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91年続けてこれたのも、「安定経営」思考のおかげ!

2008年03月28日(金)
携帯小説が映画化されるなど、
「本」の枠を超えて活字はどんどん広がりを見せています。
一方、「小説」や「雑誌」への活字離れは歯止めが掛からない様子で、
女性誌の老舗である「主婦の友」が休刊となる。
現代の既婚女性に「主婦」という言葉はもう古い!?

大正6年に創刊された「主婦の友」は、
5月に発売される号をもって91年間の歴史に幕を下ろすこととなった。
大正から昭和の高度成長期までの、家庭向き女性誌として
人気を誇った同誌も、時代の波には勝てず、
「外で活躍する」女性のイメージが強くなってきた中で
「主婦」という言葉が足かせとなったらしい。

石川氏の出版との出会いは、小学校時代の恩師を頼りに、
ひとり上京してきたことからは始まります。
恩師が知り合いを頼って、彼に紹介したのが、出版会社だったのです。
勤め先で、アメリカのH・グリーレーの伝記を読み、
出版業に興味を持つようになりました。

明治の後期、他社で発行された女性誌の人気に目をつけて、
勤めている出版社では新しく女性誌を創刊することになります。
思惑通りにはいかず、創刊号は半分以上が返品されることに
なってしまいますが、この本の発行に携わったことで、
石川氏は女性誌の道に足を踏み入れることになったのです。

26歳の時、どうしても独立の気持ちを抑えることが出来ず、
青年向けの雑誌「国民倶楽部」を出します。
しかし、部数は思ったように伸びず、
印刷会社に借金を残してしまうことになります。
彼は、志だけで成功するほど、甘いものでないことを思い知るのでした。

この苦い経験から、「主婦の友」を発行する前には、
「貯金の出来る生活法」と「実験千種・手軽でうまい経済料理」の二冊の
実用本を出し、軍資金を稼ぎました。

「主婦の友」は創業者 石川武美氏が、同名の出版社の前身である
東京家政研究会から創刊されました。
発行に際しては、新聞広告を使って大々的に宣伝を行いました。
そのお陰もあり、創刊号から大好評で、
全国から追加の注文が相次ぐのですが、先の失敗の思いから、
増刷には慎重でいました。
2号、3号と少しずつ部数を増やすにとどめていましたが、
年末号の2万部でも品不足であったため、新年号で3万部にしたところ、
3分の1が返品になる有り様でした。

このことで、また印刷会社などに借金を作ってしまうことになったのです。
そして、石川氏は同じ失敗をくりかえした教訓から、
「どんなに苦しくても、決して借金はしない」ことを経営の鉄則としたのです。
彼が、借金をすることを嫌ったのは、
出版業というものが人気に左右されることを
良くわかっていたからではないでしょうか。
「アタリ」もあれば「ハズレ」もある。
そんな、賭けのような商売は、借金をしてまで事業を拡大すると、
失敗したときには、その返済に何年も掛かってしまうことになるのです。

開業や新規事業で投資を行うときには、その内容をよく吟味して、
確実性の低いものには、手元資金の範囲内で行うように心がけましょう。
それが安定経営につながることになるのです。

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ギョウカイの垣根は、「高い」「低い」どちらがいい?

2008年03月21日(金)
今、ドラッグストア業界が揺れている。
規制緩和、規制撤廃の追い風を受け、拡大の一途でしたが、
今回はちょっと違います。

来年から、薬剤師がいなくても、薬を取り扱えるようになるため
スーパーやホームセンターなどの参入が予想されるからです。
業界間の垣根が高い時は、「低くなれば、なるほど…」と思うものですが、
低くなりすぎると、これまた「困った!!」

こんなことを言っては、大目玉かもしれませんが、
商売上手になるには、ほら吹き上手になることが一番だと思っています。

事業を始めたての時のように、信用も無く、資金力も無いときに
そのままの姿で商売をしていては、競争相手に勝てるはずがありません。
そこで、無いものを、さもあるかのように、
「ほらを吹く」テクニックが、商売を左右するのではないでしょうか。

嘘をついて騙すことは、良いはずがありません。
ほらを吹くというのは、人を騙すことではなく、
そのときは嘘であっても、きちんと約束はやり遂げることです。

嘘がばれても、笑って済ませられるようであれば、
それは、大ぼら吹きで済むかもしれません、
しかし、ほらを吹いたことを、実行できなければ
それは、嘘になってしまいます。

「ほら」と「嘘」のさじ加減は、非常に微妙で、
このバランスをきちんと採ることを覚えておかないと
「粉飾」「風説の流布」などのように、
取り返しのつかないことになってしまいます。

「貧乏」「貧困」「貧弱」「貧相」…
貧(まずしい)という言葉に続くことばは、
「お金」や「容姿」に関することが多いですね。

昔は、収入が無くて、食事もろくに採れなく、
みすぼらしくなることが、貧しいことでした。
これまでご紹介してきたように、
そのような状況から、カリスマ経営者は、発明を生み出し、
工夫を凝らして大きな事業を成し遂げています。

彼らにとって、工夫することは、
幼少のときから常に行ってきたことで、
無意識にしてきたことかもしれません。
このように身体に染み付いた感覚こそが、
後の成功の原動力になっているのではないでしょうか。

無いものは「無い」時代に、
貧しくなったのは「発想」や「心」になってきています。
「貧乏」で「貧弱」であった青年が、
稀なる発想で、工夫を凝らし世間を驚かせ続けました。

「マツキヨ」ことマツモトキヨシの創業者、松本 清氏、
その才覚は、商売だけに収まることなく、
政治の世界へ受け継がれていきました。

清氏は、薬の免許をとるため猛勉強中でした。
薬局で丁稚奉公しているとき、
薬について勉強する時間が無くて困っていた。
新しく配達の当番が回ってきたとき、時間を早く切り上げて、
その空いた時間を勉強にまわすことを思いつく。

薬局の無い町に開店すれば儲かるはずと、北小金の駅前に店舗を構えるが、
なかなか客足は伸びない。
来店してきたお客に話を持ちかけ、長居してもらい
繁盛しているように見せかけた。
また、薬を買ったお客から空き箱を譲ってもらい、
空き箱をショーケースに並べ、品揃えが少ないのをカバーしたのです。

普段は扱っていない、高級化粧品や輸入品も、
「今、商品を切らしているので、1、2日待ってください」
と、あるふりをして注文を受ける。
そして、知り合いの薬局へ自転車を飛ばして買いに行くのでした。

従業員に使い込みをされて、会社が倒産しかけになった時、
清氏はその存亡の危機を乗り切るため、ビル建設を持ち出す。
地元の有力者の力添えで、農家から事業拡大のための資金として借りてくる。
そのお金は、返済日より必ず1日早く返すようにする。
そうすることが、信用を生み、
2回目の借金がしやすくなると思ったからです。

この、「ほら吹き」と「やりくり上手」が、
千葉県松戸市で「すぐやる課」を作った
松本市長を誕生させるのでした。

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Posted by いい顧問 at 17:13  / この記事の詳細
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何でもかんでも値上げ!低価格を「売り」にするのも、キビしぃ〜

2008年03月07日(金)
ここのところ、街角のカフェでは値上げの波が押し寄せています

原油の高騰が大きく影響しているようですが、
他にも色々な理由が見え隠れしています

コーヒーや紅茶など嗜好品の多くは投機的な売買を経て、
日本などの消費国に入ってきます
一方、生産地の零細農家の人達は安い値段で買いたたかれ、
貧しい生活から抜け出せないでいるらしいのです
そんな農家を守るため「フェア・トレード」という活動があるらしい

いずれにせよ、低価格コーヒー・チェーンには忍耐の時といえます

飲食業に携わっている方はよく御存知だと思いますが、
お店の売上のボトルネックとなるのは、「お客の回転率」です。
店の席数を満杯にするお客さんが、
一日に何回転できるかという事なのですが、
一杯500円程度の飲み物を提供する喫茶店にとっては、
たくさんのお客様に入ってもらわないと、大きな儲けにはなりません。

ドトールコーヒーの創業者 鳥羽博道氏は、
珈琲をビジネスマンの負担が少なく、
気軽に飲んでもらいたいと思い続けていました。
珈琲が嗜好品から、ビジネスマンにとって朝の必需品となっていくなか、
インフレと不況の間で、彼らの手元から遠ざかっていく
危機を感じていたのです。

また、サラリーマンが通勤途中に駅のホームで、
あんぱんとコーヒー牛乳で朝食をすませる光景をみて、
人をあんなにわびしい気持ちにしてはならないと思ったのです。

人生の一大転機となったのは、ブラジルへの渡航でした。
上京して勤めていた喫茶店のオーナーが、
家族でブラジルに移り住むことになり、
その後鳥羽氏を呼び寄せてくれたのです。

高校を中退して、16歳で働き始め、まがりなりにも19歳で
コーヒーの卸会社が展開する喫茶店の店長を任せてもらったところでした。
「こんな小さな喫茶店の店長で終わるのか」
それでも、鳥羽氏の思いは、日々募っていくのでした。
そして、「二度と日本には帰ってこれないかもしれない」という覚悟で
甲板に足をおろしたのです。

それには色々な理由がありました。
海外体験で、高校中退のハンディを補いたかった、
開放的な性格の人たちの中にいると、
内向的な性格を変えられるかもしれない。
そして、将来の不安を克服したかったのです。
3年後、帰国した鳥羽氏は、珈琲の卸会社、
ドトールコーヒーを設立するのです。

71年視察ツアーで、ヨーロッパへ行ったとき、
パリのカフェでの出来事でした。
地下鉄から出てきた通勤客たちは、カフェのカウンターで、
珈琲を立って飲んでいます。
しかし、店内を見渡すと、テーブル席は空いているのです。
不思議に思いメニューを見ると、テーブル席は倍、
テラスは3倍と値段が違うのでした。
ドトールコーヒーの発想は、この立ち飲みコーヒーから出発したのです。

帰国後まずは、それまでの薄暗い喫茶店のイメージを払拭した、
明るくて誰でも出入りできる喫茶チェーン「コロラド」を展開し、
多くの人の支持を得て成功したのです。
そして、80年に初めて、日本最初の立ち飲みコーヒーショップ
「ドトール」をオープンします。

毎日飲んでもらうことができるように、
一杯の値段を普通の喫茶店の半額の150円にしました。
その代わり、店には全自動のコーヒーマシンや自動洗浄機を置き、
人手をかけずに、利益が残るように工夫しました。
鳥羽氏の思いは、ブラジル渡航から30年を経て、
喫茶革命となり「ドトールコーヒー」チェーンは全国に広まっていきます。

そして、日本がバブル不況の真っ只中であった93年、
「ドトールコーヒー」は店頭公開を果たし、
低価格コーヒーの時代がやってくることになったのです。

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Posted by いい顧問 at 19:15  / この記事の詳細
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休むことなく突き進む…「戦争成金」への道!

2008年03月01日(土)
週が明けると年度末の3月、
ここのところ、大手企業の決算は過去最高益を更新しています。
そんな景気の良さを反映してか、小金持ち(?)相手の
ビジネスがあちらこちらで見受けられます。

富裕層、セレブ…お金持ちの表現も何処と無く控えめで、
「成金(なりきん)」といったケバイ表現はされなくなりました。
日本にも、石油王にも負けない位の、「成金」がいたのです。

日本が戦争色を強めていく1910年代、
その戦争景気に乗って事業を拡大していった鈴木商店。
最盛期には当時の日本のGNPの約10%の貿易高を誇り、
三井物産や三菱商事を追い向き、日本一の商社となりました。

しかし、その勢いは長くは続かず、
第一次世界大戦の終結に伴う不況とともに資金繰りは急に悪化して、
コネのある政府系銀行からも見放され、あえなく倒産となったのでした。

その鈴木商店がこの世に残した会社は65社、
その核になる商社は双日(日商岩井)へ、
その他の事業は、神戸製鋼所、帝人、J−オイルミルズ(豊年製油)など
日本を代表する会社へ引き継がれているのです。

鈴木商店の大番頭として、手腕を振るった金子直吉氏。
それは日本の発展と事業の拡大を夢見たベンチャーリストでした。
数々の事業を生み出し、または育て上げた、パイオニア精神の明暗を
見てみます。

金子氏は、鈴木商店の事業が行き詰る直前まで、
新しい事業を拡大する手を止めませんでした。
それは、保険会社、石油、タバコ、薬品など多岐にわたります。
なにより、彼が力を発揮したのは、時の大物政治家と連携を図り、
国益という大義名分による政府の保護のもと市場を独占することでありました。
金子氏が最初に目を付けたのは、防腐剤や火薬の原料とされる
「ショウノウ」の専売権を手に入れることでした。
その販売権を手にすると、ショウノウ油からショウノウを再生する
新しい方法を生み出します。

ショウノウの販売と並行して、それまで在日の商事会社向けの販売から、
直接輸出する、いまの商事会社の形にどんどん変わっていきます。
そして3年後には砂糖の製造業をはじめ、またその2年後には
鉄鋼業に進出するのです。

鈴木商店は日本の工業界のパイオニア的存在となります。
また、鉄、小麦、船などを、日本を介さない、三国間貿易を始めるなど、
ユダヤ商社の手法を研究して、徹底的に利用して売上を拡大していきます。

新しく手がける事業が、すべて順調であったわけではありません。
製造方法、流通経路など、わからないことが山積していてどうにもこうにも、
前に進まなかったことさえありました。
金子氏は、そのことさえ楽しんでいるかの様に、「わしは事業の狩人なんや」
と誇らしげに言っていました。

砂糖の製造をはじめたときには、生産された砂糖は、サラサラではなく、
石のように固まってしまい全く使い物にならなかったのです。
幸運にも、競合会社の職人を雇うことになり、このことは解決でき、
不良品の砂糖も無事販売の目処がつけられました。

帝人設立の元となるレーヨンの製造については、
日本で最初の取り組みであり、その研究は遅々として進まなかった。
資金繰りのため、鈴木本社に出向いたときには「ドブに捨てたほうがマシ」
といわれ、
研究にあたっている技術者は、海外調査の成果が得られなかったことで、
自殺を考えたほどであった。
その生産が順調に乗るのは、足掛け10年も後の事になるのです。

酒は飲まず、タバコも吸わない、女にも手を出さない仕事人間、
カネにも魅力を感じず「仕事助平(スケベ)」と呼ばれて事業に
惚れた金子直吉氏。
上り階段途中のどこかで、踊場を見つけて息を休めていれば、
違った流れが生み出せていたのではないでしょうか。

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