとめればいいのだが、猫の手も借りたいこの時期にたとえ私のような係員が抜けても、それなりに迷惑なのだ。

まだわかりません・・・そう答えるしかなかった。



家に帰り、実家に連絡。


これまでとは違う症状だったため、心配をかけてはいけないと治ってから連絡しようと思っていた。


母は症状を聞き驚いたが、「手術で治る」ことにとても喜び、これだけでも東京に出してよかったと言っていた。



点耳薬は、鼓膜の奥にまで到達しなければいけない。

イスに腰掛け、上半身を寝かせた状態で点耳するのだが、薬剤が鼓膜に着く瞬間と内部に浸透するときの、なんとも言えない痛みと衝撃。


思わず顔をしかめ、奥歯に力を入れて耐えなければならない。

この状態が、もう間もなく改善される。

約20年の病が、ようやく治る。




しばらくして病院から連絡があった。

「明日の午後から入院してください。 そうでなければ今度またベッドが空くまで待たなければなりません。 この機会を逃すと夏休みになりますから、小中高の生徒さんが多くなってしばらくの間、空きは見込めません。」


「わ、わかりました・・・」




どうしよう・・・係長になんて言おう・・・


例の監査を、あと二週間後に控えていたのだ。 


つづく



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信じたから救われた〜失聴〜その2

2007年09月24日(月)
本当に「信じれば救われる」のかもしれない。



昨日、ばあちゃんが実家にいなかったので母に

「城泉十世 徳岸和尚師のお墓なのに、とんがみさん というのはなぜ?」

と聞いてみた。


母は、「あの神さまは耳の神さまなんだけど、耳が聞こえないんだって。だからトントンとたたいて気付いてもらってからお願い事をするようになったから、トン神さんって言うらしいよ。」


私が見たときには、きちんとそのお墓の言い伝えが掲示してあったのだが、地元ではずっと以前からこれまで、「耳の聞こえない耳の神さま」として信じられている。


母でさえ、その城泉十世 徳岸和尚師のお墓という事実を知らなかった。


近年になって、ある方のところへ伝わる書物によってその言い伝えが判明したようだが、広く公に公表されなかった為だろう。


耳も確かに「腰より上部」なので間違ってはいないが、「耳が聞こえない耳の神さま」でトントンとたたいて気付いてもらわないといけないから「トン神さん」として信仰し、私の病の平癒を祈ってきた。


女医さんからの「治ります」の言葉。


信じたから救ってくださった・・・?




さて、昨日の続き。

私が入学した高校は、工業高校。


全国でも唯一「伝統建築コース」という、社寺仏閣などの日本古来の伝統技術を学ぶことができるコースがある。

全校生徒は約800人。


建築科2コースと土木科とが同じ日の同じ時間に同時に水泳の授業を受ける。


女の子は一学年でたった8人。

一つ上の二年生に3人。もう一つ上の三年生に4人。


女の子も男の子と同時に水泳の授業だ。


今では考えられないことかもしれない・・・


私はこの高校時代、全ての水泳授業を「見学」。


レポート提出で単位が決まり、夏場の単位は可もなく不可もなく「3」だった。

小中学校の頃に比べると中耳炎の発症も幾分減り、まだマシだったように思う。

あっと言う間に3年間が過ぎ、いよいよ就職となった。

「風邪を引いたら耳鼻科」が生活の一部となり、大して苦痛でもなくなっていた。


就職場所は東京。

見知らぬ土地で一からのスタートは大変だった。


訳もわからずがむしゃらに一日いちにちを過ごしていたが、ここで初めて「やっぱり聴覚が悪い?」と自覚するようになる。


これまでの学生生活では、「水泳を見学」を機に周りの人が私の病気に気付いてくれていたが、仕事を始めると「水泳」は関係ない。

幼い頃から耳に持病があることを、自ら告知しなければ誰もわかりはしない。

しかも、聴覚の正常な状態がどれほどのものなのか、私が知る由もない。

これまで「正常」ではなかったからだ。


係りの末席に座る私に係長が声を掛ける。


うまく聞き取れなくて、「え?」と問い返す。


怪訝そうな顔つきで再度声を掛けられる前に、係長のそばまで急いで歩み寄る。


健常なみんなにはキチンと聞こえるんだろうか?

私だけが聞き取れないんだろうか・・・?


たとえ持病のことを言ったところで、この「微妙な聞き取りにくさ」は伝わらないだろう。


どの程度なら聞き取れると検査の数値で示しても、その数値がどれほどのものなのかわからないのと一緒だ。


これで仕事に支障をきたしてはいけないと思った私は、相手の声を懸命に聞きながらその発せられる言葉を目で理解するため、同時に口元を見るようになる。


そんな風に過ごしていたある日、風邪を引きまた中耳炎を発症。




いつものことだが、今回はこれまでのそれとは違っていた。




まるでヘッドホンやイヤホンをしているかのよう。


自分の声は自分の頭の中だけで響き、どのくらいの声の大きさで話をしているのかわからない。

人の声はもちろん聞き取りにくく、耳に入るというより頭に響く音で理解するような状態。

多忙極まる業務の中、すぐに病院に行くことがためらわれた。

また、近くに耳鼻科がなかった。


一日、二日と日が経つにつれても症状は変わらず、業務に支障が出るようになったため、思い切って同じ係の係員と係長に伝えた。


病院に行っておいでよと時間をもらうことができ、バスに乗って虎ノ門病院へ。


地元に居た頃通っていた病院とは違う、とても大きな有名な病院を選んだ。


この虎ノ門病院の耳鼻科医長が雑誌にコラムなどを掲載されていると知り、この分野では名の知れた方だとわかったからだ。


しばらく待ってやっと診察。


なんと運よく、診察してくださった先生はその耳鼻科医長。


よかった・・・


症状を説明し、いくつかの検査を受けた。


結果が出て再び診察室に呼ばれ、その有名医長が私に告げたこと。




「今、いつ耳が聞こえなくなってもおかしくない状態にあります。」




え・・・・?



つづく

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信じたから救われた〜失聴〜

2007年09月23日(日)
私は、生まれて間もなくの頃から耳を患っていた。

風邪をひくたびに中耳炎を起こす。

あるときそれが、両耳ともに鼓膜に穴が開いていることによる慢性中耳炎だと診断された。

しかしそれは、どうやら生まれつきではないらしい。


その時の担当医から、両親は「いずれ失聴(耳が聞こえなくなる)するでしょう」と告げられたそうだ。


物心付いたときには、たぶん月に幾日か大学病院に通院していた。


田舎住まいの私は母に連れられ、汽車やバスに約2時間ほど揺られながら熊本市内まで通院していました。


そこでもやはり「失聴」の言葉があったそう。


両親はどれほど苦にしただろう。


いくつもの病院を渡り歩くように、中耳炎を起こすたびに駆け込んでいたようだ。


なぜ失聴が考えられるかと言うと、中耳という鼓膜の奥に耳小骨という音を伝える中が空洞になった小さな骨があります。

鼓膜に穴が開いていることにより音がきちんと伝えられず、年齢とともにある程度まで成長していくはずのその耳小骨が、成長しないためだと考えられました。


幼い私を不憫に思い、また治れとばかりにばあちゃんがあるところに連れていきました。

自宅から徒歩1分もかからないところ。

そこには「とん神さん」と言われる石が祭ってありました。


城泉十世 徳岸和尚師のお墓と伝えられています。

なぜ地元の人達が「とん神さん」とお呼びしているのかはわかりません。


その昔、災害続きなどによる飢餓や疫病の蔓延により村人の生活が困窮を極めている姿をご覧になった和尚さまが、自らの命を投げ捨てて、村人の苦しみを救おうと決意された。

この地において食を断ち、平安祈願の行に入られること二十一日間、昼夜を問わずこの土の中から念仏読経の声が聞こえたという。

和尚さまは行に入られるとき、人々の苦しみ、特に腰から上部の病気を救ってやると言われたと言い伝えられている。



ばあちゃんはこの神さま(正確には仏さま?)を「とんがみさん、とんがみさん」と呼びかけるように優しく手でたたいた。

耳が不自由な私のためのお参りなので、きちんと聞こえるよう、気付いていただけるようにそうするのだと、確かばあちゃんは言っていたと思う。


「○○(私の名前)の耳が治りますように。きちんと聞こえるようになりますように・・・」


毎日のように連れられてお参りしていた。


ある日またいつもの中耳炎を起こし、それまでとは違う病院に行った。


そこで担当の女医さんに告げられたこと。


「治りますよ。失聴することはありません」


これまでどこに行っても「聞こえなくなる覚悟を」と言われ続けていた母は、それこそ我が耳を疑っただろう。


基本的に治療の仕方は他の病院と変わらない。

でも、治るとおっしゃった。


以降、この病院がかかりつけになったことは言う間でもない。


小学校に上がってからも通院は続き、授業の途中で抜けたり、通院の後に学校へ行くことも度々。


みんなが席に着き授業を受けている最中に登校し、一番前の教壇に立つ先生に「今帰り(来)ました」と言いに行く日々。


席に着くみんなの間を通るため、その目が一斉に向けられているようでなんだかイヤだった。


私が教室へ入れば、「今来た」ことは一目瞭然であるのに、母は決まって「先生に 今来ました ってちゃんと言いなさい」と言い、嫌々ながらもその言いつけを守っていた。


小学校では水泳の授業がある。

水が耳に入っても中耳炎を起こす。

他の病院では、いづれプールの授業などが始まると、耳栓をして参加することも可能と言われたが、この女医さんは、「泳がないでください」とおっしゃった。

耳栓とは、確実な水の耳への進入を防ぐ方法ではないと。

当然親はこの女医さんの言葉を聞きいれ、水泳を見学させた。


小学校低学年であれば、授業というより水遊びに近い。

最初はみんなで小プールに入っていて、水嵩もひざ程で私もそれならばと参加していた。


学年が上がるにつれ、大プールへと移行。

足は立つものの、みんなの泳ぎで波が立つため私は入れない。

プールサイドに座り、足だけを水につけていた。



そんな授業風景の中、私が今でも鮮明に覚えていて忘れられない出来事がある。



ある日、みんながプールサイドに上がった後、先生が私にプールに入るようおっしゃった。


なぜ? 不可解な先生の言葉に戸惑ったが、言われた通りプールへ。


先生は私の手を取り、平泳ぎの足の使い方を教えてくださった。



が、このときの私は、この先生の行動が許せなかった。



私はそれまで一度も潜ったこともなければ、泳いだこともない。

耳に水がかかることさえ恐怖を感じていた。


中耳炎がひどいときは、母でさえ私の髪を洗うために美容室へ連れて行ってくれていた。


同級生のみんなは、何メートル泳げるか、またはどれくらいのタイムで泳げるかという授業過程を経ている。


そのみんながプールサイドに立って見守る中、私だけたった一人、先生に手を取られて足だけの平泳ぎ。



水の中で足が付かない事の恐怖。



先生は手を引いて進んでいくが、体を持ってはくれないため、必死で顔が沈まないよう上半身に力を入れて足を動かしている私。


先生は「○○ちゃんは耳の病気で水泳ができません。みんなが一緒だと波が立つから耳に入るかもしれません。だから一人で練習しなければいけないのよ。」と、私の手を引きながらみんなを見渡しておっしゃっていた。


楽しそうに競い合いながら泳いでいた同級生。

同じクラスなのに、方や必死の足平泳ぎ。




私はこのとき、「まるで見せ者」との感覚しかなかったのだ。


早く終われ!! 頭の中にはそれしかなかった。


先生は何かを感じたのか、私が一人で泳がされたのはこの時一度だけだったと思う。


担当の女医さんのおっしゃる通り、失聴はしないまでも中耳炎は治ることなく小学校、中学校を卒業し、高校へ入学となる。

つづく



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もう5時になる Σ(°д°lll)

2007年09月21日(金)

今日は忙しかった・・・(ノω・、)


ブログの題材を考えるヒマもなく・・・


午前中は出っぱなし。


午後は来客。


合間を縫って会社内での作業。


疲れた(*´д`)=з


はかどった様でもあり、手付かずのものもあり。


でも、頑張った・・・


お疲れさまでした! 


プルプルクリーミープリンができました

2007年09月20日(木)
昨日、やっぱりプリンを作りました。

しかもお昼から。


私は、焼きプリンや蒸しプリンよりもゼラチンプリンが好きなので、作るのはいつもこれ。


材料はほとんどあったもので間に合ったので、生クリームとゼラチンだけ購入。

卵は自宅の さんが生んでくれました

朝取りの新鮮卵です




まずはカラメルソース。
やっと焦げ目がついてきているところ。



このカラメルソースを作る時が一番怖い


グラニュー糖と水を焦げるまで煮詰めるのですが、いい色合いになったら一気に規定量の水を入れます。


その時のカラメルが飛びちる激しさと言ったら・・・


私はいつも長袖に軍手をつけ、いち・にー・さんっ!!で一気に水を入れて、その瞬間、お鍋から急いで遠ざかります(*´ω`;)


お鍋の内側が黒いのでわかりにくいですが、こんな色のカラメルです。


以前作ったときに水分を飛ばしすぎ、かっちかちのカラメルになってしまいました。

なので今回は火にかける時間を少し少なめにし、水分を多くしました。

もう少し水分を飛ばせばよかったかな・・・




プリン液を作っているときに限って、来客があったり電話が鳴ったり・・・


火にかけすぎてプリン液の卵が固まり、ダマになってしまいました


慌ててこしてみましたが、量が減った(ノ◇≦。)


だ!  来客 だ!  あー!! 固まってる


ってことで、画像はありません



いきなり出来上がりです




卵の分量が減ってしまったので、生クリームが際立ってかなりクリーミーなお味になりました。


カラメルソースは、やはりもう少し火にかけるべきでした。

もっと焦げ目を強くして、苦味を加えればよかったです。


ただ強い甘みだけのカラメルソースになりました(T▽T)


あと、もっと水分を減らせばよかった・・・ほとんど固まりませんでした




でも、まぁ子供たちは喜んでくれたのでよしとしましょう

Posted by ゆっぴ at 09:30  / お菓子  / この記事の詳細
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白い彼岸花

2007年09月19日(水)



朝気付いたら、庭に彼岸花が。

もっと燃えるような赤なんですけど、日光の具合でこんな感じ。

むかしばあちゃんに、「彼岸花は死体のあるところから生えてきた。だから血の色で赤い」と聞いたことがあるような・・・


その記憶からか、なんとなく縁起の悪いような少し怖いイメージがある。


この彼岸花の先に、白い彼岸花を発見。

調べてみたら、「シロバナヒガンバナ(白花曼珠沙華)」と言うそうだ。



緑の中に真っ白なのがとても印象的。

赤いのに比べて、花びら?が少し大きめ。



蔦状に伸びる茎からまるでシュロのような形の葉を持つ「るこう草」

真っ赤な星型の約1pほどの花がたくさん咲きます。

とても鮮やかでかわいらしいこの花が大好きです。


敷地の入り口には芙蓉が咲いていました。


儚いピンク色の大きな花。

ハイビスカスに似た感じで、たくさん咲いていました。


その足元にはこれ。


この花だけ、名前がわかりません。

あぜ道に咲いているのを見かけたことがありますが、そのあぜ道の脇が排水溝になっていて、なんとなく「汚いところに咲く」イメージ・・・



今日は専務と部長が大切な話し合いに出かけています。

今日決着はつかないかもしれないとのことですが、

会社に残る私は、結果が気になり仕事がうまくはかどりません。

無理に仕事をしようと思っても、気が入らないと言うか・・・


プリンでも作ろうかしら・・・(・ω・`lll)・・・



Posted by ゆっぴ at 12:03  / その他  / この記事の詳細
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