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「自立とかかわり」の[場づくり][技法][人づくり]でサポートする、組織開発・人財研修の【G・Shift】(ジーシフト)のブログです!

左近の桜、右近の橘  2007年03月28日(水)
3月3日の桃の節句から、はや1ヶ月がたとうとしています。

桃の節句には、ひな人形を飾ったご家庭も多いのではないでしょうか。

ちょっと季節はずれになりますが、息抜きの話題です。

ひな人形を飾るときに、橘と桜も飾ります。
左近の桜、右近の橘」と言ったりします。

京都御所や平安神宮に行ったことのある方は、「左近の桜、右近の橘」を見かけたことがあるのではないでしょうか。

まず、京都御所での右左は、紫宸殿(天皇の位置)から見た右左です。
ひな人形は、御所を模しているので桜と橘の位置はこうなっているようですね。


さて、橘は日本書紀の中で不老長寿のクスリとして出てきます。そして、桜も尊ばれてきています。桜は日本の国花ですね。

実は、古くは左近右近の位置には、梅があったということだったそうです。
現在、梅は台湾の国花です。

万葉集で詠われる歌で、梅の花が良く出てきたのを憶えていますか。

年表風にまとめてみました。

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飛鳥時代 6世紀頃〜710年(飛鳥 の近辺:奈良県明日香村)
遣隋使 600年〜615年
遣唐使 630年〜894年
奈良時代 710年〜794年 (平城京:奈良県)
万葉集 〜783年ころに成立
    萩の花を詠んだ歌が140首、梅の花を詠んだ歌が100首
平安時代 794-1185年 (平安京:京都府)
古今和歌集 905年
    桜の花を詠んだ歌が100首、梅の花を詠んだ歌が20首
 963年に梅に代わって桜が植えられる。
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梅は中国原産で、奈良時代の遣隋使か遣唐使が中国から持ち込んだと伝わっています。
そのころは桜より愛でられたが、平安時代からは桜のほうに関心が移ったようであることがうかがえます。
そして、「万葉集」の頃は白梅が、平安時代になると紅梅がもてはやされたということです。

中国の影響を色濃く受けていた時分は右近も左近も梅でした。しかし、影響をうけなくなると日本に伝わっていたと思われる桜と橘に変わったようですね。
ちなみに、天子南面して、、、という概念は古い中国の思想から来ているという話しもあります。


さて、京都の大覚寺には、左近の梅があるということです。
大覚寺の前身は、平安時代初期(800年頃)嵯峨天皇が築いた嵯峨離宮とのこと。これが876年に大覚寺となったということです。天皇の離宮ですと左近の梅が伝わっているのも判るような気がします。


京都には「左京区」と「右京区」もありますね!
こだわりすぎても深みにはまりそうですが、左と右にまつわる話しもいろいろありそうです。


日本史と言うより、日本古来の考え方をひもとくチャレンジも続けてみます!
(この記事は、懐かしい方もいらっしゃるかもしれませんね)
Posted at 11:39 | 息抜き | この記事のURL
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彦田友治
人と人・組織・コトへの「かかわり」に注目して、企業のさまざまなコミュニケーション向上の研修やビジョン共有や問題解決のワークショップなどの場づくりを、夫婦二人そして講師の皆さんと日本各地で行っています。
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