君への応援のうた
2009年04月24日(金)
この日記では通常自作曲をUPすることはやらないのですが、今回特別編です。
3月に私の人生の中でとても心の支えだった方が亡くなりました。
市村 均さんといいます。今年70歳(?)だったかな?
この事を記事にすること自体がきっと喜ぶ事だと思うので書くことにしました。
とても不思議な関係で、たぶん親族に近い感覚、長い年月考えて一番しっくりきたのは、私にとってはきっと年の離れた”お兄ちゃん”的な存在だったと思います。
私が21歳で生活がとても苦しい頃、アルバイト先で出会い、その後ずっとお付き合いをさせていただきました。
出会った頃は、説教したり、昔話が多かったり、私にとっては面倒くさいくらいの典型的な普通のおじさんだったのだけど、とにかく明るくて多少のことでは滅多にめげない。
私と同世代の他の仲間達はどう思っていたかわかりませんが、私は「うっとうしいなぁ、あのおじさん」
なんてちょっと思っていた様な気がします。
そんな時、私はとうとう言ってしまいました。
「市村さん、また同じ話をしてるよ。この話何度も聞いたよ。続きに行ってくれない?」
その日以降、急に無口になってしまった。
「どうしたんですか?」と聞くと、
「この話、もう話したかな?と立ち止まって考えてるうちに、何もしゃべれなくなってきたんだよ」と。
びっくりしました。私のキツい一言をまともに素直に受け止めていたなんて。
その後は、若い人だろうが、年配の方だろうが、良いと思うことは自分に取り入れ、自分の良くない部分を素直に反省したりもするので、どんどん変貌していったのです。
あれから20年。
実年齢よりずいぶん若く見られました。
市村さんの周りには年齢問わずたくさんの仲間がいて
いつも「今の幸せは島田さんのお陰です」と私に感謝の言葉を言ってくれるのです。
この20年の間には数年会わなかった時もあり、ここ10年くらいは電話やメールはしていたけど会ったのは年に数回程。
それでも全く疎遠になった感覚は無く、今後も疎遠になるとはとても思えない不思議な感覚。
不思議な縁もいくつかありました。
当事、埼玉県の大宮に住んでいましたが、記憶が曖昧ですが、すぐ近くに、知り合い?か、親族?かがいて何度かあったことがあります。
また市村さんが住んでいる東京の小岩は、私の実家の街。
今住んでいる茨城県つくば市(前は稲敷郡だった)は市村さんの生まれ故郷。
その他にも、何点か偶然があり、不思議な縁でした。
そして何より、絶対的な私の理解者でありました。
私がその時その時、何に一生懸命になっていて、何に心悩ましているのかをよく理解してくれていました。
そして
「私は、島田さんの応援団長ですから!」と、
いつも明るい笑顔で励ましてくれていたのです。
市村さんは私だけでなく、本当にたくさんの人の応援団長になっていました。
凄いな、このパワーは、と良く言っていたのですが、
「私は今までにいろんな人に助けられたりパワーをもらったりしているから、自分もいろいろな人に与えるんだ」と言っていました。
こういう大人に私もなりたいと思います。
なんの恩返しもまだしていないのにこんな事になってしまい、私は市村さんの励みになってもらいたい一心でこの曲を作りました。
病院で聴いていても、昔を思い出しすぎて辛くならないように、
今が幸せだと感じられるように、
たくさんの人の愛が感じられる様に、
寂しくなりませんように、
という気持ちを込めて作ったのです。
曲名は市村さんにつけてもらおうと思っていたのですが、それはとうとう叶いませんでした。
思い出がありすぎて、今は私はちょっとまともには歌えそうにもありません。
まだまだふっとした時に止まらないほどの涙が出てきてしまうのです。
きっと、もっと実感してくるのはこれからなんでしょうね。
事あるごとに冗談で「私が死ぬときは棺桶の中に桜の花びらをたくさん入れてもらいたいね」
と話していた市村さん。
今年の桜を見れたかどうかはわからないけど、念願の季節でよかったね。
とても明るい方だったので、今頃はもうすでにあの世でも早速いろんな人(?)に会い楽しくやってんだろうな、と思いますが、この世に残された方はしばらく辛さが続くんですよね。。。
いつかまた会える時がきっと来ると思うので、その時まで私一生懸命がんばります。
この曲のアレンジはこれからです。未完成なので聴き苦しいと思います。
音源もとりあえずなもの使っているのですが、何れ、ちゃんとした(?)ストリングス群に変更するつもりだし、歌ってくださる方が見つかったら、歌とコーラスを主としたアレンジにしたいので、今は取りあえず雰囲気だけ入れてみた、というところです。
なので、音量バランスや若干無理な和音があり即興的に打ち込んだそのままの状態ですが、仕事の片手間にやっているので、ちゃんと仕上がるには相当先になりそうです。
未完成ですが、この状態で一度UPしておこうと思いました。
君への応援のうた(仮)
作詞・作曲・編曲 島田 洋美
1 行くあてもない 電車に乗り
ぼんやりと 窓の外 見てると
急に 飛び乗り込んできた君 そんな出会いをした僕たち
住み慣れた街 この東京の
景色は 風のような速さで
消えてしまうけれど 本当は 思い出 たくさんあるんだ
君の勇気は 僕たちのあこがれ
笑顔の奥の強さを
いくつもの奇跡を 見せてくれたね
だから僕たちは 本気で夢を信じられた
※ これは 僕たちからの 君への応援の歌
忘れないでいて 君を愛する人が この世にたくさん いること
2 「ボクはいつでも 幸せだよ」と
どんな時も 笑顔でいるよね
そこには 一人ぼっちで戦う 孤独も きっとあったことでしょう
たとえ 喧嘩をしても 会えない月日が流れても
必ずまた 会えるのさ
この世に 君の代わりはいないこと 僕たちは 知っているから
胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも見えてくる あの時
君の想いは 僕たちの願いとなり
強くなるよ 永遠に輝き続ける
これは 私からの 君への贈りもの
どんな時でも そばにいてくれたね これからもずっと 一緒に
☆ 胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも蘇るよ あの頃
時は過ぎゆくけど 確かな今日を感じるため
今この一瞬(とき)を 大切に生きてみるんだ
※ 繰り返し
★ 君の笑顔を いつまでも 守れますように
神様 お願いします
- END -

HPにて音楽とスライドショーが字幕つきであります。桜の写真ばかりですが。(^^;)
今年の桜の写真(携帯カメラ(^^;))を撮ろうと仕事の合間にちょこちょこ歩き回りましたが、最後の方は葉桜に。。。
桜前線は思いのほか速かった。
また来年、再来年と、思い出の場所の桜をねらってみようと思います。
君への応援のうた 音源 & スライドショー
3月に私の人生の中でとても心の支えだった方が亡くなりました。
市村 均さんといいます。今年70歳(?)だったかな?
この事を記事にすること自体がきっと喜ぶ事だと思うので書くことにしました。
とても不思議な関係で、たぶん親族に近い感覚、長い年月考えて一番しっくりきたのは、私にとってはきっと年の離れた”お兄ちゃん”的な存在だったと思います。
私が21歳で生活がとても苦しい頃、アルバイト先で出会い、その後ずっとお付き合いをさせていただきました。
出会った頃は、説教したり、昔話が多かったり、私にとっては面倒くさいくらいの典型的な普通のおじさんだったのだけど、とにかく明るくて多少のことでは滅多にめげない。
私と同世代の他の仲間達はどう思っていたかわかりませんが、私は「うっとうしいなぁ、あのおじさん」
なんてちょっと思っていた様な気がします。
そんな時、私はとうとう言ってしまいました。
「市村さん、また同じ話をしてるよ。この話何度も聞いたよ。続きに行ってくれない?」
その日以降、急に無口になってしまった。
「どうしたんですか?」と聞くと、
「この話、もう話したかな?と立ち止まって考えてるうちに、何もしゃべれなくなってきたんだよ」と。
びっくりしました。私のキツい一言をまともに素直に受け止めていたなんて。
その後は、若い人だろうが、年配の方だろうが、良いと思うことは自分に取り入れ、自分の良くない部分を素直に反省したりもするので、どんどん変貌していったのです。
あれから20年。
実年齢よりずいぶん若く見られました。
市村さんの周りには年齢問わずたくさんの仲間がいて
いつも「今の幸せは島田さんのお陰です」と私に感謝の言葉を言ってくれるのです。
この20年の間には数年会わなかった時もあり、ここ10年くらいは電話やメールはしていたけど会ったのは年に数回程。
それでも全く疎遠になった感覚は無く、今後も疎遠になるとはとても思えない不思議な感覚。
不思議な縁もいくつかありました。
当事、埼玉県の大宮に住んでいましたが、記憶が曖昧ですが、すぐ近くに、知り合い?か、親族?かがいて何度かあったことがあります。
また市村さんが住んでいる東京の小岩は、私の実家の街。
今住んでいる茨城県つくば市(前は稲敷郡だった)は市村さんの生まれ故郷。
その他にも、何点か偶然があり、不思議な縁でした。
そして何より、絶対的な私の理解者でありました。
私がその時その時、何に一生懸命になっていて、何に心悩ましているのかをよく理解してくれていました。
そして
「私は、島田さんの応援団長ですから!」と、
いつも明るい笑顔で励ましてくれていたのです。
市村さんは私だけでなく、本当にたくさんの人の応援団長になっていました。
凄いな、このパワーは、と良く言っていたのですが、
「私は今までにいろんな人に助けられたりパワーをもらったりしているから、自分もいろいろな人に与えるんだ」と言っていました。
こういう大人に私もなりたいと思います。
なんの恩返しもまだしていないのにこんな事になってしまい、私は市村さんの励みになってもらいたい一心でこの曲を作りました。
病院で聴いていても、昔を思い出しすぎて辛くならないように、
今が幸せだと感じられるように、
たくさんの人の愛が感じられる様に、
寂しくなりませんように、
という気持ちを込めて作ったのです。
曲名は市村さんにつけてもらおうと思っていたのですが、それはとうとう叶いませんでした。
思い出がありすぎて、今は私はちょっとまともには歌えそうにもありません。
まだまだふっとした時に止まらないほどの涙が出てきてしまうのです。
きっと、もっと実感してくるのはこれからなんでしょうね。
事あるごとに冗談で「私が死ぬときは棺桶の中に桜の花びらをたくさん入れてもらいたいね」
と話していた市村さん。
今年の桜を見れたかどうかはわからないけど、念願の季節でよかったね。
とても明るい方だったので、今頃はもうすでにあの世でも早速いろんな人(?)に会い楽しくやってんだろうな、と思いますが、この世に残された方はしばらく辛さが続くんですよね。。。
いつかまた会える時がきっと来ると思うので、その時まで私一生懸命がんばります。
この曲のアレンジはこれからです。未完成なので聴き苦しいと思います。
音源もとりあえずなもの使っているのですが、何れ、ちゃんとした(?)ストリングス群に変更するつもりだし、歌ってくださる方が見つかったら、歌とコーラスを主としたアレンジにしたいので、今は取りあえず雰囲気だけ入れてみた、というところです。
なので、音量バランスや若干無理な和音があり即興的に打ち込んだそのままの状態ですが、仕事の片手間にやっているので、ちゃんと仕上がるには相当先になりそうです。
未完成ですが、この状態で一度UPしておこうと思いました。
君への応援のうた(仮)
作詞・作曲・編曲 島田 洋美
1 行くあてもない 電車に乗り
ぼんやりと 窓の外 見てると
急に 飛び乗り込んできた君 そんな出会いをした僕たち
住み慣れた街 この東京の
景色は 風のような速さで
消えてしまうけれど 本当は 思い出 たくさんあるんだ
君の勇気は 僕たちのあこがれ
笑顔の奥の強さを
いくつもの奇跡を 見せてくれたね
だから僕たちは 本気で夢を信じられた
※ これは 僕たちからの 君への応援の歌
忘れないでいて 君を愛する人が この世にたくさん いること
2 「ボクはいつでも 幸せだよ」と
どんな時も 笑顔でいるよね
そこには 一人ぼっちで戦う 孤独も きっとあったことでしょう
たとえ 喧嘩をしても 会えない月日が流れても
必ずまた 会えるのさ
この世に 君の代わりはいないこと 僕たちは 知っているから
胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも見えてくる あの時
君の想いは 僕たちの願いとなり
強くなるよ 永遠に輝き続ける
これは 私からの 君への贈りもの
どんな時でも そばにいてくれたね これからもずっと 一緒に
☆ 胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも蘇るよ あの頃
時は過ぎゆくけど 確かな今日を感じるため
今この一瞬(とき)を 大切に生きてみるんだ
※ 繰り返し
★ 君の笑顔を いつまでも 守れますように
神様 お願いします
- END -

HPにて音楽とスライドショーが字幕つきであります。桜の写真ばかりですが。(^^;)
今年の桜の写真(携帯カメラ(^^;))を撮ろうと仕事の合間にちょこちょこ歩き回りましたが、最後の方は葉桜に。。。
桜前線は思いのほか速かった。
また来年、再来年と、思い出の場所の桜をねらってみようと思います。
君への応援のうた 音源 & スライドショー

