近代産業の展開 官営紡績工場の設立や万国博への参加など

2012年02月08日(水)

明治新政府による産業基盤育成のため鉄道の敷設や郵便制度を確立し鉱工業の経営とともに輸出振興策として繊維工業に力を注ぎ官営の工場を設立しています。


前回2月1日 続いて明治新政府における近代産業の展開を日本産業史より見ていきます。


以下、日本産業史“近代産業の展開”より


官営の紡績工場


明治六年五月、大久保利通は欧米巡回の旅から帰朝したが、その後、内務卿として五年半にわたり殖産興業政策の遂行に全力を傾注した。

彼はまず、海運ではさきに述べたように三菱会社を厚く保護して近代海運の発達を促す方策を推進するとともに、貿易においては直輸出政策を企画、実行し、貿易商社の発達を奨励した。


また内務省の事業として、貿易に関係の深い繊維工業について、近代的な生産設備を持つ模範工場を設立して民間に範を示した。

たとえば上州富岡(群馬)に開いた富岡製糸場はわが国機械製糸の発達に大きく貢献したし、ついで同じく上州新町新町屑(くず)糸紡績所も設けられた(明治十年)。


綿糸紡績業では、明治五年、薩摩藩から堺紡績所(大阪)を引き継いで官営模範工場とし、同十一年、マンチェスターから錘数二〇〇〇錘の紡績機を二組輸入して、愛知と広島にそれぞれ官営紡績所を設置することとしたのに続き、翌十二年には同じ型の紡績機をさらに一〇組輸入して全国一〇ヵ所の紡績所に無利息、一〇年賦で払い下げた。

また毛織物についても同じ年、官営の千住製絨所(せいじゅうしょ)を開いている。


万国博にも参加


政府が行なった振興のいま一つの重要策に博覧会、共進会の開催がある。

政府は明治六年のウィーン万国博覧会をはじめ多くの海外博覧会に参加して、近代産業技術の導入に努める一方、国内では十年と十四年にそれぞれ官設の内国勧業博覧会を開いて、勧業上、大きな効果をあげた。

また十三年には綿糖共進会を開催し、当時輸入品の圧迫下にあった綿・糖二業の発達を図っている。


このように明治新政府は全力をあげて近代産業の移植育成に努力した。

その中には政府の強化と強兵を直接のねらいとしたものもあったが、それらを含めて政府の政策が民間における産業の発達に大きな影響を与え、それを助成したことは確かである。


上記は日本産業史“近代産業の展開”より引用いたしました。


明治新政府において富国強兵、殖産興業ということを誰よりも認識していた人物が大久保利通であったと思います、それだけに自ら内務省をつくってその遂行を目指すことになるわけですが現在の官僚の基礎は彼が築いたものでもあり大久保への権力集中は有司専制の批判を受けました。


また、三菱の岩崎弥太郎は後藤象二郎を介して大久保利通や大隈重信の知遇を得たたされています。


今日は以上です。









Posted by ケーオー at 00:15  / この記事の詳細
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