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「マニュアル119番」ブログへようこそ。
このブログは、製品マニュアル制作の豊富な経験を持つプロのテクニカルライターが、
文書やコミュニケーションについて、あれこれ語ってしまおうという、
お役立ちブログです。

あなたの日本語、間違ってます!  2008年07月31日(木)

投稿者:Ash

 今回の思い切ったタイトル。じつはこれ、当ブログに登録してあるカテゴリ名のひとつなのです。
 会社ブログを立ち上げた折にいくつか作ったもののひとつですが、この「間違ってます!」のカテ名にみんな恐れをなしてか、誰も記事を書かない。一本の記事もないまま、現在に至っているのです。

 ならば仕方がない。私がスケープゴートになりましょう。
 そういうわけでもありませんが、今回はこのカテ名に沿って書いてみることにします。さあ、間違ってるあなたの日本語、バシバシ指摘していきますよ…!

 …て、そんな話じゃありません。だいいち、私にそんな日本語力などありゃしません。それどころか、私は基本的に「今そこで使われている日本語」に間違いなどない、という主義なのです。使われ、(良くも悪くも)コミュニケーションが成立している以上、それは正しい日本語である、というわけです。

 「自分の日本語に自信がないから、そんな主義を唱えるのだろう。」
 …痛いとこ突いてきますね。いや、違う、違う。決してそのようなことではありません。
 私もかつては、若い人が使うあのことばはおかしい、ファミレスで聞くあの言い方は変、とたびたび感じ、ときには不快感に眉をひそめたりするひとりでした。ことばは変化するものだ、という気持ちで受け入れられるようになったのは、ここ10年くらいのことです。

 テクニカルライターという職業柄、仕事では辞書的意味から外れない正確なことばや表現を使わなければいけませんし、規範文法に則(のっと)った文を書かなければなりません。自然、日常生活でもそういうことには敏感になります。敏感になるあまり、周囲で耳にすることばに対しても「正しい、正しくない」の評価を知らず知らずのうちにしてしまうことがあります。
 しかし、ことばとは時とともに次第に変化していくものであり、周囲で耳にすることば、つまり話しことばは、それが顕著に表れるものなのです。変化しているその姿こそ、使われている(=支持されている)証拠といえます。ことばが使いやすいように変化(ら抜きなど)したり、淘汰されていくのは、自然現象のひとつなのです。

 ただし、出版物に使われる日本語については、私もそれほど寛大ではありません。ここには、ある程度の尺度が必要だと思っています。尺度といってもなかなか線引きはできないでしょうが、たとえば大手新聞社が発行している用語集などは、そのひとつとして有用だと思います。
 書きことばと話しことばに対する寛容さ加減の差を例えるなら、交通法規と、実際の道路交通の流れ―もちろん自分もその流れの中で運転しているとして―との差とでもいえるでしょうか。しかし書きことばも、交通法規と同様、時々の実情に合わせ、時間を経て変わっていく宿命にあるのです。

 「日本語が乱れている」とは、今も昔もよく聞く話です。そんな話題が持ち上がるとき、槍玉に挙げられるのは、たいてい若い人々が使う日本語です。
 でも、いつの世でも若い人たちはそう言われてきたのです。そして若者は年をとってくるにつれ、自分の憶えてきたものとは何か違う感性のことばが、少しずつ周りに増えていき次第に定着していく有様を見て、こう言うのです。「若者のことばが乱れている」。
 古典も生まれたときから古典なのではなく、そうやって古典となっていったのです。

Posted at 12:29 | ◎あなたの日本語、間違ってます! | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「ぎっちょ」は方言?不快用語?  2008年07月30日(水)

投稿者:ME

調べてみたところ、方言ではないそうです。ただ…放送禁止用語ですが、差別語と断定もされていません。左利きに偏見を持っている人にとっては「差別用語」だが、今はそういう時代ではないという意見に同意。あえて掲載することにしました。

きっかけは、なつかしい人と乾杯をしていて、近況を語っていたときのこと。私の体調がすぐれない(すぐれないのに、飲みに行っていますね…)のは、趣味が少ないからだ、みたいな話になったのです。「楽器どう?」って言われ、「ピアノはもうイヤだし、弦楽器は左じゃないとダメだし」から広がりました。

幼稚園に入る前、私は従兄のウクレレを弾いていました。これが左だったんです。以来、ギターを買ってもらったときも、高校の音楽の授業でギター合奏をしたときも、頑なに左を貫きました。先生から叱られましたが。しかも、左用に弦を張り替えてもらうと、とたんに弾けなくなります。ほかの弦楽器もイメージしてみましたが(チェロや琴など)、どうしても右で弦を押さえて、左で奏でる…

「はさみは?」、「右だけど、どっちも切れる」。「書くのは?」、「右」。「箸は?」、「右だけど左も大丈夫…スプーンは左」。「えっ?そりゃ『ぎっちょ?』じゃーん」という流れです。でも、差別用語かも…という思いがあったので、「サウスポーもどきってことにしよう」でまとまったのですが。

こどもの頃に矯正されたのでしょうね。それもずいぶん小さいときに。ただ、両親は私がウクレレで遊んでいるとは知らなかったでしょう。鉛筆と箸と投げる動作さえ直せばOKだったのですね。

ほかにも左のほうが強い動作があります。トランプを切る動作、ゆで卵を剥く動作、不思議なのは「鍵」です。施錠、開錠とも左でないとできません。鍵穴に入らないのです。さすがにクルマのイグニションを回すのは、右ですが。キーレスエントリーのボタンも左で押します…

それで、コトバ再発見。「ぎっちょ」とは「左ぎっちょ」の略語であり、俗語でもあります。しかし「左手」自体が不浄なものとされていた歴史はあったようです。だから矯正もされたし、「ぎっちょ」と聞いて、反射的に「不快用語?」と感じたのですね。おそらく廃れていくコトバでしょう。世間様は何年も前から「サウスポー」ですから…

Posted at 13:08 | ◎コトバ再発見(エッセイ編) | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
オリンピック!入場順は中国語!?  2008年07月29日(火)

投稿者:よなぼー

北京オリンピックまであと10日!
メディアも盛り上がってきましたね。私もなんだかワクワクしています。
(普段は興味のない競技にもオリンピックとなるとなぜか気合いが入りませんか?)

競技ももちろん楽しみですが、いつもオリンピックやスポーツの国際大会で気になるのが「国名」です。
知らない国がたくさんあるのです。ありすぎるのです。
私の持っている地図には載っていなかったりして、「ああ、最新の地図を用意しておくべきだった!」といつも思うわけです。
ご存じの通り各国選手団の入場は、ギリシャ→アルファベット順→開催国の順番です。
日本は「J」だからまだまだ先だなとか思いながら開会式を見るわけです。
しかし、日本の順番が来るまで長い長い。
こんなに国があったのかと思いながら開会式を楽しんだりしています。

ところが、10日後に迫った北京オリンピック開会式はちょっと違います。
参加する各国・地域の中国語表記(漢字(簡体字))の画数の少ない順から入場するんだそうです。
ええ!?わからない。日本はいつ出るんだ!?日本人なので一応漢字は読めます。そりゃ何とか。
いや、それにしても・・・。画数が少ない順と言われましてもやっぱり難しいですよね。
ご参考までにいくつかの国を中国語(簡体字)でお知らせします。
え?出場順?そ、それはご自分でお調べになってくださいませ。

日本語表記
英語表記
中国語表記
ギリシャ
Greece
希腊
中国
China
中国
日本
Japan
日本
アメリカ
United States
美国
イギリス
United Kingdom
英国
オーストラリア
Australia
澳大利亞
ブラジル
Brazil
巴西
エジプト
Egypt
埃及
チェコ
Czech Republic
捷克
ドイツ
Germany
コ国
フランス
France
法国
インド
India
印度
マレーシア
Malaysia
馬來西亞
カナダ
Canada
加拿大
スペイン
Spain
西班牙

Posted at 10:06 | ◎娯楽? 語が苦!? 語学のはなし | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(1)
アクセント文化雑考【広島】  2008年07月28日(月)

投稿者:ME

よなぼーさんの記事「ケンミントーク」を読んで、思いつきました。以前、私は「めぼとめいぼと…」という記事を書いています。地方によって違うコトバ文化には、やはり興味があります。

アクセントは方言の大きな要素ですよね。というのも、広島で生まれ育った私は、いつの頃からか「広島のアクセントは不思議だ」と感じていました。よく言えば標準語寄り←よく言いすぎ?

たぶん、関西のタレントさんが関西弁を前面に出して、全国ネットで話し始めた頃からでしょう。関西のアクセントは、昔の広島のコドモだったらよくわかっているはず(あえていつの時代かは申し上げませんが)。土曜日の午後は、関西発の番組を見て大笑いする、というのが習慣だったのです。広島とはアクセントがまったく違うのに、どのあたりから変わっていったのかまでは考えていませんでした。

学生時代に、陸上競技の大会で近隣の地域…それぞれの県の人と話す機会がありましたが、広島のアクセントだけが異なることに気づきました。兵庫県のお隣である岡山県と、岡山県から船に乗ることが多かったであろう四国の人が関西系なのは、なんとなくわかります。でも、広島を飛び越えて、どうして山口県が関西系?細かい点はぜんぜん違います。だけど、「学校」、「先生」などよく出てくるコトバ(単語)のアクセント、山口県の人も関西系だったのです。

広島弁って、地元の私が聞いていてもけっこうコワイですが、単語アクセントはわりとオーソドックスなんですよ。あまりに強烈すぎるので、アクセントくらいは普通にしておこう、という先人の知恵なのでしょうか。

京都勤務時代、雑誌で見つけた記事があります。これは私が京都の人に伝えなくては…と、お昼休みに披露した広島弁です。広島の男性は、女性を素直に労わることが苦手で、男気を押し出すわりにはシャイな面もある…そんな分析でした。そこで!「広島の男性が女性に謝るときに使うコトバ」とは:

じゃけぇ、ワシがわりいゆうて言いよるじゃろうがっ!

そういうことなんですよ。こんなおっそろしいコトバでも、ひとつひとつの単語アクセントは標準(に近い)です。だけど、きっと広島人しか読めません。あ゛〜っ、もっと伝えたい!

Posted at 09:43 | ◎コトバ再発見(エッセイ編) | この記事のURL | コメント(3) | トラックバック(0)
風邪にもいろいろありまして  2008年07月24日(木)

投稿者:Ash

 風邪を引いてしまった、のかどうかわかりませんが、家族で順番に発熱です。

 「風邪を引く」は英語で「catch (have, get) a cold」=「風邪(寒さ)を受け取る」。
 英語なんか忘れちゃったよ、なんていう人にも、この表現は意外と定着しているのではないでしょうか。
 たしかフランス語でも同じような言い方してたよな…でも調べないと出てこないのは、私がちゃんとお勉強していないせいです。

 ありました。「寒さ」(froid)を「受け取る」、という言い方です。受け取るのは「風邪」(rhume)でもよさそうです。こちらのほうが、よく使われるのかな。

 ちょっと安心。

 …していられないんだなあ、性(さが)というか。他の言語も調べたくなってしまうのです。そこに辞書がある限り。

 イタリア語。うん、やはり「風邪」(raffreddóre)を「受け取る」です。スペル中の「fréddo」だけを取り出せば、「寒い」という意味です。

 スペイン語。スペイン語には「風邪を引いた〜」(resfriado)という形容詞があって、英語で言う「be動詞」(〜です)を使って言います。スペルに含まれる「fria」は、おなじみの「寒い」です。前出3言語の「風邪受け取り」式の言い方について、スペイン語でも探してみましたが、見つかりませんでした。

 ドイツ語。「風邪を引く」(erkälten)という一語の動詞があります。ここにも「寒さ」(kälte)が隠れています。

 と、ここまでにしておきましょう。本当は、日本語の「(風邪を)引く」についても気になっているのですが(風邪をいったい、どう「引く」のでしょうね)。なにせ、熱を出している身なので、今日はこの辺で。

 待てよ、熱が出るって「run a fever」と聞いたことがあるけど、他の言語では…。

− − − − − − −

 えー、「風邪を受け取る」という表現がスペイン語で見つからない、と書いてしまいました。でも、ありそうなのに、不思議…と思いつつもう一度探してみると、あっさり見つかりました。う〜ん、どこを見ていたんだろう。
 ちなみに coger un resfriado です。間違えたときは憶えるチャンス!が語学やるうえでのモットーです。…よね?

Posted at 12:28 | ◎娯楽? 語が苦!? 語学のはなし | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
日本の夏、「そうめん」の夏  2008年07月23日(水)

投稿者:よなぼー

暑い日が続きますね。
夏にめっきり弱いよなぼーです。
年々暑さに弱くなっているのは私が歳を重ねているからなのか!?
それとも年々暑くなっているからなのか!?
今年も南半球に逃げてやる!という野望は叶わず、炎天下の下、汗をだらだら流しながら通勤するよなぼーなのです。

暑さにはめっきり弱いのですが、夏バテはしません。
でも、暑くなるとつるつるっと食べることができる麺類が恋しくなります。
日本の夏といえば、「そうめん」ですよね。
「そうめん」はなんと奈良時代から食べられているそうです。
奈良時代・・・。700年代ですね。(なんとでかいな平城京で710年と記憶しています。)
と、いうことは1300年も前から日本の食生活に「そうめん」があったわけです。

そういえば、お盆に祖母の家に行った時に必ず仏壇に「そうめん」が供えてあった記憶があります。
(余談ですが、愛媛県なので「五色そうめん」でした。)
ただ、そこに「そうめん」があったから供えてあったのだと思っていましたが、どうやら違うらしいです。
様々な説があるようですが、どうやら全国的にお祝いごとや忌みごとで「そうめん」をお供えしたり、食べたりする習慣があるのですね。
知りませんでした。

昔から日本の様々な行事に登場する食べ物なのです。

我らが地元、広島には「鯛そうめん」があります。
これまた、そういえば…広島で結婚式に出席すればお膳についてくるような気が。。。
あまり意識していませんでしたが、広島県ではおめでたい席では「鯛そうめん」を食べる風習があるのだそうです。
広島歴30年近くのよなぼー、知らなかった「そうめん」の奥深さ。
ああ、「そうめん」がそんな奥深いものとは知りませんでしたが、食べたくてたまらなくなってきました。

この夏も何度も「そうめん」のお世話になると思います。
ちょっとだけ、歴史を感じつつ味わってみようかと思います。
(でも、実際には何も考えず食べるだけなのです(笑))

Posted at 15:59 | ◎コトバ再発見(エッセイ編) | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
非言語メッセージ?  2008年07月17日(木)

投稿者:Ash

 移動販売の豆腐屋さんが、極低速で軽トラックを歩かせ(?)ながら、近所を回っています。やってくるのは、決まって土曜日の夕方です。いや、土曜日だけだということはないのでしょうが、わたしが家にいて豆腐屋さんの訪れを知るのが、土曜日だけなのです。

 なぜ豆腐屋さんとわかるかといえば、いわゆる「豆腐屋さんのラッパ」を流しているからです。(録音を流しているのでしょう。まさか本当に吹いてはいません?よね?車を運転しながら!)

 でも、私が豆腐屋さんのラッパの音を実際に聞いたのは、ここ東京にきてからのことです。西日本で3つの県に住みましたが、どこでもホンモノを聞いたことはありません。つまり、1)ラッパを鳴らして歩く 2)豆腐の 3)移動販売業の人 にお目にかかったのは、東京が初めてなのです。
 いまも Web でちょっと調べてみましたが、ヒットするのは関東地方の記事ばかりです。

 では、どうして東京にくる以前から、私に「豆腐屋さんのラッパ」という認識があったのでしょうか。
 おそらくテレビドラマや、あの超長寿アニメーション番組内で(移動販売の描写とともに)使われているのを、記憶したものだと思います。「町の夕暮れ」を演出する効果のひとつなのでしょう。

 それにしても、竿竹屋さんといい、焼き芋屋さんといい、某ウマ科動物のパン屋さんといい、移動販売は商品をことばで周囲に触れながら歩く、というのが定番と思います。しかし、ラッパの簡単な音階だけでちゃんと固定客を取り込んでいるあたり、テレビ媒体を利用してラッパのメッセージ性を高めた豆腐屋さんの販売戦略は、なかなかのものですね。(きっとそこまでしてないと思いますが。)
 これも非言語メッセージ、というやつでしょうか。(きっと違うと思います。)

 ところで、私が「豆腐屋さんのラッパ」として知っているラッパの音とは、音階でいえば「ソ〜 ラ♭〜 ソ〜」となります。
 単純な音階ながら、真ん中のラ♭(フラット)に切り替わるところで、夕暮れの哀愁を感じさせます。
 が。
 うちの近所にやってくる豆腐屋さんときたら、「ソ〜 ラ〜 ソ〜」と、テレビでおなじみのものとはちょっとだけ違う音なのです。違いはちょっとだけでも、聞いた印象がまったく異なってしまうのは、和音のセオリーを持ち出すまでもありません。持ち出せといわれても持ち出せませんが…。
 簡単にいえば、あの哀愁はどこへやら、なんだかあっけらかんとした印象のメロディです。それもそのはず。「ソ、ラ、ソ」は、あのかわいらしい曲「アマリリス」の始まりの3音と同じなのですから。

 その音は「豆腐屋さんのラッパ」として自分の中に長く記憶しているメロディとせめぎあい、私の音感はこれにしきりと反発します。違う音なのだと流してくれればいいところを、同じ音なのに耳が変なのでは?という生理的な警告を発するのです。

 豆腐屋さん、録音でなくもし本当に吹いていらっしゃるのでしたら、できればスタンダードなほうでお願いしたいんですが…。豆腐買いますから…。

Posted at 08:52 | ◎コトバ再発見(エッセイ編) | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「低体重」は思いやりのコトバ?  2008年07月16日(水)

投稿者:ME

これは自慢でもなんでもなく、私は「太る」ということに縁のない人間です。毎年の健康診断で必ず「やせすぎ」と書かれてきました。よく、うらやましいと言われますが、絶対にそんなことはありません!拒食症でもありません!BMI値が15〜16。非常に疲れやすく、日々を乗り切るので精一杯という感じです。重いはずの骨はしっかりしているので、いかに血と肉が不足しているか…

まぁ、自分の体質を愚痴ってもしかたないですね。本題です。上の段落に書いた「やせすぎ」という診断名が、ここ数年「低体重」に変わってきたのです。

些細なことと思われるでしょうが、受け取る側の印象はかなり違います。「やせすぎ」とたたきつけられると、「はいはい、どうせ私はガリガリですよ!」などとむくれていたのに、「低体重」だといやな思いをすることがありません。

そういえば、高校時代に体育の先生(女性)が言っておられました。「私は太っているのではない!『過体重』なのよ」と。当時は体脂肪率がどうのこうのって時代ではなかったのに、先生は自信を持って、「これは筋肉よ」と言われていました。それで「過体重」というコトバはよく覚えています。半信半疑だったことも覚えていますよ…H先生。

保健体育や医学の世界などでは、肥満と過体重は明確に区別されていたのでしょうね。「低体重」は、新生児の体重で使われてきたようですが、私がお見かけしたのは、数年前の健診結果がはじめてです。もしかしたら「やせすぎ」というコトバに傷つく、私のような人を思いやっていただけたのでしょうか。だとしたら、とても嬉しいことです。

あ、もうひとつ思い出しました。かなり前に「るいそう」と書いてあったことがあります。これも、どうせ体重のことだろうとは思いましたが、「なんだか病気っぽいなぁ」と感じた程度で放置していました。さっきサイトを見てみると、あらっ!本当に病気という診断だったんですね。「栄養失調」などと書いてあって…知らぬが仏とはこのことです。よかった、知らなくて。

関係者のみなさま、「やせすぎ」や「るいそう」というのは、撤廃していただき、どうか「低体重」でお願いします。

Posted at 16:01 | ◎コトバ再発見(エッセイ編) | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(1)
ガロンとオンス  2008年07月15日(火)

投稿者:よなぼー

これまでに海外の単位や表記の仕方について何度か紹介しました。
過去の記事はコチラ
今度はもっと身近なところで飲み物について触れてみようと思います。

日本だと、500mlとか1リットルと表記されますが、さて海外ではどうでしょう?
OZ」やら「gallon」と書かれたのを見たことはありませんか?容積の単位ですね。
ペットボトルの見た目は日本の大きさとほとんど変わらないけど、書いてある単位が違うので内容量がいまいち分からない。。。
「ま、いいか、どうせ飲んじゃうんだし。」と思いながら過ごしてきたよなぼーです。
どうして、世界で単位を統一しないんだろうといつも思ってしまいます。
マイルやポンドと同様、日本人の私には全く馴染みがないのですから。
(なんて自分勝手なんでしょう。)
しかし、日本にもオリジナルの単位がありますね。
「尺」、「升」、「合」などがそうです。(もっと他にも種類があります。)
1合をもっと分かりやすい単位に直せと言われても、感覚でしか分かりません。
生活に根付いているということでしょうか?

さて、本題に戻しまして、イギリスとアメリカの単位についてです。
1 ounce = イギリスでは28.41ml、アメリカでは29.57ml *OZは(ounce)の略です。
1 gallon = イギリスで4.5439631リットル、アメリカでは3.785329リットル
アメリカとイギリスで違うんですね。面白いです。

日本のスーパーで売られている牛乳(1リットル)は、アメリカでは1/4 gallon(クォーターガロン 946ml)ということになります。
微妙に量が違いますね。私の見た目には全く分かりませんが。
ちなみに沖縄では946mlで売られています。なんとアメリカサイズ。
沖縄がアメリカの統治下にあった時の名残ですね。
今でも製乳工場がアメリカ仕様のままなのだそうです。

ん〜、単位って面白いです。奥が深いではないですか。
しかし、計算が苦手な私は残念ながらぱぱっと量が換算できないんですね。
やはり、統一を!と心の中で密かに願っております。

Posted at 10:10 | ◎トラベル中のトラブル | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ブックカバー考  2008年07月10日(木)

投稿者:Ash

 書店で本を買う。サービスで、ブックカバーを付けてくれる。ブックカバーといっても、地味な色の紙に簡単な図案と書店名が印刷された、一種の包装紙である。

 この包装紙が、店員の手によって手際よくブックカバーとなる。
 私はブックカバーの手触りが好きで、新しい本はブックカバーをかけて読むほうが落ち着く。また、電車やカフェなどで読むときに、本の表題が周囲に丸見えなのを好まない。よって、本を買う際に「カバーをお付けしますか」と聞かれると、まずそのようにお願いする。
 このために、書店では一度に一冊しか買わない。二冊以上買うと、店員がカバーの要りようを尋ねてくれる確率がぐっと下がるからだ。

 ではそういうとき、自分で「カバーを付けてください」と頼めばよいのか。
 私は、サービスである書店のブックカバーは、どこまでも書店側の発意によって付けられなければいけない、と考えている。こちらから要求するものでないと思う。だから、店員が「カバーをお付けしますか」と尋ねてくれず、本がそのまま書店の袋へと直行しても、うわべは平気を装う。そして家へ戻り、空きのブックカバーたちの中から、天地の合うものを探す。自分が面白くないと思う本(他人もそうとは限らない)は他人のためにリサイクル書店へ回すが、その際にブックカバーは生き残り、出版社の栞(しおり)とともに次の職務に待機しているのである。
 だから私の本は、K屋書店で買ったものがS堂書店のブックカバーを着ていることも、珍しくない。

 通販で本を買うと、ブックカバーが付いてこないのでいけない。配送料が無料になるように、なまじ一度にたくさん頼むものだから、待機組では間に合わないことがある(とくにサイズの点で)。そんなときは、自家製ブックカバーを試みるが、うまくいったためしがない。
 不器用なのではない。適した紙がないのだ。
 ブックカバーにするには、次の条件が必要だ。デザインが良くて派手でないこと。厚さが厚過ぎず、また薄過ぎないこと。表面はコーティングされていないこと。
 広告、カタログ、コピー用紙の包装といろいろ試してみて、家庭でこの条件に適する紙を備えるには、買うしかないことがわかった。書店のブックカバーのデザインと紙質は、かくも絶妙である。(それほど大げさな仕様のはずはないのだが。)
 各有名店で使っている用紙を、カット前のサイズで注文しようかと、本気で思う。

 ところで、書店で「カバーをお付けしますか」と聞かれたとき、Yes と答えても No と答えても、「ありがとうございます」の同じ文句が返ってくることについて、考えてみたことがある。
 商売なのだから、客が何一つしても「ありがとうございます」というのは当然のようであるが、ここではそれを外して考えてみたい。
 ブックカバーを付けなくて「ありがとう」なのは、その手間を省かせていただいてありがとう、なのだろう。また、資源の節約にご協力いただきありがとう、もあるのかもしれない。
 すると、カバーを付けて「ありがとう」なのはなぜか。思うに、書店の名前入りの本を外で持ち歩いたり、電車やカフェやレストランで読むことで、書店の宣伝になるからだ。

 そこまでは考えたのだが、あるときこの理論を覆す例に遭遇してしまった。

 初めて入った書店で、お決まりの「ありがとうございます」のことばと一緒にかけてくれたそのカバーには、書店名が入っていなかったのである。

Posted at 12:26 | ◎本のある風景 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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