出来事・日々思うこと。
いたわり、思いやりについて。
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日本中で、痛ましい事件が起きている。
またその事件によって罪のない人たちも巻き込まれている。
最近のこのようなニュースを見て共通して考えさせられることは
「いたわり」や「思いやり」とは何かということである。
その行動や決断は自分なりに正しかったと思うかもしれない。
でもその前に冷静になって、
本当の「いたわり」や「思いやり」の心と行動というものを
自分なりに考えていれば、
気づいていれば
防げたことが、
たくさんあったのではないかと思う。
でもそれほどまでに「いたわり」や「思いやり」というものを
自分の中で考えるということができなくなっている、
あるいは自分の中で勝手に解釈してしまっている、
また「いたわり」や「思いやり」というものを
実は実際に肌で感じたことがない人が
多いのかもしれない。
自分が勝手に考えるところ、
自分と対象とする相手との関係で
「いたわり」や「思いやり」の心を分かち合うには
2つの条件が考えられる。
ひとつは相手があることを認識している、
相手の存在を認めていること、
そしてもうひとつは自分自身の意志(~したい)がそこにあること。
この二つがなければ本当の
「いたわり」と「思いやり」に結びつく行動には
ならないと思うし、相手もそのようなものとして
受け入れられないような気がする。
それは恋人の関係でも
上司と部下の関係だったとしても同じこと。
相手の存在は認めているが自分の意志がそこになければ
自分のいたわりや思いやりの心やその行動は
自分にとっては偽りとしての行動になるだろうと思うし、
相手にとってみればとても優しい人と映るかもしれない。
また相手の存在を認めないで
自分の意志だけがあるいたわり、
思いやりの行動であれば
それは自分自身にとっては
身勝手な行動になっているのかもしれない。
そしてそれは相手にとってみれば
お節介な行動に映っているのかもしれない。
相手の存在を認めること、自分の意志があること。
ここでこの問題をちょっと考えるのにふさわしい
エッセーがある。
「21世紀に生きる君たちへ。」
これは小学校の教科書で
小説家である故司馬遼太郎さんが残したメッセージである。
ちょっとリンクしてあるのでぜひ読んでいただきたいと思う。
http://www.kantei.go.jp/jp/kidsold/hanashi/r_s_txt.html
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いろいろな意見があるだろうと思うし、
考えさせられることがたくさんある。
実際に21世紀に生きている私たちにとって
実に胸にぐさぐさっとくるようなメッセージの数々である。
ここでは優しさ・いたわり、他人の痛みを感じること、
そして自己の確立(自分らしさのようなのかもしれない)
というものは
「本能ではない」
つまり「生まれてから勝手に身につくもののたぐいではない」
ということが書かれている。
本能ではない限り、
エッセーにも書いているように
自分が生きている間に「訓練」をしなければ
ならない。
小さくてもひとつひとつの積み重ねがやがて
私たちの未来が明るいものとなるきっかけをつくる。
少なくとも目の前の、目先の問題が
変な方向に自分も相手も流れないだろうと思う。
自分もこのことについて反省することもあるし、
またこのこととはかけ離れたことをされたこともあります。
あなたにとっての「いたわり」「思いやり」とは
何ですか?
最後に、、秩父のある公園に「思いやりの木」という木があります。
時間がありましたらぜひごらんください。
JUN