己を無にする作業
土、日雑感の土曜日がやってきました。
今日も伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
それでは今日もよろしくお願いします。
「人を見る明」の第三のメルクマールは「出処進退」である。 特に退を重視する。
何故、「退」が大事か、というと、「退」には、のっぴきならぬものが出るからだ。
まず、退くに当たって、二つの「人間くさい作業」をやらねばならない。
一つは「退いて後継者を選ぶ」という作業である。これはきわめて当たり前のことである。だが、「退いて後継者を選ぶ」ということは、企業において、自己がいなくなっても仕事がまわっていくようにすることである。
いわば、「己を無にする作業」をしなければならぬのだ。
これがなかなかむつかしい。
「パーキンソンの法則」に皮肉なのがある。
「サラリーマンは自分の部下ができることは気にしないが、競争相手ができることは大きな脅威だ。
だから、できるだけライバルがでてこないようにいろいろな手を打つ。
たとえば、部下ができて、これまでの仕事の半分ずつ受けもつようになることは絶対に反対である。
というのは将来、その男が自分のライバルになる可能性があるからだ。そこで、こういう場合は部下を二人つけてもらって、その二人にそれぞれ半分ずつの仕事を与えて、自分だけがその仕事の全般をしる立場に立とうとする」
こんな環境に育ってきた経営者にとって、「己を無にする作業」がいかに至難の業か。ある一流企業の常務がこぼしていた。
「社長が後継者を選ぶ第一の基準は、どうやって、自分の権力が温存できるか、ということだ。
有能で実力があり、まごまごすると自分を棚上げしかねないような副社長を選ぶことは、まずない。
必ず、自分が会長や相談役になっても、もと社長として精神的にも物質的にも遇してくれる人物を選ぶ」
残念ながら、これが後継者選びの一面であることは否定できない。
あるトップなどは「後継者?それはこのわしが死んでからも、ちゃんとお墓参りにきてくれる人物を選ぶよ」といってのけたが、常務の告白を裏から説明したことになろう。
「無私」とは何か。
フランスの原子力潜水艦が地中海沖で故障を起こしたまま、再び浮上しなかったことがある。
乗組員の家族や関係者たちは続々ツーロン軍港に集まり、やがて「原潜乗り組み反対」のデモにふくれあがってフランス海軍が動揺しはじめた時、ドゴールは自ら、同型同種の原子力潜水艦に乗り込み、同じ場所で同じ深さまで潜って、「原潜は大丈夫だ」ということを身をもって証明した。
この自分の命を投げすててかかる「無私」の迫力で、デモは自然に収まってしまった。
今日は以上です。
お疲れ様でした。
