私は、生まれて間もなくの頃から耳を患っていた。
風邪をひくたびに中耳炎を起こす。
あるときそれが、両耳ともに鼓膜に穴が開いていることによる慢性中耳炎だと診断された。
しかしそれは、どうやら生まれつきではないらしい。
その時の担当医から、両親は「いずれ失聴(耳が聞こえなくなる)するでしょう」と告げられたそうだ。
物心付いたときには、たぶん月に幾日か大学病院に通院していた。
田舎住まいの私は母に連れられ、汽車やバスに約2時間ほど揺られながら熊本市内まで通院していました。
そこでもやはり「失聴」の言葉があったそう。
両親はどれほど苦にしただろう。
いくつもの病院を渡り歩くように、中耳炎を起こすたびに駆け込んでいたようだ。
なぜ失聴が考えられるかと言うと、中耳という鼓膜の奥に耳小骨という音を伝える中が空洞になった小さな骨があります。
鼓膜に穴が開いていることにより音がきちんと伝えられず、年齢とともにある程度まで成長していくはずのその耳小骨が、成長しないためだと考えられました。
幼い私を不憫に思い、また治れとばかりにばあちゃんがあるところに連れていきました。
自宅から徒歩1分もかからないところ。
そこには「とん神さん」と言われる石が祭ってありました。
城泉十世 徳岸和尚師のお墓と伝えられています。
なぜ地元の人達が「とん神さん」とお呼びしているのかはわかりません。
その昔、災害続きなどによる飢餓や疫病の蔓延により村人の生活が困窮を極めている姿をご覧になった和尚さまが、自らの命を投げ捨てて、村人の苦しみを救おうと決意された。
この地において食を断ち、平安祈願の行に入られること二十一日間、昼夜を問わずこの土の中から念仏読経の声が聞こえたという。
和尚さまは行に入られるとき、人々の苦しみ、特に腰から上部の病気を救ってやると言われたと言い伝えられている。
ばあちゃんはこの神さま(正確には仏さま?)を「とんがみさん、とんがみさん」と呼びかけるように優しく手でたたいた。
耳が不自由な私のためのお参りなので、きちんと聞こえるよう、気付いていただけるようにそうするのだと、確かばあちゃんは言っていたと思う。
「○○(私の名前)の耳が治りますように。きちんと聞こえるようになりますように・・・」
毎日のように連れられてお参りしていた。
ある日またいつもの中耳炎を起こし、それまでとは違う病院に行った。
そこで担当の女医さんに告げられたこと。
「治りますよ。失聴することはありません」
これまでどこに行っても「聞こえなくなる覚悟を」と言われ続けていた母は、それこそ我が耳を疑っただろう。
基本的に治療の仕方は他の病院と変わらない。
でも、治るとおっしゃった。
以降、この病院がかかりつけになったことは言う間でもない。
小学校に上がってからも通院は続き、授業の途中で抜けたり、通院の後に学校へ行くことも度々。
みんなが席に着き授業を受けている最中に登校し、一番前の教壇に立つ先生に「今帰り(来)ました」と言いに行く日々。
席に着くみんなの間を通るため、その目が一斉に向けられているようでなんだかイヤだった。
私が教室へ入れば、「今来た」ことは一目瞭然であるのに、母は決まって「先生に 今来ました ってちゃんと言いなさい」と言い、嫌々ながらもその言いつけを守っていた。
小学校では水泳の授業がある。
水が耳に入っても中耳炎を起こす。
他の病院では、いづれプールの授業などが始まると、耳栓をして参加することも可能と言われたが、この女医さんは、「泳がないでください」とおっしゃった。
耳栓とは、確実な水の耳への進入を防ぐ方法ではないと。
当然親はこの女医さんの言葉を聞きいれ、水泳を見学させた。
小学校低学年であれば、授業というより水遊びに近い。
最初はみんなで小プールに入っていて、水嵩もひざ程で私もそれならばと参加していた。
学年が上がるにつれ、大プールへと移行。
足は立つものの、みんなの泳ぎで波が立つため私は入れない。
プールサイドに座り、足だけを水につけていた。
そんな授業風景の中、私が今でも鮮明に覚えていて忘れられない出来事がある。
ある日、みんながプールサイドに上がった後、先生が私にプールに入るようおっしゃった。
なぜ? 不可解な先生の言葉に戸惑ったが、言われた通りプールへ。
先生は私の手を取り、平泳ぎの足の使い方を教えてくださった。
が、このときの私は、この先生の行動が許せなかった。
私はそれまで一度も潜ったこともなければ、泳いだこともない。
耳に水がかかることさえ恐怖を感じていた。
中耳炎がひどいときは、母でさえ私の髪を洗うために美容室へ連れて行ってくれていた。
同級生のみんなは、何メートル泳げるか、またはどれくらいのタイムで泳げるかという授業過程を経ている。
そのみんながプールサイドに立って見守る中、私だけたった一人、先生に手を取られて足だけの平泳ぎ。
水の中で足が付かない事の恐怖。
先生は手を引いて進んでいくが、体を持ってはくれないため、必死で顔が沈まないよう上半身に力を入れて足を動かしている私。
先生は「○○ちゃんは耳の病気で水泳ができません。みんなが一緒だと波が立つから耳に入るかもしれません。だから一人で練習しなければいけないのよ。」と、私の手を引きながらみんなを見渡しておっしゃっていた。
楽しそうに競い合いながら泳いでいた同級生。
同じクラスなのに、方や必死の足平泳ぎ。
私はこのとき、「まるで見せ者」との感覚しかなかったのだ。
早く終われ!! 頭の中にはそれしかなかった。
先生は何かを感じたのか、私が一人で泳がされたのはこの時一度だけだったと思う。
担当の女医さんのおっしゃる通り、失聴はしないまでも中耳炎は治ることなく小学校、中学校を卒業し、高校へ入学となる。
つづく