近代産業の展開 交通、通信、鉱工業の経営
日本の近代産業の移植育成が始まった明治時代初期の頃の様子を日本産業史“近代産業の展開”より紹介・引用しています。
明治新政府による近代産業基盤が整っていった状況を前回1月25日
に続いて見ていきます。
以下、日本産業史“近代産業の展開”より
東西に鉄道敷設
近代的な交通、通信制度も政府によって発達した。
鉄道については、政府は明治二年、イギリスで九分利付き外債を募って、東京―横浜間の鉄道敷設に着手し五年八月に完成した。
また明治四年には京都―大阪間の鉄道敷設を始めて十年二月にその全線が開通した。
鉄道が官営だったのに対し、海運は政府の保護助成策によって育成された。
政府は廻漕(かいそう)会社、郵便蒸汽船会社の解散後、大久保利通の建策にもとづき、三菱会社に強力な保護を与える方針をとり、同八年、郵便蒸汽船会社と政府の所有船三〇隻を無償で同社に下付し、さらに年々巨額の助成金を与えた。
かくして、三菱会社は、わが国最大の汽船会社となり、有力な外国汽船会社をわが国の沿岸航路から撤退させるまでになった。
これと並んで通信事業も鉄道と同様、官営で発達した。
政府は明治四年以来、郵便事業に手をつけ、六年三月に全国的な郵便制度を確立した。
政府はまた、明治二年に東京―横浜間に最初の電信を敷設し、その後電信制度の発展に努めたのである。
新政府は幕藩の諸設備を受け継いで、東京・大阪の両砲兵工廠(しょう)および横須賀・長崎・兵庫・石川島の各造船所を経営した。
これらの軍需工廠は艦船、武器の製造、修理のほか、製鋼、製鋳などの作業を行った。
また明治三年以来、工部省を設置して鉄道、電信・電話のほか鉱山、重化学工業の経営にあたった。
工部省は幕藩から引き継いだ佐渡・生野・三池・阿仁・院内・釜石・中小坂・小坂などの諸鉱山を経営、機械を導入し、外人技師を招いて近代化を図った。
同省はさらに明治四年、赤羽工作分局(東京)を設置して鉄・機械・蒸気罐(かん)などの製作に当たり、同七年には深川工作分極を設けセメント・人造石・れんがなどを製作、さらに九年には品川硝子製造所を開いてガラス製造を行った。
また十年代にはいると、釜石鉱山で鉄の精錬も開始された。
上記は日本産業史“近代産業の展開”より引用いたしました。
日本の近代産業の基礎が明治十年頃までに始まっていたようですが官営事業からの払い下げなどを通じて近代企業家が出現していくまでを引き続いてみていきたいと思います。
今日は以上です。
