投稿者:Ash
サハラ砂漠の、地図上の位置を説明するのに、先日次のような表現にお目にかかった。
「アフリカ大陸を人の横顔に例えると、髪の生えているあたりがサハラ砂漠」
正確な引用ではないのだが、このような意味であった。
三大紙と呼ばれる朝刊のその記事に、初め私は戸惑ってしまった。
国や地域、国内の県などを、何かの形に例えたのを見るのは、初めてではない。
イタリア半島をブーツに例えるのはよく知られているだろうし、神奈川県の形は小犬の姿に見えるというのも頷ける。また私が最近知ったものでは、群馬県は鶴の形だという。なるほど。
私はこれらをうまい例えだと思うし、例えることそのものにもとくに異論はない。小犬が片足を上げたマーキング中の姿勢であるかどうかは、意見が分かれるところかもしれないが。
話を元に戻そう。アフリカ大陸である。
これまでに、アフリカ大陸を人の横顔に例えた話は聞いたことがなかった。記事を読んだときにその形を思い浮かべ、一生懸命イメージを横顔と重ね合わせようとしてみたのだが、うまくいかなかった。あとでアフリカ大陸の地図をしげと眺めてみたが、見れども人の横顔には見えない。実際、左右どちらを向いているのかさえ私にはわからないのである。
例えが悪いとは私には判断できない。はっきりしているのは、私の想像力の問題だ。私は他人に比べ想像力が低いことを自認している。思考力のトレーニングで、キーワード(例えば「海」)から連想することば(「波」「青い」など)を次々と出していくというものがあるが、大の苦手だ。イメージよりも文字面(もじづら)優先で思考していることを示す例が、私にはいくつもある。
この経験で私が学んだのは、当然伝わるだろうと思って書いても、伝わらない読者もいるということである。このことは今さら気づくものでもなく、モノを書く上ではいつも気にしているわけであるが、いくら気にしてもし過ぎることはない。それくらい、書き手と読み手の基準のギャップは、常にどこにでも存在するということだ。そしてこのギャップは埋めようとしても完全には埋まらない。
書き手が注力しなければならないのは、このギャップを予測し、少しでも通過しやすいよう整えつつ文を紡ぐことであろう。たまに、ギャップを程よく残すことで読み手の知的興味を刺激する文章を見るが、達人の技と言えるだろう。
アフリカ大陸の形を巡る認識の戸惑いは、地図を持って遠くに離してみたり下半分を手で覆ったりしているうちにいつしか楽しみに変わり、ついでにブログ記事も1本書くことができた。
新聞記事のライター氏には感謝することしきりである。