地位を与えてはならぬ人物
このところ、米金融安定化法案をめぐってニューヨークと東京の市場を見てきましたが、こんな時こそしっかりしたモノサシを持たねばと思います。
と言うことで今日はいつものように伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
松下電器産業相談役の松下幸之助は「人事の名手」といわれている。
ある時、「松下人事の原理原則は何ですか」と問うたら、『西郷南州翁遺訓』の一節をもって答えた。
「国に功労ある人には賞を与えよ。功労あったからといって地位を与えてはならない。
地位を与えるには、おのずとその地位に相応(ふさわ)しい見識がなければならない。
そこのところを間違えて、功労に酬(むく)いるために見識なき者に地位を与えると、それは国家崩壊の原因となる」
これを企業にあてはめるとどういうことになるか。
「あの人は会社を儲けさせた。だから重役にしよう」という発想は間違っているのだ。そういう場合は、南州翁が指摘したように「功労ある人には賞をもって酬いる」ことである。
「賞」とは金品のことだから、ボーナスとか、金一封とか、あるいは昇給でもって酬いる。
そして、重役に抜擢するのに、「これがうちの重役です」と部下が誇れるような見識ある人物をもってくる。
たしかに、いかに仕事がきれても、いかに能力があっても、だからといって、地位を与えて人を支配させてはならない人間がいる。
もし、そういうのを上のポストに据えると、必ずトラブルを起し、下手をすれば社の内外に混乱を招くことになる。
一方、第一線にいる時は、これといった派手な存在ではないが、その地位に据えると、おのずとその部署が治まってしまう人物がいる。
いうなれば「才の人」と「徳の人」との使いわけである。
もちろん、上に立つ以上、「才」も「徳」も兼備しているのが一番いいにきまっている。
だが、「才をとるか」「徳をとるか」の二者択一を迫られた場合には、躊躇することなく「徳の人」をとる、というのが松下幸之助の解説だった。
その話に耳を傾けながら、ふと村上素道<禅僧>の散文詩を思い出した。
「徳の人」と「才の人」とあり。
「徳の人」は大将の器たるべし。
「才の人」は補佐役たるべし。
人にして「才」と「徳」との具はる人あり。
容易ならざる大人物なり。君子なり。
以上です。
