呉起の見落としたもの

2008年05月31日(土)

土、日雑感の日がやって来ました。 

いつもの様に今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。 (この本は昭和53年に書かれています)


それではよろしくお願いします。


呉起の見落としたもの


現代の政治家や経営者たちがトップの座を交替する時には「こんなやりとりをしてもらいたい」と思うコクのある「応待辞令」が『史記列伝』に出ている。


「孫呉の兵法」という成語が残されたくらい、孫子と並び称せられた呉起が魏の国で重用されていた時、宰相を誰にするかという問題が起った。

呉起は自信満々で、当然、自分のところへ舞い込んでくると思い込んでいたのが、ライバルの田文のところへいってしまった。


面白くない呉起は直接、田文の許へのり込んで「君と俺とどちらがすぐれているか、比べてみようではないか」という。

呉起曰ク「君ト功ヲ論ゼン」と。田文曰ク「ヨシ」。ということで、軍事からはじまって行政、財政、外交とあげてゆく。

その一つ一つについて、田文は「そりゃ、呉起よ、お前にはかなわぬ」と兜をぬぐ。


そういわれて、調子にのった呉起君の能力ははるかにわが下なのに位はわが上に居るのは一体、どういう了簡なのかときめつけると、田文曰ク「主、少クシテ国疑イ、大臣、未ダ随ワズ。百姓信ゼズ。其ノ時ニ方(あた)ッテ、之ヲ子ニ属センカ、之ヲ我ニ属センカ」。


先君が亡くなられた後、まだ幼君が位につかれたばかりで、国中がこれでやっていけるかどうか疑っている。大臣達もまだ先君の時のように心から随ってはいないし民衆もまだ朝廷に全面的な信をよせていない


そういう時の宰相の任は、君が適任と思うか、俺が適任と思うか

しばらく考え込んだ呉起は「なるほど、君のほうが適任だ。よろしく頼む」という。


さすがに呉起も偉い。軍事だの、行政だの、外交だのと一つ一つの問題を取りあげれば、呉起のほうがよくできる。しかし、国をあげて不安な状態にある時には、手腕があるというだけでは宰相の役は勤まらない。


とにかく、その人がそのポストにいるというだけで国民が信頼し、安心する、ということが頭脳とか手腕などよりも根本的、本質的な問題として優先するのである


いきりたっていた呉起も田文にいわれてそこに気がついたのだった


今日は以上です。


お疲れ様でした。










Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

団塊世代としての自己と向き合う

2008年05月30日(金)

昨日の続きです。

もちろん内容は寺島実郎氏の脳力のレッスンから(世界 2008年4月号)”問いかけとしての戦後日本―再び団塊の世代として”であります。

ただ、今日がはじめてという方もおられると思いますので良ければ是非、昨日のブログから読んでいただければ幸いです。それでは今日もよろしくお願いします。

常に侮りと蔑みの中を生き、「今の自分」が評価されないという被害者心理に自分を置き、鬱々と抑圧された状況にあった男が、銃を持つことでかろうじて周辺が恐怖の表情をもって存在を認識してくれる瞬間に魅せられたのかもしれない。


友人に「自分はでかいことをやる」といい続けていたという心の闇に慄然とさせられる。馬込政義の両親はともに六〇歳台前半で、父は市の職員として市営動植物園と清掃関係の仕事を定年まで勤め上げた「まじめでおとなしい人」、母は専業主婦で、毎週末ミサに通うカソリックの信者だという。

この両親が息子に向き合った姿勢は、この世代の人間として特別なものではなかったといえる。

母親は三七歳にもなった息子に毎月二〇万円もの小遣いを与え、犯罪に使われた銃やモーターボートなども買い与えていたと報じられるが、子供に対する「甘さ」は決して特殊なものではなく、「他人様の迷惑にさえならなければ好きなことをしていていいよ」という姿勢は、この世代の親の子供に対する共通の姿勢であった。


これまでも再三言及してきたことだが、団塊の世代が「戦後日本」という環境に培養され身に着けてきた価値観を集約的に表現するならば、「私生活主義(ミーイズム)」と「経済主義(拝金主義)」といえる。


全体が個を抑圧してきても、人間としての強い意思をもって対峙する思想としての「個人主義」とは異なり、他動的に与えられた民主主義の中で自分の意思で生きることを認められた個々人がライフスタイルとして「自分の私的な時空間に他者が干渉することを嫌う」傾向を「私生活主義」という。


個の価値を問い詰めて社会との位置関係を模索する真の個人主義には背を向け、結局、戦後世代が身に着けたものはこの「私生活主義」にすぎなかった。


また、戦後復興・成長という過程に並走する形で幼少年期を生きた者として、「何はともあれ経済が大切」という暗黙の価値を身に着けてきたともいえる。

「ベビーブーマーズ」と呼ばれる米国の戦後生まれ世代をはじめ世界の同世代の人間とも語り合ってきたが、日本の戦後世代において極端に「経済主義的傾向」が強いことを実感する。


経済を超えた多様な価値が人間社会には存在することには希薄な関心しか抱かず、本音の部分で経済的安定と豊かさだけを求める傾向が深く沁み込んでいる。

「私生活主義」と「経済主義」の谷間に生まれ育ったものが「団塊ジュニア」だとすれば、この世代が親の世代の性格を超えた価値を身に着けることを期待することは不自然である。

団塊ジュニア世代が引き起こす昨今のおぞましい事件やこの世代の在り様は、日本の戦後とそこに関わった世代の問題を問いかけてくるのである。

吾亦紅(われもこう)という心象風景

〇七年のNHK紅白歌合戦への出演を機に、すぎもとまさとの「吾亦紅」が売上げベストテンに入った。「母に捧げる哀悼歌」で、団塊の世代をはじめとする中高年層の男の心象風景に訴えるものがあり、気になって私も買ってじっくりと聞いてみた。


盆の休みに 帰れなかった 俺の杜撰さ 嘆いているか

あなたに あなたに 謝りたくて

仕事に名を借りた ご無沙汰 あなたに あなたに 謝りたくて

山裾の秋 ひとり逢いに来た ただ あなたに 謝りたくて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親のことなど 気遣う暇に 後で恥じない 自分を生きろ

あなたの あなたの 形見の言葉 守れた試しさえ ないけど

あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ

そうはじめて 自分を生きる


確かに親孝行も十分にできなかった私自身の心にも沁み、つい引き込まれるのだが、冷静に再考してみた。

この歌の「母」とされる我々の父母の世代は戦争の時代を生きた。

つまり、全体が個を否応なく巻き込んだ時代を生きたのであり、対照的に我々は自由に「自分を生きる」ことが許された世代であった。

日本の歴史の中で、「個」と「我」の論理を認められた最初の世代といってよいであろう。

にもかかわらず、六〇歳にもなろうかという年齢になっても今なお十分に自分らしく生きていないと思い続け、「自分を生きる」と気張ってみせる心情にこの世代の特質が浮き出ている。

瑣末なことを批判する意図はないが、せいぜい「離婚する」などという私的事情をことさらに「自分を生きる」証としてもってくる心の動き、さらには「そば打ち」や「楽器を弾く」ことなどに自分の世界を求める心理、この辺りを一歩も出ないところに我々の世代の壁を思う。


会社人間として結構本気で右肩上がり時代の企業戦士として参画し、バブル期を中間管理職として享受した世代が定年退職期を迎え、全体状況の中で思うにまかせぬ局面になると屈折した私生活主義に回帰して「内向」し始める。


世界的に二一世紀の構造的課題が噴出日本社会の深層に戦後の澱のようなものが溜まっている

これらの課題に正面から向き合うべき今、平均的には今後二五年を生きねばならぬ団塊の世代は、自らの体験を整理し、いかに社会的に生きるかを問い詰め何かを後代に残していかねばならない


以上です。



Posted by ケーオー at 00:10  / この記事の詳細
 / この記事を編集

団塊世代として省みる

2008年05月29日(木)

今日は団塊世代として私と同年代の寺島実郎氏脳力のレッスンから(世界 2008年4月号)”問いかけとしての戦後日本―再び団塊の世代として”を是非とも紹介させていただき、皆さんに読んでいただきたいと思っています


戦後の生まれで復興と高度経済成長とともに歩んできた人生を寺島実郎氏の発言に重ね合わせて省みることが今、必要なのではと考えたからです


寺島実郎氏は皆さんもご存知だと思いますが、財団法人 日本総合研究所 会長であり株式会社三井物産戦略研究所 所長としてテレビなどでも活躍されています。



問いかけとしての戦後日本再び団塊の世代として


その男、馬込政義は一九七〇年九月一四日、佐世保に生まれた。

その前日、六四二二万人を集客した大阪万博が閉会した。「七〇年安保」を巡る政治の季節も終わり、高度成長のピークに至る時期であった。


この男はそれからの三七年間を生き、最後には故郷佐世保のスポーツ・クラブで二人を射殺した猟銃乱射の殺人犯として自らの命を絶った。

三橋歌織(三三歳)、「外資系エリート・サラリーマン」の夫を殺害し、その首を切断して路上に捨てた「セレブ妻」、市橋達也(二八歳)、NOVAの英国人講師リンゼー・ホーカーさんを殺した行方不明男、そして畠山鈴香(三四歳)、自らの幼い娘と近所の少年を殺害した秋田の「鬼母」、これらの直近に起こった悲劇におけるあまりに身勝手で自制心のない加害者について気付くのは、かれらの両親が団塊の世代を中核にした「戦後世代」、つまり戦後なる日本を培養器として育った世代だという事実である。


特殊な例をことさらに誇張する気はないが、戦後世代日本人は決して自らの子供たちの教育に成功していないことは確かで、これらの犯罪の背景に浮かび上がる戦後世代の影の部分を直視したい。それは私自身の世代への問いかけでもある


団塊ジュニアという鏡


世代論的には、一九七〇年から七九年までの七〇年代生まれの世代を「団塊ジュニア」と呼ぶようだが、厳密な概念規定はともかく、昭和二〇年代前半生まれの世代が就職して社会参加し、結婚年齢にさしかかった一九七〇年前後から八五年前後までに生まれた世代を広義の「団塊ジュニア」、つまり団塊の世代の子供達といってよいであろう。

子供が「親の背中を見て育つ」存在だとするならば、団塊ジュニアは日本の戦後を生きた中核世代を映し出す鏡である。

佐世保の乱射犯馬込政義は、同じく九州に生まれたホリエモン(堀江貴文、三五歳)ともほぼ同じ世代であるが、諸情報によってこの男の足跡を辿ることでこの世代を育てたものを考えてみたい。


地元の高校を卒業した馬込はバブル期に向う八〇年代末に愛知県豊橋の電気機器店に就職、二年足らずで辞め名古屋で医療関係の仕事に転職した。

放送大学に入学していた時期もあるが、見切りをつけて二四歳で上京、都内の病院で医療助手などの仕事に三年ほど従事、時給八〜九〇〇円程度のキツイ仕事だったという。

結局、故郷佐世保に帰り水産加工会社に勤めた後、県立高等技術専門学校溶接科に入学、その後その特技を活かすでもなく干物加工業や内科医院でアルバイトをしながら年齢を重ねていた。

興味深いのは「資格マニア」とでも言うべき傾向であり、危険物取扱者、ガス・アーク溶接技能者、クレーン運転技能者、電気工事者、発破技士、ボイラー技士などの資格を得ている。

異様なまでのこだわりであり、何をやっても評価されない自分の人生において、「世の中に認められたい」という深いコンプレックスと葛藤が形を変えて現れたように思われる。



明日に続けます。
















Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

新事業のヒント消費者から学ぶ ネオパパプロジェクト

2008年05月28日(水)

一昨日、昨日の続きで大手広告会社のユニークな取り組み、研究プロジェクトを紹介します。(日経産業新聞掲載記事より)


価値観が多様化


今どきの父親像を調査しているのは読売広告社の「ネオパパプロジェクト」だ。


「子供の時の父親像と今の自分はちょっと違うよな」。

リテールマーケティング部の前川修一ディレクターが、同僚と雑談していたのがきっかけだ。新しいマーケティング手法の切り口として、〇五年十月にプロジェクトを立ち上げた。


周囲の目は「財布のひもを握っているのは母親だろ」「パパグッズなんてあるのか?」などと懐疑的だった。


〇七年二月に最近の父親像を類型化した調査結果をもとに本を出版。

研究という趣旨ではここで役目を終えても良かったが、事業化にこだわった


父と子の絵本の読み聞かせ会など各種イベントを開いている。プロジェクトの存在が知られるようになり、取引関係のない日用品メーカーの商品開発部門からの問い合わせが来るようになった

「新しいマーケティングの観点として注目されつつある」と前川氏は手応えを感じる。


遠回りに見える研究に各社が熱心なのは、消費者の価値観が多様化し、売れる広告作りが難しくなっていることが背景にある。


博報堂の安藤氏は「得意先の後ろについていくだけではダメ。ある時は一歩も二歩も先に出ないと、相手にされなくなる」と指摘する。


広告会社はテレビCMなどを通じて、数々のブームを生み出していた。

消費者の中に身を置いた試行錯誤は、アイデア力を取り戻すための原点回帰と言えそうだ。


このシリーズは以上です。






Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

新事業のヒント消費者から学ぶ  買場ISC研究所

2008年05月27日(火)

昨日の続きで大手広告会社のユニークな取り組みを紹介させていただきます。

(日経産業新聞掲載記事より)


買い物心理


コンビニエンスストア最も買いたくなる弁当価格は四百五十二円―。

東急エージェンシー「買場ISC研究所」は、消費者の購買心理を徹底的に調査・分析するのがモットーだ


ドラッグストア女子大生に三千円を渡して自由に買い物してもらうなど、購入を決断するまでの心理状況を細かく追跡する。

コンビニでの弁当の売れ筋価格帯も同様の手法で算出した。


自動販売機の売れ筋調査のために、三日間通して観察したこともある。

五台並んだ自販機で最も売り上げが大きかったのは歩行者が通る動線から二番目に近い自販機だったという


研究所の名称が、「売り場」でなく「買場(かいば)」という点がミソだ。「最近、広告主の企業が『売るところまで責任を持て』と強く言うようになった。ならば徹底して消費者目線を追求してはどうかと思った」。


所長の太田善人氏が社長に直接提案して〇六年十一月に発足した。

当初は半信半疑に見られていたが、今は社内の知恵袋的な存在だ。広告宣伝した商品の売れ行き不振に悩む営業社員が相談してくることもしばしば。


店舗での広告や商品の陳列方法をアドバイスして、売り上げを改善させたことも多い。「消費の現場を起点としたマーケティング手法を体系化して、将来は外販を目指したい」(太田氏)



以上、明日に続きます。





Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

新事業のヒント消費者から学ぶ 

2008年05月26日(月)

今日は広告会社ユニークな取り組みをしている現状を紹介したいと思います。(日経産業新聞掲載記事より)


博報堂 こどもごころ製作所


大手広告会社がユニークな研究プロジェクトを展開している。子供心や買い物心理学などを調査し、新たなマーケティング手法や新事業のヒントを探る。

「社会とのかかわり」「消費者目線」を合言葉にフィールドワークを重ね、社員の創造性や顧客への提案力を高める狙いもある


味やにおいの感覚何倍鋭くなったみたい

暗がりの中で特殊ゴーグルをかけた約三十人の老若男女が、恐る恐るフランス料理をつつき合う。三月下旬、東京・赤坂で開かれた「クラヤミ食堂」の風景だ。


社会とかかわる

企画したのは博報堂の研究チーム「こどもごころ製作所」

鋭い直感や好奇心など、子供時代の感性は大人になると失いがちだ

大人に子供心を取り戻してもらおうと、昨年九月に発足した一風変わった組織だ。


「クラヤミ食堂では大人を縛るルールはなく、肩書も関係ない。その人の素顔が表れやすい」と同製作所の軽部拓所長は話す。

親子が野原の虫や草木になりきって詩を作り、朗読する「のはらうた」の普及にも力を入れる。各地の小学校に提案して回り、すでに東京や九州、東北で授業参観に採用された。


こどもごころ製作所は博報堂の社内大学「HAKUHODO UNIV.」が生み出した最初の研究プロジェクトだ。

社内大学は2005年4月の開講。広告の専門知識を教える講座や、事業アイデアを研究するゼミもあり、年間で延べ7500人の社員が学ぶ。

受け身の研修になるのを防ぐため社外で研究を実践するためのテーマを募っていた


こどもごころ製作所がプロジェクトに選ばれた決め手はテーマの社会性だ。

軽部氏は子供を巻き込んだ事件が多いことに心を痛めていた。

問題の根はどこにあるのかを社内大学のゼミで議論、「大人が純粋さや余裕を失っているのではないか」との仮説を得た。


「広告会社は、社会的テーマに積極的にかかわって、新しいビジネスにつなげていく必要がある」。 社内大学の学長でもある安藤輝彦・取締役専務執行役員は語る。

社会と深くかかわってこそ価値観の変化など新事業のヒント見つかるはずだという

将来は企業との共同商品開発などに結びつける考えだ。



今日は以上ですが、明日に続けます。






Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

チャップリン・システム・スピーチ

2008年05月25日(日)

昨日に引き続いて今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見て行きましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


チャップリン・システム・スピーチ


若き頃のチャップリンは映画の封切りごとに各地のパーティでスピーチをやらされた。元来、シャイな性格の彼には大変な苦痛だったが、たまたま、同じ悩みをもっていたダクラス・フェアバンクスとメリー・ビックフォード夫妻と、いかにこの悩みを克服するか、を相談した結果、三人で勉強会をやることになった。


それは何枚かの紙きれに名詞を一つずつ書いておき、かきまぜて、それぞれが任意の一枚をとる。見る。立ちあがった時には、もう、このテーマについて喋り始めなければならぬ、というスピーチの練習法だった。


たしかに最初は言葉がとっさに出なかったり、立ち往生したりしたが、何度も反復しているうちに三人とも即席スピーチの名人となった。


この「チャップリン・システム・スピーチ」がやれるようになるためには、練習のほかに「むしり読み、むしり書きをすすめたい日常の見聞の中からこいつはいける!と思ったら、その場で手帳にメモしておくことである

やがてその訓練の積み重ねが、フランスの外務大臣で雄弁家で鳴らしたブリアンのようになればしめたものだ」と扇谷正造の解説である。


ブリアンというのは、子供の頃から『レ・ミゼラブル』を書いたヴィクトル・ユーゴーの詩にのめり込み、 これを全部、丸暗記していたために、 ひとたび、ブリアンが壇上にたつと、ごく自然にユーゴーの含蓄ある警句や箴言が口をついて流れでたのである


さらに扇谷は、自分の体験から、次の五カ条をすすめている。


第一に「聴衆は何を求めているかを的確に掴むこと」

話し手の主観を押し売りしてはいけない。聴衆は感動に満ちたドラマを求めている。

しかるに与えられたものが乾いた批評文であってはどうにもならない


第二に「劇的なもりあがりが大事である」

私は浪花節調の演説はできないが、私なりに体験を整理し、劇的に構成することはできる。材料はふんだんにある。

問題は、その中から何を選び、いかに構成するかということである


第三は「同じ話を何回もやってみることである。そして、聴衆の反応に応じてある部分はカットし、ある部分はふくらまして行く。そのうちに話が磨かれて、次第に完成品に近づいて行く


文芸春秋の創始者、菊池寛は、文壇有数の話し手といわれたが、常に講演のテーマは三つであった。

「小説の効用」「日本で誰が一番強いか」「現代恋愛論」の三つで、聴衆によって、それを使いわけたり、上手に三つをミックスしたが、事実、同じ話を何十回もくり返していると、それは次第に洗練されて行く

名作落語などは、こうして出来あがったものである。


第四は「言葉をゆっくり区切って話すこと。つまり間である」

それは相手の反応をながめながら話を進めていくことだが、あたかも流れの激しい川を足底でさぐりながら進むのに似ている。


第五は「客席の左右とまん中に一人ずつ、三人の聴衆を見つけ、いつも目をぱっちり開いて三人の誰かに視線を注いでいること」


以上ですが、これはビジネスにも充分あてはまるように思います


お疲れ様でした。





Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

原稿なしの随筆的講演

2008年05月24日(土)

土、日雑感の土曜日です。

いつもの様に伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんともどもに見て行きましょう。

(この本は昭和53年に書かれています)


原稿なしの随筆的講演


余暇開発センター理事長の佐橋滋は、いかなる講演にも草稿を用意したことがない。 「日ごろ、考えていることを話すのだから原稿はいらない」のだそうだ。


それでいて、かなりきかせるスピーチで特に最近は年輪とともに一種の風格が加わってきた。

ただ、この佐橋が講演の前に一つだけやることがある。

それは控えの間で一人だけになり、5分間だけ、深呼吸をし、瞑想をし、ひたすら己を無にする作業に没頭する


そういえば、歌舞伎の中村吉右衛門も、楽屋で支度が始まると無口になり、支度ができて出を待っている時には全くものをいわなくなる。

それは楽屋にいる時から、奈落を通って揚幕へ行って待っている時には、もう、その役の気持になりきっていなければならないからだ

またそうしなければ、よい芝居などやれるものではないのだ。


しかし、原稿なしの講演などは、よほどの甲羅を経ないと恐ろしくてやれるものではない。 それがやれるのは佐橋だけくらいのものだろうと思ったら、作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。


いわく「友人から講演を頼まれた時、私は<今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ>と思いついた。

何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔を見ているうちに何か思いついたことを喋る思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる

そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに五十分、楽にしゃべれた。

しかも、あと味もよかった。偶然、ききにきてくれた若い二人の友達までが『とても感動しました』といってほめてくれた。

講演には、なかなか自信のもてない私だったが、聴衆の反応からいっても、何か、感動を与えたことは疑うべくもなかった。

以来、わたしは講演に自信をもった」


中国の古典「礼記」は「学問のしかた」蔵・修・息・の四つ段階を挙げている。

まず、蔵は基礎的なもの原理的なものを懸命に記憶して体にとり入れる

だが、つめ込んだだけでは消化不良となるから、これが血となり、肉となるようこなさなければならないこれが修である


そしてこの蔵と修の段階を卒業すると、学問が呼吸と同じになるから息<いきす>となる。最後のは、学問ゆったりと游ぶこと学問楽しむことである


佐橋滋や小島政二郎の講演は、まさしく、游の境地であるが、游の講演がやれるようになるためにはいうまでもなく過程を経なければならない


以上です。


お疲れ様でした。









Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集

横書きの浸透 文化が技術を阻む例も

2008年05月23日(金)

今日は普段、あまり気づかないことですが、そう言えばという記事が目に留まりましたので紹介したいと思います。


日経産業新聞に掲載されたものですが、Techno onlineというコラムで執筆者は工業調査会相談役 志村幸雄氏が書かれたものです。


横書きの浸透 文化が技術を阻む例も


十九世紀のドイツ哲学者ニーチェは、新しく商品化されたタイプライターを早速買い込み「僕たちの筆記具は僕たちの思想に影響を与える」と意味ありげに語った。


当時この種の道具は、人間にとって神聖な「書く」行為を冒?(ぼうとく)するものとして批判者(例えばハイデッカー)が多かったが、ニーチェはそんなことに頓着せず、誰よりも早く活用した。


現代の筆記手段であるパソコンのワードプロセッサー機能が「思想」の形成者の役割を果たしているかどうかは別として、その普及が「文字」にかかわる日本文化に少なからぬ影響を与えたことは否めない。


最たるものが「横書き文化」の浸透である

日本の出版物は、もともと自然科学書のような専門書を除くと縦書きが主流で読者も縦書きの文章を読むことに慣れ親しんできた


それが近年では、ビジネス誌や白書類はもとより、国語辞典や文学作品にまで横書きが採用されている。ビジネス文書や会議資料に至っては、例外なく横書き化しているといって過言ではない


日本で横書き化が認知されるようになったのは第二次大戦後のこと。しかし、横書きへのアレルギーは強く、役所などが「なるべく広い範囲にわたって横書きとする」といった通達を出しても、遅々として進まなかった。


一転して横書き化が加速したのは、ワープロの影響、それも横書きに打ち込んだ文章を当初は容易に縦変換できなかったことが大きい

携帯電話の普及と並び、技術の進展が文化のスタイルに影響をもたらした格好の例といえる。


では、日本文の表記法がすべて横書き化するかといえば決してそうではない。


俳句や短歌は縦書き絶対護持派のようだし、その他の一般書や文芸書にも大きな変化は見られない。独特な文体が書かれるケータイ小説はともかく、一般の小説が横書き化してしまうと、想像力が衰えて読書意欲もわかないとの説にはそれなりの説得力がある


じ漢字国でも中国の新聞は横書き化しているが、日本の新聞は縦書きが主流

「System」や「1030人」といった表記に出くわすと違和感を覚えるが、紙面構成や読者の慣れの問題など横書き化できない事情があるのだろう。


文化は時として技術の前に立ちはだかるのである。


※このコラムは当然、縦書きで書かれていますので「System」や「1030人」といった表記も横書きではありません。


そう言えばブログも縦書きのブログは見たことがありませんが、普通に新聞を読むときは縦書きの方が読みやすいですね。







Posted by ケーオー at 00:05  / この記事の詳細
 / この記事を編集

加藤 廣さん ”ついに作家デビュー”

2008年05月22日(木)

今日は日経マネー誌の50歳からの「お金持ち入門」加藤 廣さんのコーナーの完結編ということでまとめたいと思います。


このシリーズは5月20日から今日で3回目ですのでもし最初からお読みになる場合は20日、21日の記事を併せてお読み下さい。


それでは今日もよろしくお願いします。


―小説を書き始めたのは60歳のとき。

カルチャーセンターの小説の書き方セミナーに通って、66歳で最初の作品を書き上げられた。


あっちこっちの出版社に持って行ったけれど、本にしてくれる所がなくてね。


―奥様が「いざとなったら自費出版できるよう500万円用意してある」とおっしゃったとか。


作家になるのは私の大学時代からの。どんなになりたいと思っていたかをかみさんも知ってたから多分ウソではないでしょうね。


そういえば、あのカネはどこに行ったのかな(笑)。去年(07年)出た『聖橋で』っていう歌謡曲があるんです。阿久悠の作詞で、あさみちゆきが歌っている。


「あなたは売れない小説をためいきついて書いている  見果てぬ夢と知りながら  わたしは横についている」


僕の十八番の歌ですかみさんは、このCDを家で毎日かけてますよ

それぞれの想いでね(笑)


―3年かけて仕上げた『信長の棺』でついに作家デビューされた。


75歳のデビューは少々遅すぎたかもしれないけれど、ある程度の経済的基盤があってこそ書けるものがあると思います。『信長の棺』には資料や取材で1000万円以上かけましたかね。


―現在は週刊誌で忠臣蔵をテーマにした歴史小説を連載中ですね。


ちょうど今、徳川綱吉が金貨の改鋳をするくだりを書いてます。40代で株式投資に夢中になったときに金の勉強もずいぶんした

それが今、役に立ってます(笑)。


今月の金言(日経マネー)

40〜50代の過ごし方リタイア後を決める

目先の仕事だけにおぼれて自分を磨耗させるな。


以上です。


まとめをと思いましたが上記の金言が完璧なまとめになっていますので私がどうこう言う必要もないのですが、そういえば自己投資なんかには意に介さず赤提灯通い、夜の会議所通いは精勤でしたね。

だから、この始末なのかも知れませんが、加藤さんのこのコーナーを読んで61歳もまだ「見果てぬ夢」追いかける気になりました








Posted by ケーオー at 00:00  / この記事の詳細
 / この記事を編集
| 次へ

Copyright(C) 2001-2008 E-CLASSIS Inc. All Rights Reserved.