出来事・日々思うこと。
進路(キャリア)に迷ったときに・・。
みなさんは自分の進路(キャリア)に
ついて迷ったことはあるだろうか?
どんな学校に入るのか、
どんな大学にいくのか、
もちろんどんな会社に入りたいのか
ということも含まれる。
「迷いはありません、これって決めています!」と
自信を持って断言できる人は
おそらく少ないのではないかと思う。
いずれにしてもあれもこれもと
進路を選択することは
現実的に相当努力しないとできない。
かならず大きな選択が迫られる場面が必ず出てくる。
また自信を持ってこの進路に進んだものの、
ちょっと違うかな、、と
ちょうど思い始めている人も
もしかしたらいるのかもしれない。
それほど進路を選択することは
誰でも迷い苦しむもの。
自分も進路に迷い続けたひとり。
せっかく入った高校は突然に辞めてしまうし、
勝手に上京はしてしまうし、
当時からしてみれば何て無茶で
非常識なことをしているんだと
よく周りから見られていた。
自分のこれまでのしてきたことを話すと
ある人からは「すごい頑張ったんですね!」
といわれることもあるし、
またある人からは「とても大変でしたね!」
と同情されることもある。
受け止め方は人様々。
でも、どんな状況に置かれたとしても、
どんなに周りのせいにしたとしても
今の進路を自分自身が選んでいる(選択している)
という事実がそこにあることには変わりない。
自分の進路を決定するときに
どんな情報が参考になるだろか。
友人や先輩との何気ない会話、
自分の好きなテレビや雑誌の情報から、
またある人は様々な人とのかかわりの中で
何となーく自分の中で
決まってくるのではないかと思う。
でもそのようなことだけで決められるものなのだろうか。
では、昔(少なくとも自分が生まれる前の人たち)は
自分の進路についてどのように考えていたのだろうか?
自分の親に、あるいはおじいさん、おばあさんに
聞いてみると今とは違った考えを持っている。
戦前・戦中に自分の進路を決めなければならなかった
時代に生まれた人たちは自分の意志ではなく、
「家族」の中で自分の果たすべき役割が決められていた。
長男・長女は家を守るという、家業を継ぐという進路の選択
が当たり前だった時代もあった。
やがて戦後に生まれた人たち、
今人口が一番多いといわれている世代(通称、団塊の世代)である
60歳前後ぐらいの人たちの世代になって
自分の生き方について悩みながらも
自分の進路を
自分で決めていくことができるようになった。
家にしばられることなく、家から離れ、
家業とは関係がない自分の職業を選択して
自分の家(マイホーム)を持つということが主流になっていった。
時代の進路に対する考え方が変わるように、
その時代を生きる人が
進路を選択する感覚というものも
変わってきている。
そう考えると今の時代は、昔に比べて
進路の幅もとても広くなったし、
ほぼ自由に選択できる時代と言っていい。
戦前や戦後まもなくのように
長男だからと言って家業を必ずしも継ぐという
こともない。
自分のやりたいことがあれば
自分の努力次第でつかみとることもできる。
その一方で進路の選択の幅が広がっているあまり、
また周りの人と比べることからくるあせりから
自分がどの道に行くのか迷ったり、
自分探しになっている人もいるかもしれない。
現実に就職はしてみたが途中でやめて
別の進路を歩んでみたり、
海外へしばらく身を置いて
自分探しの旅に出る人もいる。
イメージと現実のギャップに驚いてみたり、
落胆してみたり・・。
今自分のやっていることは
自分が選んでいる進路は、
自分の思い描いている
将来や夢に対して矛盾していることを
もしかしたらしているのかもしれない。
でも、今実際に選択している道があって
自分がそこにいるとするなら、
今の自分の状態がプラスであれ、マイナスであれ、
確かに自分は何らかの意志や意図を持って
今の進路の選択をしているという事実がそこにある。
今一度確認したいことは
自分のなかの
「選択の基準」 、
どんなことを大事にして自分は迷ったときに選択したり、
決断したりするのか?
そして苦しかったとき、辛かったときを乗り越えたとき、
もし乗り越えたことがあったらなら
何がその辛さを乗り越えさせたのか・・。
忙しい日々、
流されていく日々の中で
ゆっくりこれらのことを整理することによって
もしかしたら忘れ去られていた
「自分らしさ」
というものが見つかるかもしれない。
進路(キャリア)に迷ったとき・・。
将来の不安や迷いはあるけれど、
誰も持っていない「自分らしさ」
をこの機会に取り戻してみよう。
野坂寺にて( Photographed by Zacti DMX-HD700)
JUN