菜の花忌
2007年11月02日(金)
10月27日に、司馬遼太郎記念館に行ってきました。八戸ノ里駅から歩いて8分のところに、自宅と司馬遼太郎記念館がありました。八戸ノ里という地名は、豊臣家老だった片桐且元が河内の沼沢地をうずめて田畑にしようと考えて埋め立てをさせた土地に入植したのが七軒だけで、この土地にもとから住んでいる人を合わせて、八戸になるので八戸ノ里と呼ぶようになったというのがいわれのようです。司馬遼太郎記念館を訪れると誰もが圧倒されるのが、11メートルの高さに及ぶ蔵書です。自宅にあった本は4万冊ほどの本ですが、これらの本は司馬遼太郎の頭脳の延長線上にあると考えられるので、そのまま保存されており、記念館を建設するために集められたのが、もうひとつの書斎といわれる2万冊の蔵書イメージになるわけです。記念館は雑木林風の自宅の庭から見える風景を再現してあります。しかし、ちょっと残念なのは、庭の通路もすべてコンクリートで固められていたことです。菜の花畑にはコンクリートが合いません。土の風情を少しでも残して欲しかったと思います。記念館の近くは、司馬遼太郎さんの散歩道ですが、弥栄神社の裏手に司馬さんが好まれていた1本のクスノキの大木がありました。見学の翌日、私は倉敷に向かいました。そして、地元の新聞に河内厚郎さんが、司馬遼太郎さんの「菜の花忌」について書いておられたのが目に留まりました。「菜の花忌」は、もともと伊東静雄さんの命日を記念して、つけられていたもので、司馬遼太郎さんを偲ぶ集まりは、後から同じ名前がつけたものと書かれていました。命名にあたってはひと悶着あったようですが、経緯は別として、伊藤静雄さんは長崎の諫早の出身で、病床にあった3年余は、やはり河内平野の菜の花畑が見えるところで、望郷の想いにかられていたようです。長崎の菜の花も三浦朱門さんが天草灘を見下ろした時の菜の花の豪快な畑のことを書かれているので、共通した風景があったものと思われます。地球環境問題が深刻になっている今日だからこそ、21世紀に生きるこどもたちに残していかなければならない自然の大切さを考えさせられる一日でした。


