浪人と投獄と闘病と

2008年08月31日(日)

伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」もいよいよ佳境に入ってきました。それでは今日も皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


浪人と投獄と闘病と


既に亡いが、野村證券前会長の奥村綱雄は「ワハハのオジさん」とよばれていた。

小さな体を豪快にゆさぶり、喉ちんこまでみせて呵々大笑するくせがあったからだ。事実、この笑いは、少々憂鬱なことがあっても吹きとばしてしまう「百万弗の哄笑」だった。


しかし、ある時、天邪鬼(あまのじゃく)ぶりを発揮して、からかった。


「顔や体は陽気で派手にわらいまくっているけど、眼がいっこうに笑っていないのは、どうしたわけですか」


多少はあわてるかと思ったら、「気いつけんとあかんなあ」といって、また呵々大笑した。そして、「君、こんな詩をしっているか」と便箋にさらさらっと書きなぐった。


蝸牛角上(かぎゅうかくじょう) 何事ヲカ争ウ

石火光中 此ノ身ヲ寄ス

富ニ随イ貧ニ随イ且(しばら)ク歓楽セン

口ヲ開イテ笑ハザルハコレ癡人(ちじん)


「どうでもいい、ちっぽけなことをゴシャゴシャ争うのを蝸牛角上の争いというが、現実の人間世界はそれが実相だ。

しかし、人生は石と石とがぶつかり合って火花を発する、その瞬間のように儚(はかな)いものなのだから、あまりこせつかないで、貧富の分に応じて歓び楽しんだほうがよい大口をあけて、腹の底から笑えないような奴は、かわいそうな馬鹿者さ。

白楽天の『対酒』という詩だよ。特に『結』がいいだろうとやられてギャフンと参った。


ところが上には上がいる、この奥村を手もなくひねってしまった男がいる。それは「電力の鬼」といわれた松永安左エ門である。


奥村が四十五歳で社長になり、まだ海のものとも山のものともわからぬ野村證券のイメージ・アップのために精いっぱい爪先立ちをして歩いていたある日、松永安左エ門を相手に「天下国家」をぶちまくった。

「法螺(ほら)と喇叭(らっぱ)は大きくふけ」というのが奥村の信条だったから、とてつもない大風呂敷をひろげたに違いない。


松永は鼻毛をぬきながら、フンフンときいていたが、一しきりふかせておいて、こういった。

「せっかくの滔々懸河(とうとうけんが)の弁だけど、とても歯がういてしまって、聞いちゃおれない。いいか、後学のためにいってきかせるが、実業人が実業人として完成するためには、三つを体験しないとダメだ

その一つは長い浪人生活だ。その二つは長い投獄生活だ。その三つは長い闘病生活。奥村クン、君はまだこのうちの一つもやっていないだろう」


野太刀を大上段にふりかぶった途端に褌(ふんどし)がはずれたようなもので、この一件以来、奥村はすっかり松永に傾倒した



以上です。



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短所の数うべきあらば第一等の人

2008年08月30日(土)

今週もまた土、日雑感の土曜日です。人間、誰しも長所もあれば短所もあるものですが今日の伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」はこの辺りのことについて触れています。(この本は昭和53年に書かれています)


それでは今日も皆さんと一緒に見ていこうと思います。


以下、本文


「磊落豪雄の魅力」とは、いったい、どんな魅力か。


「磊落」とは、大きな石がごろりところがっている状態で、型を脱した線の太い面白さがあり、些事に拘泥せず、バリバリと仕事を進めていく陽性の人物である。

江戸中期の卓抜した科学者であり、先覚者でもあった平賀源内が事業に失敗して「ヤマ師」とよばれた時、傲然としていい放った。


「利巧者が馬鹿の悪口をいう言葉は無数にある。だが、馬鹿が利巧者の悪口をいう言葉はたった一つしかない。それは『ヤマ師』という言葉だ」


実に痛快な言葉ではないか。幕末の儒者、春日潜庵は


「今世、短所の数うべきあらば、便(すなわ)ち、是れ第一等の人。東莱(とうらい)の此の語、晦翁(かいおう)<朱子のこと>、象山(しょうざん)<陸象山のこと>の輩を指すが似(ごと)し。大海、時あってか、狂瀾(きょうらん)を起し、大川、時あってか、横流を生ず。区々守常の士は以て語るに足らず」と喝破している。


春日潜庵は京都の陽明学者で、明治維新に活躍した人物でこの門をたたかぬものはなかった。西郷隆盛も傾倒して、弟の小平や村田新八を入門させている程である。


「今世、短所の数うべきあらば、すなわち、これ第一等の人」とは言い得て妙である。

今の世に時めく人々は、皆、難のうちどころがない。

頭もいいし、才もある。交際も上手で当たりさわりもない。たいして酒も呑まぬし、女も漁らぬ。すべてがまことに整っている。しかし、さっぱり旨味がない。感激がない。


何やら、始終忙しそうに働いてはいるが、要するに何をしているのか、どうでもよいような、誰にでもできることをやっているにすぎない。

可も無し、不可もなしというという類である。そんなのは幾千幾万集まっても、その時代を動かす力とはなり得ない。


それよりも欲しい人物は、もっと手ごたえのある男である。そういう男には凡人の持ち得ない短所があろう。だが、これがまた魅力である。ああ何という退屈な人間どもだ。



今日は以上です。



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シニアサポート

2008年08月29日(金)

先日、8月18日のブログでビジネスアイデアとして私なりのカタチということでシニアサポートを取り上げましたが正直言ってシニアというのは具体的にどの年代層を指すのかを大まかでも決める必要があると考えます。


いろいろ調べてみますと50歳代と言うのが多い様ですが50歳代、と言えばサラリーマンならまだ定年前というところでシニアと呼ばれる様です。

私みたいに60過ぎはもう既にシニアから外れているのかも知れませんが、私の考えているシニアサポートに該当する年齢層は57、8歳から70歳過ぎくらいを対象としています。


基本的に団塊世代が現役を退いても時代に影響力を及ぼす力を持った世代だと思っていますし、まだまだ団塊世代が活躍できる素地はあるのではないでしょうか


シニア、シニアビジネスという言葉で検索してみると結構多いのがシニアマーケットに対するアプローチ法であり、マーケティングに関することが出てきます。

他の世代に比べてお金と時間を持っているという様な観点からそういう見方をされるのだとは思います。

特に旅行についてはシニアに対して積極的なアプローチが見られます。シニアのコミュニティには旅行を媒介とした企画が常に案内されていて人気を得ているのも事実です。


私が見るところ現状はシニアに支持されている商品、サービスという面からいえば、やはり旅行が一番であると言えます。ただ旅行と言ってもそこはパック旅行などとは違い健康志向であったりグルメなどシニアならではの拘りをくすぐる企画が主流となっています。


私がシニアサポートということでビジネスを考えるなら、こうしたシニアの拘り、思い入れ、が単なる消費で終わるのでなく活力としてどう再利用できるのかという部分にスポットを当ててビジネスとして行ければと考えています。


ただ、そうは言うもののどこから手をつければ目指すものに迫れるのかがまだ整理できていません。


ここからの動向は私の頭の中と同時進行でこのブログで書いていきます。





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企業に埋もれた技術事業化

2008年08月28日(木)

今日は8月1日に日経産業新聞に掲載されたVBウオッチングというコラムを紹介させていただきます。


以下、コラム本文


ファンド運営のテックゲートインベストメント(TGI、東京・品川、土居勝利代表)が「カーブアウト」と呼ぶ手法で大企業発ベンチャーの創出に相次ぎ成功している。


カーブアウトはファンドなどの支援を受け、大企業に埋もれた有望技術を開発チームごと切り出して会社を作る米国生まれの事業再生法。

TGIは親元企業から新会社に出資してもらうなど、独立後も協力関係を保つ日本向きの戦略で支持を集めた。


七月、パイオニアの工場買収を表明し話題を集めたFED(電界放出型ディスプレー)開発のエフ・イー・テクノロジー(FET、東京・品川)。同社もTGIが仕掛けたソニー発のカーブアウトベンチャーだ。


FEDはソニー社内の次世代薄型ディスプレーの開発候補争いで有機ELに敗れ事業化の道を断たれた技術ソニーはTGIが勧めるカーブアウトを活用し、高画質で省電力に優れた同技術を生かす道を選んだ。

放送や医療分野に力を入れれば市場を開拓できると判断、ニ〇〇六年に共同出資でFETを設立した。


土居代表は「外資系ファンドのように突然、技術や事業を切り離せと経営陣に迫る手法は日本では反発を招く」と話す。

親元企業との協力関係を重視するのは、人材や知的財産の譲渡が円滑に進み、事業を開花させるスピードを速められるからだ。


大企業の技術者は会社を辞めるのを尻込みしがちだが親元との関係をある程度を保てば納得して転職できる。



後半は来週に続けます。






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北京オリンピック

2008年08月27日(水)

今日はこの間の24日に閉幕した北京オリンピックについて少し書いておくことにしました。やはりこの時期、北京オリンピックに全然触れないという訳にもいかないと思ったからです。


今回の北京オリンピックは中国の国威発揚の場としては成功に終わったと思いますが、中国を国際社会はその一員として迎え入れると同時に国際社会の一員としてのルールをわきまえた国という認識を持つことは必定です

国際的にも、国内的にも中国がオリンピックを成功させたことはもう後戻りが出来ないということの裏返しでもあると思っています。


まあー、中国のオリンピック後のことについては今後の動向を見守ることとして今日、本当に書きたかったことというのは日本の選手団長の福田富昭氏がその総括会見で野球などの選手団が選手村に入らなかったこと、また強い選手を集めてちょいちょいと練習して勝てるほど甘いものじゃないと批判したことです。


ハッキリ言ってこういう批判は不愉快極まりない感じがします。


そんなことは終わってから言うなと言いたいし、批判している自分は一体何なんだということです仮にも選手団長であるならその批判責任を団長としてどう取るのかということにもなってきます。


自身の責任については言及せず負けたからと言って叩くのは統括する責任者としての見識を疑わざるを得ません。

ちょいちょいと練習して勝てるほど甘いモノでないことは誰もが分かっているところですが、そうせざるを得ない事情がプロ野球機構にあることは初めから分かりきった事であり、そこまで言うなら責任者として事前に機構側とどういう交渉、調整をしたのかが問われます。


その辺りの事を棚上げしてのちょいちょいと練習云々批判と言うより捨て台詞にしか私には聞こえません。


今日はこのことをどうしても言いたかったのです。



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コマーシャライザー

2008年08月26日(火)

昨日の続きでリクルートの無料CM作成サービス「コマーシャライザー」の日経産業新聞に掲載された記事を紹介いたします。良ければ昨日のブログに目を通していただければ内容も把握しやすく分かりやすいと思います。


以下、掲載記事


せっかく作ったCMも多くの人に見てもらえなければ宝の持ち腐れになる。露出機会を増やすため、MTLはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「ミクシィ」や「フェースブック」、動画共有サイトの「ユーチューブ」や「ニコニコ動画」にも作成したCMを投稿したり再生したりできるように技術的な対応を急ぐ考え。


テンプレートの数も年内に十―二十種類程度追加し、作成できるCMのバリエーションを増やす計画という。


ネット以外では、駅や繁華街など屋外への導入が進むデジタルサイネージ(電子看板に着目。八月には東京・八重洲の地下街の飲食店十六店舗のCMをコマーシャライザーで作成し、同地下街に設置したデジタルサイネージに配信する実験も行った。


当面は無料サービスとして運営し、利用者拡大を優先する考えだが、将来的には一部機能の有料化も検討する。

自社の新製品やサービスを宣伝したい企業が有償でブランドロゴなどをあしらった「スポンサードテンプレート」を提供できる仕組みの導入なども視野に入れている。


ネット広告の世界では動画などを駆使した広告表現「リッチ化」が急速に進んでいるが、製作の手間やコストの問題が「リッチ広告」の本格普及のハードルとなっている。コマーシャライザーはテンプレートの活用などにより、表現力豊かな広告を誰でも手軽に作成できるようにした点で評価が高い。


目新しさから注目を集めた時期を過ぎたいま、「簡単でわかりやすい」という原点を見失うことなく、魅力的な機能やサービスをどこまで拡充できるかが成長のカギとなる。



以上です。





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リクルート無料CM作成サービス

2008年08月25日(月)

今日は8月20日、日経産業新聞に掲載された点検ネットビジネスというコラムから面白い記事を紹介したいと思います。


以下、掲載記事


リクルートが六月から始めた無料のオンラインCM作成サービス「コマーシャライザー」が出足から順調だ。

宣伝したい写真とコピーを用意して、専用のテンプレート(ひな型)と組み合わせるだけで誰でも簡単にCMが作れる手軽さが人気の理由。

これまでに作成されたCMは六千本を超えた。個人の利用だけでなく、中小企業が自社のPRに活用するなど利用形態も広がっている。


コマーシャライザーはリクルートでネットサービスの研究開発を手がける専門組織「メディアテクノロジーラボ(MTL)」が開発した。

利用者はCMに使いたい画像五―十枚と宣伝コピーを用意。専用サイトで「旅行記編」「おすすめグルメ編」「映画予告編」など八種類あるテンプレートから好きなものを選んで画像を合成する。

コピーとBGMを組み合わせれば、オリジナルのCMが完成する。


作成したCMはコマーシャライザーの専用サイトに自動的に投稿・掲載されるほか、自分のブログ(日記風の簡易型ホームページ)や企業・商店のウェブサイトにも掲載することができる。

外部サイトで公開されている分も含めたCM再生回数は累計で約二百八十万回に達する。


六月四日のサービス開始から二カ月あまりの間に作成された約六千五百本のCMの内訳を見ると、旅行の思い出やわが子の成長ぶりなどを紹介する「パーソナルCM」と、中小企業や個人商店が商品やサービスのPRで作ったものがほぼ半々の割合という。


MTLの長友肇チームリーダーは「これほどの反響があるとは思っていなかった。個人だけでなく企業からの問い合わせも多い」と話す。


実際、岐阜県の人材派遣会社が「社長募集」のCMを作成して自社のホームページで公開したり、奈良県のくいメーカーが自社製品のユニークなCMを作成・公開してネット上で話題を呼んだりしたケースもある。


以上


続きは明日に紹介いたします。





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歳計して余りあり

2008年08月24日(日)

安岡正篤と伊藤 肇が対面し、人物論を交わしながらどういう結末を迎えるのかが気になる伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を昨日に続いて皆さんと一緒に見ていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)


良ければ昨日の人物論も併せ見ていただければ幸いです。


以下、本文


また、人物の見方として、こんな話もされた。


ある地方長官が赴任してきた。

まずやったことは、仕事のほうは、ゆったりした大人型の人物と忠実に働いて仕事のよくできる人物との二人に任せきりで、本人はいっこうに何もしなかった。

このため、「今度の長官はかわり者だ」とよるとさわると噂し合ったが、一年経ち、二年経つうちに、その地方は実によく治まってきた。


それに気づいた民衆が、「偉い長官だ。あの人のすることは『之ヲ日計スレバ足ラズ。歳計スレバ余リアリ』だといって感心した。

つまり、一日一日の勘定では赤字だが、一年中の総決算をすれば、ちゃんと黒字になっているという意味である。


そこで民衆が集まって、この長官を表彰しようということになり、よりより相談をはじめた。ところが、それを伝えきいた長官は喜ぶと思いきや、面白くない顔をしていった。

「俺もも少しできた人間かと思っていたら、こんな田舎の民衆から表彰されるという。民衆の目につくようじゃ、まだまだ俺もダメだ」民衆からほめられたり、立てられたりするうちは未だしで、本当の「至れる人」というのは、そのひとがそこに居れば、それだけで皆が落ちつく、問題が起こらない。

そういう存在でなければならない、という考え方である。


われわれの人生をふりかえって、老いて「黒字の生涯」となれば、これは道に合った成功の人生ということになるし、反対に一日一日、きびきびやってきたつもりがだったのが、さて死にがけになって、<いったい、俺は何をしてきたのだろうか>というような大赤字になったのでは、これは失敗の人生ということになる。


邂逅こそは人生の重大事である」という。思えば、筆者にとって、この日の邂逅は決定的な瞬間だった。


安岡正篤のもつ「深沈厚重の魅力」にぐいぐいとひきずり込まれ、満州以来の空白が一挙に埋められた感じだった。そして<この師以外にわが師なし>と心に深くうなずいたのである。



以上です。









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人物論

2008年08月23日(土)

おなじみの伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」の土曜日です。(この本は昭和53年に書かれています)


さあー、今日はいよいよ伊藤 肇と安岡正篤が対面する場面ですが、私も皆さんと一緒に楽しみながら見ていこうと思います。良ければ8月17日の土、日雑感に目を通していただければ、より分かりやすく、面白さが伝わると思います。


それでは今日もよろしくお願い致します。


以下、本文


料亭の一室で対坐した時、まず、人間の位どりがてんで違うことをいやというほど思い知らされた。

本来なら、インタビューもしないで、いきなり悪口を書いた許せぬ奴だ。思いきり、油をしぼってやろうと思うのが人情である。

ところが、おくびにもそんな気配はみせぬ。いや、全く無関心だ。


それどころか、「酒、和己ニ逢ヘバ千鍾(せんしょう)モ少ナシ。話、機ニ投ゼザレバ半分モ多シ。と明末の戯曲『琵琶記』に出てきます。会心の友にあって、盃を傾ける時には、何ぼでも入っていくが次元の低いのと同席すると半句しゃべるのももったいない、という意味です酒を飲む時の実感ですネとぞくっとくるような言葉をさらりと吐く。


だんだん、酒がまわってくると、話題は自然に「人物論」へ移っていった。


「乏しい自分の学問的経験からいっても、いわゆる指導理論とか、精神科学の講義などは全く実にならなかったが、それよりも、ひそかに熱する思いにかられて人物の研究に耽ったことが一番、わが身を修め、交友の世界を造ってゆく上に役立った」


ということから話がはじまり、「結論からいえば、『人物論』というのは対象になる人物を評論しながら、結局は自分を書くことになる。

評論する側が、いかに対象人物に対する自分の好悪の情を殺し、客観的な事実を収集し、これを比較計量しながら、その人物の実像を伝えようとしても、所詮は、その評論家の人生経験の深さ、世界観、読書歴、あるいは流した涙の量などによって、『人物像』が決定されてしまうのです。

したがって、厳しい表現をつかえば『人物論』が完成したその瞬間から、それを書いた人物の人間としての尺度が露呈するのです」とむすんだ。


この一言は、心臓に矢を射込まれたようなショックだった。

そして<うっかり、人物論など書くものではないな>と思った。



以上、話が含蓄に富んでいるため今日はここで一区切りとさせていただき、明日に続けます。










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価値を創造することは可能

2008年08月22日(金)

今日も商工にっぽんに掲載中のオラクルひと・しくみ研究所代表の小阪裕司氏小阪裕司感性マーケティングを昨日の続きで紹介させていただきます。


以下、本文


価値を創造することは可能

結論から言うと、彼らは消費者の感性に訴えかけることで売れ行きを伸ばしたのだ。時代が変わり、消費者たちは感性で消費するようになっている。

このような消費スタイルを私は「感性消費」と呼んでいる。


買い手のあり方が変わった以上、売り方にも変化が求められる。

機能や価格をアピールするだけでは「欲しい」「買いたい」と思ってもらえない。欲しい気持ちにさせるには、相手の感性に訴えかけることが必要だ。


本連載では、こうした新しい時代のビジネスの考え方と実践法について考察していきたい。

私は感性工学や情報学という学問にも軸足を置きつつ、ビジネス現場で実際に成果を上げうる手法を開発し、普及に努め、現在、直接関わっているだけでも全国約1500社の企業とともに実践を重ねている。


そうした実践と成果を通じて強く思うことだが、やるべきことをやれば消費者に対して価値を創造することは可能だ。そして価値を感じれば消費者は「買う」

そのためには消費者が価値を感じ、実際に消費行動を行うための原動力でもある人の「感性」と、最終的に売上・利益を生み出す消費者の「行動」を軸にビジネスを組み立て、現場での実際の活動に落とし込んでいく必要がある。


この考え方を実践していくと、売上というものは創ることができることに気づく。鳴かず飛ばずだった商品をヒットさせることも可能だし、規模や業種や地域も問わない。

また値引きも重要な要素ではなくなる。


この手法を実践するある町の電器店では、量販店に流れていたお客さんが戻ってきた。いまや一見客が、割高なこの店にわざわざパソコンを買いに来たりもする。

割安な量販店があるにもかかわらず、この店で買い物をしたがるのだ。お客さんの感性をうまくつかむことができれば、こうして価格差が問題でなくなることもある。


これからのビジネスにおいて大切なのは消費者感性をつかむことだ。これからこの連載を通じて、具体的な事例を交えながら、その理論と実践法について述べていくこととしよう。



以上です。





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