母の日に
2008年05月12日(月)
昨日は母の日でしたね。
母ってなんでしょうね。
簡単に「母」と言ってもその存在の大きさは測りようも無く
でも、「母」の一言でその全てが表現されるような。
以前、Happy Birthday 私 で少しだけ紹介した母。
世の中には、母の思い出がない人や母と決別した人など、いろんな境遇の方がいらっしゃるでしょう。
幸いなことに私には、常に母がいてくれました。
おかあさん おかあさん と甘えていたころも
お母さんなんて嫌いだ と反抗していたころも
常にいてくれました。
次第にうっとおしくなっていったころも
なんだか小さくなったように感じたころも
常に居てくれた母。
ただヒステリックに喧嘩してみたり、こそこそと二人で内緒話をしてみたり
気恥ずかしくもあり、なかなか「ありがとう」が言えなかったころを思い出します。
常に居てくれたために「母」と特段意識することもなく、居るのが当たり前と過ごしてきた日々。
東京へ行ってからというもの、次第に「母」の存在が、私の中で明確になってきました。

元気? というたまの電話。
今日はこんなことがあってね! と楽しそうに報告してくれる母。
かと思えば、家業が苦しいと訴えたこともある母。
その訴えを聞いた時の私ときたら、とたんに不機嫌になって母に当たってしまった。
「そんなこと言われたってさ。 どうしろって言うの!?」
「そうね。あんたはあんたで頑張ってるんだし。ごめんね。」
確か母は、寂しそうに、情けなさそうにそんなことを言ったように記憶している。
今思うと、なんてバカな娘だったかと。
当時の私は
親は子どもに心配をかけちゃいけないんだ
親は常に親として上に立ち、子どもを見守るものだ
そう思っていました。
だから、子どもの私に弱音を吐露し頼ってきた母が、私の描く「親」の像から一脱したことに嫌悪感を感じ、むげに冷たい言葉を掛けてしまった。
それからは決して、苦しい家業のことを口にしなくなった。
私は、なんという我慢をさせたのだろう。
なんというプレッシャーを与えただろう。
一人東京に出て、右も左もわからないながら
一歩一歩と進んでいた私には、「頑張っている」という自負があったのだろう。
私だって一人で頑張っているんだから、親も頑張って当然。
そう思っていたのだろう。
今まで一人で生きてきたわけでもあるまいに・・・
一人で歩きながらも、多くの人の助けを借りていたであろうに・・・
それまで「大きな母」だったのに、弱音を吐くことで「小さな母」になり
なんだか嫌だった。
年に二回、必ず実家に帰っていた私。
いつもそれはそれは楽しみにしてくれ、もう帰るの?と寂しそうだった母。
久しぶりの友人との再会のため、何日も夜をあけることがあっても
「楽しいときは今しかないんだから」と、言ってくれた母。
喧嘩をしてしまい、「せっかく帰ってきたのに、こんなに不機嫌にしてくれちゃって!」と、全てを親のせいにしたことも。
母が私と喧嘩をしようと思うはずがないじゃない。
嫌な思いを抱えたまま、東京に戻そうと思うはずがないじゃない。
今ならそう思うけど、当時はその「嫌な思い」のまま帰京したこともあって・・・
母にはどれほどつらい思いをさせただろう。
帰京する娘。
また目の届かないところへ行く娘。
日々を心配し、常に気にかけている娘が、不機嫌なままぶっきらぼうに帰って行く。
それを見送る母の胸中はどんなだったろう。
そう思えば思うほど、なんという親不孝をしたのだろうと、悔やまれてなりません。
そんな私でも、いつもいつもそうではなく。
離れて暮らしていたおかげで、「母」と意識することが多くありました。
意識するというより、「感謝の気持ちを持てる」と言ったほうが正しいでしょうか。
朝早くから夜遅くまで働き、マンションには寝るためだけに帰っていたような生活の中で、たまに送ってくれる宅配便には本当に助かりました。
日用品から食品に至るまで。
その中には必ず手紙が入っていて。
「気をつけて頑張るんだよ。 また帰ってくる日を楽しみにしてるからね。」
それくらいの文章なのに
その短い文章の中に、これでもかというほどの愛情を感じた私は
どちらが熊本の方向かわからないまま窓から空を見上げて、
「お母さん ありがとう」
と、つぶやいていたものです。

まだまだ母の「子ども」でいたい反面、「頼れる子ども」に成長しなければとも思いますが
いつになっても「母」は母であり、その存在は絶大です。
家業が苦しくても、母の「さぁ 頑張ろう^^」という笑顔を見てはなぜか安心し・・・
私が安心しきってしまえば、母に与えるプレッシャーが大きくなるからと、自分を制してみたり。
母に頼るのではなく、助け合っていきたい。
これ以上ない無償の愛情を、絶えることなくそそぎ続けていてくれる母。
言葉にせずとも、娘の幸せを常に願ってくれているであろう母。
何かの時には、一番に私の見方になってくれるだろう母。
そんな想いを持っていてくれることだけでも、どれほど感謝しても足りないでしょう。
そんな母が、少しでも嫌な思いをする機会を減らすために
私はしっかりしなくては。
娘は母親の作品。
私の行動で、母が誹られるようなことがあってはならない。
何かがあっても、きっと私を守ろうとする母が、自信をもって庇える娘でなければ。
それでも、完璧にはなれないでしょうが・・・
だって 「母」の娘ですもの (ノε`*)
お母さん 
いつも想っていてくれてありがとう
いつも支えになっていてくれてありがとう
いつも大きな力でいてくれてありがとう
なにもお返しできないけど
「この子は私の娘ですが、なにか?」
そう自信をもって言える娘でありたいと思っています。
つらい思いをさせているけど、厳しい生活を共にしてくれてありがとう。
私たちが第一線で活躍しなければならないのに
今だに頑張らせてしまってごめんね。
どうか体にだけは気をつけて。
元気でいてね。
お母さん いつもありがとう
私のお母さんでいてくれて ありがとう
お母さんの娘であることが嬉しいです
ご覧のとおりの私ですが、精一杯の想いを込めて
母ってなんでしょうね。
簡単に「母」と言ってもその存在の大きさは測りようも無く
でも、「母」の一言でその全てが表現されるような。
以前、Happy Birthday 私 で少しだけ紹介した母。
世の中には、母の思い出がない人や母と決別した人など、いろんな境遇の方がいらっしゃるでしょう。
幸いなことに私には、常に母がいてくれました。
おかあさん おかあさん と甘えていたころも
お母さんなんて嫌いだ と反抗していたころも
常にいてくれました。
次第にうっとおしくなっていったころも
なんだか小さくなったように感じたころも
常に居てくれた母。
ただヒステリックに喧嘩してみたり、こそこそと二人で内緒話をしてみたり
気恥ずかしくもあり、なかなか「ありがとう」が言えなかったころを思い出します。
常に居てくれたために「母」と特段意識することもなく、居るのが当たり前と過ごしてきた日々。
東京へ行ってからというもの、次第に「母」の存在が、私の中で明確になってきました。
元気? というたまの電話。
今日はこんなことがあってね! と楽しそうに報告してくれる母。
かと思えば、家業が苦しいと訴えたこともある母。
その訴えを聞いた時の私ときたら、とたんに不機嫌になって母に当たってしまった。
「そんなこと言われたってさ。 どうしろって言うの!?」
「そうね。あんたはあんたで頑張ってるんだし。ごめんね。」
確か母は、寂しそうに、情けなさそうにそんなことを言ったように記憶している。
今思うと、なんてバカな娘だったかと。
当時の私は
親は子どもに心配をかけちゃいけないんだ
親は常に親として上に立ち、子どもを見守るものだ
そう思っていました。
だから、子どもの私に弱音を吐露し頼ってきた母が、私の描く「親」の像から一脱したことに嫌悪感を感じ、むげに冷たい言葉を掛けてしまった。
それからは決して、苦しい家業のことを口にしなくなった。
私は、なんという我慢をさせたのだろう。
なんというプレッシャーを与えただろう。
一人東京に出て、右も左もわからないながら
一歩一歩と進んでいた私には、「頑張っている」という自負があったのだろう。
私だって一人で頑張っているんだから、親も頑張って当然。
そう思っていたのだろう。
今まで一人で生きてきたわけでもあるまいに・・・
一人で歩きながらも、多くの人の助けを借りていたであろうに・・・
それまで「大きな母」だったのに、弱音を吐くことで「小さな母」になり
なんだか嫌だった。
年に二回、必ず実家に帰っていた私。
いつもそれはそれは楽しみにしてくれ、もう帰るの?と寂しそうだった母。
久しぶりの友人との再会のため、何日も夜をあけることがあっても
「楽しいときは今しかないんだから」と、言ってくれた母。
喧嘩をしてしまい、「せっかく帰ってきたのに、こんなに不機嫌にしてくれちゃって!」と、全てを親のせいにしたことも。
母が私と喧嘩をしようと思うはずがないじゃない。
嫌な思いを抱えたまま、東京に戻そうと思うはずがないじゃない。
今ならそう思うけど、当時はその「嫌な思い」のまま帰京したこともあって・・・
母にはどれほどつらい思いをさせただろう。
帰京する娘。
また目の届かないところへ行く娘。
日々を心配し、常に気にかけている娘が、不機嫌なままぶっきらぼうに帰って行く。
それを見送る母の胸中はどんなだったろう。
そう思えば思うほど、なんという親不孝をしたのだろうと、悔やまれてなりません。
そんな私でも、いつもいつもそうではなく。
離れて暮らしていたおかげで、「母」と意識することが多くありました。
意識するというより、「感謝の気持ちを持てる」と言ったほうが正しいでしょうか。
朝早くから夜遅くまで働き、マンションには寝るためだけに帰っていたような生活の中で、たまに送ってくれる宅配便には本当に助かりました。
日用品から食品に至るまで。
その中には必ず手紙が入っていて。
「気をつけて頑張るんだよ。 また帰ってくる日を楽しみにしてるからね。」
それくらいの文章なのに
その短い文章の中に、これでもかというほどの愛情を感じた私は
どちらが熊本の方向かわからないまま窓から空を見上げて、
「お母さん ありがとう」
と、つぶやいていたものです。
まだまだ母の「子ども」でいたい反面、「頼れる子ども」に成長しなければとも思いますが
いつになっても「母」は母であり、その存在は絶大です。
家業が苦しくても、母の「さぁ 頑張ろう^^」という笑顔を見てはなぜか安心し・・・
私が安心しきってしまえば、母に与えるプレッシャーが大きくなるからと、自分を制してみたり。
母に頼るのではなく、助け合っていきたい。
これ以上ない無償の愛情を、絶えることなくそそぎ続けていてくれる母。
言葉にせずとも、娘の幸せを常に願ってくれているであろう母。
何かの時には、一番に私の見方になってくれるだろう母。
そんな想いを持っていてくれることだけでも、どれほど感謝しても足りないでしょう。
そんな母が、少しでも嫌な思いをする機会を減らすために
私はしっかりしなくては。
娘は母親の作品。
私の行動で、母が誹られるようなことがあってはならない。
何かがあっても、きっと私を守ろうとする母が、自信をもって庇える娘でなければ。
それでも、完璧にはなれないでしょうが・・・
だって 「母」の娘ですもの (ノε`*)
お母さん 
いつも想っていてくれてありがとう
いつも支えになっていてくれてありがとう
いつも大きな力でいてくれてありがとう
なにもお返しできないけど
「この子は私の娘ですが、なにか?」
そう自信をもって言える娘でありたいと思っています。
つらい思いをさせているけど、厳しい生活を共にしてくれてありがとう。
私たちが第一線で活躍しなければならないのに
今だに頑張らせてしまってごめんね。
どうか体にだけは気をつけて。
元気でいてね。
お母さん いつもありがとう
私のお母さんでいてくれて ありがとう
お母さんの娘であることが嬉しいです
ご覧のとおりの私ですが、精一杯の想いを込めて
娘より







キンピラをおかずに、ご飯をたくさん食べてください
ご声援、しっかりと伝えておきます。
ありがとうございます
カーネーションは、プリザーブドフラワーです。
水遣りの心配も要らないし、プレゼントにはお勧めですよ