主体は個人、企業ではない(その2)
所詮、企業は経営者の「打ち出の小槌」
中国では企業というEntityではなく、経営者個人による募金活動が頻繁になされているということは、「その1」で述べたとおりだが、08年2月にジェトロ上海センター次長の岩田康さん(
http://blog.fideli.com/iwatayasushi/)と行った対談で、次のような解釈が引き出されたのはとても有意義だった。つまり、中国においては、消費者や顧客会が、問いただすべき対称は「企業ではなく経営者本人」であるということだ。また経営者も自分はこれだけやっていると誇示すれば、企業PRにもつながる。
市民にも感謝され、ついでにPR効果ももたらす、という手法は四川大地震後、最もフットワークの軽かった企業の1つ、飲料メーカーの「王老吉」からも見てとれる。彼はこの大地震で国内で最大の1億元を寄付した。この「民族企業の精神の持ち主」としてのパフォーマンスは瞬く間にファンを増やす。そして、ここぞとばかりに広告展開に打って出た。上海の古北カルフールでは一時、この紙パックの250ミリリットルの飲み物が1・95元(約30円)で売り出され、市民の関心を引いた。
定番とはいえこの古ぼけたイメージのある飲み物の、巻き返し劇は三段跳びのごとくテンポのいいものだった。しかも、上海市場の背景には、あえてローカル色を強調するような回顧的ムードが前提として存在したことも奏功した。
話は飛んだが、どうやら中国では、企業というのはオーナー、個人そのものであるという要素が強いようだ。自分の会社は「自分のポケット」と表現しても過言ではない、つまり、お金を生み出してくれる「打ち出の小槌」、それが会社というものなのかもしれない。これはジェトロ上海センター次長の岩田泰さんのご指摘だが、実に言い得て妙である。
逆に言えば「小槌にいくら社会的責任を求めてもしょうがない」という捕らえ方もできてしまうし、1人では改善できない社会問題を個人の代わりとなって企業単位で解決するという欧米型、日本型の発想とは大きく異なるという見方もできる。
確かに中国でもCSRという言葉が徐々に認知されつつはあるが、現段階の実態としては、企業市民(Corporate Citizenship)として、寄付や慈善活動、ボランティア活動という社会貢献活動という部分に主眼がおかれ、むしろ経営者そのものの寄付活動ということに価値が置かれているようだ。
余談だが、拙稿(
http://diamond.jp/series/china_report/10001/)に関心を持ってくれたあるアメリカ人駐在員がこう指摘してくれたのは興味深かった。
「信じられない。アメリカはすべて匿名だよ」
(続く)