昭和の戦争 「国家総動員法」をめぐる激論
昭和の戦争ということで半藤一利氏の「昭和史1926―1945」を中心に見てきていますが当時の軍部に対して議会はどうだったのでしょうか、「国家総動員法」についての軍部と議会の「やりとり」を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回1月28日
に続いてみていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
これには既成政党である政友会も民政党もさすがに猛反対します。
あたりまえなんです。
たとえば条文の第四条にある、
「政府は戦時にさいし、国家総動員上必要あるときは、勅令(ちょくれい)の定むる所により×××することを得る」
この×××は文言(もんごん)が入ってないんです、ですから「一万人を徴用する」「日本製鉄を徹夜(てつや)で働かせる」など何でも入れられるのです。
つまり勅令というのは天皇の命令ですから、政府は戦争を遂行するためにはいかなることもできるのだとうたわれている、これはとんでもない話じゃないか、憲法違反だ、というわけです。
議会が開かれ、この法案をめぐって激論がはじまりました。
昭和十三年二月二十四日、最初に質問に立ったのは民政党の斎藤隆夫(さいとうたかお)代議士でした。
この人の名は後にも出てきます。
その演説の内容は、日中戦争が予想外に拡大した。
こうなると、何を措(お)いても国防を強化せねばならないのはわかる。
が、これほど広範囲にすべてを政府に委任する法律は認められない。
これは逆に言えば政府が勝手気儘(きまま)に天皇の非常大権を制限する、つまり大権干犯(たいけんかんぱん)ではないか。
憲法では国民の権利義務の制限は議会の協賛を必要とすることになっているが、この法案が通過すればそれを無視して政府があらゆることをやれることになってしまう、という反対意見でした。
それから連日のように、民政党と政友会の雄弁な代議士が次々に出て議論をふっかけます。
情けないのは近衛さんで、答えられないからでしょうが、具合が悪くなったなどといってはちょいちょい休むのですね。
そんなすったもんだの中で、有名な話が二つあります。
三月三日、総動員法の委員会でしっこく質問する人がいて、それにいちいち陸軍省軍務局員の佐藤賢了(さとうけんりょう)中佐が答えていました。
陸軍はどう考えているのか、といった端的な質問に対し、佐藤中佐は長々と何度も同じような答弁をするのです。
それにいらだった政友会の宮脇長吉(みやわきちょうきち)代議士――紀行作家として有名で最近亡くなった宮脇俊三(しゅんぞう)さんの父親です――が「長過ぎる!」「いい加減にしろ!」などと野次(やじ)を盛んに飛ばすと、佐藤中佐がついに「黙れーッ!」とこれを一喝(いっかつ)したのです。
説明を義務とする者が代議士に向かって威嚇(いかく)するとは何事(なにごと)か、と大騒ぎになって委員会はガタガタ紛糾(ふんきゅう)し、ついに翌日、杉山(元はじめ)陸軍大臣が「心から申し訳ない」と詫(わ)びる事態になります。
これで一応は済(す)んだのですが、ただこうやって見ますと、陸軍の横暴(おうぼう)横暴とはいうものの、昭和十三年三月頃はまだ、議会の方に陸軍をへこます力があったともいえるわけです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
「国家総動員法」という戦時下体制を当時の政府はどこまで考えていたのでしょうか、リーダーの条件を問われるのは当時も今も変わらないと思います。
今日は以上です。
