How China sees the world.
How the world see China.
How we see Chinese,
How Chinese see our Japanese.

ますます力をつける中国、
そして中国人を無視しては、
何も語れない時代になりました。

政治や経済が迎えた時代の変化です。

でも、気持ちがなかなかそれについていけないときがあります。

これだという「解」はありません。
それだけに心中非常にフクザツで、
道を見失うときもあります。

期待と疑念。

正直、誰もがそんな気持ちを抱きながら、
中国と向き合っているのだと思います。

プロフィール

姫田小夏

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“日中ビジネスに熱い県”福井  2012年03月22日(木)
“日中ビジネスに熱い県”福井――


福井県で講演する機会にめぐまれた。今回の福井訪問、2つ感動することがあった。ひとつは佐佳枝廼社の神主である福山泰江さんとの二十数年ぶりの再開だ。もうひとつは福井県がこんなに“日中ビジネスに熱い県”だったということを知ったという喜びだ。

中国は騙される、中国人は怖い、というような内向きな議論に終始する経営者も少なくない中で、福井県の経営者や自治体のその視線はすでに「外」に向けられていたことも、私にとっては大きな発見だった。

私の講演を聞きに来て下さった方々は、中国ビジネスの達人たちばかりだったが、それでも「いい講演でした」と言って下さったことに心から感謝している。

さて、福井県と浙江省は友好都市としても長年の実績を積んできており、平成5年には福井県浙江省経済促進機構を築き上げている。この点についても啓蒙されるところだ。つまり、福井県のトップと浙江省のトップが握手した、という形を創り上げたのだ。

中国ビジネス、煎じ詰めればトップダウンだ。「ガバメントtoガバメント」が円滑な中国ビジネスの運営に不可欠とされる中国ビジネスにあって、この機構の存在意義は大きい。「何かあったときの駆け込み寺」が十分に機能すれば、中小企業もある意味安心して中国ビジネスに臨むことができる。

友好都市の絆を単なる交流の象徴で終わらせることなく、どう「実益」に落とし込み、相互にウィンウィンにつないでいくかは、日本の各自治体に共通した今後の課題となるだろう。

話は少しそれるが、中国の省エネ・環境ビジネスなどはそれこそ「ガバメントtoガバメント」で進めなければゴールに到達しない格好の事例だ。日中の国と国とがなかなか握手できない状況にあるなか、GGM(中国出環境関連事業を手がける日系企業の連合体)がその代わりとなってビジネスの橋渡しを行おうとしている。中国の県レベルの地方政府に食い込み、そこからのトップダウンで日本の企業にプロジェクトを受注させるのが狙いだ。

興味深いのはGGMの担当者が「今後は友好都市関係をもっと活性化させたい」とコメントしていることだ。新規ビジネスを掘り起こし、ゴールにたどり着くにはこの関係を活用しない手はないのだ。

日本全国津々浦々、「友好都市」関係は築いても“今は塩漬け”になっているところも少なくない。これを見直すには、福井県やGGMはひとつの参考になるだろう。愛媛県の内子町はドイツのある都市との友好関係を学生同士の交流に生かしている。

さて、今回の出張ではこんな発見もあった。

福井県でブータンを題材にした資料館ができるという話を耳に挟んだのだ。講演を聞きに来て下さった野坂弦司氏(日本システムバンク会長)の襟元に、日本とブータンの国旗がクロスしたピンバッジが燦然と輝いていることを筆者はめざとく見つけたのである。福井県もまた「幸福度指数全国ナンバーワン」だ、ブータンと共通する要素が多分にある。

この福井市内にはかつて八路軍に参加したことがあるという日本人女性もいらっしゃるという情報も耳にした。ご高齢だとも伺ったが、今なお中華料理店「ニーハオ」の経営者を続けておいでだという。

「彼女がお元気だったときは毎年のように中国旅行を企画してくれ、私たちはそれに参加しました。中国西の最果てのカシュガルにも連れて行ってもらいました」(佐佳枝廼社の福山泰江さんのご母堂)

こうした草の根に至るまでその民間交流は盛んだ。さらに佐佳枝廼社の福山泰江さんご自身もボランティアで外国人に日本語を教え、その教え子が全国日本語弁論大会で見事優勝したという経験の持ち主でもある。ちなみに福山神主とは70年代、中央アジアの旅で出会った。

県のトップ、民間企業、そして草の根に至るまで「外に目が向けられている福井県民」との交流はいい刺激となった。こういうやる気のある県下企業には、日中ビジネスにおいてどんどん試行錯誤を繰り返して頂き、いち早く成功のモデルを築いてもらいたい、とも思う。筆者の見聞や経験がそのための一助となればなお幸いである。
Posted at 23:10 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
どう生かす、日中の「姉妹都市」関係  2012年01月31日(火)
どう生かす、日中の「姉妹都市」関係


日本の地方の名もないブランドが、中国で「一大ブランド」になりそうな気配である。

「みどり牛乳」がそれだ。

みどり牛乳は大分県の九州乳業が持つブランド。武漢市の農業企業(武漢開隆ハイテク農業発展有限公司)と合弁で武漢九州乳業有限公司を設立し、2010年からチルド牛乳の生産を開始した。

地元の中国企業が持つ「資金力」と「販売ネットワーク」、それに日本の「技術力」「ブランド力」が加わった形だ。昨年末、上海市場にも上陸した。日本の食品ブランドに「安心・安全」を求める中国市場で、手応えを感じ取る。

実はこのビジネス、32年にわたる大分市と武漢市の姉妹都市という関係が下地になっている。もともと農業を通じて交流をはぐくんで来た両都市では、農業実習生の往来が頻繁に行われていた。

消費市場も成熟に向かい、農産物や酪農製品をめぐって「多少高くても、安心できるもの」が求められる中国で、いよいよこの姉妹都市関係を生かせる時代にさしかかったようだ。

実際、このチルド牛乳プロジェクトも、「日本のイメージで牛乳を売りたい」とする武漢開隆の案件を、武漢市が大分市に持ち込んで案件としてまとめた。

「これは砂糖入りの牛乳か?」

他方、合弁とは言っても九州乳業は09年に会社生理機構へ再建計画を提出したばかり。大手ブランドに淘汰されようとするなか、厳しい時代が続いたことは想像に難くない。そんななか、同社は08年に上海の食品見本市に出展していた。中国に活路を求めていたのだろう。

当時、筆者も現地で九州乳業に取材をしている。乳牛に与える餌や飼育方法ではトップクラスともいわれるものがあり、飲み比べると格段にそのおいしさがわかる。上海のバイヤーや消費者は同社の牛乳に「砂糖入りの牛乳か?」と驚いていた。

その後、実験的な輸出に踏み切ったようだが、日本では口蹄疫が発生し、乳製品の対中輸出はストップしてしまった。

出資金額ゼロの合弁

十分な体力のない九州乳業、対中ビジネスには40年超続いたブランドの復活もかかる。そこで描いたビジネスの枠組みは、「ブランド名と技術・品質管理」を査定し、それを出資割合に落とし込む、というものだった。実際に資金は動かないものの、九州乳業は25%の出資を確保した。

九州の地元で眠っているブランドが、大陸で一大ブランドにもなる妙味がそこにある。

設備の使い方から牛乳以外の乳製品のレシピまで、「無料指導」だ。年に数回技術者が現地指導に訪れるが、経費も自社で負担。今のところは利益に浴するどころか持ち出しであるが、「3〜4年先には黒字化が狙えるのではないか」(大分市役所)との見通しもある。

舞台はあれどプレーヤーは?

さて、「姉妹都市」という日中間の関係を、どこまで実際のビジネスに落とし込めるかは各自治体の長年の課題である。税金ばかりを垂れ流して「名ばかり」を繕い続けるところも少なくない。

大分−武漢のケースは姉妹都市交流も堂々30年を超えるロングヒストリーだが、現地への進出、という視点で見ればほんの数件の事例しかない。昨年はようやく「街のケーキ屋さん」が武漢に進出を果たしたばかりだ。

30年の交流が意味するものは、地方政府間が築いた信頼である。多少のことでは揺らぐことのない基盤がある。

そしてもうひとつの妙味は、当時往来していた人物が30年を経て地元の「長」になっているケースが少なくない、ということだ。武漢市から大分市に訪れた視察団団長は今では武漢市の副市長だと言う。こうした人物が大分−武漢間のビジネス交流の地盤を強固なものにするのであれば、その舞台で踊らない手はない。

しかし現実は「プレーヤーの数が少ない」。中小企業の「石橋を叩いて」がチラつく。

ステージはある。だが、主役がいない。中小企業にとっては中国市場に進出するのは大変だろうが、そこは自治体を通じて情報を取り、現地に足がかりを掴むのもひとつではないか、と思う。(なお、「日本企業の中国牛乳ビジネス」の詳細については「Jbpress」にて来週火曜日に公開予定です)
Posted at 11:51 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
変化にどう対応する、日中を結ぶ交流母体  2011年02月10日(木)
変化にどう対応する、日中を結ぶ交流母体


2月6日、埼玉県日本中国友好協会より声を掛けて頂き、新春の集いに参加した。新春講演会の講師として1時間ほどお話をさせて頂いたが、埼玉県下でもこれほど多数の「日中友好協会」があったものかと驚いた。友好活動は網の目のように張り巡らされている。

昨年の「漁船衝突事件」以来、冷え込んだ日中の政治関係だが、民間ではやはり根強い交流が保たれているのだと認識を新たにした。

姫田は事前に「講演内容にタブーはあるのか」と打診した。日中友好には歴史ある会である、琴線に触れることがあればせっかくの「新年会」もおじゃんになってしまう。ところが回答は「おおいにやってください」とのことだった。包み隠さず、本音で、というのがこの会長のポリシーのようである。

「では」、ということで時と場所をわきまえて、の判断により、言いたいことの8割程度を放出させて頂いた。

お集まり頂いた方々たちは、日中民間外交に長年携わる、ある意味のプロなので、釈迦に説法なのではないかとも思ったが、意外に好評だったのでうれしかった。

ある女性からは「まさにそうなんですよ!」と共感を頂いた。彼女が共感したのは、私が持ち時間の後半に話した「日本のサービスの、質の高さにどれほどの中国人観光客が感動して帰っていくか」という部分だった。

この女性曰く「最近、中国は日本女性からマナーを学びたがっている。男性でもなければ、若い女性でもない、まさに熟年の日本人女性のマナーや作法が求められているんです」、そんな貴重なコメントを頂いた。

さて、同協会の会員の皆様を拝見して思ったのは、どなたもまじめで、本当に純粋で清らかな気持ちをお持ちだということだった。

そして、それぞれに自らと中国の思い出を、宝物のように大事にしていらっしゃる。当時の中国、中国人もまたまじめで、純粋で清らかな気持ちを持っている方々が多かったということの裏返しでもある。

その当時、竹のカーテンの向こうで、こんな生き生きした中国人に会えば、誰しもが心を動かされずにはいられなかったのだと思う。

一方で、互いに変化したこの数十年間において、活動の形も変化せざるを得ない、そんな局面をも垣間見た。当時の目的と、現在の存在意義、多少のミスマッチが出てきても当然のことだろう。思い出話だけでは友好は形骸化してしまう。

グローバル化が進む昨今、ますます日中をつなぎ目となる人材が求められているなかで、意識ある若者の出現が待たれている。こうした交流母体も、目の前の日本を見つめ、現状の中国を等身大に受け止め、今必要とされていることにクイックに対応できる、そんな活動が求められているのだと思う。

いかに若手を取り込み、若手中心の活動をサポートするか、新たな取り組みが求められている。
Posted at 12:40 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
菅外交の反転攻勢、「進まなければ押し流される」?  2011年01月22日(土)
菅外交の反転攻勢、「進まなければ押し流される」?


1月20日、帝国ホテルで行われた菅直人首相の「年頭外交演説会」を訪れた。会場には各国大使をはじめとした参加者が600人超。カメラは会場の二面を占拠、プレスだけでも会場の3分の1近くを占めた。1社だけで数十人を送り込んだ新聞社もあったようだ。

歴代総理としては初めて。民間外交推進協会が主催するこの外交演説会は、
週明けの通常国会の施政方針演説に先行するもので異例といえる。外交に絞っての演説はそう多くはないとも言われる中で、国内外に向けた菅直人首相の「発信力強化」のアピールに多くのメディアが注目した。当日はアメリカ、イギリス、ロシアの大物大使の顔ぶれもあった。

菅首相は「外交安全保障政策の5本柱」として、「日米基軸」「アジア外交の新展開」「経済外交の推進」「地球規模の課題への取り組み」「安全保障環境への日本自身の的確な対応」を据えた。

日中関係については、積極的な改善を伺わせるものとなった。「透明性をやや欠いた国防力の強化や海洋活動の活発化には懸念を抱かざるを得ない部分もある」と指摘するものの、「2000年以上つきあってきた一衣帯水の隣国」とし、「日中関係は必ず発展させていくことができる」とした。

「戦略的互恵関係」については「内容を深める努力を行っていくことが重要だと考えている」。特に中国で需要が見込まれる環境関連分野においては「日中が共同開発等を通じた協力を推進すれば、相互利益が拡大し関係を強化できるに違いない」とした。

外交に詳しい人物は「昨年6月に政権が発足して以降、普天間問題、日中関係、日ロ関係における菅首相の外交政策が問われるなかで、それを大修復させたい狙いがある」とコメント。「下を向いて話す」首相の外交姿勢は「打って出る外交」へ、大きな転換点を迎えたわけだ。

一方、中国のメディアも「菅直人外交演説強調日美同盟和中国関係」と見出しをとり、これを伝えた。

それでも5年で3度も首相が交代した国への不信感は払拭されたわけではない。中国語の記事には辛口コメントも散見された。

「経済巨人の日本の政治体制は必ずしも強健であるとは限らない」(人民日報)。記事のタイトルは「菅直人逆水行舟」。中国語で「進まなければ押し流される」という意味だ。

少なくとも筆者は、首相の「打って出る」という気迫をこの会場で感じたわけだが、それを「逆水行舟」とするとは、なるほど、言い得て妙なりだ。中国語の持つ絶妙な表現能力に、悔しいが感心しないではいられない。

「常に政治大国の戦略の影響を受けてきた日本の外交は『片足不自由で歩くようなもの』、菅直人にそれを変えることはできない」(同)――。相変わらず、中国メディアは手厳しい。
Posted at 06:57 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
日中の「夫婦関係」  2010年12月22日(水)
日中の「夫婦関係」

20日、丹羽大使が“敏感都市”南京を訪れた。そこで発言した「日中は夫婦を超えた関係、離婚もできなければ別居もできない」という言葉に、いま中国側の注目が集まっている。

ある討論番組は、「その夫婦関係とは」を取り上げ、「どちらが夫でどちらが妻?」「どっちが偉い?」「いつもベッドで喧嘩する夫婦なのか?」などのほか、「いつもお金や生活上の些細なことで喧嘩するのはむしろ恋人関係?」、そんな話題で盛り上がった。

2010年9月を境に悪化した日中関係だが、中国では「改善に向けたい」という機運が高まっている。11月13日のAPECで行った22分の両国首脳の話し合いを契機に、「その後はゆっくりと改善に向かう段階」と評価がある。

中国は「改善したい」と舵を取り直すが、中国は日本に対し日米安保を理由に「依然、緊張状態を続けたいのではないか」と見ている。今後の日本の発展戦略に「緊張」を利用している、むしろ不安感を寄り煽り立てている、との見方を強めている。

確かに日本では、今まで平和、平和を唱えてきた市民が軍備に感心を持つようになり、街宣車の上で力説するお説を街ゆく人が「正論」だと受け止め、また政財界の交流会でもこれまで鳴りを潜めてきた一部の層が持論を声高に唱えるような、こうした一部における変化が起こっている。

同時に、日本人の中国人に対する好感度は落ちている。上半期の38%から20%に落ちた。これに対しては丹羽大使も指摘するところだ。以下は「東方早報」から。

「一般の中国人はあまり日本人が好きではない。一般の日本人も中国人を好きだとは限らない。それは日本人と会ったことがないから、日本人と話をしたことがないからだ。(中略)日本人も同じで90%以上の日本人が中国人と交流したことがなく、また中国の実情をほとんど理解していないのが実情だ」

一方、中国では、「日中関係はこれまでと違う」ということを認識の前提に、非常に前向きな討論が報道されている。「すでに日中関係の力関係は逆転しており、過去にさかのぼった議論はまったく理にかなっていない」とする学者の発言もある。この「変化のスピード」に果たして日本はついて行けるのだろうか。

日中関係における改善では「『現在』は『過去』とは異なる」という視点での、新たな議論を期待したいところだ。

夫婦関係もまた、蜜月、倦怠を経て「やっぱりお前しかいない」というのが大概の筋書きでもある。
Posted at 08:54 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
「10分懇談」報道トーンに変化  2010年10月31日(日)
「10分懇談」報道トーンに変化


中国でも、29日の日中首脳会談キャンセルをめぐる報道がなされている。31日の「東方早報」の記事「中日首脳休息室公談10分鐘」には、今までのような脅しつけるような激しい表現は排除されていた。

10分の懇談についても、「船がぶつかった事件をきっかけに冷えてしまった両国関係を改善するために、戦略的互恵関係を継続することが必要で、民間交流をさらに強化することも大変重要。両国はまだ実現していない正式会談を残念と受け止めると同時に、近い将来正式会談を成し遂げることを模索する、との共通認識を持った」と書かれている。

この記事に寄せる専門家のコメントもまた冷静だった。
「中国は29日に中日首脳会談を取り消したが、これは前原外相への不満の表明であって、決して中日の関係が全面的に氷点下に下がることを望んだためではない。また、菅首相との懇談は確かに正式な会談ではないが、中日関係を復活させそのための基礎を固めるため、またその交渉を閉ざすことも望んでおらず、国も中日関係修復のため決定権を掌握する努力を行おうとするものだ。中日関係は重要だが脆い。両国が気持ちを集中させなければならない。中でも理性ある大局観とトップの政治的決断が大変重要だ」

9月の事件直後から続いた報道からがらりとトーンを変えた。とはいえ、あくまで主導権は中国側に。しかし、その「落ち着きを取り戻している」表現には腰を抜かすものがあった。
Posted at 23:45 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
中国渡航自粛とは言うものの  2010年10月21日(木)
中国渡航自粛とは言うものの


四川省、陜西省、河南省での反日デモに続いて、武漢へもデモが飛び火、そんなさなか、10月19日、岩手県の高校生数十名らが北京、天津に向けて羽田空港を飛び立った。日中友好協会が主催する交流会に参加するという。

「大丈夫?怖くない?」の質問に「うん、少しは気になるけど」といいながらも、「ここまで来たらいくっきゃない!」といった様子だ。学校側も確たる意志があったのだろう、また17歳のわが子を、見知らぬ中国に行かせた親御さんにも拍手だ。

また、「予定通り決行」のGOサインを出した受け入れ側の北京(9月18日にデモが発生)のポイントも高いし、こうした交流団体が日中の交流のパイプを維持していることも評価しなければならない。少なくとも、大人は若者の期待を裏切ってはいけないし、次世代のために交流の機会を維持することを共通の目標にしなければいけないのだと思う。

若い人たちには、中国をみて、中国人と交流して、「なんでこの人たちってこうなの?わけわかんない!」という、壁にもどんどんぶつかってもらってそれを乗り越えてもらいたいなあ、と思う。

羽田空港の待合の席では、中国人の訪日旅行客が「あの子たちはどこに行くのかね?」その“大勢の学生さん”の正体を気にしていた。「日本の高校生で、これから北京に行くそうだよ」と告げると、満足そうに首を縦に振った。

中国人旅行客も日中間のギクシャクなど「我一切関知せず」といった様子で、たくさんの買い物袋を抱えてフライトを待っていた。杭州から来たというが、さらにそこから奥へ引っ込んだ町ではないか、その方言はとても聞き取りづらいものだったが、わざわざそんな遠いところから訪ねてきてくれるのか、という気持ちにもなった。沿海部では、もはや「反日」の旗なぞ降っていたら、それこそ「いい生活」はできないのだ。

自分の目で見たこの日本が反日・抗日に値するか、きっとこの5泊6日のツアーで何かを感じてくれたのではないだろうか。ひょっとしたら、頭の中は買い物でいっぱいで、そもそもそんな思考をめぐらすこともなかったかもしれないが、こんなさなかでも「日本を見に来てくれたこと」は素直に有難いと思った。

そんなことがある一方で、最近、こんな教育ママがいることを知った。スーパーの生鮮野菜売り場でのことだ。

「あ、ダメダメ、それは中国産なの。毒があるから買ってはいけないのよ」

日本でも中国産の“不買”は、デモこそ起こさないものの、存在する。中国産食品への不買は、デモのような活動として表面化することはないけれど、一部の日本人の中では根強いものがある。が、一方で、「中国産の不買」を植えつけられてしまっている子供の将来が気になる。

行ったこともない、見たこともない国が起こす行為は、その部分だけをメディアが切り取って放送をすると、憎悪しか煽らないことにもなるし、中国のように「わけのわからん国」ともなると、よほどの中国好きでない限り、なかなか民間の理解は得がたい。

それでも底辺を支える一部の民間の往来は依然、活発だ。「わけのわからん国」だからこそ、行ってこの目で見ることは欠かせないのだと思う。日本政府は中国への渡航自粛をかけたようだが、中国といえども広いわけで、少なくとも上海はいつもどおりの平和な日々だ。中国政府も政治と面子だけで交流を絶やしてはいけないし、日本もまたあまりにも過敏になりすぎてはいけない。
Posted at 08:20 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
尖閣問題と「孫子の兵法  2010年10月05日(火)
尖閣問題と「孫子の兵法」

今回の尖閣問題について、中国では多くの人間が「試探」だと指摘している。中国語の「試探」は、直接的にではなく、間接手段により相手の反応を探るという意味を持つ言葉だが、あらゆる角度から突っついて、日本の「出方」を観察していたことは間違いない。

日本の出方を待っての、間髪をいれずした外交部の発表を見ていると、「次なる一手」はすでに研究済みで、そんな練りに練られたシナリオは、さすが智謀知略に溢れた中国ならではのものだと、感心してしまう。

否、感心している場合などではない。

これにより「短命内閣」の日本の泣き所を一突きにし、中国は、日本に勝る大国であることを世界に誇示してしまった。GDPという数字が証明し、さらに外交上の力関係でも証明したわけだ。スネオの頭脳と腕力のジャイアンが一緒になったようで、空恐ろしいものがある。果たしてドラえもん(=日本)の道具(=知恵)だけで、今後迫り来るいくつもの窮地を乗り越えられることができるかどうか。

今回の一連の報道合戦で私が興味を持ったのは、あるメディアが「中国には『孫子の兵法』がある」ということを改めて指摘していた点だ。

「孫子の兵法」を引っ張り出したそのメディアが諭しているのは、煎じ詰めて言えば「日本よ、頭を使え、頭を」というものだった。

中国は、日本の海外代表に決定権がないこと、わざわざ日本の“本部”にお伺いを立てなければ決断ができないことを知っていた。マニュアルと前例どおりに事を進めることも見抜いていた。誰もが責任を取りたがらない国家であることもお見通しだった。「中国を知らない」ということも知っていた・・・(肝心な、中国を知るチャイナスクールも今回は力を発揮していないらしい)

日本というものを知り尽くした上での、「民主党ならどうするか」をためつすがめつ、外交部とメディアが言論を形成して行ったのだ。

経験値とマニュアルに則って動く日本、もうその足元は完全に見透かされている。中国を知るエキスパートも少ない(“20年前の中国”を平気で白板に書いて学生に教えている大学教授などはまったく役に立たないし、たまに中国に観光がてら遊びに来る“自称専門家”もかなり怪しい)。

日本ではまた、そういうエキスパートを育てようともしない。中国留学帰りを尊重せず、コストが安いという理由だけで中国人人材ばかりを重宝する。海外経験の豊富な人材を、帰国と同時にわけのわからない部署に異動させる。そのどこに中国で得た知恵や経験が蓄積するのだろうか。

ちなみに中国は語学のエキスパートを見ればわかるように、国を挙げて外国語人材を養成し、そこから外交やビジネスのエキスパートを生みだしている。

話が脱線したが、知謀知略という言葉を知らずして、この国とは向き合えないということなのだ。

経済で、外交で覇権を握る中国は、今度は全世界を中国語で支配する考えだ。目下、中国語を英語に代わる言語にしようという研究が進んでいる。ピンイン表記でどこまで内容を正確に伝えることができるか、が焦点だという。英語と違って中国語には4声があるから、ここがひとつのハードルになる。しかも、中国は留学生を大量に受け入れ、中国語人材を養成し、さらには各国に孔子学院を設け、中国文化を流布する活動を行っている。

これをして、「孫子の兵法」がいうところの「闘わずして勝つ」というわけだ。

孫子の兵法の実践――。そもそも征服欲のない、純情で一本気な日本人にはなかなか難しい相談だろう。今回の一件が、ますます日本人を「ひきこもり」にしてしまいそうで、いやな気分である。
Posted at 20:25 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
「大同小異」、日中間では使いたくないキーワード  2010年09月23日(木)
「大同小異」、日中間では使いたくないキーワード

1972年、中日友好協会副秘書長の孫平化氏を団長とする中国上海舞劇団が来日、14日に日生劇場でバレエ「白毛女」を上演した。その一方で、初の公式折衝の場を設けることが進められていた。

その団長の通訳を務めたZ氏に今年6月末にお目にかかった。上海でいまもご健在である。

「当時、周恩来総理はバレエを通じて田中総理の中国訪問の実現を急いでいた。日本の政権交代を最大に好機とし、国交正常化を実現に持ち込むことが大命題だった」とZ氏は回顧する。

バレエ団が帰国の途につく前日、「北京のもみじを見に来てください」とのメッセージを伝え、9月末の田中首相の訪中が決まった(同)。

そして周恩来総理との会談が実現する。

1972年9月25日〜28日北京で行われた田中総理・周恩来総理会談記録が残っているが(データベース『世界と日本』日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室)、筆者が改めて注目しているのは、「大同小異」という言葉の使い方だ。

今でこそ「大同小異」はこの会談を象徴する歴史に残るキーワードとして伝えられているものの、これこそが、後々日中関係にくさびをさす厄介な言葉ではなかったのかと、考えてしまうのである。

周総理は会談中、「日中は大同を求め小異を克服すべきであり、共通点をコミュニケにもりたい」とし、また、田中総理も「具体的問題については小異を捨てて、大同につくという周総理の考えに同調する」と、互いにこの言葉を重宝し、使っている。

日本では、「小異を捨てて大同につく」と言われるが、中国語では「求大同存小異」、「存」は残すという意味で、「捨てる」という意味はない。

が、この会談では、田中総理は完璧に「捨てて」と言っている。(日本人だからしょうがない)

双方、とにかく国交正常化を急いでいたことは確かだ。だから、中国側も大同小異という言葉を使った。

「しかしそれは、『小さいこと(小異)は次世代に解決させる』こと」(Z氏)であって、ご破算にしたわけではない。「小異には賠償問題も含まれている」(Z氏)。つまり「次世代まで棚上げ」することで、目の前の目的である国交正常化にはこぎつけるのである。

「大同小異」、これほど危険な言葉はないのではないだろうか。しかも、「棚上げ」はその後さまざまな解釈の余地を与えてしまい、次世代が本当に苦労する。

もうひとつ加えるなら、通訳任せの外交の恐ろしさだ。Z氏いわく「田中さんのズーズー弁は通訳にはわかりにくい」。上で触れた会談記録だが、それに目を通すと、なんだか双方、かみあっていないようにも思えるのは、そのせいだろうか。


ちなみに、「棚上げ方式」は1978年の日中平和友好条約の締結にもみられる。

当時のケ小平首相が尖閣諸島の帰属問題を「次世代まで一時棚上げ」することを提案し、日本側もこれを受け入れてしまった。

「ところが、1992年、中国政府は突如この合意を破って前述の「領海法」を制定し、尖閣諸島は中国固有の領土であると宣言した。」(日本の論点より)

直後、小和田外務事務次官が中日中国大使に口頭で抗議した。だが、結局、尖閣諸島問題の解決も「将来の世代」に委ねる決定となってしまった。

Posted at 15:41 | 日中関係に思うこと | この記事のURL
在上海日本国総領事館前の抗議活動  2010年09月18日(土)
在上海日本国総領事館前の抗議活動


9月18日、上海でデモを呼びかけている動きがあるのかどうか、ネットで検索してみたが、明らかに呼びかけと思われるサイトは当局によってつぶされていた。唯一、具体的な集合場所と時間と目的地(わざわざ住所と電話、ファックス番号まで!)を示していたのが以下のサイトだったが、「人民広場」を「人々広場」(原文はにんべん+門)にしていたのが怪しかった。

取り急ぎ、人民広場に出てみたが、それらしき「集合」はなかった。警官も「デモ行進はない」と言っていたが、警官の動員数は明らかに通常よりも多かった。

9時に在上海日本国総領事館前に到着。活動家らが横断幕をポールにくくりつけているところだった。見事に右と左の端がぴたりとくくりつけられたところを見ると、このポールはそれ専用に設置されていたのではないかと拝察(笑)。

活動のそれは静かだった。本日の報道で見る限りの北京のようなすさまじさはなかったし、上海のそれは抗議活動であって「デモ行進」ではなかった。

周りを取り囲んでいる市民も、「ただそれを見ている」といった様子で、「怒りがこみ上げてどうしょうもない」という様子からはほど遠かった。


2010年9月18日上海反日大游行
本帖最后由 狼人情哥 于 2010-9-16 23:20 编辑 世界各国华人们: 九月十八日是一个特殊的日子,在78年前的今天,惨无人道的日本帝国主义发动了蓄谋已久的侵华战争,东北三省沦为日本殖民地,3000万中华同胞深陷于水深火热之中,惨无人性的毒气人菌实验让无数个中国同胞活活惨死于日军的手下⋯⋯ 而今不思悔改的日本又再次的侵占我国的钓鱼岛非法扣留我国公民及台海同胞,勿忘国耻,爱我中华,历史绝对不能重演,我们每一个国人都团结起来,团结就是力量,我们要向世界发出通告“中国人民不是好欺负的⋯⋯ ”上海2010年九月十八号希望我们各省市爱国之士共同携手相聚上海,向日本非法侵占我国岛屿及9,18事件提出严重抗议⋯⋯ 拟于九月十八号上午8点钟于上海人们广场汇合,各自带好爱国标语,国旗。有组织能力的做好横副。向日本领事官发表抗议。本次反日游行本着自愿原则,应严格遵循国家法律,理性公正理智的对待游行,切勿发生暴力,极端,违法及有损国家形象等行为。 本次游行旨在表达国人坚决捍卫民族基业的态度,抗议被日本国绑架的我渔民同胞・其雄先生,抗议日本国无视国际法理与正义的侵略行径及海盗行为;宣示我钓鱼岛的神圣主权,本次行动所有志愿者坚决支持中国政府在钓鱼岛问题上的正义立场与严正态度,并期望政府在此次渔民被绑架的时间上采取有效有力措施,支持民间志愿者捍卫疆土的爱国行动。日本国驻上海总领事馆:地址:中国上海万山路8号电话:021-5257-4766传真:021-6278-8988



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