長い投獄生活

2008年09月07日(日)
昨日に引き続いて伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」です。

よく私たちは「人間、裸になって」と言いますがそんなに簡単に裸になれるものでもなく、どこか何かを身にまとっているものですが、この辺りのことを今日は皆さんと一緒に見ていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)

以下、本文

□ 長い投獄生活

銭湯に入ると、人は他人の前に裸をさらさねばならない。

同様に監獄へ入ると、人は遅かれ、早かれ、心の衣裳を脱がされる。だから、監獄へ入った時こそ人間の真実の心を知るための最上の機会である。


A級戦犯で刑死した土肥原機関の土肥原賢ニが同じ戦犯の後輩にしみじみといい遺したことがある。

「君は若いから、も一度、娑婆へ出られるだろうが、俺はダメだ。巣鴨プリズンへ入れられてから、よくよく考えてみると、俺は陸軍幼年学校から士官学校、陸大と出世街道をひたむきにつっ走ってきた。

そして、気がついた時は巣鴨だった。この獄庭には木も草もない。
ところがたった一本、隅っこから生えてきたあの水仙の何と美しいことか。

自然は美しいなあ。君がここを出たら、田舎で静かに自然の美しい姿を心の眼でみろよ。
俺も長く支那大陸にいたが、心の眼で支那をみたことはなかったなあ。君、この言葉が俺の遺言だよ」


その後輩は、これをきいて、人生観が一変した。

以来、「心の眼で美しい日本の姿をみて、何時、死んでもいいという覚悟で毎日を送ろうと考えるようになった」と告白している。



以上です。





Posted by ケーオー at 00:05  / この記事の詳細
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