昨年 心に浮かんでいたことは、人間は大なり小なり「わがまま」な生き物だということです。どうしても自分中心に物事を見てしまいますし、わがままを通すために色々な言い訳をします。生まれてきたばかりの赤子も、自分が生きるために泣き声でミルクを求めるのですから、この性(さが)からは逃れられそうもありません。
ある方が、「私は仕事をするにあたり品質を追求していきたい」とおっしゃいました。とても立派なことだと思います。仕事に対する動機は人それぞれです。「お客さまの喜んだ顔を見たい」「高収入を得たい」「あの人と一緒に働きたい」「自分の成長につなげたい」。その方は、「品質を追求することで自分が満足できる」とおっしゃいました。どんな動機であっても、平たく言えば「わがまま」あるいは「自己満足」ではないでしょうか。
「わがまま」とは、「相手のことを考えずに、自分の意見だけを通そうとする身勝手な様子」という意味で使われています。なんと、聞こえの悪い言葉でしょうか。
しかし、もう少し広い意味で捉えてみるとどうでしょうか? 「わがまま」=「自分の欲求を満たそうとすること」と定義してみます。
◎ 私たちは「自分の欲求を満たしたい」という考えを持ってます。
◎ 自分の欲求をすべて排除するなら、食べることも寝ることもできません。
◎ 生きるためには、ある程度は「わがまま」でなければならないのです。
そもそも、コミュニケーションは自己の欲求を満たすための手段です。
多少乱暴な意見ではありますが、言いたいのは「わがまま」という言葉の定義を変えようということではなく、「欲求を満たそうとする」ことが必ずしも悪いことではないということです。
けれども、「わがまま」を通すために守らなければならないルールがあります。それは、法令であったり会社や集団の中での規則であったりします。知人との約束ごとや家庭内のルールもあるでしょう。
スポーツではルールを無視したプレーは反則です。
社会のルールを無視すれば刑罰を受けます。
決められたルールや他者を無視して通そうとする「わがまま」は、遅かれ早かれ排除されるでしょう。
たとえば会社であれば、利益を無視して品質を追求し続けると、運転資金が底をついて倒産してしまいます。「わがまま」を通すために、会社を犠牲にすることは許されないことです。品質も、コストも、納品までのスピードも、お客さま満足も、その他の付加価値も、すべて「利益=キャッシュ」を得るための手段であると考えられます。手段のために目的を犠牲にすることが愚かしいことは誰もが知っています。
何が目的で、何が手段かを見極めなければならないでしょう。守るべきルールを把握してプレーを開始しなければならないのです。
もっというと、利益を得るために社会のルールを無視した会社が多く糾弾されました。社会の中で生活するためには、ルールを守らなければなりません。
ですから「ルールを守りながら『わがまま』を通す」ためにどうすればよいか考える必要があります。工夫が必要ですが、きっと色々な方法が見つかるはずです。
繰り返しになりますが、そのためにコントロールすべきは、自分の思考、選択、発言、行動です。そして、「わがまま」を通すためにはコミュニケーションは欠かせません。今年は私自身、もっとコミュニケーションを学び、スキルを高めていきたいと思います。ささやかな「わがまま」を通すために。。。
皆さまにとって、2008年が素敵な年になりますように!
やま
投稿、首をなが〜くしてお待ちしておりました。
引き続き、「やま節」をよろしくお願いします。