昭和の戦争 「スターリンのごとく」
国家総動員法をめぐり日本の進むべき道はどうあるべきか昭和十三年当時の日本において議会においてはどんな議論がされていたのか、を今日は見ていくことといたします。
それでは、いつもの様に半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回2月4日
に続いて見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
このような笑いたくなるような事件を含みながら、政友会も民政党も懸命に、なんとか少しでも法案に制限を加えようと頑張っていたのですが、なんと左翼がこの法案に大賛成でした。
当時、唯一の革新政党ともいえる社会大衆党は、何度も賛成論をぶったのです。
現代から眺めれば、左翼勢力は階級闘争を通じて資本主義を改革ないし打倒しようと考えているわけですから、こうやって国家社会主義的な議論を押し立ててゆけば資本主義打倒も可能なのではないかという思惑ががあったためでしょう。
矛盾したややこしい理屈ですが、つまりはそれが革新に通じるとでも錯覚したのでしょうね。
そこでもう一つの事件が起きたのです。
三月十六日、この国家総動員法案が通過成立する当日ですが、社会大衆党の雄弁家をもってなる西尾末広代議士が登壇して大演説をしました。
ちょっと面白いので引用します。
「……さる三月十四日は、五箇条の御誓文の七十年目にあたるのであります。
『わが国は未曾有の変革をなさんとし』と御誓文の冒頭に仰(おお)せられているのであります。
まことにしかり、今日においても、わが国は未曾有の変革をなさんとしている。
御誓文のなかには『旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道にもとづくべし』
こういうご趣旨もうたわれているのでありまして、この精神を近衛首相はしっかりと把握いたされまして、もっと大胆率直に、日本の進むべき道はこれであると、ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、大胆に日本の進むべき道を進むべきであろうと思うのであります。
今日わが国の求めているのは、確信にみちた政治の指導者であります」
とこうやったんですねえ。
「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく」辺りまではまだいいものの―もちろん日本は独裁政権ではありませんからヒトラーだってとんでもないのですが―最後に「スターリンのごとく」ときた瞬間、議場はひっくり返ってしまいました。
怒った民政党と政友会からは「一体何を考えているのか」とガンガン野次が飛ぶのですが、西尾さんは屁でもありません。
「いまや世界は個人主義より相互主義へ、自由主義より統制主義へと進展しつつある」
「歴史的使命を果たすために、いまや躍進しつつある日本にとっては、国防の充実が絶対に必要である」
「労働者は労働をもって国に報じ、財力のある者は財力をもって国に報ずるとの愛国心の具体的表現と、これを組織化し、総動員法によらざれば、今後の戦争に勝利を博(はく)することはできない」と最後まで続けました。
そして席に戻り、周りがわんわんいっているのを見てようやく自分の演説が大問題になっていることに気付くのです。
そこで弁明のために再登壇し、「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく」のくだりをすべて削除したいと申し出たのですが、政友会と民政党の議員は承服せず、議会は大混乱のうちに、やむなく議長が西尾議員を懲罰することで収拾しました。
ところがまた面白いことに、西尾議員が懸命に弁明しているにもかかわらず、なかにはこれに賛成する人もいたのです。
尾崎行雄(咢堂がくどう)が西尾議員の後に登壇し、
「そこで私も言おう。
近衛首相は自信をもって、ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、大胆に日本の進むべき道を国民に示して指導せられたい。
……西尾君はこの言葉を取り消したが、私は取り消さない。
西尾君を除名する前に、私を除名せよ」と応援演説したのです。
今からみると、これほどの国家の大事を決めるのに何をやっているんだという感じがしないでもない。
結果的には西尾代議士だけが除名されました。
そんな騒ぎを経て、この三月十七日に法案は通過してしまいました。
「国家総動員法」ができていよいよ、いろんな手続きを踏みつつ日本の軍国主義化は進んでゆきます。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンといえば独裁者でありますが、当時はある意味で英雄の様に見えたのかも知れませんが国家の方向性について本質的議論がなされていないこと自体がリーダーシップの欠如を物語っているように思われます。
今日は以上です。
